熊本熊的日常

日常生活についての雑記

Big Brother

2010年02月28日 | Weblog
月末で家計のやり繰りにまつわる諸々の作業をしていて、ふと気付いた。自分の金の出入りが特定の企業に偏っている。

日々の出費は全て記録している。日付、支払先、費目、金額、支払い方法などをエクセルのシートに記入している。レシートは全てスクラップブックに貼って保存している。公共料金の通知書類も同じスクラップブックに貼り、パスモの使用履歴も駅の自動販売機で印字したものを貼り付けている。ついでながら、2006年に「ほぼ日手帳」を使い始めて以来、日々の行動も全て記録している。何時から何時まで何をしたとか誰に会ったとか、食事の内容、各種行事など、大雑把ではあるが、全て記入している。そして日記もつけている。

普段は記録するだけ、貼るだけで、それをどうこうしようというわけではないのだが、時々、思い立ってデータをいじってみたりスクラップを見返してみたりする。それで、自分の家計がセブン&アイ・ホールディングスと、或るメガバンクグループにかなり顕著に依存していることが明白になるのである。

レシートは圧倒的にセブンイレブンのものが多い。コンビニで使う金額というのは1件あたり数百円なのだが利用頻度が高い。職場の至近距離に店舗がある所為で、仕事をしながら食べる晩の弁当を買いにいったり、小腹が空いたときに饅頭や飲料を買いにいったりするのに利用している。落語のチケットもコンビニ受取を指定してあるので、セブンを利用する。利用頻度が高いのでnanacoというカードを利用しており、そのチャージに店舗内のATMを利用する。住処の近所でも、駅から家に至る間に3軒あり、やはりチケットの発券や、ちょっとつまむものを買うのに利用している。

さらに陶芸教室が池袋西武の中にあるので、受講料や焼成代金の支払いもばかにならない。さらに、陶芸の帰りに、ついでの買い物を西武ですることもある。西武はかつてセゾングループという企業集団の中核だったが、2003年に実質的に破綻した後、紆余曲折を経て2006年2月にセブン&アイ・ホールディングス傘下となり、同年6月から完全子会社だ。

さらに昨年12月からは食材の調達を生協の宅配にほぼ一本化したので、スーパーなどで食材を買い求めることがなくなり、買い物そのものの頻度が極端に減少した。宅配の支払は口座振替なので便利だ。生協以外から調達する食材は、実家から肉類、日本橋の大和屋でかつおぶし、近所の北海道物産専門店で昆布、都内のいくつかの焙煎業者からコーヒー豆を調達するくらいのものである。結局、消費財やサービスの調達先は巨大資本と作り手の姿の見えるものとに二極化していくように感じられる。

家計に関しては、おそらく給与生活者の多くは雇用主から銀行振込を通じて給与を支給されているだろう。特定の職種においては現金が行き交い、それは永久に現金あるいはそれに準じる現物のままなのだろうが、透明性を旨とする一般の経済活動においては現金による決済の割合は徐々に低下し、口座間での数字のやり取りだけで完結するようになっている。利便性から考えれば、最大の収入源を受け入れる口座に各種の支出を集中させるのが自然だろう。同じような理屈で、出費も特定のクレジットカードに集中すれば、その決済口座を給与振込のある口座とすることによって、余計な手間を省くことができる。私はなるべく現金を持たないように心がけている。財布のなかに1万円以上の現金があることは稀で、そういう状況というのは1年間に数日しかない。数百円単位の買い物でもカードで決済するように心がけており、例外としてはセブンイレブンでの買い物にnanacoを利用するくらいのものだ。

市場経済のなかで資本の自然に任せれば、競争を通じて資本の集約が進むのは当然なのだが、それが個人の生活のなかにもあてはまるということだ。企業の合併や買収の報道は日常風景の一部となり、それはひとりひとりの生活者にとっては他人事のように感じられる「風景」そのものでしかない。しかし、確実に自分の生活はそうした資本の運動のなかに組み込まれているばかりか、自分も利便性を追求する結果として資金の出入りの集約化を行っているのである。

