熊本熊的日常

日常生活についての雑記

「プール」

2009年10月30日 | Weblog
親子という関係が特別な関係という認識は幻想にすぎないと思う。親であるとか子であるというのは、ある時点においてのみ成立する役割のようなもので、状況が変化すればそれに合わせて変化する数多の人間関係のひとつに過ぎないと思うのである。人は最終的に個人であり、相手が親であれ子であれ、その人権に対する対等で自然な敬意がなければ、互いにとって良好な関係は維持できないだろう。親子の関係というものに対しては自分にとっては身近な課題のひとつなので、常日頃から考えることが多く、このブログのなかでも時々書いている(例えば2008年4月15日「親子という関係」)が、現状での結論は上記のようなものである。

さて、映画のほうだが、物語の舞台がタイの田舎であることにかなり意味があるように思う。そこで暮らす人々の信仰心や礼儀正しさが、人と人との適切な距離感を維持する上で重要であるということを観る人に気づかせる装置の役割を担っている。

物語は、娘を日本に残して単身タイに渡ってきてしまった女性と、大学の卒業旅行で彼女を訪ねてきた娘とのぎくしゃくした関係を軸に展開する。彼女はやむにやまれぬ事情があってタイに来た、というわけではなさそうだ。「やりたいことがあれば、やったほうがいい」という単純で力強い信念のもとでの行動らしい。残された娘にしてみれば、それは身勝手な行動であり、親というものに期待していた自分への愛情に懐疑せざるを得ない事態である。それが、わずか6日間ほど母と一緒に暮らし、タイでの母の生活を知ることで、そうしたわだかまりがわずかに解けたかのように見える。

母がタイに渡った後、親子の間が音信不通になったわけではなく、だからこそ、こうして訪ねてきているのだから、それなりの意思疎通はあったはずだ。その上でのわだかまりである。たとえわずかな時間であっても、そこで互いの生活や考え方を知り、自分のなかに抱いていた相手に対する勝手な幻想を修正する機会に恵まれれば、そのわだかまりが解けてしまうことだって当然にあるだろう。逆に、抜き差しならない状況に陥ってしまうことだってある。

人の感情は微妙なものだ。ちょっとしたことで高揚もすれば傷つきもする。誰しも自分の感情には敏感だが、他人に対して自分に対するのと同じように敏感であるというのは容易なことではない。それどころか、自己愛が強いほど他人に対しては心底傲慢であったりするものだ。困るのは、ろくに考えもせずに自分の思い込みを相手に押し付け、それを善意とか愛情であると信じて疑わない人である。その思慮の欠如こそが「傲慢」なのである。つまり、傲慢というのは思考能力や想像力の欠如に起因することが多いので、それを直すことは期待できないということだ。

この作品に描かれているのは、個人としての自覚と相手に対する適切な距離感をわきまえた人たちである。そうした人たちの関係を日本から訪ねてきた幻想系の人物の眼を通して見せることで、人と人との良好な関係を構築するには何が必要なのかを示唆しているように思われた。主人公親子の関係と同じくらい、映画の造りもぎくしゃくしているように感じられたが、それでも十分に楽しむことができた。

野生の感覚

2009年10月28日 | Weblog
今日の木工教室では、製作中の2つ目の桐箱にヤスリをかけて目違いを修正する作業に没頭した。指先の感覚に集中して、仕上がり具合を撫でながら確認する。ヤスリをかける動作自体はそれほど負担には感じないのだが、作業が一段落して緊張感が解けると、心地よい疲労感に襲われる。陶芸で土に触れているときも同じである。土を練るにしても、轆轤を挽くにしても、半乾きのものを削るにしても、指先や手のひらの感触に神経を集中する作業をした後は、似たような疲労感を味わうことになる。それは、セックスの後のそれにも似ている。

おそらく、普段は使わない脳の部分を使うことによる疲労なのだろう。「文明」と呼ばれるもののなかで生活をしていると、身体能力のなかで使うものはおのずと限定されてしまう。文明は人間が最初から持っていたものではなく、たかだか5,000年程度の間に少しずつ獲得してきたものにすぎない。もともとは人間も他の生き物と同じように五感を駆使して必死に命を繫いできたはずである。それが、知恵を働かせて生活の利便性を向上させるに従い、結果的にあまり使うことのない感覚とか能力が増えてきたのではないかと思う。普段の生活を何気なく送っていれば、運動不足になってみたり、見るも無残に肥満してしまったり、そうしたことがもとで病気になってしまったりする。それで人によっては、「健康を維持するため」わざわざ費用を投じて運動施設に通ったりしている。私も週末には近所の公営体育館にあるプールを利用している。なにがどう、というのではないのだが、「健康のために」とか「身体にいいから」という理由で、わざわざ時間や費用をかけて意識的に何事かを行うというのは、妙な感じがしてならない。

