熊本熊的日常

日常生活についての雑記

DVD

2011年10月30日 | Weblog
以前はよくレンタルビデオを利用したものだが、今はネットでのダウンロードに押されてレンタルビデオ店が減っている所為もあって、もう何年も利用していない。観たい映画は映画館に出かけていって観るが、古い映画となるとDVDを購入することになる。レンタル店があちこちにあった時代に比べると、DVDの価格はずいぶん安くなった。映画館で2回観るのとほぼ同じという感覚だ。だから2回以上観る確信がある作品は、つい買ってしまう。確信、といっても一時的な感情であって、裏付けのある考えではないので、買ってみたものの通して観てないというものもある。逆に2回どころか暇さえあれば観ているものもある。観てないものと観るものとどちらが多いかといえば、圧倒的に観ていないものが多い。そういうものが溜まるに従って、発注の際の躊躇の時間が長くなるが、発注手続きに入ってから止めてしまうという例はこれまでのところは無い。

今日は買ってからずっとほっぽらかしになっていた「Uボート」を観た。いつ買ったものなのか記憶に無いのだが、「オリジナル劇場公開版」、「ディレクターズ・カット」、「TVシリーズ完全版」の3枚がセットになったものが手元にある。このうち今日は「ディレクターズ・カット」を観た。劇場公開のときに映画館で観ているので、作品については知っているが、改めて観るとやはり良い作品だと思う。

原作は、原作者が第二次大戦中に実際に作戦中のUボートに乗船して取材した経験に基づいている。あるUボートの出撃から帰還までの数日間をドキュメンタリーのように描いてある。当時のドイツ潜水艦隊の搭乗員は4万人で、このうち3万人が帰らぬ人になっている。そういう現場であるから、敢えてドラマにしなくとも劇的な場面はいくらでもあるということかもしれないが、208分間の作品上映時間中、退屈な場面は一瞬たりとも無かった。確かにラストシーンは作為に過ぎると見る人もいるだろう。かといって、あのまま何事も無く終わるというのも、例え原作の基になっている取材での現実がそうであったとしても、映像作品としては物足りなくなってしまったのではないだろうか。あのラストがあるから反戦映画という解釈ができて興行的には自由度が高くなるという面もあるだろうし、その分、安っぽいものになってしまったという憾みが出てしまったとも言えるだろう。ただ、全体として見れば、数日間の任務で人がどう変化するかということ、もっと言えば、人間とは何なのかということまで考えさせる素材が満載の作品だと私は思う。

購入したDVDのなかには、既にネットで売り払ってしまったものがあるのだが、これはまだしばらくは手元にありそうだ。

相模大野

2011年10月29日 | Weblog
何年か前に、それほど長い期間ではなかったが、それでも数ヶ月に亘って仕事で厚木に通っていたことがある。小田急で本厚木に出て、そこから神奈中バスで10分ほどの所だった。同じ頃に、代々木八幡にあった映像翻訳学校の夜間クラスに通っていた。その後、2005年から翌年にかけてコーヒーの勉強のために月に一回程度の割合で梅が丘近くの焙煎人のところへお邪魔していた。小田急線との縁といえば、それくらいのもので、あとは子供が通っている学校がその沿線にあるくらいか。ただ、子供がその学校に通い始めて半年後くらいに離婚して別々に暮らすようになったので、そちらのほうは間接的な縁とでもいうようなものだ。

今日、初めて相模大野という駅に降りた。グリーンホール相模大野というところへ落語を聴きに出かけてきたのである。新宿から快速急行で30分ほど、急行なら40分ほどの距離だ。小田原方面へ向かう本線と江ノ島へ向かう支線の分岐駅で、乗降客が多いのに驚いた。駅前には商業ビルが林立し、人の往来も活発で、大手私鉄の急行停車駅らしい風情が漂う。駅前から北へ伸びる商店街を行くと程なく伊勢丹に突き当たる。その建物を通り抜けたところに目指すホールがある。駅から最短でホールへ行くには伊勢丹の売り場を通り抜けるようにできている。今日はその通り抜け部分で北海道物産展が開かれていた。店内ではあるけれど通り抜け通路のようでもあるので、物産展が盛況なのか、単に人の動線で賑わっているのかよくわからなかったが、通り抜けるのは楽ではなかった。つまり、この構造は伊勢丹にとっては収益機会をもたらしているということになるのだろう。どうでもよいことだが、この伊勢丹相模原店はずいぶん前にテレビドラマの舞台に使われたそうだ。

今日の落語会は「柳の家の三人会」という花緑、喬太郎、三三の顔合わせ。前座はフラワーというふざけた名前だが、噺のほうはなかなかしっかりしていて楽しみな人だという印象を受けた。今月は10日に子供と一緒に調布で志らく、喬太郎、三三の三人会を聴いたが、喬太郎も三三も今日の方が良いと感じた。落語の専門家ではないので、良いもへったくれもないのだが、なんとなく今日の噺ぶりのほうが好きだという意味だ。

花緑がまくらのなかで語っていたことだが、世の中でいろいろ事件や騒動があっても、こうして落語会に出かけて、そうした物騒な世界から隔絶された平和な世界を味わうというのは幸せなことだと思う。日常を離れて自分の楽しみに浸るというのは、落語に限ったことではないのだが、取り立てて大きな舞台装置を必要とせず、噺だけで浮き世の憂さから一時離れることができるというのは落語だけだろう。あまりそう見えないかもしれないが、これほど深い芸というのは世界に類を見ないと、私は思う。とりあえず日本人でよかったと思う時間を味わうのが落語の世界だ。

