熊本熊的日常

日常生活についての雑記

枯枯衰衰

2009年04月30日 | Weblog
勤め先のエレベーター内や受付にあるスクリーンに常時ブルームバーグのテレビ放送の映像が流れている。そこに流れている日本語放送が本日をもって終了するのだそうだ。

「ブルームバーグ」が何なのかという説明は割愛させて頂くが、世界を網羅するサービスから日本仕様に特化されたものが、ひとつまたひとつと廃止されているように思う。3月に大学の同窓会に出席したときも、日本市場の退縮を嘆く声を少なからず耳にした。統計上は依然として世界有数の経済大国だが、明らかにその盛りは過ぎ刻一刻と衰退しているように感じられる。

この国の盛衰と自分の人生が重なって見えるのは面白いことだ。経済成長とともに自分の成長期があり、列島改造ブームの時、それに続く第一次石油危機の時には小学生だった。経済での日本の存在感が世界のなかで突出し始め、日本と欧米との貿易不均衡が問題になったり、プラザ合意に象徴される外国為替相場の政治的調整が実施された頃に、社会人生活を始めた。その後、バブルの時期に勤務先からの派遣という形で英国の大学に留学しMBAを取得した。そのバブルが崩壊し、日本経済が長期に亘り凋落するなかで、家庭を持ったり、社会人としてのキャリアを積んだり、それなりに背負うものが増えていった。

世紀の変わり目の頃に「ITバブル」と呼ばれる好景気があり、そこで自分も初めて組織の管理職というものを経験したが、911テロで世界が揺れるなかで組織のリストラに遭い、職を失った。ところが、解雇通告を受けた翌日に、街で以前の職場の同僚と13年ぶりに再会し、縁あってその人の勤務先に採用されることになった。以来3年半に亘って企業再生という時代の要請に合致しているかのような仕事にかかわった。しかし、そのような仕事にかかわることに周囲が心配し、「すぐ辞めたほうがいい」とか「君の人生の汚点になる」という諸先輩の御意見もあり、マネー・ロンダリングならぬキャリア・ロンダリングのつもりで、新聞広告で見つけた職場に転じた。

案の定、退職した再生系企業との訴訟事に巻き込まれたが、おかげで裁判の戦い方というものを実地に学ぶことができた。裁判というのは特殊なことのように思われるかもしれないが、実際に経験してみると、それは生きることへの示唆に富んでいる。自分が被告だったので裁判に勝っても金銭的に得るものは何もなかったが、経験として学んだことは大きかった。弁護士費用はそれなりだったが、それに見合うだけの勉強ができたと思っている。

原告の主張を全て退ける完全勝利とも言える判決が確定した後、その裁判での学習効果を発揮すべく、それまで計画を暖めていた離婚を実行に移した。長年連れ添った相手なので、考えそうなことが手に取るようにわかり、離婚通告から離婚届の提出まで5ヶ月で済んだ。実際の交渉事に要したのは最後の1ヶ月程度でしかない。これにはロンドンへの転出が大いに役に立った。

それまで築いたものを捨て去り、見知らぬ街で新たな生活を始めた矢先、世界経済も大きな変化に見舞われた。異国の地で路頭に迷うよりは、勝手知ったる場所のほうがよいだろうと思い、今年はじめに帰国して、今日に至っている。

これから世の中がどうなるのか知らないが、ここから日本経済や世界経済が立ち直るなら、それに合わせて自分の生活も立ち直るのかもしれない、などと都合の良いことを考えている。

「画家と庭師とカンパーニュ」(原題:Dialogue avec mon Jardinier)

2009年04月29日 | Weblog
生きることは、そもそも苦痛なのか快楽なのか、などということを考えたところで始まらない。少なくとも、我々は生まれるか否かという選択をすることができない。生は唐突に授けられ、そこにどのような生活が待ち受けていようとも、その生を全うしなければならない。

おそらく、他の生物と同じように人間も種として生存し続けるという使命を背負っているのだろう。ただ、他の生物よりも少しばかり知恵が発達しているおかげで、個人としても種としても、自然の摂理を超えて極端な過剰や不足を抱えるようになったということではあるまいか。