文明の恩恵に浴して生活していながらそのことを批判するつもりはないが、便利さというものを安易に追求すると、生きているという感覚が少しずつ希薄になるような気がするのである。例えば、いよいよ最期を迎えた人がベッドの上で様々な機械類とコードやチューブで接続されて横たわっている姿を見ると、私は痛々しいと感じる。しかし、その私の生活は、目には見えないけれど、無数のコードやチューブで巨大な生命維持装置につながれているのである。それを思えば、自分の姿も最期の人に負けず劣らず痛々しい。

木工や陶芸で感じる「心地よい疲労感」というのは、自分が生き物として自然な状態に戻る刹那の開放感なのかもしれない。

as it is

2009年10月25日 | Weblog
たいへん不便な場所にある上に、展示されているものが万人受けするものではないので、一緒に行く相手を選ぶのに少しばかり難儀する。もちろん、都内やその近隣の場所を訪れるようにひとりで出かけるのもよいのだが、ちょっと変わった場所なので、連れがどのような反応をするのかも楽しんでみたいと思うのである。

都心から車で2時間弱、訪れた先には農家の納屋のような建物があり、その内部は退去した後の物置小屋のような風情が漂っている。もちろん、展示にはそれ相応に展示位置や展示方法を工夫してあるのだが、それを感じてしみじみと眺めるような人はそれほどいないのではないかと思う。かといって、この近くで他に立ち寄って面白そうな場所もなければ、おいしいものにありつける飲食店もない。ここを訪れるためだけに往復4時間近くをかける。それだけで「じゃぁ」と別れることができるほど親しい相手ならよいのだが、そこまで親しくなければ、誘った手前、なんのかんのと愉しんでもらえるようなオプションを考えなければならない。

つまり、誘った自分のほうも結構気を遣う場所なのである。誘われたほうにしても、一応の礼儀として楽しげなふりはしてくれる。しかし、本当にそうなのかどうかは立ち居振る舞いに自然に表れる。つくづく意思疎通というのは言葉だけでは尽くせないものだと思う。

ひとりひとりの思考や趣味が千差万別であるのは当然として、その異質なものどうしが時に絶妙な調和を見せることも稀にはある。そのような相手が良き仲間と認識されるのだろう。それは長く続く友人関係であるかもしれないし、夫婦関係であるかもしれないし、仕事仲間であるかもしれない。他の人のことは知らないが、少なくとも自分に関する限り、長年生活圏を共にしている関係というのは皆無である。例えば年賀状のやり取りが何十年も続いているとか、少なくとも関係が断絶していないというような相手は何人もいるが、それは「知人」であって「友人」とか「仲間」とは呼ばないだろう。人間は関係の上に成り立つものであり、その不定形さゆえに、長期間に亘って利害関係を超越した関係を維持するというのは容易なことではないように思う。

この美術館では入館して一通り館内を巡り終えた頃にお茶かコーヒーを出して頂ける。今日は雨だったので、庭に面した大きな窓のそばに並べた古い椅子に腰掛けて、連れはコーヒー、私はお茶を頂く。雨でいっそう緑が濃く感じられる外をぼんやりと眺めながら「こうしているとなんかシアワセだな」という言葉を聞くと、思わず心の底からニンマリしてしまう。

「美術館」as it isの展示は適当に入れ替わるが、そのテーストはここのオーナーである坂田和實氏の著書「ひとりよがりのものさし」で語られている。私はここで紹介されているようなものを自分で所有したいとは思わないのだが、こうしてたまには眺めてみたいとは思う。

「日本売春史」小谷野敦

2009年10月24日 | Weblog
学者は気楽な稼業であるかのような世間一般の印象があるように思うのだが、こうした著作を読むと、そうした認識を改めなければならないと思わずにはいられない。性産業や金融といった人間の欲望の根本に関わる職業は、きれいごとだけでは済ますことのできないことが少なくない。それだけに、自分の考えを著作として世に問うとなると、様々な立場からの様々な反応があり、そうした批評や批判に耐えるだけの実証も丹念に積み上げなければならないはずだ。出版物には自分が書いたことに対する責任が常について回るので、よほどの覚悟をもって研究して相当に表現を吟味して書かなければ、研究者としての自身の存在を失うことにもなりかねないだろう。会社や団体の看板の下で一組織人として生きるのとは違った、自分自身のブランドで生きることの厳しさのようなものを感じた。

創作陶芸展

2009年10月22日 | Weblog
和光並木館で開催中の創作陶芸展を観にでかけてきた。自分の陶芸の先生が出展しておられるので、是非とも観たいと思ったのである。会場には先生がおられたので、作品の技法はもとより、日頃から疑問に思っていることなどを、作品を拝見しながら解説していただいた。