今日はこの後、池袋に出て陶芸をする。その後、実家に顔を出して、住処に戻ったときには夜11時になっていた。

本日の演目
「道灌」 柳家フラワー
「笠碁」 柳家花緑
(仲入り)
「ハンバーグができるまで」 柳家喬太郎
「三枚起請」 柳家三三
開演:13時
終演:15時30分
会場:グリーンホール相模大野 大ホール

2011年10月28日 | Weblog
137億年前の宇宙誕生以来、原子の数は増えてもいなければ減ってもいないという。結合し、分解し、改めて結合し、また分解し、というような具合に繰り返しているだけなのだそうだ。全ての物質はそうした原子の結合によってできている。尤も、原子を肉眼で見る事は出来ない。人の頭髪の直径は原子30万個分で、つまり肉眼で見えるようになるには10万個程度は集まる必要がある。原子の構造は原子核とその周囲を周回する電子から成り立つが、原子核と電子の間には何もない。この何もない空間が原子の体積の99.99…%を占める。つまり、空間を集積することで物質が出来上がる。ということは、物質は見た目ほどに確かなものではなく、実体は空であるとも言える。勿論、100%空というわけではないので、こうしてなんとなく我々が生きていると感じている世界が存在しているわけである。

原子はいきなり何か具体的なものを構成するのではなく、元素という形態にまとまり、それらが組み合わされて様々な物質になる。原子を構成する原子核は陽子と中性子からなり、つまり、原子核の構造と電子の組み合わせにより、様々な元素が構成されることになる。現在のところ112種類の元素に対し国際純正・応用化学連合が名称を付与している。人体はその約7割が水、H2Oだ。Hは水素、すなわち最も単純な形態の元素である。最も単純ということは最も軽いということでもある。逆に重い元素の例としては、近頃よく話題になるプルトニウムがある。

ちなみに、平均的な人体は7,000𥝱個の原子で成り立っているのだという。数の単位は一十百千万…と大きくなり、𥝱というのは10の24乗だ。つまり7掛ける10の27乗個の原子が自分の姿で、その99.99…%は空間に過ぎない。殆ど空間なので、7,000𥝱という途方も無い数の原子が集まったところで、この程度のものなのである。そう考えると、自分自身も、あれこれ次から次へとしょうもないことが起こる世界の様子も、ふらふらとしたものであることが納得できる。世の中はあまねくふらふらと頼りないということを、おそらく暗黙知として身に備えているから、人はその頼りなさや不安を払拭すべく、我欲の満足を追い求めるのだろう。つまり、自分が外部に対して働きかけ、その反応を確認するという作業を生涯に亘って繰り返すのである。不安が強いほど、働きかけは熱心になるのが自然というものだろう。結果として、人の行動はわかりやすいものに向かう。それが権力やその表現形としての財力や富と呼ばれるものを求めることになるのだろう。しかし、どれほど富を集めてみたところで、それは永久に自分自身にはならない。自分の傍らにあっても、自分の外部であることに変わりはない。所有あるいは所有権というのは単なる約束事であって、何の存在根拠もない。人は、例えば火葬すれば気化できるものは大気のなかに拡散し、残りは灰になる。土葬すれば朽ち果てる。大気中に拡散したものも、灰になったものも、朽ち果てたものも、原子に分解されて、やがて何か別のものを構成することになる。

所詮はたいした実体のないものなのだから、そのささやかな実体を誇張しようとあくせくするよりも、互いに助け合って気持ちよく限りある人生を楽しめばよさそうなものだと思うのだが、そうならないのも不安が強い所為なのだろう。幻のような人たちが、幻に怯えて右往左往するというのが世の中のほんとうの現実なのかもしれない。

クラブクラブ

2011年10月27日 | Weblog
好きな食べ物というのはいくらもあるのだが、昨日届いた毛ガニをおいしく頂いた。カニにはいろいろ種類があるが、私は毛ガニが一番好きだ。味はもちろんのこと、身の風味といい、味噌の潤沢さといい、言うことなしだ。北海道ではこれが日常の食卓に当たり前に登場するというのだから、うらやましいではないか。こんど、身近なところでカニの愛好家を募って「クラブクラブ」でも作って、北海道の人たちにまけないくらいカニを食らってみようかとさえ思う。

食べ物のついでで言えば、前にも書いた通り、果物も好きだ。夏はなんといっても白桃で、それが終わると無花果で、でも無花果の季節は短くて、旬の果物が切れてしまいやしないかとはらはらしていると、柿が登場して安心する。
柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺
という歌があるが、しばらく奈良県産のものを食べていた。今回届いたのは熊本産だ。奈良のものはしっかりとした果肉だが、熊本のはとろけるようなものである。産地というより種類の違いなのかもしれないが、どちらもそれぞれに美味しい。既にリンゴも出回っている。リンゴは品種が豊富で、それぞれに個性豊かなので、どの種類のものもそれなりに美味しく、また味の違いを楽しむのも多くの種類が出回る今時分のよいところだと思う。
天高く馬肥ゆる秋
などとも言うが、一方で、食べられるときに食べておかないと、この先どうなるかわからないという世知辛い現実もある。