生きるために必要なのは、何よりも生きようとする意志である。それは多分に習慣に依存する側面もあるだろうが、未来に対する漠然とした希望に支えられているような気がする。それは種としても個としても必要なことだろう。何の根拠もないのに、今日の延長上に明日があると考えるのは精神が健康である証拠であるかもしれないし、そういう幻想を抱く不健康さがなければ生きていくことができないのかもしれない。そもそも健康という概念も生きることを前提にしたものだ。たまたま生まれたところが、食うや食わずの悲惨な状況下であろうと、何不自由なく生活できるところであろうと、生まれてしまったからには状況の運不運を喜んだり呪ったりしている余裕はない。少なくとも、誰が考えたのか知らないが明日というのを明るい日と書く文化に暮らすことは、それだけでも幸せなことだと思う。

前置きが長くなってしまったが、楽しい作品だった。主人公の画家が故郷で出会った子供時代の友人を偶然に庭師として雇ったところから、その庭師との対話を通じて、それまで気付かなかった幸福の感覚を少しずつ獲得していく。庭師が象徴するのは、人間を含めた自然のありかたであるように思う。庭師の台詞にそうした思想が具体的に現れているわけではなく、むしろ凡庸すぎるほどに凡庸なのだが、その立ち居振る舞いや家族を素朴に大切にする姿勢が、生きることの自然のようなものを表現しているように思えるのである。

「ニセ札」

2009年04月28日 | Weblog
作りは粗いが、面白い作品だった。正義とか権威という人間社会の根幹をなす価値観がいかに脆弱なものであるかということを改めて認識させられる。

紙幣は権威の象徴だ。物理的には単なる紙片なのに、それが国家という権威に裏付けられることによって、一定の経済的価値を持つものとして国内はもとより世界中で流通する。それが当然だと思って日々生活しているが、これは驚異に値すると思う。

作品の舞台は昭和25年夏のとある山村。もともと経済的に豊かとは言い難い状況であった上に戦争でさらに疲弊した日本の日常といってもいいかもしれない。それでも人には生活があり、多くの人々が生きることに必死だった。生活は苦しいが、その苦しさとは貧窮と同義だ。何も悪い事をして貧乏に喘いでいるわけではない。ただ、自分が置かれた状況がそういうことになっていたというだけのことなのである。

貧しさという問題を打開するには、もちろん収入の道を得るというのがまっとうな結論だろうが、収入を得る手段は働くことだけではない。市中に流通しているのと全く同じ貨幣を自ら作ってしまえばいい。法律論は別にして、「全く同じ」ものを作ることができるのなら、それは合理的な問題解決の方法だ。

そこで次の技術的問題が生じる。「全く同じ」ものを作るのは可能なのかということだ。紙幣には多重に偽造対策が施されているので、おそらくそうした対策を全て克服するのは費用対効果という視点も含めて現実には困難なのだろう。

しかし、仮に技術的問題が克服できたとして、実際の紙幣と「全く同じ」ものを作ることができたとする。それは法を犯しているという点で「悪い」ことなのだが、法律違反という事務的な点以外で、何がどう「悪い」のだろうか?

善悪とは誰が何を基準に決めることなのだろうか? 作品の最後の裁判の場面で、被告である小学校の先生が、何故ニセ札作りに加担したのかを陳述する場面がある。そこには、法を犯しはしたものの、自分の信念に従って行動したことへの自負と誇りがあり、観ていて溜飲が下がる思いがした。現実が抱える問題に目を背け、目の前の薄っぺらな法解釈だけに汲々とする検察官や裁判官のほうが卑屈で矮小に見えるのだから不思議なものである。

さそり座の女

2009年04月27日 | Weblog
1月に帰国して、帰国に伴う一連の事務手続きを終えて一段落した今月初旬に、社会保険事務所から国民年金の納付書類が届いた。ロンドンにいた1年4ヶ月の間、国民年金保険料が未納になっていたので、その請求である。今日はその16ヶ月分のうちの1ヶ月分を近所の郵便局で納付してきた。