先生は「創作」ということに価値を置いておられる。既成の枠にとらわれない新しいものを創造するということである。一方で、実用という枠にもこだわりがおありになるようで、実用品でありながらもこれまでにないような作品を目指されておられるようだ。私が陶芸を始めるにあたって先生を選ぶときに、ネットで何人かの作品を拝見して今の先生に決めたのだが、自分が抱いていた印象と先生の指向との間に大きな違いがないことにまずは安心した。

作品の値付けについては、決まった方法とか基準というものはないのだそうだ。例えば、展覧会であれば、そこに出品するためのコストがあり、それをまかなうことができるように作品ごとに値段を割り振るのだそうだ。但し、他の作家、特に大学時代の先生や先輩の作品価格は意識されるものらしい。そうした大枠のなかで、全体として、年々単価を上げるようには心がけておられるという。

陶芸でも木工でも茶道具は比較的高く売れる傾向があるらしい。しかし、茶道具には決まりごとが多く、そうした規制に縛られてしまうと創作活動にはならなくなってしまう。勿論、規制のなかでこそ創作の工夫が活きるということもある。ただ、本来の目的を離れて規制が独り歩きをしている面もないわけではないだろう。茶の湯の世界は、そもそもは茶の世界を通じて生活のなかの美しさとか人の心の美しさを追求するものであったはずだ。それが決まりごとばかりを作り出して、その細部にとらわれるあまり、本来の目的を見失ってしまったのでは、何のための茶道なのかわからない。

茶碗をつくるという一見すると単純な作業のなかに、思考の種となることがいくらでもある。そうした種をひとつひとつ検証して、そこから自分の血肉を得るというのが、物を作ることの醍醐味のひとつでもある。また、その種を受け渡すことで人と人とのつながりを得ることや、一期一会を体感することも愉快なことである。

国境の鳥

2009年10月16日 | Weblog
先日、木工の帰りにコーヒー豆を買いに武蔵境のミネルヴァに立ち寄った。たまたま最近読んだ「珈琲と文化」という雑誌にこの店のご主人が書いた記事が掲載されていて、どのような豆を扱っているのか興味を抱いたのである。

小売も勿論しているが、売上の基幹部分は会員向けの販売と卸売りだそうだ。現在の在庫は生豆で8トン。輸入禁止措置の長期化でこのところ国内市場では品薄のモカも、この店には様々な種類のものがそれぞれ豊富にある。常にCNNやBBCなどの海外メディアを視聴し、国際情勢や天変地異の情報に注意を払っているそうだ。何か感じるものがあれば、その地域の豆を調達して不測の事態に備えるのだという。しかし、必ず味を見て、値段に見合わない品質のものは、たとえ稀少品であっても買わないし、納得できれば躊躇せずに買うという。その結果が8トンの在庫なのだそうだ。

8トンといえば個人経営の焙煎業者にとっては膨大な量である。通常、珈琲豆は60キロ単位で取引される。しかし、単一種60キロの生豆をごくありふれた喫茶店で品質を維持できる期間内に消費するのは、よほど人気のある店でない限りは不可能である。そこで、どうしてもその豆が欲しいときは同志を募って、いくつかの店が共同で購入するものだという。

では、8トンの在庫を抱えるほど人気の店なのかといえば、少なくとも外見は、そのようには見えない。私が店主と話しこんでいた水曜日の昼下がりの40分間ほどの間、私以外の客はついぞ現れなかった。駅からは近いのだが、路地を少し入ったところにあり、静かな場所なのである。おまけに、この店は宣伝もしなければ安売りのような販売促進策も行わない。それでも、会員や卸の安定需要があり、そこに私のような飛び込みの客があり、経営は順調なのだそうだ。

興味深いのは、昨年10月頃から新規客が増えて、ますます忙しくなっているという。昨年10月といえば、世間は「百年に一度の大不況」などと喧伝されていた頃だ。マクロとミクロが一致しないのは常識ではあるが、実際に世間の潮流とは無縁に独自の世界を生きている人たちがいるのである。

この店は小規模であること、独自であること、宣伝しないこと、の3つを基本方針にしているという。詳細は割愛するが、店と客とが互いに相手を見通せる関係を指向しているということだ。今でこそ、資本の論理とやらで規模の経済性が追求されることが多いのだが、個人の生き方としては自分の間尺に合わない市場原理に乗ろうとするよりは、自分だけのルールで生きることができるなら、それに越したことはないと思う。