先日、仕事でアイルランドのことを少し調べていたら、その悲惨な歴史を知って驚いてしまった。ほぼ20世紀を通じて人口が減少を続け、1990年代になって人口のほうは落ち着いたものの、経済上の分類では相変わらずの最貧国なのだという。地図を見れば明らかだが、高緯度に立地しているというのは農業には適さない。となると食糧の確保のために取引材料となるものを産み出す産業がなければならない。しかし、300万から400万程度という人口では産業を興すといっても容易なことではない。日本は1億2千万の人口と豊かな自然に恵まれているとは言え、人口が減少に転じ、国内産業が競争力を失いつつあるということにおいては、早急に対策が必要になっていることは言うまでもない。一国民として、そういう状況下で何ができるものなのか、たとえ無い知恵を振り絞ってでも考えなければなるまい。まだカニだ柿だと、呑気なことを言っていられるが、世知辛さが刻一刻と深刻さの度合いを増しているのも確かなことのようだ。

おぎゅーさんのお話を聴く

2011年10月26日 | Weblog
木工の帰りに池袋の西武に寄って、尾久彰三氏の講演を聴いた。民藝に関心を持っている人なら誰でも一度くらいは氏の名を耳にしているはず。そういう人なので、ここで氏のプロフィールを紹介するというようなことはしない。講演のタイトルは「民藝新感覚」。「新」とは言っても内容は柳の語っていることと変わらない。しかし、それでよいのだと思う。簡単に「新」だの「旧」だのというものが出てこないくらい柳の民藝とか美というものに対する考え方には普遍性があるということなのだ。

今日から30日まで西武ギャラリーで「美の壷 鑑賞講座」という催しが行われている。5人の講師が日替わりで登壇し、そのトップが尾久氏だ。会場にはそれぞれの講師に関連した展示もあり、こちらは5人分まとめて期間中展示されている。尾久氏は講演会場に展示されているものとは別にたくさんのものを用意して、聴講者に直接触れる機会を提供されておられた。民藝とは言っても、いまや稀少品となっているものばかりなので、こうして手に取る機会などそうあるものではない。もともとはどこの家にもあった日用品が、いざ姿を消してみて、今更ながら「あれはよかった」などと思って探そうとすると、とんでもなく遠い存在になっているというのは、なにも民藝に限ったことではない。無限のようでもあって有限のようでもある時間というものの制約の下、社会という関係性のなかで生活をしていれば、追い立てられるような状況ばかりが目についてしまう。そういうなかでは、どうしても安易に流れるのは致し方ないことだろう。わずかな手間であることを承知していながら、そうした手間をかけることを惜しんでしまうということを誰が責めることができようか。手間を省いたところで得られることなどたかが知れている。それは自分の生活の歴史が雄弁に語っていることだ。先日も書いたが、私の幼年時代は日本の高度経済成長と共にあった。身の回りはあれよあれよという間に家電製品が溢れ、社会基盤の整備も進み、しかもそれらが進化を続けていた。それで自らがかけなければならない手間隙が劇的に減少したはずである。その浮いた時間や労力で幸福や満足につながるようなことがどれほどあっただろうか。今となっては、むしろ、手間隙をかけていた頃のことのほうを懐かしむ気持ちが強くなっている。幸福も満足も心のありようのことだ。人が関係性のなかを生きる限り、その心は関係性を構成する人間同士の交流によってしか影響を受けないということになるだろう。物のありがたさとか美しさというようなことも、その物単独のことではなく、その背後にある関係性がありがたさや美しさ、逆に、怨念や憎悪も生み出しているのだろう。さらに言えば、人の気持ちというのは、結局のところ手を通じてしか伝わらないのではないだろうか、とさえ思う。ものを作るのは人の手だ。たとえ最終的に機械が作り出すものであっても、その構想は人の手を通じてなされるものだろう。物の佇まいや質感、感触、といったものがわからない人というのは、人情の機微に対しても鈍感な人が多いように思われる。確かに、意思伝達手段の最たるものは言葉であって、物ではない。情報通信の発達のおかげで言葉のやりとりは便利になった。しかし、メールやつぶやきで伝わることというのは、結局はそうした簡便な方法で伝わる程度のことなのではないだろうか。なぜなら、言葉にしても、その本当の意味は、人間の経験に深く拠っているからだ。辞書的な表層をすくい取ってわかったつもりになるのは浅はかというものだ。言葉のやりとりにしても、互いが同じくらい経験を深く共有して初めて意味を成すものではないだろうか。尤も、そういう相手というのは容易に出会うものではない。そういう相手を求めるのも、人生の愉しと割り切らなければ、人はただ孤独に陥るだけだ。

ところで、尾久氏だが、今回初めて実物を拝見した。2009年8月まで日本民藝館で学芸員をされていたので、あるいはそれとは気付かずにお目にかかっていたこともあったかもしれない。それにしても、お話の様子がなんともいえず魅力的で「おぎゅーさん」という感じなのである。1時間強の講演だったが、おかげさまで気持ちのよい時間を過ごすことができた。

