安心して聴いていられる落語会だった。噺家はもちろん落語会の重要な構成要素だが、会場や観客も大事だ。演芸というのは空間丸ごとでひとつの単位だろう。噺家の技量だけではなく、その噺家が呼び込む客も芸のうちということだ。どのような客に好かれるのか、というのは芸に生きる人にとっての最重要課題ではないだろうか。どのような商売にも言えることだが、誰からも愛されるなどということはあり得ない。それぞれの個性があって、それぞれに応じた世界が形成されるのが自然というものだろう。受容する側に緊張を強いないのが、自然な状態なのだと思う。極端な物言いをすれば、聴き終わって個別具体的なことは何一つ残っていないけれど楽しかったという感覚だけが残っている、というような状態が理想の舞台であるように思うのである。
陶芸をやっているから茶碗のことを思うのだが、世に名器とされるものは数多あれど、持ったとき使ったときに自分の手の延長にあるような一体感を感じるもの、それがあることを意識させないほど自然に手に収まるものこそが、その人にとっての本当の名器だと思うのである。さらに欲を言うなら、茶なり酒なりを盛って口に運んだとき、恋人から口移しで飲んでいるかのような甘美を感じるのが理想だろう。
噺を聴くのも、茶碗を挽くのも、他の生活のことをするのも、本当に在りたいのはどういう状態なのかということを意識していれば、逆に今の自分に何が必要なのかが多少は見えてくるような気がする。物心ついてからいつもなにがしかの違和感を抱えているのだが、その違和感の元がようやく朧げながら見え隠れしてきたような気がしてきた。おそらく最期まではっきりとこれだということはわからないのだろうが、全くわからなかったことが多少の見当がついてきたという変化を感じることに生きてきた甲斐を思うのである。
本日の演目
開口一番 「小町」
桃月庵白酒 「満員御礼」
柳亭市馬 「七段目」
古今亭菊之丞 「親子酒」
鏡味味千代 太神楽曲芸
柳家喬太郎 「抜け雀」
会場:小金井市民交流センター