気のせいかもしれないが、ネットの普及につれて、自分で経験したこともないのに、さもわかっているかのような物言いをする奴が多くなったような気がする。又聞きで得た薄っぺらな知識をさも自分の定見であるかのように語るような奴は、知るということと理解するということの区別がつかないということだろう。そんな輩は価値基準の軸が自分のなかに無いから、世間の風向きが変われば容易に言説を変えて恥じることがない。実体のない空気のかたまりのようなもので、そんなのは付き合う価値がそもそもないのである。しかし、現実の社会ではそういう節操の無い奴ほど社会的地位が高くなったりする。単純に金銭を求めるなら、恥も外聞もなく勝ち馬に乗るという姿勢を捨ててはいけない。

私もいつか自分で商売をしたいと考えている。そこでは徹底的にアナログの世界を追求したいと思う。人生が残り少なくなってきたので、限りある時間を愛しみながら過ごしたい。そのためには、一緒に過ごして愉快な人とだけ付き合うようにしたいものだ。その相手が所謂「勝ち馬」なら、たいへん結構なことだし、そうでなくても一向に関係ない。「愉快な人」でありさえすればよい。

今日は、今まで飲んだことがないザンビア産の豆をベースにした「国境の鳥」というミネルヴァオリジナルブレンドを200g買った。

レンゾ・ピアノ

2009年10月15日 | Weblog
夢というのは不思議なもので、普段の生活からはどう考えても結びつかないようなことが展開する。そして、眠りから覚めた直後には憶えていても、あっという間に忘却してしまう。悪い夢なら忘れてしまったほうがよいが、愉快で忘れてしまうのが惜しいような夢もある。昨夜の夢は面白かったので、起きてからすぐにメモを取っておいた。

場所は誰かの家の居間である。3人か4人くらいで楽しく談笑している。残念ながら、誰と一緒なのかは憶えていないのだが、皆同性であるような印象がある。そこで私がレンゾ・ピアノについて熱く語っているのである。普段は夢を見ても、それを書き留めておこうなどとは考えないのだが、自分が口にしていた「レンゾ・ピアノ」という言葉の強い印象とその夢の楽しい雰囲気が、その夢を書き残しておこうと思わせたのだろう。

不思議なのは、私は「レンゾ・ピアノ」が何なのか知らない。勿論、夢の中では、知っていることになっているから語っているのだが、覚醒した状態では何も知らない。起床してすぐにパソコンを立ち上げてネットで検索してみると、それは著名な建築家だった。「知らない」のではなく、「憶えていない」ということだ。

去年の夏にパリへ遊びに行ったとき、ポンピドーセンターを訪れた。そのことを毎週の子供へのメールに書くときに、その建物のことを調べたことがある。レゾン・ピアノは、その設計者のひとりなのである。おそらく、そのときに氏の名前が記憶のどこかに残ったのだろう。ポンピドーセンターのことは、このブログにも2008年8月24日付「破顔一笑強行突破」のなかで触れており、このところ更新していないもうひとつのブログにも書いた。
http://web.mac.com/nmatch/iWeb/Site1/Blog/1786F8F8-76BB-11DD-9CE8-00112471E3E4.html


ちなみに、日本にも氏の手がけた建築物があり、多くの人が日常のなかで目にしているはずである。例えば、銀座のエルメスビル、関西空港旅客ターミナルビル、熊本県天草市のハイヤ大橋である。既に撤去されたが、大阪万博のイタリア工業館も氏の作品だそうだ。

熊本熊という名前は勿論このブログのための筆名だが、熊本には出張で何回か訪れたことがある以外に縁もゆかりも無い。だからハイヤ大橋というものがどのような橋なのか知らないのだが、夢に出てきた「レンゾ・ピアノ」の縁で、私とこの橋とがつながり、そこから新しいことが生まれたとしたら、それも愉快なことだと思う。

桐箱

2009年10月14日 | Weblog
木工教室で製作していた桐箱が完成した。桐も杉と同様にデリケートな素材で、デリケートな分、磨き甲斐がある素材でもある。また、桐は防虫作用があるため、衣類などの収納容器として使われているのは周知のことだ。その素材の持つ性能を発揮させるためにも、塗料やワックスなどを塗らず、研磨だけで仕上げたいものである。

箱といっても、茶道具を収納するのに用いるとなると、やはりいろいろ決まり事があるようだ。小さな花指を収めるつもりで作ったので、茶道具用というわけではないのだが、蓋を固定するのに真田紐を使うことにしていた。その調達のために近所の茶道具店を訪ねたところ、「流派は?」と尋ねられた。何種類か見せてもらって、流派に関係なく使える柄のものを選んだが、茶道具を収める箱の紐の柄にまで流派が関係するとは、多少予感もあったが、やはり驚いた。

