新井紀子『コンピュータが仕事を奪う』日本経済新聞社
今となっては記憶にないのだが、最近「ほぼ日」か何かの記事のつながりからこの本に行き着いたのだと思う。アマゾンで4月の終わり頃に購入。自ら積極的に購入する類の本ではない。もはや仕事について考えるような年齢ではないし、数学に興味があるわけでもない。それなのになぜ新本で購入したのか、動機が思い出せないのだが、筆者が自分と同年代であることは関係あるかもしれない。購入動機はともかくとして、素朴に面白かった。
「セマンティックギャップ (semantic gap)」という言葉を本書で初めて知った。自分なりの理解では、所謂「科学技術」と「職人芸」との間の溝とか杓子定規と臨機応変との差といたものがこのギャップに相当するものだと思う。もっとざっくりと言ってしまえば、言葉で表現できるものとできないものとの差異でもあろう。
常々疑問に感じ関心を寄せているのだが、我々の世界はどこまで表現できるものなのだろうか?言語化できるということはデータ化できるということであり、一定の論理に従って加工処理できるということになる。我々が生活している世界を構成しているものを遍く要素に分解しデータ化できるとすれば、あらゆる事象が予測可能となり、予測する主体は世界を支配できる、かもしれない。今は言語化できないが、現在進行中の研究なり作業なりが何がしかの展開をすることで言語化できるようになることもたくさんあるのだろうし、まだまだどうにも手がかりすらないというようなこともたくさんあるのだろう。それでも「テラ」レベルのデータ量を処理することで見えてくる可能性と限界は現実のものとなっている。手にするデータ量が増えることで克服できる限界もあるだろうし、いくらデータ量が増えても乗り越えることができないこともあるだろう。
ところで言語とは何だろう?言語化できないことは表現できないのだから、我々の「世界」はそもそも言語のかたまりのようなものだ。言語化できなかったものが発見されることで「世界」は変容するということでもある。あるいは、言語の土台となっている発想を変えてしまうことができるならば、やはり「世界」は変容する。よく「発想の転換」という言葉を耳にするが、そこで取り上げられているような「転換」は転換のうちに入らないものが多い気がする。自分の存在が継続することを前提にしながら転換できる程度の「転換」にどれほどの意味があるだろうか?すべての人間にとって、所与の客観世界は果たして単一のものなのだろうか?現実として世界に多種多様な言語が存在するなかで、数字や数学の論理が普遍性のあるものとして扱われるのは何故だろうか?1+1=2は誰にとっても容易に受け入れることのできる論理なのだろうか?私が認識している世界とあなたが認識しているそれとが同じものであると言えるのか?言えるとすれば何故言えるのか?世に「常識」とされている現実認識に普遍性などそもそもないからこそ、世に諍いが絶えないということではないのか?
生きるということは、少なくとも今はまだ、そういう湧きあがる「?」とのつきあいであるようだ。
西尾哲夫『世界史の中のアラビアンナイト』NHKブックス
西尾先生の講演会を聴いたときに、会場で購入して先生にサインをして頂いた。
『アラビアンナイト』を読んだことがないのだが、「シンドバット」とか「空飛ぶ絨毯」とか断片的には聞いたことがある。と、思っていたのだが「シンドバット」は『アラビアンナイト』ではないらしい。それはともかくとして、『アラビアンナイト』には「マンチェスター写本」というものがあるのだそうだ。マンチェスター大学のThe John Rylands Libraryに保存されているそうだが、そういう図書館があるということを初めて知った。マンチェスターに限らず、イギリスの大学にはいわゆるキャンパスというものがないところが多いのではないだろうか。マンチェスターの場合も大学の施設が集中しているエリアはあるが、それが外部とは仕切られているわけではなく、街中に散らばっているイメージだ。私がマンチェスターにいたときは、単純に授業についていくのが大変だったので、自分が所属するビジネススクールの近くの学生寮に住んで通学時間をかけないようにしていた。図書館も当然に利用したが、『アラビアンナイト』の写本が保存されているような由緒ある図書館ではなく、ビジネススクールの資料室や大学のメインの図書館くらいのものだった。能力が無いというのは本当に哀しいことで、せっかく世界史のなかに足跡を残すような土地に暮らしても、目先のことに追われていただけなのである。
