熊本熊的日常

日常生活についての雑記

何も足さず何も引かない

2008年02月29日 | Weblog
酒の話ではない。今日、スーパーで買ったアスパラガスを蒸して食べた。蒸し器で7~8分間蒸すだけ。これが旨い。ちょっと多いかもしれないと思いつつ一束350グラム(根本のところは繊維が多く食べにくいので切り落とす為、実際には300グラムくらいか)を一気に食べてしまった。

作るのが面倒なわけではなく、身体が単純な食べ物を欲するのである。ご飯と梅干しとか、オーブンで焼いただけの椎茸とか。毎日、日記をつけ、その片隅に食べたものを記録しているのだが、最近は粗食化が顕著である。今、頻繁に口にするのは、子供の頃に嫌いだったものばかりである。それだけ老化したということなのだろう。自然に枯れて自然に消えてしまいたいものである。

「怖い絵」

2008年02月27日 | Weblog
先日、「怖い絵」という本を読んだ。この本の内容自体は全く怖くはないのだが、それは人目を引くタイトルで売上を狙う出版社のマーケティングの所為もあるだろうし、そのタイトルに応えるだけの筆力が筆者になかった所為もあるのだろう。

ところで、この本に収載されている絵画作品のなかに、ロンドンで実物を観ることができるものがいくつかある。たまたま、そのひとつBronzino作”An Allegory with Venus and Cupid”(「愛の寓意」)がナショナル・ギャラリーのPainting of the Monthに取り上げられている。

この作品は、タイトルが示す通りヴィーナスとキューピッドを中心とした構図である。つまり母子像だ。ところが、何の予備知識も持たずにこの絵を見て、母子像だと思う人はいないのではなかろうか。神話の世界をモチーフにしているので、全裸であることは仕方がないとしても、母子の絡みが異様に艶かしい。息子が母の乳房に手を置き、その乳首を指の間にはさんでいる。ふたりは唇をあわせているが、その口元をよく観ると、ヴィーナスの半開きの口から舌が覗いている。キューピッドの眼は冷静だが、ヴィーナスのそれは瞳孔が開き、視線が定まっていない。彼女の頬は紅く染まり、耳は真っ赤である。身体は今にも崩れ落ちそうな体勢にも見える。このままいくと、ふたりは身体をあわせかねない雰囲気なのである。

この作品が描かれたのは1545年頃とされている。メディチ家からフランス国王フランソワ1世へ贈られたものだそうだ。当時流行していた寓意画では、画家が難解な寓意を考案し、鑑賞者がその解読に挑戦するという知的遊戯が行われていた。その解読は、解説書や美術書に譲るとして、この作品の前に立ってみる。

結局、これは寓意画に仕立てた春画のようなものではなかったのか。贈り主、贈り先の社会的地位から、もっともらしい解釈がつけられているが、実はそれほど高尚な作品ではないような気がするのである。

予行演習

2008年02月23日 | Weblog
来月、休暇で日本へ行く。ヒースローまでどのようにして行こうかと思い、候補となる経路を実際に試してみた。と言っても、ふたつしかない。タクシーは高くて問題外だし、バスは、バス停まで行くのが面倒だ。

費用が安いのは地下鉄ピカデリー線を利用する方法。問題は運行の信頼性。今日は所用を済ませた後、キングズ・クロス駅から乗車したら、信号機故障のためグリーン・パーク駅で動かなくなってしまった。故障や乗客がドアに挟まれて遅延することは日常茶飯事なので、地下鉄利用は必要最小限に抑えたい。となるとパディントン駅からヒースロー・エキスプレスという空港までの直行列車を利用するしかない。パディントンまでは最低一回は地下鉄を乗り換えなければならないが、ベーカー・ストリート駅で乗り換えれば、比較的楽に行くことができる。生憎、ベーカールー線のパディントン駅でのホームの位置は、ヒースロー・エキスプレスの発着するホームから遠いが、それは耐えるしかない。

次の問題は土産である。土産を用意しなければならない相手は、極めて数が限られるのだが、紅茶でも持って行こうかと考えている。食品スーパーとしてそこそこの評判があるウエイトローズのハウスブランドとウィリアムソンというブランドのアッサムを既に味見してみたが、どちらもまずまずである。今日はフォートナム・アンド・メイソンと三越を覗いてみた。覗いただけで紅茶は買わなかった。値段を見たら購買意欲が萎えてしまったのである。それでも気を取り直して、フォートナム・メイソンでバラ売りのクッキー、ブラウニー、マカロンを買ってみた。どれも確かにおいしい。使っている粉やバターの品質が、そこらの商品とは格が違うのだろう。しかし、今日のところは判断を保留した。ひょっとしたら永久に保留するかもしれない。

私の夫を

2008年02月21日 | Weblog
時々、職場に老婦人の声で電話がかかる。電話機に相手の番号が表示されるので、彼女からの電話の時には勤務先の社名を名乗ることにしている。殆どの場合、電話は無言のままそこで切れる。たまに「あなたは誰?」と尋ねられる時もある。今日は、夫を出してくれと言われた。その名前を聞いても、聞き覚えがあるはずもなく、そのような人はここにはいない、としか言いようが無い。すると、電話番号を尋ねられた。こちらの番号を言うと、それは違うと言う。それはその通りだろう。紛れも無い間違い電話なのだから。