真田紐は1メートル単位の切売りだ。製造元からネットを利用して直接購入する場合には、リール単位なので、30メートルとか60メートルといった単位で注文しないといけない。今回は、箱に真田紐を通す穴をつけるのに紐の実物が必要だったので、その茶道具店で2メートルだけ調達したが、金沢にある織元からもサンプル集を取り寄せた。都内にも製造しているところがあるようなので、直接購入できるのか確認してみようと思っている。

今日から2つ目の桐箱の製作を始めた。桐材は高価なのでその辺のホームセンターには置いてない。そこで、ホームセンターにある焼桐材を買って、その表面を削って使うのである。焼いてあるのでどのような板なのか、削ってみないとわからない。一枚板のときもあれば、わずか20センチほどの幅なのに3枚の板が継いであることもある。いかにも桐らしい白地のこともあれば、普通なら使わないであろう木の一番外側と思しき部分が含まれていることもある。桐箱や桐箪笥は世の中での認知度が高いので、桐にまつわる決まりきったイメージがあるだろうが、そんなものはどうでもよいと思っている。ホームセンターの棚に無造作に並んでいるもののなかから2枚程度を選び、自分の手許にあるのも何かの縁だろう。それを良いものにするのも悪いものにするのも、自分の考え方次第である。拙いながらも精魂込めて作れば、そこに何か生まれるものがあると思うのである。その何かを感じることができる感性を大切にしたいと思うし、そういう感性を持った人間になりたいと思う。

信用崩壊

2009年10月09日 | Weblog
前日銀総裁である福井俊彦氏の講演を聴く機会を得た。講演内容の根幹については既にメディアで報じられているので、ここには書かない。枝葉のところで興味深かったのは、所謂「グローバル化」で何が変わったのかということについての氏の指摘である。「信用」が揺らぐというのだ。

信用が揺らぐという話は講演のなかでさらっと触れられただけなのだが、そこが自分のなかでは妙に印象に残ってしまった。情報通信技術の発達で、世界はすっかり小さくなってしまった。それは誰しもが実感していることだろう。例えば、2年ぶりに台風が日本列島の本州に上陸して、大きな被害をもたらしたという事実は、ほぼ同時にニューヨークにいる人にも、ニューカレドニアにいる人にも、ニューファンドランドにいる人にも伝わる。世界中で情報が共有されるということは、ある事象が発生したときに、世界中がその事象に対して反応するということなのである。このことが何を意味するかといえば、何か事件が発生してそれに対する行動を起こさなければならないときに、我々には思考する時間的余裕が無いということだ。「とりあえず」それまでの経験と習慣に基づいた行動を起こす。幸か不幸か人間の考えることというのは似たようなものなので、世界中で同じような反応が起こる。結果として、変化は増幅され、それまでの経験や習慣では対応できない事態に発展する。過去の経験を超えたところでは「信用」というものが成り立たない。

ところが、我々の社会は信用に拠って成り立っている。その端的な象徴は貨幣だ。ただの紙切れが価値の象徴として流通するのは、そこにその紙幣を発行している権力に対する信用があるからに他ならない。先日、金の話を書いたが、ある国の人々は財産を預金や現金よりも金や政治の安定している国の不動産というようなものにして保有するという。激動の時代を生き抜いてきた民族の知恵がそうさせるのだろう。今、金や原油をはじめとする現物資産市場に資金が流入しているようだが、それが意味しているのは、新興国の経済成長に伴う需要増大という側面もあるだろうが、それ以上に既存の信用の枠組みが揺らいでいるということなのだろう。

米国の政権が共和党から民主党に変わったのも、日本で自民党政権が瓦解したのも、偶然重なったことではなく、昨年の金融危機を引き金にした世界の枠組みの変化という一連の流れのなかで捉えられるべきことなのだろう。おそらく、世の中の様々な「権力」の利害が「国家」という枠組みによってある程度のまとまりを得ていた時代であれば、今頃は世界大戦が勃発しているのかもしれない。そうならないのは、もはや「権力」と「国家」とが単純に結びつかないからに過ぎないのだろう。物事があまりに即時につながったり切れたりするので、利害の対立が生じたときの当事者が固定されないのである。しかし、そうした状況が「平和」というイメージから程遠く感じられるのは私だけではあるまい。戦争か平和かという単純な割り切りでしか物事を捉えることができないのはよほどおめでたい人だろう。