『アラビアンナイト』だが、王様に面白い話を聞かせないと殺されてしまう、という状況下でシェヘラザードという人が王に語って聞かせた話を集めたものなのだそうだ。つまり、少なくともその王様が認めた「おもしろい」話の総集編なのである。とはいえ、私はまだ読んだことがない。とりあえず、古本で岩波文庫をボックス購入しておいた。岩波文庫のものはマルドリュス版というフランス語で書かれたものの翻訳だ。その特徴のひとつが「原文にはない官能性を強調する傾向が強い」ことだそうだ。そんなことより、まずは読んでみないと話にならない。
小沢昭一対談集『日々談笑』ちくま文庫
Amazonで買い物をしていると購買データが蓄積されて、頼みもしないのに「おすすめ」商品の案内がメールで届くようになる。そういうものは9割方無視するのだが、CDの『小沢昭一的新宿末廣亭』は買ってしまった。これがたいへん気に入ってしまったので、小沢昭一の著作を何冊か読んでみようと思い、Amazonで購入したうちの一冊。
私は中学生から高校生にかけてラジオが好きでよく聴いていた。実家の近くに送信塔があった関係で一番強力に受信できるのがTBSだった。よく聴いた番組のひとつが「小沢昭一的こころ」だ。今から思えば、そこで語られていたことはほとんど理解できていなかった。それでも好きでよく聴いていた。以前からこのブログに落語のことも書いているが、その小沢が末廣亭の高座に上がったということで、これは聴かないわけにはいかないと思ったのである。
それで本のことだが、当然に対談相手によって内容は対談の温度も含めて異なる。以下に自分の琴線に触れたところを列挙しておく。
シンプルってのは、もとの精神っていうかねえ、その構造がねえ、やっぱ、しっかりしてなきゃあ。(略)だからねえ、深い芸はねえ、聞き手とか、あるいは見手が、やっぱりそれだけのものを持ってないと、そっからは汲み取れない。(柳家小三治 42-43頁)
うまく見せることは努力すれば誰でもできるんです。その上ですよ、落語でもねえ、うまいなあ、とかっていうのはねえ、これはまだ駄目なんですよ。(略)洗い上げてしまわないもの、ほんとうに素朴なもの、持っている魂だけで、漂っているようなもの。(略)だけどそれを、なぜ、人がねえ、めざさないかっていうとねえ、つまり、見手にねえ、それを評価するものがないから、それをやり手が望まないのですよ。(柳家小三治 45-46頁)
「秩父事件」の起こった西側の山のほうの西谷、その貧しいところから、私が子どものときに、例の満蒙移民に出ていく人たちに出会ったことがあるんですが、残る連中と、それは泣き別れはしていますけど、ある意味じゃ「助かった」という感じで、なにか張り合いを求めて出ていくんですね。ほんとうにオンボロのものを着てね、姿は貧しいけれども。あの姿を子どもごころにも覚えていますね。そういう山間部の貧しいところから「出ていく」という感じ。それが希望だったんだな。(金子兜太 102頁)
やっぱりものをやるときに、なり振りかまわずっていうところがなきゃだめですね。(高瀬礼文 130頁)
美術だとか、音楽であるとか、演劇とか、いろんなものを理解してないと、食い物のほんとうの旨さっていうのは、わからないんじゃないか。そばがね、年をとってくるとわかってくるというのは、私、そこじゃないかと思いますね。(高瀬礼文 138頁)
江戸博物館って施設ができて、芝居小屋の中村座がミニチュアで復元されていますが、吉原は復元していません。これじゃ、江戸博物館として成り立たない。(郡司正勝 140頁)
博打というのは芸能ですからね。完全に芸能的な世界で、鎌倉時代の文書にもその芸能としての決まりを、「博打の道」と呼んだ事例がでてきます。(網野善彦 171頁)
陰陽師は、いろいろな土木工事にもかかわった技術者で、その点ではと同じですが、井戸掘りのときにはたいてい陰陽師が出てくるんです。自然に大きな変更を加える「普請」には、こうした人の力が必要だったんですね。だから、そういう問題と合わせて考える必要があって、おっしゃるように秀吉が清洲の工事をやったときに、陰陽師を全部、尾張に移しているわけです。それでその下に、黒鍬というのがいるんですね。(網野善彦 174頁)
