国立民族学博物館を訪れた。友の会に入っているので、年に何回かは出かける機会を設けるが、訪ねるたびにその立地している万博公園の規模に感心させられる。私が小学2年生だった1970年にここを会場に開催された万国博覧会は、その規模といい発想といい、日本の古き良き時代の象徴であったような気がする。今、万博の名残を留めるのは太陽の塔だけだが、これが「祭りの広場」と呼ばれたメイン会場の屋根を突き破るように立っていた、はずだ。この広場だけでも広大な上に、330haという会場には世界約80カ国のパビリオンが建設された。わずか半年の会期中に6400万人が入場。これほどの規模のイベントは少なくとも日本ではもう無いのではないか。言い換えれば、当時の日本の勢いがどれほどのものであったかということでもある。勿論、闇雲に規模の大きさを競うことが良いということではないのだが、「人類の進歩と調和」というテーマを掲げて世界の国々が集うことに違和感の無い時代というのはもう来ないように思うのである。尤も、そう思うのは私自身が人生の最終コーナーに入ったということにすぎず、立場によってはまだまだあんなものじゃないと思う人もたくさんいるのかもしれない。ただ、こうして公園として整備されている万博会場跡を歩いてみて、当時の万博を企画した発想のスケール観に今の時代には無いものを感じたということだ。
国立民族学博物館は万博公園内にある。博物館と名がついているが、実体は大学院大学であり、研究機関である。博物館はその民族学研究の資料庫のようなもので、世界中から様々な文物が集められている。今となっては現地でも入手が難しいのではないかと思われるようなものもあれば、今の時代の文物も並べたほうがよいのではないかと思われるところもある。いずれにしても、全部を丹念に見学するというような施設ではなく、自分なりにテーマを持って見学しないと見学の意味が無いような場所だ。それでも、人間の発想というものが文化の違いを超えてある程度共通していることを確認できる場でもあるので、そういう発見を楽しむこともできる。文化を超えて似たような発想をする人間が、時間軸を変えてみると発想のスケールに大きな差が出るのは何故なのか。あるいは、萎縮することなく大きく物事を考えようという意志があれば、発想というものはどうにでもなるものなのか。自分の問題としても考えさせられた。