確かに日常の風景のなかで直接的に命の危険を感じる場面というのはそれほどないだろう。物質的には不自由は無く、今日の延長線上に明日があると当然の如くに思える。しかし、殊この国に関しては、そういう時代がもうすぐ終わりを迎えるような気がするのである。これまでに誰もが経験したことのない事実が重ねられている。人口が減少に転じ、数年のうちに「世界第二位の経済大国」という看板も中国に譲ることになる。すでに世界的なブランドの直営店舗が日本から姿を消し始めている。経済力が低下する一方で国も国民も成長のなかで築き上げた費用構造を容易に変換することはできず、結果として借金が雪だるまのように膨れ上がる。既に公的債務残高のGDP比率は200%を超えてG7のなかでは突出している。日本に次いで高いのはイタリアの115%で他に100%を超えている国はない。

そうした劇的動態のなかで社会の秩序を守ることが可能なのかという素朴が疑問が湧いてくる。ろくに意味も理解されないままに「自己責任」という言葉が使われているが、結局は、個人が自分自身の生きかたを問い直し、その基盤となる哲学のようなものを持たないことには、未曾有の変化に振り回されながら愚痴と不平不満と逆恨みにまみれた不幸なことになるのだろう。

目糞鼻糞蜃気楼

2009年10月08日 | Weblog
金の値段が上がっているという。迷惑なことである。

若い頃に、ふと、金の延べ棒を枕にして昼寝がしてみたいと考えた。それで純金積立というものを始めた。月々ささやかな金額で金を買うのだが、始めてから最初の10年ほどは金相場が下げ続けた。年に2回、金の業者から売買報告書が届くのだが、極微妙な量ずつではあるが毎月の購入量が増えていた。しかし、その月間購入量たるや目糞くらいの量で、それが増えたところでせいぜい鼻糞並みだ。世紀の変わり目の頃になって、相場は上昇に転じ、そうなると鼻糞は目糞に戻る。これでは、一生かかっても20kgの延べ棒に達するのは絶望的である。

積立を始める前にどれくらいずつ積み立てれば何年で延べ棒になるのかということを認識しておけばよかったのだが、始めた頃には、年齢を重ねる毎に所得も増えて積立額も増えるだろう、と、何の根拠も無く期待していた。現実は、積立開始から今日に至るまで、積立金額は同じである。増える気配すらない。「継続は力」という言葉もあるが、継続しても中途半端なだけということも人生のなかでは無数にある。

仕方がないので、目標を20kgから1kgに引き下げて続けることにした。ようやく、まだ遠くに霞んではいるものの、その目標が小さく見え始めてきた。それが3年前あたりから一向に近づいてこない。この調子だと1kgに達するのは今の自分の親の年齢になる頃だ。果たしてそんな先まで生きているかどうかもわからない。

日本で暮らしていると、かつては賑わっていたという印象がある商店街が無残に寂れてしまっていたり、そうした商店街に取って代わったはずの大型商業施設も姿を消してしまったり、遊園地のような集客施設が次々と閉園したり、と生活圏が日に日に崩壊していくように感じられる。しかし、世界の人口は爆発的に増加を続け、二酸化炭素の排出削減などというとらえどころのない話が真剣に語り合われたりしている。つまり、実感はないのだが、世界はかなり混雑しているようなのである。当然、人間の生活に必要な資源は足りなくなる。金というのは極めて安定した物質なので電子部品材料としては欠くことのできないものであり、身の回りには思いの外に金が使われている。そうした実際上の必要に基づく用途が生まれる遥か以前から富の象徴という記号性も担ってきたので、経済成長に伴う実需と、それがもたらす成り上がり向けの社会的需要が、当然に拡大するということなのだろう。さらに、世界の枠組みも変化を続けているので、例えば基軸通貨という幻想を背負ってきたドルの信認がいよいよ揺らいでくれば、世界の富はドル資産から逃避を始めることになり、その避難先のひとつとして金が選好されるということもあるのだろう。

先日、純金積立をしている業者から残高報告書と一緒に届いたニュースレターによると、実需は宝飾用、工業・歯科用を中心に落ち込んでいる一方で、投資需要が増え、全体としては2009年前半で前年同期比13%の需要増加だったのだそうだ。投資需要だけを見れば前年同期比2.5倍だという。投資需要は昨年後半から急増する一方で、実需が急減している。この1年、世の中が右往左往している間に、中国とロシアはコツコツと金準備を積み増している。ドルが売られた背景にはこうした超大国の外貨準備の分散という面もあるようだ。リスク管理の一環として、それまで比較的注目度の低かった資産が見直されたということでもあるのだろう。とすると、高値を追うのはリスク管理上問題があるだろう。事実、第2四半期は需要の伸びが鈍化している。金は天下の回り物、というが、なるほど私の手の届かないところでぐるぐる回っている。