年齢を重ねれば、身体のいたるところが老化する。身体も硬くなるが、思考も柔軟性を失っていく。彼女は、私の席の電話を何度か鳴らした後で、ようやく電話が間違っているのではなく、自分が間違った番号にかけていることに気付き、めでたく自分の夫と話ができるのかもしれない。あるいは、彼女の夫はもうこの世にはいないのかもしれない。声だけでは判断がつきかねるが、かなりの年配のようである。その夫たる人物は土木会社に勤務しているらしいのだが、勤め人であるとすれば、役員でもない限り、かなり以前に引退していてもおかしくないだろう。勤めを引退し、人生をも引退しているということもありうる。そんな現実とは没交渉に、ふと、夫を思い出し、電話に手を伸ばしているのかもしれない。

大安に注意

2008年02月06日 | Weblog
今日は大安である。昔、私が勤務先から解雇通告を受けたのは大安だった。たまたまその日は勤め帰りに建設会社に立ち寄り、自宅となる不動産の購入契約に署名をする予定の日だった。私は普段、日柄などを気にしたことは無いのだが、建設会社とか証券会社は比較的そのようなものに注意を払う傾向があるようだ。その日も先方の担当者が「日が良いから」ということで調印日に決まったのである。ところが、その日の夕方、勤務先の社長の部屋に私を含めて5人か6人ほどが集められ、解雇通告と解雇に際しての退職金などについて説明を受けたのである。給与所得が断たれたことで、住宅の購入などできるはずもないのだが、とりあえず建設会社の担当者に電話して「急な仕事が入った」ということで購入契約の調印を延期した。家に帰り、何事もなかったかのように時間を過ごし就寝した。しかし、その夜はとうとう眠ることができなかった。

今日は大安である。勤務先で人員整理が発表された。私は対象にはならなかったが、同じ部署の同僚数名が職場を去ることになった。部員総数の約5%に相当する人数だ。その人たちの他に早期退職勧奨を受けた人たちもいたという。どのような経緯でその人たちが選ばれたのか知らない。その人たちの勤務態度に問題があった、とか、勤務成績が良くなかった、というような基準であるとは思えない。組織の中では、社員は人ではなく、備品と同じようなものである。何らかの基準が設けられ、機械的に選抜されたのだろう。つい数時間前まで談笑していた相手が突然姿を消してしまう。寂しいことである。

冷凍餃子

2008年02月01日 | Weblog
近所の中国食材店は一般客も業者も相手にしているので、業務用と思しき大容量の冷凍食品も豊富である。これがどれもたいへんおいしい。餃子は自分で作ることもできるが、面倒なので、こちらに来てからまだ一度も作っていない。なにより、冷凍餃子がおいしいので、つい冷凍食品で済ませてしまう。今、自宅の冷凍庫には「HONG’S Chicken Dumplings」という製品がある。よくよく包装を見ると、製造者も販売者も書いていない。それでも賞味期限は包装の縁に打刻してあり、「MAKE IN UK」という文字とそれに続くロンドン市内の住所が書かれている。このような書き方をすると怪しい食品のように思われるかもしれないが、ほんとうに美味である。

さて、日本では冷凍餃子が話題のようで、先日、日本総領事館からも注意を促すメールが届いた。今やすっかり中国産食品に対する不信感が醸成されてしまったように感じられるのだが、一連のニュースフローに何かしら違和感を覚える。これから調査が本格化するのだろうが、報道によれば、回収された餃子の皮の部分から農薬が検出されており、具から検出されていない。包装に穴が空いているものがある。商品のなかに包装の外側に農薬が付着していたものがある。問題になっている餃子はいずれも同じ製造元の製品で、あたかも製造過程で農薬が混入しているように見えるがそうではない可能性を示唆する情報と言える。これだけ大きな騒動になって、調査の結果、農薬が日本国内で混入したことが判明したとすれば、かなり厄介な問題に発展するかもしれない。

現実問題として、原材料も加工品も含めて、中国産食材抜きに日本の食は成り立つのだろうか。中国産に問題があるからといって、別の産地がすぐに見つかるものなのだろうか。中国産に依存し続けなければならないとしたら、日本の政府や流通業者は今、何をしなければならないのだろうか。マスコミはニュースを売るのが商売なので、正義の味方面をして大騒ぎをするだけだが、その騒ぎの背景は誰も何も言わないし、問われもしない。大衆はただ煽られるだけである。日本人というのは不思議な人々だと思うのは私だけなのだろうか。

ところで、こちらの小売店に並ぶ食品は様々な産地から集められている。最近食べたものを列挙するとエジプト産の苺、イスラエル産の柿、モロッコ産のズッキーニ、カナリア諸島産のトマト、オランダ産の玉葱、スペイン産のピーマン、英国産の鶏卵、シンガポール産の豆腐、中国産の椎茸、英国産のリンゴ、タイ産のベビーコーン、チリ産のアスパラガス、イタリア産の米などなど。日本の小売店に並ぶ野菜や果物と違って、パッケージの中は大きさがまちまち、傷んだものも混入しているので、注意を払って商品を吟味しないといけない。包装に穴が空いている商品など珍しくなく、半調理品のなかには中身が溢れ出ているものもあり、米だの小麦粉だのが並ぶ棚の上や周囲には米粒や粉が散らばっている。卵は割れていることもある。そうした状況を改善しようとする気運は感じられない。

食の安全とは、結局は生産者、流通業者、消費者の意識の問題である。食に限らず、安心して暮らすには、世の中の仕組みに対する信頼感が不可欠なのである。この信頼感を揺さぶることで利益を得るのは誰なのだろう。