こうしたことが積もり積もれば特定の組織に個人の行動に関する情報が集積することになる。幸か不幸かそうした情報が十分活用されてはいないようだ。たまにアマゾンなど通販サイトからのメールで「おすすめの商品」というようなものが紹介されるのだが、これは過去の購買履歴の分析によって作られたものだという。残念ながら、これまでのところは「おすすめ」されたもので食指が動いた経験は皆無である。結局、情報の収集というのは容易なのだが、収集した情報を分析して活用するというところに大きな課題が残されているということなのだろう。ジョージ・オーウェルの「1984年」に登場するBig Brotherのようなものは、物事の方向性としては実現に向かっているのだろうが、1984年には間に合わなかった。そのうち実現するのかもしれないし、あるいは永遠に実現しないのかもしれない。ただ、どちらにしても個人の生活にとっては、それほど大きなことのようには思われないのだが、どうなのだろう。すくなくとも私にとってはどうでもよいことだ。

ブルガリア

2010年02月27日 | Weblog
駐ブルガリア日本大使館に勤務経験のある人とブルガリア料理レストランを訪れた。ブルガリアという国のことなど何も知らないし、関心もないのだが、ブルガリア料理というものを食べながら、ブルガリアでの彼の日々について話を聞いてみるとつくづく面白い国だと思うようになった。

「国」とは何か、ということを考えさせられた。今の時代の日本に日本人として暮らしていると、国家と民族というものを当然の如くに重ね合わせて考えるものではなかろうか。日本は日本人という民族の国である、といわれて異を唱える人はあまりいないような気がする。これには島国としての歴史によるところが大きく関係しているのだろう。

オリンピックのように国家という旗印を背負って各国の代表選手が競技を行うような場合には、おそらくどこの国においても殊更に「国」というものが意識されるよう人々が扇動されるのではなかろうか。「国」の「代表」が「世界」の「頂点」を目指して競技をする姿は、その背後にあるさまざまな物語を含めて人々に「感動」を与えることになっている。4年に一回程度、忘れかけた頃に、人々は自国の選手と自分とを同一化して情緒的に自分の拠って立つところを確認し、無邪気に安心するのである。誰が決めたのか知らないが、4年に一度という頻度は絶妙な間隔であるように思う。毎年なら日常的に過ぎて人々の関心が向かないだろうし、長すぎても意識に上りにくいだろう。忘れかけた頃にやってくる、というのが心理を刺激するのにちょうどよい間だろう。

それはさておき、ブルガリアだが、その国名は「ブルガール人の国」というような意味なのだそうだ。ところが、純然たるブルガール人というものは、もはや存在しないという。ブルガリア語にしてもスラブ語系の言語であり、ブルガリア人とは何者か、ということが私などにはよくわからない。

欧州世界をキリスト教文化圏とすると、東欧は欧州世界とイスラム文化圏との境界に位置し、それらが激しく混合した地域である。世界遺産にも指定されているイスタンブールのランドマークのひとつ、聖ソフィア寺院などは、そうした文化の混合状況の象徴だろう。そもそもキリスト教の聖堂として建設され、その地域がイスラム文化に支配されるとモスクになり、今は地政的状況が小康を得て博物館として使われている。宗教寺院という人々の精神の拠り所を象徴するものが、その時々の支配的文化によって、敵味方に分かれて戦う勢力のそれぞれに帰属するのだから、その変化の激しさは、少なくとも現代の日本で日本人として安穏と生活している私には想像を超えたものである。

トルコの隣国であるブルガリアも、こうしたキリスト教とイスラム教の文化の混在が見られるのだそうだ。ブルガール人というのはトルコ系の遊牧民だったそうだが、前に触れたように言語はスラブ語系で、国家を構成する民族はスラブ系とトルコ系とそうした人々の混血というように、所謂「民族」という枠では括ることのできない人々である。となると、ブルガリアという国を国家という存在たらしめている根拠は何かという疑問を抱かざるを得ない。