自分が年金を受給する年齢に達する頃、この国の年金制度はおそらく破綻していて、結局は年金などもらえないのではないかと危惧している。それでも国民年金の保険料を負担するのは国民の義務なので納付拒否というわけにもいかないだろう。

先日、定額給付の申請書が送られてきたので申請をしたのだが、こちらは申請しないともらえないようになっている。確定申告も、たとえ税金の還付を受けることができる状況であったとしても、申告しなければその還付は受けることができない。

徴収は確実に支払は渋く、というのがこの国の行政実務の基本原則だ。徴収された税金等に見合うだけの行政サービスを国民が享受しているのかどうか知らないが、こうして毎日無事に暮らしているのだから、国家としては一応機能しているのだろう。

国民年金保険料を納付するのに立ち寄った郵便局で自分の順番を待つ間、ふと脳裏に歌謡曲が流れた。
「…あなたはあそびの つもりでも
地獄のはてまで ついて行く…」

特別な急行列車

2009年04月26日 | Weblog
先日、宇都宮へ出かける折に奇妙な体験をした。住処最寄の駅から池袋に出て、そこから9時59分発の湘南新宿ライナーで大宮へ行き、そこで10時34分の新幹線に乗る予定だった。よくあることだが、その日も湘南新宿ライナーは9分ほど遅延しており、新幹線に間に合わない可能性もあったので、埼京で赤羽に出て、そこから高崎線か東北線のいずれか早く来た電車に乗ることにした。

赤羽では、それでも池袋で乗車予定だった電車が最も早く来ることになっていて10時09分に赤羽を出ることになっていた。駅の構内放送によれば、なおも6分ほど遅延していた。このため、隣のホームに先に到着する10時11分発の特急谷川に乗車した。浦和駅を発車した直後に検札が回ってきて、特急料金500円を徴収された。車掌曰く「この電車は特急ですから」。

特別急行谷川は赤羽を出ると浦和に停車し、その後、大宮に到着する。大宮到着は10時25分、赤羽からの所要時間14分だ。一方、湘南新宿ライナーは赤羽を出発すると、次の停車駅は大宮である。時刻表では同区間の所要時間12分であり、普通列車でありながら、赤羽=大宮間では浦和駅に停車する特急よりも速い。しかし、普通列車なので追加の特急料金等は不要である。

それでは、この谷川乗車によって発生した特急料金は何によって正当化されるのだろうか? 谷川に使用されている車両は185系であり、今では老朽車両に分類されても不思議はないほどのものである。車内は古い車両独特の消毒剤のような臭いもあり、決して快適ではない。所要時間も長く、車両にも特段付加価値があるとも思えないものに、それが「特別急行」だからという理由だけで運賃に割り増し料金が付加されるのは理解に苦しむのだが、何か私が見逃している合理的根拠があるのだろうか? あるいは単にボッタクリが正々堂々と行われるところが「特別」な急行列車ということなのかもしれない。

藍より青く

2009年04月25日 | Weblog
柳家三三の独演会に出かけてきた。初めて聴く噺家なのだが、上手いので驚いた。最初の噺の出だしあたりに、師匠の小三治を彷彿とさせる雰囲気があったが、ひとたび噺が始まると、そこに独自の世界が広がる。今日の演目は「口入れ屋」と「髪結新三」の二話。特に「髪結」のなかの登場人物が啖呵を切る場面の描写が、気持ち良かった。ただ、細かいことを言い出せば、大家の啖呵は、あれで本当によかったのかと疑問を感じないわけではないし、女性の表現がやや単調に感じられたりもしたのだが、全体としては要所がしっかりと締まっていて、場面展開に破綻が無く、見事だったと思う。