かくして金の枕は蜃気楼のように消え去り、今日も蕎麦殻の枕で昼寝をする。

やはり通俗なのか

2009年10月05日 | Weblog
子供に「潮騒」のことを書いて送ったら、「フィクションなんだから」と返されてしまった。子供に書いた内容はこのブログの9月30日付のものとほぼ同じである。今回も本人の承諾は得ていないが、そのメールを引用する。

***以下引用***
潮騒の登場人物に違和感というのは私も授業でやっていてそう思いました。確かに皆いい人すぎますよね。主人公に味方する人達がいた、というところまでは主人公の人柄を見ていて納得出来ます。しかしその主人公に関して言わせてもらえばあそこまで善良な人が居るものだろうかと思ってしまいます。さらに初江が主人公が落としてしまった給料を届ける場面も、普通わざわざ拾ったお金を届けるだろうかと思います。なにより違和感を覚えたのは二人の恋路を邪魔しようとした安夫と千代子?も中途半端だと思うのです。普通恋愛ものでは二人の邪魔をしようとする人はすごくうっとおしいと感じますが潮騒の妨害組はどこか憎めないところがあるように感じます。しかしそれぐらいの事はフィクションでは良くあると思います。でもさすがに島全体があそこまでいい人ぞろいだと不気味です。
***以上引用***

「普通わざわざ拾ったお金を届けるだろうかと思います」というあたりは、親としては「こらこら、そういうことは、いかん」と言わなければならないのかもしれない。しかし、私は子供と同じ年齢の頃に、従兄弟とふたりで明治村に遊びに行ったとき、そこで拾った財布を持ち帰って中身をふたりで分けてしまった。自分のことを棚にあげて「いかん」とは言えないので「いただくのは現金だけにしておきなさい」と言うのが適切な助言というものではないかと思う。

恋路の邪魔が中途半端、というのは、私がブログに書いた、「潮騒」には男女がいない、という部分に呼応しているように思われる。子供なりに既にいくつかの恋愛を経験してそのような感想を持ったのか、テレビドラマや漫画などでの擬似経験を基にそのように思ったのか、あるいは誰でもそう思うものなのか。やはり、この作品は単に通俗的であるというに過ぎないのかもしれない。

このメールに何事かを返すつもりなのだが、どのように書いたらよいものか思案を強いられている。

入社の頃

2009年10月03日 | Weblog
私が以前勤めていた会社に今年の春に中途で入社した人と昼食を共にした。丸善でハヤシライスを食べ、食べ終わってからはひたすら水を飲み続けながら2時間半ほど話し込んだ。年齢差もあり、私が話し彼が聞くという状況が長かったのだが、彼の話で衝撃を受けたことがあった。

入社して間もない頃に受けた集合研修の帰り、参加者一同で阿修羅展を観にでかけたというのである。私が入社した時の集合研修の帰りに皆で立ち寄った先は、渋谷の場外馬券売り場だった。ちょうど入社して最初の給料が支給された直後で、なかには給料全額を使ってしまった奴もいた。なんだかとんでもない会社に入ってしまったものだと思ったものだが、その同じ会社がこうも変わるものかと妙に感心した。

結局、私はその会社に13年半勤めたが、振り返ってみれば、殆ど仕事らしい仕事をした印象がない。入社して最初の1年は法人営業で先輩社員の使い走りのようなことをしていた。2年目は債券のセールス・トレーダーだったが、客と自社の勘定をつなぐ御用聞きに毛の生えた程度のものだった。3年目は社内の留学制度に応募して、何かの間違いで選考され、4年目から5年目にかけてイギリスで遊学していた。この遊学中は、世の中のほうは激動していた。日本ではバブルの頂点で、中国では天安門事件があり、ドイツでは東西統一が実現した。ほかにもいろいろあったが、一言でまとめれば、世界の枠組みがガラガラと変わったのである。おそらく、この時期に仕事の最前線にいれば、いろいろ目の覚めるような経験を積んだことだろう。しかし、世の中の激動の一方で、私の生活は微動だにしない平和なものだった。

帰国後は営業店向けに営業資料を作ったり、社内の役員会用の資料をまとめたりする部署に配属された。そのなかに金利・為替動向に関する週報と月報があり、関係部署にヒアリングをしながら原稿作成から印刷会社との打ち合わせまで、ほぼ一手に担当していた。先月、外国為替証拠金取引というものを始めてみて、自分がいかに外国為替のことを知らなかったかということを知ったのだが、そういう人間が不特定多数の顧客へ配布する印刷物に外国為替相場を解説する文章を書いていたのだから恐れ入る。しかも、そんな犯罪行為のようなことを4年も続けていたのである。その後も、似たようないい加減なことを重ね、今日に至ってしまった。サラリーマンというのは気楽なものだ。あるいは、こんな私のようなものがあちらこちらで禄を食んでいるから、日本経済はずるずると凋落を続けているのかもしれない。

