大栗博司 『重力とは何か アインシュタインから超弦理論へ、宇宙の謎に迫る』幻冬舎新書
なぜこの本を入手したのか、今となってはわからない。Book Offで買ったので、送料対策で欲しい本と併せて買ったのだと思う。この本と一緒に買ったのが山下惣一の『農政棄民』と架神恭介の『仁義なきキリスト教史』。山下の本は米原の『すごい本』に紹介されていた『ザマミロ!』から始まった山下読破の流れで発注し、架神は妻のリクエスト。この本は『すごい本』ではないし、著者の大栗など聞いたこともない。しかし、ここにある。なぜだろう?
なにはともあれ、通勤の車中で読み通した。書いてあることはさっぱり理解できなかったが、それでも読了できたのは著者の文章力のおかげだろう。それにしても、物事の本当の原理原則というものは、理科とか文科というような上っ面の区別なしに貫徹しているものではないかと思う。なぜなら、人間も結局のところは物質であり、その思考や感情にしても脳内物質の運動の結果であろう。つまり、物理の根本が自然環境を含めての人間社会の原理である、ということになるのではないか。尤も、それがわかったからといって今更どうということもない。ただ、なんとなく楽しいではないか。
以下、備忘録:
重心の大切な性質は、外から力が働かないかぎりその位置が変わらないということです。(78頁)
相対論では光の速さに特別な意味があります。光の速さに近づくと、ニュートン力学では説明できない現象が起きます。(202頁)
物理学であれ化学であれ生物学であれ、自然科学の基礎には「因果律」があります。宇宙の現在の状態を知っていれば、自然法則によって未来に起こることはすべて原理的に予言できる。また過去の状態も、現在の状態から導き出すことができるという考え方です。これがベースになければ、科学は成り立ちません。(242頁)
飯田卓 『身をもって知る技法 マダガスカルの漁師に学ぶ』 臨川書店
みんぱくのフィールドワーク選書第8巻
文化人類学とは「身をもって他者を知る」学問なのだそうだ。凡そ「学問」は方法論や切り口こそ違いすれ、どのようなものも自分を知るためのものだと思う。他者は自分の裏側でもあるから、つまりは自分のことでもある。しかし、自分というものが確たる存在ではないのだから、それぞれの学問がそれぞれの性質に応じてあるていどの決めをすることになる。前提条件の設定ばかりが増えていくので、「ナントカ学」というものも増えていく。世の中が日に日に豊かになって目先の食い扶持をどうこうすることに汲々としなくても良いのなら、ナントカ学の増殖を文明の進歩と崇めてありがたく受け入れていけるのだろうが、そういう余裕がいつまで続くものなのだろうか。
ところで、本書を読んで特に興味を覚えたことは大まかに以下の2つのことだ。ひとつは他者との距離感の観察と分析。相手の行動に対して違和感を覚えたとき、その違和感の背景を考えることで相手との文化的な距離感が明らかになるというのである。距離感とその背景が把握できれば、その距離を小さくしたり大きくしたりすることが可能なはずだ。自分の理解に基づいて距離感を縮めることができれば、その背景に対する自分の観察と分析が正しかったことになり、そうでなければ別の観察なり分析なりを試みることになる。これは容易なことではないだろう。しかし、容易にできるなら学者や学問は不要ということでもある。もうひとつは金銭を伴わない価値の測り方についてだ。日本でいうところの「義理と人情」に近い感覚のような気がするのだが、相手が必要とするものを互いに融通しあう継続的関係のことを互酬的関係というのだそうだ。それに対し、金銭のような明快な尺度で個別の債権債務を等価交換として決済してしまうと、交換の関係は個別に完結してしまって継続的な関係にはならない。継続するのは互いに相手に対する負債意識があるからだというのである。なるほど価値を貨幣に換算することで特定の共同体を超えて取引ができるようになる。異なる貨幣間の交換レートの合意があれば、相手がどこのだれであろうと取引を完結させることができる。つまり、交換と人間関係を分離できるということでもある。それは現代の我々の社会だ。金さえあれば何でもできる、と言うとき、取引行為に人間関係を伴わないということを想定しているということなのである。
山田風太郎 『人間臨終図巻』全4巻 徳間文庫
この本の存在はずっと前から知ってはいた。そして、気になってもいた。しかし、なんとなく手にする機会を避けていた。コラージュのような構成が気に入らないということもあった。最近、何かで本書に言及したものをたまたま続けて目にして、やっぱり読んでみようかな、と思った次第。