今の時代に啖呵を切る表現というのは、難しいだろう。友人知人がよく愚痴るのだが、最近の若い人は怒られるという経験があまりない人が多いようで、仕事のことで少しお灸をすえると、すぐに意気消沈してしまったり、ひどい人になると鬱病の診断書を持ち出して勤務に来なくなってしまうのだそうだ。おそらく、噺家の世界でも、雷親爺のような師匠はあまりおられないのだろうし、ましてや、家庭で両親などからこっぴどく怒られるなどということを経験している人は少ないのだろう。人が感情を露にして言葉を投げつける場面というものに遭遇する機会に恵まれることはあまりないのではなかろうか。そうなると、実体験として啖呵を切ったり切られたりということがわからないので、映画とか芝居で登場する表現を参考にせざるをえなくなってしまう。「門前の小僧、習わぬ経を読む」とも言うが、自分で経験していないことを表現するというのはかなり難易度が高いことのように思われる。

同じ理屈で、男性が女性を、女性が男性を表現するのも、ある程度の経験の蓄積がものを言うことになるだろう。色恋事に限らず、異性を徹底的に意識する経験というのはそうあるものではない。人には生活があり、生活の糧を得るために一日の過半を費やさなければならないのが一般的だろう。自ずと色恋事だのに割くことのできる時間というのは限られる。断っておくが、色恋事というのは単に好いた惚れたという程度のことではない。ある意味で、人生の全てを投げ打つ覚悟で、ひとりの人間と向かい合うことを指している。そこまでしないと、人は他人を活写できるほどに人間というものを理解できないのではないだろうか。「よく学び、よく遊べ」というが、学ぶことも遊ぶことも真剣でないと何も身に付かないような気がする。

落語は何の小道具もなく、話だけで世界を構築する芸である。多くの人に見えるような世界を創りだすには、人並み外れた人生経験とか、同じ経験を人並み以上に膨らまして自分のものにできるだけの感性とか教養が要求されると思う。そうした噺家の芸に触れることで、観客である自分も何事かを追体験する。噺家の才能や芸の技巧も大事だが、客である自分の感性やリテラシーも問われることになる。噺を聴き終わって、自分の中にさまざまな思いが去来する。その余韻が落語を聴くということの醍醐味であるように思う。

新幹線に乗って

2009年04月24日 | Weblog
宇都宮に住む友人に誘われて鹿沼までお昼ご飯を食べに行った。

鹿沼市役所の近くにあるそのレストランは住宅街のなかに紛れていて、誰かの家に遊びにいくかのような感覚を起こさせる佇まいだ。大きな通りに面しているわけではなく、看板もあるにはあるが、気をつけないと見落としてしまいそうなものなので、初めて訪れるときには注意が必要だと思う。

店内は古道具を使ったインテリアで、このあたりは好みが分かれるところかもしれない。テーブルも椅子もばらばらで、店に入った後も、そこが店舗というよりは、誰かの家にお邪魔して、その家の人が急遽ありあわせのテーブルや椅子を集めてきた、というような雰囲気だ。

料理は野菜食である。食材の持ち味を上手く引き出すような料理が多く、野菜食ということを殆ど意識させない。昼時で、しかも、店内は満員なのに、料理の出されるタイミングも良く、それぞれの料理を可能な限りおいしく食べてもらおうという姿勢が伝わってくる。

このレストランでも食後に飲み物がついているが、さらにこの店の近くにあるカフェに入り、コーヒーを飲みながらお喋りの続きに興じる。このカフェのご主人は丸山珈琲で修業をしていたことがあるという。豆も淹れかたも丸山方式だそうだ。このカフェもインテリアはさきほどのレストランの姉妹店のようである。コーヒーはストレートでキリマンジャロをいただいたが、豆の持ち味を余すところ無く引き出した見事な味だった。

やはり食事を共にする相手も重要だ。今日、ここへ案内してくれたのは、知り合ってから10年近くになる宇都宮在住の友人。もともと職場の同僚だったが、その職場を離れてから付き合いが始まったように記憶している。こうして数ヶ月に一度くらいの割合で会って食事をする程度なのだが、不思議と話題に不自由することがない。次から次へと話したいことが溢れてきて、毎回楽しい時間になる。たまに会うから話題の蓄積ができて会話のネタに不自由しないのか、たまにしか会わないのに話題に不自由がないほど相性が良いのか、いずれにしても、こういう存在は貴重だ。今日は、自分が今考えているちょっとした夢を熱く語ってしまった。話をすることで、少し考えの整理が進んだような気がした。