つきとおひさま。

2011年10月24日 | Weblog
去年の今頃のことだっただろうか。小石川にあるカフェ橙灯で、「oraho」という会津のことをまとめた小冊子を発行しているという人とカモ井加工紙という会社の人が話をしているテーブルの隣のテーブルに座った。小さなカフェなので、カフェの坂崎さんが客同士を紹介してくれる。そういう人と人との距離感を体現したカフェなのである。それで、その場でおふたりと少しお話をさせて頂いた。それはそれきりで終わり、橙灯にもこのところ無沙汰をしているのだが、今日、たまたまネットで「oraho」のサイトを見つけた。そこに紹介されていた「つきとおひさま。」という開業準備中の食堂の話を読んで感心した。あの震災の後に喜多方に引っ越して、来年春に食堂を開業するというのである。喜多方といえば原発の場所からずっと離れた町ということはわかるが、生活圏として東京しか知らない私にはどちらも「福島」という括りになる。あれからあの地で暮らしていた人々はその土地に残るか新天地を求めるか苦悩しているという話はいろいろなところに紹介されているが、そういう場所に敢えて移り住むという決断に興味を覚えた。

つきとおひさま。」の主はご夫婦で、奥様が会津の北塩原村大塩のお生まれとのこと。旦那様のほうは県外の人らしい。ちなみに「oraho」の発行人も会津の出身で、その旦那様は東京の人だという。自分が生まれ育った場所に戻りたいという心情はわからないではない。人は一生を通じて自分を探しているような気がする。それはなぜかといえば、生まれるということが途方も無く大きな謎だからだ。生まれたくて生まれたわけでもないのに、今、こうしてここにいるということが私は不思議でしょうがない。おそらくみんな意識の強弱こそあれ、不思議に思っているのだ。その不思議を解決すべく、この世に宗教とか哲学とか文学というようなものがあるのだろう。

で、「つきとおひさま。」だが、喜多方駅から徒歩10分ほどのところの古民家を改装しての開業だそうだ。もとは豆腐屋だったらしい。改装には家族や友人知人が総出で関わり、少しずつ自分たちのものになっていく様子がブログから伝わってくる。この食堂のある町がどのようなところなのか、全く知らないけれど、ものすごく好奇心をそそられて、いつか出かけてみたいと思う。

昭和の頃

2011年10月23日 | Weblog
建て替えが終わったばかりのイイノホールで落語を聴いてきた。イイノホールだからというわけなのかどうだか知らないが、落語とジャズのビックバンドとの共演だ。今日初めて知ったのだが、その昔は東京でジャズのビックバンドが演奏する場所というと、このイイノホールと産経ホールと日劇の3カ所が定番だったそうだ。いずれも当時のホールは既になく、産経と日劇はホールすら残っていない。私は大学に入って初めてダンスパーティというものを経験したのだが、そのときの会場が産経ホールだった。もちろんダンスなど踊ることができるはずもなく、尤も、踊れない奴のほうが圧倒的に多く、なんとなく大学生になったなという思いだけを味わったものだ。

今日の落語だが、昇太の独演だった。噺二席とブルースカイというバンドの演奏で、二席目の「二階ぞめき」は噺のなかに演奏を取り込むという仕掛けになっていた。今回の催しのテーマは「昭和」。ちなみに一席目は「茶の湯」。

噺のまくらのなかでも語られていたが、高度成長期の「昭和」は物質的に「豊か」になることが体感できた時代だったと思う。自分の生活の場に次から次へと家電製品が入り込んで来る。私の子供時代は長屋で生活していたのだが、それでも洗濯機は買い替えられるたびに顕著に高機能になり、風呂は薪で炊くものから練炭になり、やがてガスに代わるのであった。掃除も箒で掃いていたのが、掃除機に代わり、テレビは白黒からカラーになった。それまで存在していなかった電話機というものがやってきたときには、用もないのに時報や天気予防を聴いていたものだ。そうした新しい道具が登場するたびに友達を連れてきたり、あるいは友達の家にそういうものを見に行ったりしたのが、今は嘘のように感じられる。

もちろん、今の家電製品も新製品が出るたびに高機能化している。しかし、その多くの機能は結局使われないことが多いのではないだろうか。あるいは近頃の携帯電話のようにあってもなくてもどうでもよい機能ばかりが増え、震災のような非常時には機能しないというようなゴミのような物ばかりが増えているように感じられる。

過ぎ去ったことを懐かしんでもそこから何も生まれないのだが、あの頃にあったことで今は無くなってしまったことで、生活にとって決定的に重要なことは、明日が今日より良くなるという暗黙の信頼感であるように思う。

「わしの眼は十年先が見える」 備忘録

2011年10月22日 | Weblog
金は使うためにあるのであって、人は金に使われるために在るのではない。人と人との間に境を立てるのも金。人はときに貧しさによって、さらに、より多く豊かさによって、人であることを妨げられる。(137ページ)

主張のない仕事はひとつもしない。主張のない生活は一日も送らぬ(187ページ)

成否は別として、主張が正しく確信を持して進むならば、周囲の事情の変化はどうであろうと差し支えない事だと思います。自分はこの気持ちをもって自分の関係する仕事に全力を尽くして働き、そして大体として申せば、仕事の内容はできるだけ積極方針を執ってやりたいと考えます(199ページ)

売り絵を描き続ける画家はその生命を失う(201ページ)

子孫は先祖の誤りを正すためにあるんじゃ。わしはそう思って、やってきた(265ページ)

骨董屋の花でもいけん。花屋の花でもいけん。床の間に合う自分の花を活けるんじゃ(273ページ)

学校の先生に褒められるような奴に、ろくなのは居ない(297ページ)

うちの欲しいのは、革新的なものだけだ。見る人に問題を提供して考えてもらう。それが美術館というものだ(305ページ)