ところで、国家とは何だろうか。特定の権力とか人種とか民族といったものは、時に国家形成の原動力となることもあるが、それが全てというわけではない。ひとりひとりの人間にそれぞれのありようがあるように、国家にもそれぞれの存在事情がある。それでも敢えて一言で表現するなら、国家とは合意だと思う。人種や民族や文化を超えて、その場所で共に暮らすという合意の表現が国家というありようなのだと思う。つまり、それは確たるものではなく、共同幻想のような集団催眠にも似た感覚がなければ容易に維持できない類のものだと思う。現にソ連は崩壊したし、ユーゴスラビアも再編されている。中近東やアフリカなどの、国境線が定規を当てたような国々などは、それが維持されていることが奇跡のようなものだろう。

国という、当然にそこに在るものと信じて疑わなかったものが、実は在ることが不思議なくらい不安定なものだったと思うと妙な気分になる。突き詰めれば、自分の存在も似たようなものである。「私」とは一体何者なのか。

ささやかな日々

2010年02月23日 | Weblog
器が3つ素焼きからあがってきた。棚に並んでいたそれらを見て、最初は恰好が良いなと感心しながら通り過ぎた。そろそろ素焼きがあがるはずなので、焼きあがったものが並んでいる棚をひとつひとつ見ていたら、その前を通り過ぎてしまったものが自分が作ったものだったことがわかり、ちょっと嬉しい気分になった。

今日はその素焼きに施釉をする。教室にある釉薬のなかで使ったことがないものがいくつもあるので、当面はそれらをひとつひとつ試してみるつもりでいる。今回は3つのうち2つにマンガンルリをかけて還元焼成、残り1つは鉄赤で還元焼成、ということにした。

陶芸の後、ハンズに寄って木工に使う板材を買う。先週、先生と相談し、ハンズの在庫にある集成材の板材はどれも可ということだったので、見た目とか店頭に並んでいるサイズなどから赤松の集成材を使うことにした。一枚板を使ってそこそこのサイズのものを作るというのは、今やかなり贅沢なことになってしまった。尤も、集成材は反りなどの変形が出にくいので、工作材としてはちょうどよい。

初めて使う釉薬とか、初めて使う木材とか、ささやかなことではあるが、日々の生活のなかで意識的に初めてのことをしてみるというのは、なんとなく胸躍る気分がするものである

間隙を縫って観劇

2010年02月21日 | Weblog
観劇ではなくて落語会なのだが、期末試験前で勉強に忙しいはずの子供を誘って、三三の独演会を聴いてきた。

落語をきちんと聴いたことがない人に、落語のおもしろさを知ってもらおうと思って聴かせる落語はなにがいいだろうかと考えた。何事も始めが肝心、とも言う。と言って、自分もそれほど落語を知っているわけでもない。限られた自分の経験のなかから、自分が気に入っている人の噺を聴いてもらうしかない。そこで、今日の三三の独演会ということになった。

結論から言えば、目論見は当たったようだ。前から5列目の通路脇という、話し手を間近に感じられる席だったことも幸運だったが、一際大きな声でよく笑っていた。古典は話の舞台が現代とはかなり違うので、噺家の情景描写でその様子を思い浮かべることができないと、話の世界に入ることができない。三三という噺家は、この情景描写が巧みで、同じ言葉が話し手によってこれほど活き活きとするものなのだということを体験するには恰好の落語家だと思うのである。

「万両婿」は、人は思い込みを重ね、その思い込みが既成事実として成立すると、たとえそれが思い込みであったことが判明した後でも、既成事実化した思い込みに現実を摺り寄せないと、現実が上手く回らなくなってしまうという話。舞台が鉄道や飛行機や電話のない時代で、旅に出るのに決死の覚悟が必要であった時代。現代の我々の眼からすれば、かなり極端な状況なのだが、我々は果たしてどれほど物事を把握しながら生きているだろうかと考えさせられる。