習慣

2009年04月23日 | Weblog
日々の生活にパターンを作らないように心がけている。それでも会社勤めをしていれば嫌でもある程度の定型化された行動というものができあがってしまう。行動が定型化すると、それだけ思考が疎かになるような気がして嫌なのである。

木曜はヨガか茶道かのいずれかに通う。ヨガの日は、昼過ぎにヨガをして、その後、昼食を食べる。ヨガの教室を出るのが午後2時半近くなので、昼食の営業を終えている店も少なくない。4月9日付「典型的木曜日」にも書いた通り、なんとなく自分のなかの流れで、そのまま恵比寿駅前のインド料理屋は行き、その後、珈琲専門店でストレートを飲むという形ができつつある。さらにその珈琲専門店では2週間に1回の割合で豆を買うようになりつつある。

私は深煎の豆が好きだ。豆を買うときは、必ず味をみてからにする。前回はマンデリンを購入した。今回はコロンビア。アフリカ奥地の人の肌のような豆の色は神々しくも感じられる。これ以上焙煎すると焦げてしまう、その限界まで焼いた豆の味が好きだ。極端を知らずして中庸を語ることはできない。どのような些細なことであれ、極の極を極めてみるという経験は、生を豊かにする糧になるような気がする。

継続は力とも言う。安易に習慣に流れるのではなく、意識的に多少の負荷を感じながら習慣を形作ることも生きていく上は必要なことだろう。その習慣があることを前提にして、その習慣に反することを敢えて試みるということを意識してみたら、毎日がより楽しくなるかもしれない。

茶の世界

2009年04月22日 | Weblog
4月16日付「遅桜」に書いた通り、今日、三井記念美術館へ「遅桜」を観に行った。この美術館は収蔵品の約7割が茶道具なのだそうだ。現在、「三井家伝来 茶の湯の名品」という題で展覧会が開催されている。

「遅桜」という茶入は南宋時代の中国で作られたものだそうだ。想像していたよりもやや大きく、私の握りこぶしをひとまわり膨らましたような印象だ。均整のとれた姿や肩の張り具合が美しい。釉の垂れが良い感じの景色になっている。「大名物」とはこういうものかと納得させる威風堂々たる佇まいだ。

この「遅桜」のように、名物とされる茶器には大陸から渡ってきたものが多い。もちろん、茶器として作られて茶器として伝えられたものも多いが、雑器として作られ、それが茶器に見立てられて日本に渡ってきたものや、雑器として日本に渡ってきたものが、偶然にも高名な人の目にとまり、茶器として使われるようになったものも少ない。

あるものが、その置かれる関係性を変換することによって、全く異なる価値を得るのは興味深い。価値というものが絶対的なものではなく、関係性のなかで規定されることの端的な例だろう。

茶道は、武士とか町人というような、既存の価値観や関係性を超越して、人と人とが一杯の茶を前に対等に交わる非日常的世界として発展したものである。その場限りの夢のような関係性そのものを創造する一つの方便であったかもしれない。雑器が姿形をそのままに名器に生まれ変わるのは、茶の湯の世界のありようを象徴しているかのようだ。

今や茶道は、そうした本来の姿から離れて、単なる形式美の世界になってしまったかのような印象がある。かつてのような身分制や社会の枠組みが変化し、今や好むと好まざるとにかかわらず、我々は市場のメカニズムのなかで平等に暮らしている。その昔、人々の心を愛撫した茶道具が美術館のショーケースに収まってしまったように、その心のありようも昔話の世界に祭り上げられてしまったかのようだ。あらゆるものが金銭という単一の尺度で評価される「平等」な世界は単純明快なようだが、その間尺に合わずに放置されたもののほうがはるかに大きく、その得体の知れないものが人心により大きな影響を与えているのではないだろうか。