素朴に面白かった。自分はどんなふうに死ぬのだろうか、という当然の疑問ももちろんあるのだが、こういうのは嫌だなぁとか、こんなふうに死ねたらいいなぁ、というようなかなり切実な面白さである。本書に取り上げられている人々に関して言えば、ざっくりとした傾向として、長命の人のほうが苦痛少なく逝くようだ。このブログにもしばしば「いつ死んでもおかしくない年齢」だと自分のことを書いているが、もう少しがんばらないと眠るように死ぬことのできる確率が上昇しないということになるのだろう。複雑な心境に陥った。
ここで取り上げられている人々の臨終の様子は、いろいろなところからの引用に近いものだが、誰を選ぶとかどういう臨終伝を書くかというとことは著者たる山田風太郎の判断なので、コラージュのようとはいいながらも確かに山田の作品だ。その山田の言葉がやはり面白い。
人間には、人を断罪することには情熱的だが、自分が断罪される可能性のあることには不感症な傾向があるが、江藤はその象徴的な典型である。彼の最後の狼狽は、そのあらわれである。(1巻237頁 江藤新平)
幸徳らを絞首台に送った山県有朋ら権力者たちは、幸徳らを狂人、蘆花を半狂人と確信していたであろう。しかし後になって見れば、その連中こそ実は一種の狂人たちであったのだ。(1巻239頁 幸徳秋水)
終戦直後の昂奮時ならともかく、二年を経て、おのれの責任を全うしたと見きわめてから自決したのはみごとというべきである。太平洋戦争敗戦にあたって、かかるみごとな進退を見せた日本軍の将官はきわめて稀であった。(2巻203頁 安達二十三)
ペルリの来航は、要するにアメリカの中国貿易と捕鯨の基地として日本の港を欲したからであったが、百余年後、アングロサクソンは、日本人による捕鯨反対のリーダーとなった。彼らの必要性、不必要性が、その時の世界の掟となる。(2巻412頁 ペルリ)
人は死に臨んで、多くはおのれの「事業」を一片でもあとに残そうとあがく。それがあとに残る保証はまったくないのに。これを業という。(2巻432頁 伊藤整)
このアメリカのハリスといい、イギリスのパークスといい、幕末の日本を震撼させた碧い眼の人物たちは、それぞれの本国ではほとんどだれも知らない辺境の一外交官に過ぎなかったのである。(3巻355頁 ハリス)
父の賛美者たる娘を持つ父は倖せなるかな。その例は本『図巻』でも枚挙にいとまがないが、ふしぎに賛美者たる息子を持つ父は少ない。(4巻32頁 広津和郎)
人間の世界には、腹立ちまぎれの一語が決定的な破局を呼ぶことがある。(4巻47頁 嵐寛寿郎)
近代は、死に対するさまざまの恐怖に病院の「治療」の恐怖を加えた。(4巻49頁 志村喬)
しかし「日本はアングロサクソンの許容範囲でしか生存できない」という、日本にとって「苦痛に満ちた真実」を、これほど冷厳に見ぬいていた外交家はないといわれる。太平洋戦争は、実は日本がこの掟を破ろうと試みて失敗した戦争であったのだ。(4巻96頁 幣原喜重郎)
最後の死床において医者を感服させるのは、平生においても必ずや相当な人物である。その裏返しもまた真ならん。(4巻111頁 今東光)
「自費診療」で有名な武見太郎であったが、自分のときは保険証を持っていった。(4巻120頁 武見太郎)
彼ははじめ革新都政の旗手と呼ばれたが、あたかも城詰めの家臣ばかり加増する殿様のごとく、都庁職員の給料や退職金を大盤ぶるまいし、都の財政を惨澹と評される赤字に落し、同様の傾向を持つ革新知事全般への失望を確定的なものとし、結局スローガンだけがうまいタレント知事であったという印象を残した。同時期に長く横浜市長を務めた飛鳥田一雄が数億に上る退職金をすべて返上したのに、東京都知事をやめたとき彼は、それ以上の退職金をビジネスライクに受領していた。(4巻160-161頁 美濃部亮吉)
ガン、脳溢血、心臓病をまぬがれた高齢者は結局肺炎で死亡することが多い。風邪がもとというより、老衰のため長期間寝たきりの姿勢を余儀なくされるため肺下部に血液が鬱滞して、沈下性肺炎をひき起こすのである。(4巻181頁 野村胡堂)
生涯飲む打つ買うの道楽をやりつくして、しかも極楽往生をとげた人間の見本がここにある。しかし志ん生にその幸福を与えたのは、道楽の間も忘れなかった芸への執念の、細いが強靭な糸であった。(4巻248頁 古今亭志ん生・五代目)
しかし公平に見ればこの「何らリアルを感じのしない」人物によって新生の基を定められた戦後日本人は、それまでの歴史にない幸福を得たのである。おそらくそれまでの日本が、別様の形態ながらそれ以上に、何らリアルなところのなかった連中によって支配されていたからであろう。(4巻278頁 マッカーサー)
百六歳でまだ生きている日本の彫刻家平櫛田中の消息を聞いて、「私はデンチューサンより長生き出来るかなあ」と言った。そして昔の日本を懐かしがり、噂に聞くいまの日本を歎いた。(4巻394頁 リーチ)
ところで、山田風太郎はどのような臨終を迎えたのだろう?