京橋で小間物屋を営む小四郎が、商いの商品を持って上方へ渡り、そこで商売をして、上方にあって江戸では珍しい物を仕入れて京橋へ戻ってくる。この間約半年。江戸に残る女房や大家、そのほか親類縁者にしてみれば、この半年間はブラックボックスのようなものだ。小四郎が今この瞬間、どこでなにをしているのか全くわからない。そこへ断片的な情報がもたらされる。行旅死亡人、小四郎の住所氏名が書かれた紙片。大家と小四郎の身元保証人が連れ立って死体の確認に行く。屈葬で、しかも死亡からかなりの日数が経過している。死体を見るだけでも嫌なのに、ましてや棺桶のなかに首を突っ込んでその顔を見るとか、死体の顔をこちらに向けて確認するどころではない。見覚えのある衣服というだけで、本人であると認めてしまう、という決定的な思い込み。これが既成事実として「遺族」に伝えられ、「遺族」が成立。「死んだかもしれない」は「死んだ」に変わる。そこから新たな事実が積み上げられる。小四郎の従兄弟が未亡人の後見に、やがて新たな亭主に。新しい生活が回り始めたところへ、小四郎が上方から帰って来る。しかし、既に小四郎に新秩序の下での居場所はない。そこで小四郎は奉行所、即ち、国家権力という権威に裁きを願い出る。奉行所の役目は秩序の維持である。たまたま小四郎と誤認された死人は神谷町の有名な小間物の大店である若狭屋の主だった。しかも、巨額の身代と若くて美しい未亡人がついている。奉行は小四郎に亡くなった若狭屋の主の身代わりになることを提案、小四郎が同意して一件落着となる。事実誤認を是認するという判断だ。しかし、それで物事が丸く収まるなら、つまり既存の秩序が維持されるなら、あるいは、既存の状況を是認するという合意が関係者の間で交わされるなら、誤認は誤認ではなくなるのである。

「橋場の雪」は夢と現実とが混然とする滑稽を語ったものである。これも、何が夢で何が現実かというのがわかりにくい話にすることで、現実だと思っていることの儚さを語っていると思う。大店の若旦那が屋敷の離れで酒を飲んで、うとうととして夢を見る。その夢の話を女房に語り、夢の中のことに女房が嫉妬して泣き、その泣き声を聞いて飛んできた大旦那が若旦那を叱り、叱られた若旦那は自分の夢のことで泣いたり怒ったりしている二人を見て笑う、という状況も興味深い。同じことが観る人の立場によって全く違って見えるということを上手く表現している。

落語として聴くと、上手い話だねぇ、ということでさらっと流してしまうのだろうが、我々が生きる社会の真実を巧に表現しているのが落語だ。そこでは、世に事実というものが存在するのではなく、事実が存在するという合意によって現実が成り立っているということが活写されている。また、我々が生きる場というものが、実はとらえどころないものだからこそ、見ようによってどのようにも見えるということも上手く表現している。その深さを座布団の上で殆どなんの道具立てもなく語って聞かせる。座布団があって、そこに人が座り、何事かを語ることでそこに世界が広がる。世の中というのは、結局は落語の舞台のように無なのだ。私は、緞帳が上がり、誰もいない舞台の上に座布団だけがあり、出囃子が鳴り出す直前の、それまでざわついていた客席が一瞬だけ静まる、その間がなんとも言えず好きだ。その虚無の静寂の空間に世の中の本質を見る思いがする。

子供は、昨日、学校の郊外学習で能を観劇してきたそうだ。私は能を観たことがないのだが、子供は友達に能を習っている人がいて、その発表会に呼ばれて出かけたりしているので、既に昨日が3回目だ。能は物語の展開などはわからないのだが、全体の雰囲気が好きなのだという。想像するに、能も落語と同じように、観る側に見立ての能力がなければ楽しむことができないのではないだろうか。能舞台という、何も無い空間で能面をつけた演じ手が一定の形式の下で物語を紡ぐ。しかし、何も無い空間であるからこそ、そこに無限の世界が広がるとも言える。今度は能を観てこようと思う。