「わしの眼は十年先が見える 大原孫三郎の生涯」城山三郎
新潮文庫
平成9年5月1日発行
平成21年10月15日15刷改版
平成23年7月30日17刷

あれから二ヶ月

2011年10月21日 | Weblog
夏のスクーリングで制作した陶器が焼き上がってきた。手捻りの作品なので、全体として素朴な雰囲気になる。授業で制作したので、一通りの技巧は試みられていなければならず、結果としては実用品というようりも、サンプルピースのようなものに見える。素焼き以降の工程は工房担当の学生さんたちが処理してくれたのだろう。本来なら、素焼き後に施釉する際の下地処理とか、施釉も自分でやってみたかったのだが、カリキュラムの制約で致し方ない。ただ、出来上がったものを眺めてみて、手捻りというのも面白いものだと改めて思った。

祝開館

2011年10月20日 | Weblog
東洋文庫ミュージアムを訪れた。今日が開館日である。美術館や博物館の類の開館日にそこを訪れるというのは初めての経験だ。おそらく関係者の間ではオープニングセレモニーがあったのだろうが、私が訪れたときは、今日が開館というような特別な日であることを窺わせるのは、入ってすぐのところにあるミュージアムショップに蘭の鉢植えがたくさん並んでいることくらいだ。平日の日中という所為もあるのだろうが、館内は何事も無いかのように静かだ。そもそも平日の昼間の美術館や博物館は空いている。財団法人とはいえ、せっかくの開館なのだから、もう少し華やかなものがあってもよいのではと思う私は低俗だろうか。

展示物は適当な間隔で入れ替えるのだろうが、今展示されているもののなかで面白いと思ったのはマルコ・ポーロの「東方見聞録」だ。1485年に刊行されたラテン語版を始めとして、様々な場所や言語で出版されたものが54冊一堂に展示されている。もちろん、もっとたくさんの版があるのだろうが、それにしても判型も装丁も言語もさまざまなものがその時代にこれほど出版されているというのは驚きだ。それほどまでに欧州の人々にとってはアジアへの興味や関心が大きかったということなのだろう。

今の時代とは比べ物にならないほど、書籍はもちろん、紙も貴重であった時代に多くの言語に翻訳されて欧州各国で読まれた本の現物を見るだけで、大航海時代が単なる冒険心の満足というようなものではなく、もっと切羽詰まった事情があったことが想像できる。その事情が如何なるものか、ということは知らないが、「黄金の国、ジパング」を探しにというような、単なる欲得のことではあるまい。

本は、そこに書かれていることを知るのが一番大事なことなのだろうが、装丁や判型、挿絵の量と質、という存在の全てが刊行事情を雄弁に物語っているということが、この54冊の「東方見聞録」だけでも十分に想像できる。昨今は情報のデジタル化が進み、どのようなものでも電子記憶媒体にデータとして蓄積され、それを端末で閲覧するようになっている。物の質感とか佇まいが捨象される時代だ。書かれていること、データとしての文字や数字は物事の表層でしかないのだが、それがわかっていない人が増えているような気がしてならない。実物を見ること、体験すること、体験を経験に深める意識を持つことが、自分の時間をどれほど奥行きのあるものにするということが、どれほど理解されているだろうか。

なにはともあれ、近所に良い場所ができたことは喜ばしいことだ。

「もしもぼくらが木を失ったら(原題:If a Tree Falls)」

2011年10月19日 | Weblog
土曜日の夜、映像翻訳を勉強していた時のクラスメイトのなかで、私を含めて5人で集まって旧交を温めた。学校に通っていたのは2003年から2004年にかけてで、その後、映像翻訳者として生計を立てている人が何人かいるらしい。この5人のなかにもそういう人がいる。「もしもぼくらが木を失ったら」は彼が字幕を作った作品だ。この作品は「エコテロリスト」として話題になった環境保護団体ELF(Earth Liberation Front)を追ったドキュメンタリーで、今年の東京国際映画祭の上映作品である。

環境問題には正解が無い。地球上の資源は有限だ。新たに生成されるものはいくらもあるが、現状は消費されるほうが遥かに多い資源が殆どだろう。だから無闇に消費するのではなく、再生可能性を考慮しながら活用することが必要だ。それはその通りなのだが、生成から消費に至るサイクルに不明瞭なところがまだまだたくさんある。消費に関しては人間が意識的に行っている行為なので、かなりはっきりしているのだが、自然が資源となっている物質を生み出す仕組みには解明されていないことのほうが多いのではないだろうか。つまり、環境問題というのは、よくわかっていないことをわからないままに議論していることが多いのである。

もちろん、空気や水を汚染すると、そこで暮らす生物に危害が及ぶということは明瞭だ。しかし、生物が環境に対して影響を与えずに生きることはできない。例えば、人は呼吸をする。酸素を消費して二酸化炭素を吐き出している。二酸化炭素はありふれた物質だが、地球温暖化の最大の原因とされていて、国際的に排出規制の対象となっている。人は食事をする。動植物を消費して糞尿を排出する。食料となる植物を生産するために森林を開拓して農場にしたり、動物を大量に捕獲すれば、生態系に影響が出る。環境問題を語る人間自身が環境問題の脅威であることに、本人が気付いているのかいないのか知らないが、そういうことなのである。