田中克彦 『法廷にたつ言語』 岩波現代文庫
久しぶりに『打ちのめされるようなすごい本』関連本。そこに紹介されていた本(『「スターリン言語学」精読』『ことばと国家』)をBook Offで調達した際に送料無料化のためについでに購入。しばらく積ん読状態だったが、エッセイ集ということで通勤時間に読もうと持ち出した。
昔は考えもしなかったことなのだが、なんとはなしに近頃は、日本という国、日本人という人たちは世界のなかではかなり特異な存在であると思うようになった。例えばG7のなかで日本のような国民国家が他にあるだろうか。確かに、日本に少数民族がいないわけではないし、最近も有名な政治家の二重国籍が注目されたばかりだし、日本に在りながら「日本人」とは認められていない「在日」と呼ばれる人たちもいる。しかし、アメリカは移民の国で、欧州の国々にしても当然のように多民族国家だ。先ごろ英国は国民投票によってEUを離脱することになったが、いざ離脱決定となると英国から独立してEUに留まろうと叫ぶ地域が現れる。スコットランドにもウェールズにもアイルランドにもそれぞれの言語があるのだ。「日本人」の間では、「イギリス人」は英語を話し、「フランス人」はフランス語、「ドイツ人」はドイツ語を話す単一民族の国と何の疑いもなく思い込んでいる人のほうがそうではない人よりもはるかに多いのではないか。それは自分たちに多民族という経験がほとんど無いからだろう。
何語で思考するか、ということはその人が何者であるかということの基盤であろう。自分というものを規定するということは他者を認識することである。自他の区別を図るに際し言葉は決定的な鍵になる。その「自分の言葉」をどのようなものとして認識するのか、というところに民族の特質が表れるような気がする。本書には以下のような記述がある。
近代を手にいれるための代償として、我々は、ことばを土から解放して、より疎遠で中立なものとし、またそのようなものと思おうとしている。ことばは、学校や辞書や、活字やテレビの中に、すでにでき上がったものとしてしか存在せず、教えられる方は、それをひたすらおしいただくのみである。ことばに対する人々のこの意識の変化は、たしかに、日本人の文化意識、政治意識のすべてをつらぬいたのである。(95-96頁「いま柳田国男をどう読むか」)
他所の国の人々がどのように自国語の教育を受けているのか知らないが、国語に限らず自分の受けた教育は既存の権威をおしいただくことが当たり前のものだった。試験にはかならず「正解」があり、「正解」は教師が決める。教師は「正解」を所定の教科書やその解説書に依存する。教科書は国が決める。つまり国家という権威があり、それによって与えられるものを素直に受容することが「優秀」な児童生徒ということになっている。本書では以下のようにも表現されている。
近代の社会では、文化と政治の中心地と、そこでいいくらしをしている人間が、どれか一つにとびぬけた価値を与える。(75頁「日本語の現状況」)
ものごとにほんとうに「正解」があるならば、教えられるものをひたすらおしただくことになんの不都合もないのだが、それでものごとがうまくいかないという現実がある。それでも、生活の風土を共有し、歴史や文化に共有できるもののある者どうしの社会なら、中心から発せられる「正解」をおしいただくことで生じる多少の不都合に我慢することもできなくはないだろう。しかし、地政学上の変動でそれまで別の文化圏にあったものが編入された場合、その新しい人々は抵抗なく「正解」を受容できるものなのだろうか?おそらく、そういうところに対する想像力は日本人に欠けているのではないだろうか。それが「過酷」と言われる植民地支配につながり、過去に日本の植民地支配を受けた地域の人々から今なお反感を受け続けることになっているのではないだろうか。
しかし、さすがに日本人も明治以降は激動する世界のなかで右往左往して、国家とか権威とかを無闇に信用してえらい目に遭うということを学習しつつあるのではないだろうか。「えらい目」の中身は人によって想像するものが様々かもしれないが、たとえば満蒙開拓がどのような結末に終わったか、それに続く大戦争の結果がどうなったか、復興から経済成長のなかで公害問題がどのように扱われたか、といった歴史の教科書に登場する出来事は当然に想起されるだろう。先ごろ閉幕したオリンピックはブラジルのリオデジャネイロで行われたが、ブラジルをはじめ中南米には日本から移民した人々が少なくない。私が小学校低学年の頃までは移民船というものがあった。移民募集の説明会で聞いた話と実際の現地との状況が全然ちがっていた、というのはあり得ることで、要するに移民は政策側からすれば棄民だったということなのだろう。最近では、なんといっても原発事故への対応が国家というものの在り方を雄弁に語っているし、豊洲市場の話もその延長線上にあると見てよいのだろう。
「正解」のはずが機能しない解ばかり、というような経験ばかりが積み上がってくると、そのうちに言葉が変容するなんてことが起こるのだろうか。