今日の演目(開演14時 閉演16時)
きつつき 「新聞記事」
三三 「万両婿」
(仲入り)
三三 「橋場の雪」

尻が皸

2010年02月18日 | Weblog
入浴したとき、尻がひりひりと痛んだ。あかぎれになっているようだ。

陶芸や木工のときは、泥や木屑などで着ているものが汚れるので、古くなったチノパンツを作業着として使っている。陶芸は空調のある部屋なので問題はないのだが、木工は作業場の広さの割には小さな石油ストーブが唯一の暖房だ。それよりなにより、おそらく、古くなったチノパンの生地がかなり薄くなっているのかもしれない。陶芸、木工と週に2日連続してその薄手のズボンをはいていて、このところ寒さがきついので、尻から大腿部にかけての比較的薄手の皮膚がやられてしまったのだろう。そろそろズボンを買って、今はいているズボンのなかから作業ズボンにおろさないといけないと思いながら、もう少し我慢していれば、そのうち暖かくなるだろうとも思う。問題の2日間の後は、寒いときは寒いなりの衣類を身につけるので、週末あたりにはあかぎれも癒えるだろう。そうなると、またズボンを換える意欲が低下する。そんなことを繰り返しながら季節は巡る。

遅延証明

2010年02月17日 | Weblog
昨日の仕事帰り、よりにもよって自分が乗るはずの電車が隣の有楽町駅で人身事故に遭遇してしまい、寒空の下で40分も待たされることになった。事情が事情なので駅改札に戻って駅員に電車の利用をやめてタクシーで帰る旨を伝えればPasmoの入場取消処理をしてくれるはずだが、せっかくの機会なので、人身事故に遭遇したまさにその電車を待って、帰ることにした。

乗るはずだったのは東京駅を0時38分に出る山手線内回り。事故発生は0時36分頃ということになる。事故発生と同時に東京発0時40分の京浜東北線赤羽行きも新橋で立ち往生となった。ついでに山手線外回りも京浜東北線南行きもすべて運転見合わせだ。

月半ばの火曜の終電は空いている。東京駅を発着するどの線よりも遅い時間の電車なので、他の線から乗り換え客が次から次へと、というようなことがない。10分経っても30分経っても、ホーム上の人影の数はあまり変化がない。寒くて身体が縮こまる所為なのか、あまり苛々している様子の人もいない。5分おきくらいに駅の放送で事故関連の情報が伝えられる。結局、人身当事者は1時05分頃に救出されたとの放送があり、1時20分に京浜東北線赤羽行きが到着した。山手線の運転再開も近いとの放送があったが、身体が冷え切ってしまったので、とりあえず先に来た京浜東北線に乗る。

最後尾の車両に乗った。車掌が緊張している。そりゃそうだろう。40分も遅延して、おまけに終電である。酒が入った客に絡まれないとも限らない。この時間になると駅職員の姿も殆どない。絡まれたが最後、孤立無援だ。しかし、40分遅延しても車内は何事もなかったかのように空いていて静かだ。秋葉原で、ちょっとおかしな奴が乗ってきたが、そういうのは事故があってもなくてもよくあることだ。40分遅れのまま田端に到着。そこで、山手線内回りと接続を取る。駅の放送によれば、山手線は日暮里に到着しているとのこと。5分ほどでその山手線が到着。先頭車両には血痕とか肉片が付いたままなのかと思って注目していたのだが、やはり何事もなかったかのようだった。

結局、巣鴨には定刻に45分ほど遅れて到着。改札に付属している駅事務室には2人の駅員が直立していた。そこで遅延証明をもらい、改めて自動改札から外へ出る。もらった遅延証明には遅延した時間が空欄になっている。ここに時刻を刻印しようと思えば刻印することもできるのだろうが、空欄の需要が多いのだろう。その昔、タクシーの領収書が手書きだった頃、「サービス」と称して領収書の束を1冊もらったことがある。買い物をしたときにもらうレシートを無闇に捨てる人が多いが、領収書というのは時として有価証券になるということを忘れてはいけない。私はレシート類はすべて保存してある。尤も、感熱紙のレシートの場合、時間の経過とともに印字が薄れてただの紙切れと化しているものも少なくない。遅延証明も何かの役に立たないとも限らない。しかし、とりあえずのところは今日の記念である。