きっと入社時研修後の気晴らしに国立博物館へ出かけるような人たちは、たとえ局所的でも、明るい未来を築くのかもしれない。

手作り

2009年10月02日 | Weblog
夜8時過ぎ、職場でひとり仕事をしていると、帰ったはずの同僚がひとり戻ってきた。自分の席でごそごそしているようなので、忘れ物でも取りに来たのかと思っていたら、声をかけられた。

「熊本さん、パウンドケーキ召し上がります?」

料理教室で作ってきたのだという。オーブンから出してそれほど時間が経っていないとかで、まだ温い。色形よく、味も上品でたいへんおいしかった。

一昨日は別の同僚から手作りのクッキーをいただいた。職場が移動(異動ではない)するので、挨拶代わりに焼いてきたというのである。トッピングのアーモンドスライスがふんだんに使われていて、手作りならではの暖かみのあるおいしさだった。

世に行列のできる店だの、評判のお取り寄せだの、市販の商品は数多いが、そんなもので実際に特別においしいと思えるものは殆ど無い。もちろん、そうしたもののそもそもの原形はたいへんおいしく、だからこそたくさん作って売り出そうという発想が出てきたのだろう。食べるものに限らず、ひとつふたつ作るのと、その同じものを100や200作るのとでは、どれほど工夫を重ねたところで同じものにはならない、と思う。今、目の前にいる人とすぐに食べるために作るのに、保存のことなど考えないだろう。不特定多数の人に買ってもらうためにあちこちの店に卸すとなれば、味もさることながら保存を第一に考えなければならない。健康被害などを発生させてしまえば、それで全てが終わってしまう。当然に、プロトタイプと量産品とでは似て非なるものということになる。自分の生活圏のなかにある人と食べるものを作るのと、商品としての料理を作るのとでは、同じ行為が全く違った内実を持つのである。繰り返しになるが、これは料理に限ったことではない。

微妙な違いが決定的に違う結果をもたらすのはよくあることだ。それが不幸なことである場合もあるだろうし、セレンディピティとなることもある。しかし、ひとつひとつ自分で作ればそもそも意図に反する妥協は不要で、結果に不満があったとしても、それは自己責任だと素直に割り切ることができるので、次への意欲になりこそすれ、不愉快なことなど何も無い。

既に何度かこのブログにも書いたかもしれないが、数年前から自分のなかのテーマとして、自分で生きてみる、ということを考えている。習慣に流されるのではなく、自分で考えたことを与えられた状況のなかで工夫しながら実現しようと試みる、ということである。ささやかなことではあるが、そうした自分のなかの流れのなかで、その流れに沿ったことと期せずして出会うと、なんだか妙に嬉しいものである。

ところで、パウンドケーキをくれた同僚は、その後、友人と遊びにでかけるとかで、余計な荷物を自分の席に置きに戻ってきたとのことである。

シンドバッド的総括 1ヶ月経過時点

2009年10月01日 | Weblog
外国為替証拠金取引を始めて一ヶ月が経過した。当初の予定では、今ごろ億万長者になっているはず、だった。9月1日付「渚のシンドバッド」にも書いたことで、その後に認識が変わったようなことは、未だない。

ところで、億万長者になるはずだったのに、現実はどうであったかといえば、投資した資金の8割ほどを失った。9月は総じてドル円の動きが鈍かったので、もっぱらポンド円で取引を繰り返していた。最初のうちは、ちびちびとやっていたのだが、慣れるに従って安易に数分単位の売買を繰り返すようになり、それが調子に乗り始めた頃に、ポンドの暴落に襲われた。それが9月18日のことである。翌週は週前半こそ快調だったが9月24日に前週以上の暴落に襲われ、予想に反して翌25日も暴落が続き、ついに身動きがとれなくなった。波乗りどころではない。9月最後の2日間で多少は挽回したものの、焼け石に水の域を出ていない。

反省点はいろいろあるのだが、目先のことに囚われず、流れのイメージを持つことは重要だ。そのためには、大袈裟なようだが、やはり自分の世界観とか価値観をしっかりと持つことが必要だ。かつての職場の同僚や先輩のなかには、宗教や瞑想といったスピリチュアルな世界に向かう人も珍しくない。瞑想ならともかく、宗教に飛んでしまうような人に対しては引いてしまっていたのだが、それも全くわからないでもない、と思えるようになった。結局のところ、相場は心理戦なのである。政治も経済も、あまねく社会の動きというものは、突き詰めれば、社会を構成するひとりひとりの人間の発想に起因するのである。

今月は、流れを読むことと、適切に損切りをすることを心がけたいと思う。

なにはともあれ、新しいことを経験するのは愉快である。