土御門家と陰陽師、西園寺家と厩、それから盲僧たちの当道座や遊女屋を握っていた久我家もありますね。そういうなかで、博打はどうなっていたのか、やはりどこかの貴族が押さえていたんじゃないかという気がしますね。今日はばかに博打にこだわりますが、「遊女」「」「博打」は、どうも同じ運命をたどるような気がするんです。(網野善彦 179頁)
江戸末期に西洋人が日本へ来て、あっちこっち動いているんです。あるとき、街道の木の上にでっかい鷹が止まったらしいんです。日本人の旅人もいたし、西洋人もいた。西洋人は、まず、銃を早く取れといって、ふっと見たら、日本人たちは懐から懐紙を出してスケッチを始めたというんです。鷹の絵を。で、もう一人は短冊に俳句をひねり始めた。それを西洋人が見て、「この国の人たちは、なんと文化的なんだろう」と驚いたという話があるんです。食おうだとか、捕ろうというのは一人もいなかったというんです。でも、今、お話をうかがって、それだけ文化が広がっていた日本が、なんでこんなになってしまったのかと。(黒鉄ヒロシ 320頁)
他にも付箋を貼った箇所はいくらもあるのだが、とりあえず転記するのはこれくらいでよいと思う。それで私が何を思ったか、ということは蛇足になるので書かないことにする。
小沢昭一『ラジオのこころ』文春新書
Amazonで数冊まとめて購入した小沢本の一冊。書き言葉と話し言葉は違うのだから同じはずはないのだが、やっぱり「小沢昭一的こころ」だ。いまさら何も言うことはない。
小沢昭一 聞き手:神崎宣武『道楽三昧 遊び続けて八十年』岩波新書
Amazonで数冊まとめて購入した小沢本の一冊。岩波新書からこういうものが出る時代になったことに少し驚いた。『日々談笑』と同じく対談形式だが、『日々』と違ってこちらは小沢が語り手である。聞き手の先生にもう少し頑張って欲しかったというのが正直な感想だ。対談を面白くするのは聞き手の力に依るところが大だと思うのである。
ところで、本書には小沢の手になる「なかがき」というものがある。そこに夏目漱石の言葉が引用されている。
職業といふものは要するに人の為にするものだといふ事に、どうしても根本義を置かなければなりません。(略)此自己を曲げるといふ事は成功には大切であるが心理的には甚だ厭なものである(略)苟も道楽である間は自分に勝手な仕事を自分の適宜な分量でやるのだから面白いに違いないが、其道楽が職業と変化する刹那に今迄自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽が忽ち苦痛になるのは已を得ない(略)ただここにどうしても他人本位では成り立たない職業があります、それは科学者哲学者もしくは芸術家の様なもので(略)本来から云ふと(略)其立場からして既に職業の性質を失ってゐると云わなければならない(略)自己本位でなければ到底成功しない事丈は明らかな様で(略)人の為にすると己れといふものは無くなって仕舞ふからであります、ことに芸術家で己れの無い芸術家は蝉の脱殻同然で、殆ど役に立たない(略)私は芸術家と云ふ程のものでもないが(略)何か書いて生活費を取つて食つて居るのです(略)道楽即ち本職なのである(略)至って横着な道楽者であるが既に性質上道楽本位の職業をして居るのだから已を得ないのです(145-146頁)
これが小沢にとって「金科玉条のバイブルのように思われ」たというのである。私は情けないことに未だに仕事とか職業というものを自分のなかで消化できていないので、「職業とは」「仕事とは」という語りに出会うとついつい引き込まれてしまう。職業も仕事も消化できていないということは、そもそも生きていないということでもある。幽霊みたいなものだ。ふわふわっと、生きているようないないような、そんな毎日を過ごしながらやがて消えていく。尤も、世間の圧倒的大多数は似たようなものだろう。ま、いっか。
小沢昭一『芸人の肖像』ちくま新書
小沢本の一冊。発行が2013年2月10日。つまり、小沢の死後に刊行されたもので、本書のために書き下ろされた氏の言葉はない。氏が雑誌などに書いた記事や掲載した写真を出版社のほうで編集したものだ。遺作集のようなものだ。殊に本書に収められた写真を眺めていると、やはり時代というものは情け容赦無く様々のものを押し流しながら進んでゆくものだとの思いに囚われてしまう。「芸人」というものがいなくなってしまったのか、世間が総芸人化してしまったのか、なにはともあれ、寂しいものである。