事故で電車が遅れても、見た目の風景は何も変わったことがない、ということを知った。でも、寒かった。

本来の姿

2010年02月16日 | Weblog
シチューを作った。ロンドンで一人暮らしを始めて以来、シチュー鍋ひとつで煮物も炒め物も料理している。フライパンがないので、パンケーキとかチヂミとか薄手の焼き物はできない。手持ちのシチュー鍋を使ってできる範囲でしか料理をしなくても、特に不自由はないのでそのままにしている。ところが、これまでシチュー鍋でシチューを作ったことがなかったのである。特に理由はないのだが、なんとなくそういうことになった。

12月に生協の宅配の勧誘があり、利用してみることにした。新規加入特典として、いくつか無料でいただいたものがある。そのなかにシチューのルーもあったので、それを利用してみたのである。自画自賛になるが、たいへんおいしくできた。

シチューというと自分のなかでは何故か映画「誰が為に鐘は鳴る」なのである。戦場での食事のシーンで、なにやら野菜や肉を煮込んだものを食べているところが妙に印象に残っていて、その煮込み料理が自分のなかではシチューと決め付けられている。シチューを食べているとき、自分はゲーリー・クーパーなのである。

もちろん、映画のなかでその料理が登場するのは戦場なのでシチュー鍋は使われていない。記憶が定かではないが、たぶんコッヘルのようなもので調理しているのだろう。シチュー鍋でシチューを作る、というのは当然のことなのだが、その当然のことができるようになったことが、なんとはなしに生活がきちんと回転し始めたことの象徴のように感じられて、妙に嬉しい。

生協の宅配を利用するようになってから、スーパーでの買い物がほぼ無くなった。宅配は週一回だが、昼間外出していて自炊をしない日もあるので、一回の配達分だけで一週間の食材がほぼ賄える。値段は特別安いわけではないし、小売店に並んでいるものと違って、大きさや形がばらばらのものがひとつのパッケージにまとめられていたりするのだが、味がしっかりしている。おかげで調味料の使用量が激減した。買い物を楽しいと感じることはあまりないのだが、届いた宅配の箱を開けるときは不思議と心が踊ったりする。

健康診断

2010年02月15日 | Weblog
今日は健康診断を受けた。会社勤めをしていれば、従業員に年に最低1回の健康診断を受けさせることが雇用者に義務付けられているので、こうして受けることになる。以前の勤務先で、健康診断を受けたことがないという同僚がいた。彼の言い分では、あんなものは無用だというのである。自分の直接の知り合いではないが、健康管理に熱心な人で、半年毎に健康診断を受けていたにもかかわらず、癌が発見され、しかもそれが末期癌だった、という人もいた。

確かに、病気の早期発見早期治療というのは健康管理の基本であろう。しかし、人は遅かれ早かれ必ず死ぬ。これまで事ある毎に書いているが、人は生まれることも選べなければ死ぬことも選べない。自殺するというなら話は別だが、与えられた生を与えられた範囲内で生きるのが生き物の定めである。それを数年ばかり無理に伸ばしてみたところで、どれほどの意味があるのかとも思う。

これまで何社もの会社を渡り歩いてきたので、いろいろな病院で健康診断を受けてきた。大学を出て最初に就職した会社には、社内に診療所があって、そこで受けていた。その会社の後は、外資系が殆どなので、契約先の病院での受診となった。築地の聖路加病院、代々木の鉄道病院、飯田橋の厚生年金病院、歌舞伎町の社会保険新宿健診センター、そのほかにオフィスビルのなかにあるクリニックなどである。当然ながら、どこの病院でも検査内容に大きな違いがあるわけではない。