今、この国で最も注目を集めている環境問題は放射能だろう。福島での原発事故により、その周辺は人の生活が成り立たない状況になっている。事故から半年以上が過ぎ、被災地以外の人々の間では事故の記憶は薄れつつあるだろう。しかし、予想されていたことではあるが、被災地周辺では動植物の奇形が増えているらしい。農産物の産地では収穫した作物の放射性物質検査に追われているようだが、作物単体の問題ではなく、食物連鎖のなかで人間にどのような影響が出るのかということは、おそらく個別具体的な現象が現れてみないとわからないだろう。今生活している人には何もなくとも、次の世代に異常が現れる、というような影響の発現もあるのかもしれないし、もっと長い時間が経って現れることもあるのかもしれない。

厄介なのは、放射性物質単独の影響だけでなく、それ以前から我々の生活のなかに蔓延している化学物質の影響との相互作用によって、予想外の異常が発現するという可能性だろう。そうなると、因果関係の立証など不可能だろうから、よほど大量にそうした異常が発生しない限り、異常によって被害を受けた人が公的な救済を受けることができないという事態になるのは容易に想像がつく。過去の公害問題を振り返れば、異常発生の初期においては、発生の原因となることに関わる当事者は公的組織を含め一様に責任を認めないものである。認めざるを得ない状況になる頃には被害が大きく広がっているのである。それが、因果関係不明ともなれば、電力会社は勿論のこと、政府だって動かないだろう。

先日、稲刈りにお邪魔した流山の農家の人は、「放射能より怖いのは化学物質のほうなんだけど、誰も何も言わないねぇ」と呆れたというような調子で語っていた。原発事故を機に、放射能だけでなく環境汚染全体が改めて見直されるかと期待していたのだそうだ。レイチェル・カーソンが「沈黙の春」を世に出したのは私が生まれた年だ。あれから約半世紀。環境問題の本質に何事か変化があっただろうか。間違いなく言えるのは、エコテロリズムは何の解決にも結びつかないということだ。

デザインのひきだし

2011年10月18日 | Weblog
そういう名前の雑誌を最近知った。一般向けのものではなく、「デザイン」も印刷関連についてのものである。毎号、全体のページの半分以上が印刷や紙のサンプルだ。内容はその業界の人以外には全く興味を喚起するようなものではないので、どれほどの部数が発行されているのか、重版というものがあるのか、というようなことは全く想像できない。私の手元にはこの雑誌の8号から14号までがあるのだが、いずれの号にも「初版限定実物見本」というものが付いている。オマケのようなもので、綴じ込まれていないので、書店などではビニールに包まれて並んでいる。ビニールで包まれているというだけでも読みたくなるものだが、私がこの本と出会ったのは書店ではないので、ビニールで包まれているどころか、装丁すら知らなかった。

「雑誌」と書いたり「本」と書いたりしているが、流通上では「定期的に出ている書籍」なのだそうだ。そう言われても、「雑誌」とどう違うのかわからないのだが。それで、「デザインのひきだし」をどのようないきさつで知ったのかというと、それほど前のことでもないのに記憶があやふやなのだが、間違いないのは、どこかでこの本の編集長である津田淳子氏へのインタビュー記事を読んだことだ。それが面白くて、バックナンバーを数冊、行きつけの書店の在庫にあったものを注文して取置いてもらって手にしたのが最初だ。読んだら面白かったので、追加で別のバックナンバーを注文し、それを取りに出かけてみたら店頭に最新号である14号が並んでいた、ということなのである。

何がどう面白いのか、ということは言葉では説明できないのだが、印刷というものが好きなのである。今は手軽に入手できるプリンターで、個人でも知恵と工夫次第でかなりいろいろな印刷物を制作することができるが、書籍や商業印刷のような大規模なものとなると、やはりそれなりの長大な工程がある。それぞれの工程にそれぞれの技術やノウハウがあって、そこに無数の無名の人々がそれぞれのプライドを持って関わっている姿がなんとなく透けて見えるところが好きだし、紙の手触りとか匂いのような物理的な佇まいも好きだ。

本の内容というのは、根本のところは昔も今もそれほど大きくは変わっていなくて、それぞれの時代に合わせて表層だけを削ったり継ぎ足したりしているように思えてならない。そう思うようになったのは40代も後半に入ってからだ。それで近頃はめっきり「話題の本」の類は手にしなくなった。そうなると、逆に本代が高騰する。なぜかというと、わざわざ買うような本はそれほど大きな部数が流通しないものが多くなるので、気がついたときに手に入れておかないと、すぐに絶版になってしまうからだ。結果として、積ん読だけの本が狭い部屋を侵食することになり、シンプルな生活を目指しているはずなのに、収納に困るという誰もが抱える問題を共有するはめに陥る。買う前に読む、という原則をしっかりと確立しないといけないのだが、最近は眼が弱くなった上に、震災以来、首都圏の鉄道では照明を絞っているので、若い頃のように移動中に本を読むというのが難儀になった。少し、生活を見直して行動を改めないといけないと思っている。

