もう一度、結婚することにした。傍目には、生活力の点でも体力・精神力の点でも不安だらけなのだが、相手のある話でもあり、運とか縁といった巡り合わせのことでもあるので、ここは素直に流れに乗ってみることにした。
相手は囲碁を嗜むので、その発言に囲碁用語がしばしば登場するのだが、投じた石を活かすも殺すも、その後の手次第なのだという。自分の石に根拠を与えることで、自分の世界を展開するのだそうで、相手の手を読むことは勿論大事なのだが、自分の石が意味を持つか否かは事後的に決まるもの、いや、決めるものだという。
昨日、芸大美術館でThe Art of Gamanを観て感じたのだが、そもそも何事かをしようと思わなければ何もできないのである。道具が無いから作品ができない、ということはありえないのである。作品を作ろうと思えば、ありあわせのものを工夫して道具をつくることはできるのだ。大事なことは作ろうと思うことだ。
何もしなければ何も生まれず、ただ閉塞していくだけなので、生きている限りは何事か新しいことを作り続けなければならない。ここはひとつ、新たな一歩を踏み出してみようと思う。