時代や場所を超えて流通する形式や価値は誰もが認識できるものであるはずだが、誰もが認識できるものというのは、結局のところ、誰にも理解できないものであるように思われる。

連休考

2009年04月21日 | Weblog
毎週火曜日に陶芸教室に通っているのだが、来週と再来週は黄金週間のため休みだ。次回までに3週間も間隔が空いてしまうので、作業途上の作品の保管が心配になる。現在、2種類の花瓶を同時進行で製作中で、どちらも成形を終え、削りに入ったところである。あまり乾燥が進んで固くなってしまうと加工しずらいので、少し水分を与えてラップで包んでおくことにした。

日頃、精を出す対象がある人にとっては、休日は貴重で、しかも連休ともなれば楽しいことなのかもしれない。しかし、私のように、毎日が休日、に近い状態にあると、休日は世の中が混雑するだけの迷惑な日でしかない。

ネット上のニュースで目にした記事に、不景気で連休を機に生産調整を実施する製造業も多いと書いたものがあった。休みになる従業員のなかには、休日を持て余して困る、などというインタビュー記事もあった。このあたりの感覚は私には理解できない。私など、毎日が休日だが、それでも時間が足りないと感じている。このブログも毎日書くことを自らに課しているのだが、2月頃からときどき抜けが出るようになってしまって、そこを埋めるのに苦心しているほどである。尤も、「時間が足りない」というのと「忙しい」というのは全く異質の感覚だ。前者は自分がやりたいことが多く、それを実行に移す時間的余裕が無いという状態であり、後者は、自分がやりたいか否かはともかくとして、義務として実行しなければならないことが多くて時間が足りないということである。私の場合、全く忙しくない。

休日というのは、本来は、心身の健康のために、日頃の義務的習慣から自分を解き放してみるためのものだろう。それが、その休日に何事を成すべきか、などと考え出して、窮屈な思いをするというのでは、かえって心身の健康に良くないのではないだろうか。

公序良俗のなかで生活する限り、休みのとりかたくらいは自分自身で決めることができるのが本来の社会の姿だろう。欧米に比べて日本の祝日数が倍以上であるのは暦を見れば明らかだ。なかには主旨が不明瞭な祝日もある。もともと
祝日が多かった所為もあるが、1980年代に深刻化した欧米との間の貿易摩擦への対応策として祝日法が改正されたり、新たな祝日が設けられたりしたという事情は無視できない。休日を増やすということを国民が本当に望むのなら、自分の意志で自分自身の休日を設けることができるような社会にするというのが本来の人間社会ありかたではないかと思う。

連休だからといって、まるでそれが規則であるかのように、混雑した交通機関を利用して行楽地へ出かけ、休日のはずなのに、なぜか疲労困憊してしまうというのは、滑稽でもあり悲惨でもある。

「子どもたちのいない世界」

2009年04月17日 | Weblog
フィリップ・クローデルが愛娘のために書いた話を集めたもの、ということになっている。自分も毎週末に子供にメールを書いているが、これほど愉快で、読みようによっていくらでも深く掘り下げることのできる内容のものは書けない。彼は私の好きな作家のひとりだが、その奥行きのある作品にはいつも感心させられる。

本書には表題作を含め20の短編が収められている。どの話も独特の世界を描いているが、根底に流れている作者の思いは共通しているように思われる。それは、あるがままの自分を愛し、あるがままの他人を愛そうじゃないか、そしたら世界はもっと暮らしやすい場所になる、ということではないだろうか。人に欲望がある以上、あるがままを受け容れるというのは容易なことではない。

人は他人との関係なかを生きているので、好むと好まざるとにかかわらず、他人の眼を意識する。人はそれぞれに価値観という物差を持ち、不定形の世界に自分なりの座標軸を与えて、自分なりの秩序を構築して生活しているはずである。しかし、その世界観はあくまでも「自分なり」のものでしかないので、どれほど精緻な理屈をつけたところで不確定性を拭い去ることはできない。そこに不安が生じ、他人の眼が気になるようになるのだと思う。