ちなみに、「デザインのひきだし」の15号は来年2月の発売予定だそうだ。それまでに生活は改まっているだろうか。

「歩いても 歩いても」

2011年10月16日 | Weblog
「歩いても 歩いても 小舟のように 私は揺れて 揺れてあなたの腕のなか」
これは作品中でも使われている「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞の一節だ。作品のタイトル「歩いても 歩いても」がどのような意味なのか、「ブルー・ライト・ヨコハマ」の歌詞の世界と何が被るのか、少し気になる。脚本も担当している是枝監督は私と同い年だ。私の記憶のなかで最初に登場する音楽は「ブルーライト ヨコハマ」。小学校1年生の頃に爆発的にヒットした曲だ。当時はテレビでもラジオでも頻繁に流れていたはず。この曲でいしだあゆみは紅白初出場を果たし、曲自体も同年のレコード大賞作曲賞を受賞している。ちなみに同大賞の大賞曲は「いいじゃないの幸せならば」で最優秀新人賞が「夜と朝のあいだに」。自分の記憶の初期段階にあるものというのは妙に印象が強いもので、おそらく是枝監督もこうした曲と自身の生活史との関わりを感じていたのではないだろうか。「物心つく」という言葉があるが、この1969年頃というのはおそらく私の同年代の多くの人達が「物心ついた」時期なのではないだろうか。大袈裟な言い方をすれば、自分の人生が実質的に始まった時代を特徴付けるものが1970年を挟んで前後3年ずつくらいの出来事に集中している。作品中の台詞にも登場する万博(1970年3月14日 - 9月13日)もそのひとつ。主人公の母親は、「冷蔵庫を一杯にしておくと安心するのよ」と言うのだが、それはオイルショック(1973年)でトイレットペーパーや砂糖の買い占め騒動が起きた経験に影響されてのことかもしれない。あるいは、戦後の物の無い時代を経験したことによるのかもしれない。

さて、映画のほうだが、ある家族の24時間を通して人というものを描いた、というと漠然とし過ぎているだろうか。人の24時間を丹念に観察すれば、その人のことというよりも、人間というものがどのような生き物なのか、ある程度わかった気になる、と思わせるような作品だ。映画なので24時間という舞台に制作者が表現したいことを凝縮したという事情があるにせよ、台詞の濃密さがこの作品の特徴ではないだろうか。鍵になっているのは「普通」。人が何を「普通」のことと認識するのか、それはその人のいかなる経験や思考に基づいているのか、つまりは人は何を欲するものなのか、というようなことが雄弁に語られているように思われた。

欲するもの、求めるもの、というのは今そこには無いものだ。最初から無い場合もあるだろうし、あったのに無くなってしまったものもある。失った肉親や家族、仕事、体力や気力、愛情、など有形無形のものを失いながら我々の生活は進行する。もちろん、一方で得ているものもたくさんある。経験、新しい家族や人間関係、場合によっては富もあるだろう。どれほど努力したところで、思い通りにあれもこれも手に入るわけではないし、自分が注いでいると認識している愛情や想いが相手に通じるとは限らない、というようなことは誰もがわかっているはずだ。それでも足るを知るというわけには、なかなかいかない。それを人の強欲と言ってしまっては身も蓋もない。そういうところもあるだろうが、自分の生活を構成している人々との関係に対する期待があればこそ、その期待が満たされずに不満を覚えるというところもあるだろう。それも強欲かもしれないが、相手が自分の世界に参加することを希求する愛情表現でもあると言えるのではないか。つまり悪気はないわけで、その期待に応えようとする姿勢を見せるだけでも、人と人との関係というのは改善されることが多いものなのではないだろうか。実際に不足や不在を解消するということよりも、解消する方向性を示すということが円満な関係のためには重要なことなのではないかとも思うのである。

それで「歩いても 歩いても」というタイトルなのだが、「ブルー・ライト・ヨコハマ」とはあまり関係なくて、単にどれほど時を重ねたところで人と人との関係は思うようにはならないもの、ということを示唆しているのか。歩いても歩いてもあなたの腕の中、つまり離れることのない関係としての「家族」を表現しているのだろうか。あるいは、私がわからないだけで、「ブルー・ライト・ヨコハマ」のエピソードが実は大きな意味を持っているのか、何故かとても気になっている。後で見直して考えてみたいと思う。

奇跡の軌跡

2011年10月14日 | Weblog
テレビも新聞もない生活を送っているので世の中のことに疎いのだが、ヨーロッパが大変なことになっているらしい。ギリシャがどうにかなっていて、フランスやスペインやポルトガルなども妙なことになっているという報道が伝わってきている。国債格付けを見て驚いたのだが、ムーディーズのギリシャ国債格付けはCa。要するに紙切れだ。素朴な疑問なのだが、通貨を共通にしている地域の間で、信用力に格差が付く場合、その通貨をどのように評価するべきなのであろうか。例えば、日本の資産なら日本という国家の信用が揺らいだときに、当然にその変動は日本円という日本の通貨に反映されて、対外的な信用力が調整されることになる。ユーロの場合はどうなるのだろうか。日本でも地方債は発行体によって条件が異なるのだから、ユーロ圏も同じことだろう、と考えることもできるだろう。しかし、地方自治体と国家は同じだろうか。

ユーロというのは、味噌と糞を一緒にしたものだろう。一緒にすることによって、糞は糞のままだが、味噌は食えなくなる。そういうものを10年近く維持してきたというのは奇跡であり、これまで続いていることだけでもユーロ圏の人々の英知の高さを十二分に証明していると思う。