この他人の眼が気になる程度というのは、結局は自分が持つ物差しの品揃えと信頼度の充実度合いに拠るということだろう。人は経験を超えて発想することはできない。未知のことに挑むのは勇気が要るが、新しい経験を積み続けなければ発想は豊かにはならないし、物差しの信頼度も品揃えも充実しない。「あるがまま」を受け容れるには、社会に暮らすひとりひとりが「あるがまま」を受け容れるに足るだけの多種多様な物差を持たなければならないということだろう。それが極めて困難なことであるからこそ、世の中はいつまでも落ちつかないのである。

「あるがまま」というのは、その平易な響きから、手を伸ばせば容易に届くような近しさを感じさせるが、実は久遠の理想であるように思われる。

遅桜

2009年04月16日 | Weblog
ソメイヨシノの花は殆ど散ってしまい、今は青葉が茂っている。それでも、よく見れば少しは花も残っている。枝によっては残った花と青々とした若葉が程良く混ざり合った趣深い姿になっている。

茶器の名物に「遅桜」という茶入がある。「金葉集」にある

夏山の青葉まじりのおそざくら 初花よりもめづらしきかな

という藤原盛房の歌をもとに、足利義政が名付けたのだそうだ。現在は三井文庫の所蔵となっており、ちょうど今、三井記念美術館で開催中の「三井家伝来 茶の湯の名器」という展覧会に出品されている。来週あたり観に行ってこようかと考えている。

今日は茶道の稽古があった。季節に合わせ、先生の着物の柄は「おそ桜」。軸や茶花、香、身につけるもの、あらゆるもので、その茶の席の主旨や世界観を表現するのが茶道だ。まだ今回が2回目の稽古なので、緊張感が勝っていて楽しむ余裕は無いのだが、ひとつひとつの説明に感心するばかりである。世に遊びというものもはいくらでもあるが、自分の教養や感性を総動員して相手を喜ばせることに心血を注ぐ遊びというのは、世界でも類を見ないのではなかろうか。

尤も、私の場合、茶事以前に、きちんと座るということから始めなければならない。無理に正座をする必要はないとは言われるのだが、やはり正座のほうが、所作がきれいに見えるような気がするのである。それでなるべく正座を続けるように心がけていた。すると、わずか2時間強の稽古のあいだに3回も足がつりそうになった。

戯れ言はさておき、茶の湯には以前から興味があったが、これほど面白いものだとは想像もしなかった。新しいことを始めるには歳を取り過ぎていることは承知しているが、遅桜にあやかり、少し本気で精進しようと考えている。

40分待ってでも

2009年04月15日 | Weblog
阿修羅展を観に行ったら会場入口に「40分待ち」の看板が出ていた。そのまま列に並び、40分程度待って、展示を観てきた。

平日の昼間にこれほどの行列ができる展示はそれほどあるものではない。おそらく、来場している人の多くは仏像だの美術だのの愛好者ではないのだろう。会場に入って、最初のコーナーこそごった返しているが、不思議と奥へ進むほどに展示物を観るための困難の度合いは逓減する。だから自分が観たいものならば、多少の行列は気にせずに並ぶことである。

「阿修羅展」という名が示す通り、本展の目玉は阿修羅をはじめとする八部衆と十大弟子の像であり、その展示に続く四天王像と薬王・薬上菩薩像だろう。阿修羅立像を拝むだけでも40分並ぶ価値はあるだろうが、ここは奈良時代に作られた八部衆・十大弟子と鎌倉時代に作られた四天王や薬王・薬上菩薩とを比較してみるのも面白い。製法が異なる上に大きさの違いもあるので表現に差が出るのは当然なのだが、時代が仏像に求めたものが奈良と鎌倉とでは異なるのではないかと思わずにはいられなかった。

奈良時代の仏教は、宗教である以前に、当時の先進地域である中国大陸から渡来した最新の知識であり情報であったと思う。従って、その表現に関しても、人間の内面という生々しいものよりは、むしろ、人間とはかくあるべし的な普遍性を指向したものであるように思うのである。つまり、生身の人間と仏像との間に感情という面での大きな断絶があるのではないかと感じられるのである。

対する鎌倉時代の表現は、見た目こそ異形風だが、その異形こそが人間の内面に近いもののように思われる。勿論、この時代にあっても中国大陸は日本からみれば先進地域であっただろう。しかし奈良時代に比べれば、仏教ははるかに身近になり、人々のなかで日本の風土に合わせて咀嚼され定着していたのではないかと思うのだ。そうした時代背景を勝手に想像すれば、仏を作る身にとっても、そこに込めるであろう思いは奈良時代に比べればはるかに自分自身の感情に近いのではないか。さらに言えば、人間の魔性がより明確に自覚されるようになったのではないかとすら言えると思うのである。

さて、百聞は一見に如かず、というが、奈良時代のものであろうが、鎌倉時代のものであろうが、実際の仏像はどれも一見の価値はあると思う。殊に阿修羅像の完成度の高さは、他を圧倒しているように感じられる。写真で見ると三面六臂という姿と、腕が不自然に細長くて昆虫の足のような印象を受ける。しかし、実物の存在感はそんな些細な違和感を軽く吹き飛ばしてしまう。阿修羅を含め、奈良時代の仏像は脱活乾漆造で製作されており、完成当初は華やかな色彩をまとっていたはずである。今は良い感じに枯れているが、そうした年月や古の姿を想像するのも楽しい。

「浅田家」

2009年04月13日 | Weblog
面白すぎる写真集だ。家族のコスプレ・ポートレートとでも呼ぶのだろうか。消防士とか学校の先生とか、家族4人があらゆる職業人に扮してポーズを決め、それを自動シャッターで撮影した写真を集めてある。1枚や2枚なら、それほど注目もしないだろうが、写真集という形にまとめられると存在感が違う。特にご両親がいい味を出している。年季というのはこういう風格というか、身体の内から発する空気のようなものを指すのだろう。一枚の写真が時とか人生を表現する、ということの恰好の例と言えると思う。

似て非なる

2009年04月12日 | Weblog
映画を観るのは好きなのだが、住処にテレビはなく、レンタルDVDも近所に店がないので2年近く観ていない。

自習のつもりで茶道のDVDを観た。当然のことなのだが、DVDはビデオと違って、観たいところを即座に呼び出して観ることができる。これはすごいことだと今更のように感心する。

例えば、映画を通して観る場合、DVDであってもビデオであっても違いはない。ところが、ある部分を繰り返して観たり、特定のところだけを観たり、といった細かい作業を加えようとすると、ビデオでは巻き戻しに時間がかかるし、下手をすると画像が損傷してしまうこともあった。DVDならそのような余計な手間や心配はいらない。夢のような話だ。

以前、映像翻訳の学校に通っていた頃、宿題は3分程度の映像に字幕をつけるというものが殆どだった。わずか3分の映像で交わされている言葉を拾い、その前後背景を考えながら字幕を作ることの難しさといったら、経験の無い人には想像することすらできないだろう。テープを何度も巻き戻し、原語を拾っていくのも容易でないが、それを1秒4文字、1行13文字という枠に日本語で再構成するのは職人芸の域と言っても過言ではない。人によっては早口の人もいれば、そうでない人もいる。その台詞を一律1秒4文字という日本語で表現するのである。映像翻訳というのは、つまり「翻訳」ではないのである。かといって、創作というわけでもない。あくまでも主役は映像に登場している人々であり、映像翻訳者はその裏方でしかない。裏方が勝手に創作してしまっては、原画の価値を毀損することになる。その中途半端加減がなんとなく魅力的だったが、その中途半端加減故に報酬が安く、それだけで生活するのは余程の大物にでもならない限り無理であることを認識したので、その道には進まなかった。

今は当然のようにメディアのデジタル化が進み、映像翻訳に限らずさまざまのことが以前よりも容易にできるようになっているはずである。それでも、創作という分野に画期的なものが現れないのは、人間の創造性の深さを象徴しているのか、浅薄さを示唆しているのか。