岡目八目というが、日本に暮らしている私の眼から見ればユーロは味噌糞なのだが、欧州で暮らしている人々にとっては、通貨を統合する必然性があったということなのだろう。欧州の国々のなかで日本よりも国土が広いのはフランスとスペインだけだ。ドイツはドイツ語圏としてドイツとオーストリアを併せれば日本よりも広くなるが、ドイツだけだと日本より若干小さい。人口で見れば、欧州連合加盟国のなかで日本よりも多い国は無い。最も人口が多いのがドイツで約8,200万人、未だに植民地を持つフランスはその海外領土を含めても6,500万人でユーロ圏ではないがEUには加盟しているイギリスは同様に6,200万人である。つまり、欧州の人々にとっては、それぞれの国が独自の通貨を持っているというのは、東京と大阪が別の通貨を持っているような感覚なのだろう。殊に時代が下って様々な技術が進歩して、市場のグローバル化と呼ばれるような現象が顕著になると、小規模な国々が並存すること自体にすら違和感が出ていたのではないだろうか。ましてや、時代を遡ればローマ帝国として欧州全体がひとつの国家として存在していた時代があるのだからなおさらのことだろう。そこで、そもそも国境という枠を超えて経済活動が行われているのだから、通貨を統一したほうが、欧州全体として経済効率が向上することになるのではないか、と考えることに何の不思議もない。

しかし、通貨を統一するということは、経済政策の独立を放棄することでもある。経済の主権を放棄しつつ国家運営をするというのは、想像ができない。国内が景気の低迷に陥っても、金利を下げて経済を刺激する、というようなことはできないのである。尤も、経済というものが国という地理的な枠組みにどれほど制約を受けるものなのか、というのは問題の切り口によっていかようにも答えがあるのだろうが、自国通貨を持たないことの自由と不自由を比べれば、不自由のほうが大きいのではなかろうか。

何年か前にパリを訪れたとき、ルーブルやオランジェリーのショップで買い物をしたらレシートに参考としてフランでの金額も併せて表示されていた。やっぱりいつでもフランに戻れるようにしてあるのだな、と思ったのだが、あれはそういうことなのだろうか。

「幸せパズル(原題:Rompecabezas)」

2011年10月13日 | Weblog
南米の作品は数えるほどしか観ていないのだが、その全てが印象に残っている。ウルグアイの作品である「ウィスキー」は自分のなかの映画ランキングでは常に上位にあり、映画の話題で人と話をするときには必ず自然に言及してしまう。「ボンボン」も「モーターサイクル・ダイアリーズ」も忘れ難い作品だ。またひとつ忘れ難い南米作品が増えた。

人の生活は不確実性のなかにある。しかし、その割にそれが劇的に変化することは少ないように思う。不確実性のなかにあることを意識するとしないとにかかわらず身にしみて認識しているから生理的に変化を忌避するために、結果として昨日と似たような今日があり、今日の延長線上に明日を想定するのかもしれない。そうすることで、人は「一寸先は闇」と口にしながらも、闇ではない未来を空想して安心するのだろう。特に文化の基盤に農業を持つ人々は不測の変化を忌避する傾向があるのではなかろうか。自然が規則正しいものとして存在するということを信じていなければ、土地を耕して種を播こうなどとは発想しないだろう。

南米はその言語が示すようにスペインやポルトガルが覇権を握っていた時代に欧州からの植民が進み現在の基になる姿ができた。今なお未開の地が広がっていて地球の酸素の供給源になっているのだそうだが、産業基盤は農業にある。おそらく、それが人々の発想や思考に大きく影響しているのではないだろうか。日本も然りだろう。100年かそこら時代を遡れば人口の8割近くが農民だった。19世紀後半から20世紀後半にかけて、日本から南米にも多くの移民が渡っている。世界には約300万人の日系人がいると推定されているが、ブラジルだけでその約半分を占めているそうだ。

さて、映画のほうだが、主人公の生活には劇的な変化が起こらない。しかし、背景では劇的に変化した人がいたりする。マリアの生活は変わらなくとも、国内予選を戦った相棒のロベルトは賞品である航空券を手に世界大会が行われるドイツへ行く。そこでそれまでとは大きく違った何かを手にするかもしれないのである。主人公もその賞品を手にしているわけで、その気になればロベルトと共にドイツへ行くという選択肢もある。しかし、多少の逡巡の末、彼女はそれまでの日常を守ることを選ぶ。その決断の直後にはやりきれなさを感じたかもしれないが、ラストシーンが示唆しているのは、日常を守ること、平凡たることに平穏の幸福を感じなければ、人はいったい何に幸福を求めるのか、ということのように見えた。

亭主がやや横暴であったり、子供たちが成長して独立していったり、それぞれが自分の都合を優先させて、それぞれが自分の思い描く「家族」や「家庭」から離れていくように見えたり、というようなことは人の生活として当たり前のことなのである。そうした小さな葛藤や不平不満を抱えながらも、互いを認め愛し合うことに全うな生活というものがあるということなのだ。

作品のモチーフとなるジグソーパズルには完成した姿というものがある。しかし、人の生活はジグソーパズルのように、それだけではどのような意味があるのかわからないような無数の断片から成り立っていて、永久に完成することはないのだけれど、ところどころにそれらが形作るものが見え、そこに喜びを見いだしているのではないだろうか。ジグソーパズルにはある程度決まった組み立て方があるらしいが、主人公のマリアは自己流である。しかし、決まったやり方でやっている人達よりも遥かに速く組み立てる。それは、他の人には想像できない断片の意味を、彼女には見抜く直感があるからだ。形あるもの、仮にそれを「幸福」と呼ぶなら呼んでもよいが、それを得ることができるかどうかは、なんでもない断片に意味を見いだすことができる能力の有無にあるのではないか。幸福はそこにあるのではなく、自ら発見するものなのではないか。物事を発見するのに決まったやりかたがあるわけではない。自分のやりかたを掴み、それを信じて生きていく。それ以外に幸福になる方法など無いのである。