それでも傾向としては、年々、設備がきれいになっている。医療機関といえども商売だ。いかに効率よく客を集め、その客を回転させるか、ということはやはり経営課題としては大きなことだろう。そのひとつとして、企業の健康診断を請け負うというのは大いに有効な方法だ。今日は勤務先近くのビルのなかにあるクリニックだったが、前回2007年の時には一般診療と受付は別でも一部検査フロアが重複しているところがあった。今回は健診フロアと一般診療フロアとが完全に分離されていて、受診者が同一時間帯に5人程度と少人数なので、30分ほどで一気に様々な検査が済んでしまった。あと、採血の時の注射針も細くなったのか、看護師の腕がよかったのか、刺さる時の痛みが殆ど感じられなかった。これも前回までとの違いとして気づいたことだ。

この調子で、病気になったときも苦痛なく治療を受けることができて、死ぬときも楽に旅たつことができれば言うことはない。

「翔ぶが如く」

2010年02月14日 | Weblog
漸く最後の10巻目を読み終えた。この作品を読む前に「竜馬がゆく」は読むべきだと思うし、できればこの作品を読んだ後に「坂の上の雲」を読みたい。今回は順序が前後してしまったが、これらの作品をまとめて読むことで、人間というものの大きさもについても小ささについても考えることができるように思う。

「竜馬がゆく」では日本という国のあるべき姿を真剣に考えていたかのように描かれていた志士たちの多くが、いざ政府という権力側の人間になると、実は何の考えもなかったということが露呈したのが明治のはじめの頃の状況であったようだ。そのあたりの混乱を象徴したのが西南戦争なのだろう。しかし、こうした不安定というものは日本に限ったことではない。人間は基本的に変化を好まない。習慣に依存した思考や行動に走ることで精神の安定を実現する、というのは古今東西どこでも観察されていることだ。どこの国であれ、革命という急激な社会の変化が起こると、その直後に反革命という揺り戻しが起こるのは、そうした人間の性向と、行動の報酬に関する期待値と現実との乖離を埋める試みなのだろう。そうして揺れながら、時の権力者にとって都合の良い状況に着地するという過程を辿ることが多いのではないだろうか。いずれにしても、結局のところ人を動かすのは利であって理ではないようだ。つくづく人間とはなんと愚かなものかと思わずにはいられない。その馬鹿げた状況が、太平洋戦争を経て、今日まで綿々と続いている。人が変わる、社会が変わる、ということがいかに困難なことであるか、改めて思い知らされたような気がする。

初夜

2010年02月13日 | Weblog
笑福亭鶴瓶 Japan Tour 2009-2010 White セカンドシーズンの初日である。場所は秩父。客演は秩父出身の林家たい平。午後1時半から3時半まで、谷中でお茶の稽古に出た後、池袋に回り、4時半発の特急に乗って秩父へ。6時の開演5分前に会場に着いた。外は雪。

鶴瓶の落語を聴くのはこれが初めてだ。2007年9月下旬以来、テレビの無い生活なので、それ以前にテレビで観た記憶と、映画「ディアドクター」や「おとうと」での印象しかない。映画では主演の割には、少しぎこちない感じが無きにしも非ずだが、全体の雰囲気としてはいい味を出していると思った。それで是非、本職の落語を聴いてみたいと思っていたら、このチケットを取ることができたのである。

今日、MCのなかで本人が語っていたのだが、落語家なのに落語はあまりしないのだという。それが今世紀に入ってから意識的に落語をするようになったのだそうだ。所謂独演会なのだが、前座が無い。いきなり本人の噺で始まる。落語をあまりしないので、自己紹介を兼ねた演目として「ALWAYS お母ちゃんの笑顔」である。題名は「ALWAYS 3丁目の夕日」に着想を得たのだろうが、あの映画と同じようにノスタルジーを感じさせる、どことなく情緒的な噺である。落語会の演目として、彼の落語をあまり聴いたことがない観客に「この人、ええ人やわぁ」と思わせるのに恰好のツカミだと思う。噺が、というより、落語会の構成として上手い。なによりも自分という商品を客に対してどう見せ、客をどう魅せるかということを客の立場になって考えていることが伝わってくる。この最初のネタを聴いただけで、彼が何故これほどの人気なのかが了解できた。

客演のたい平を聴くのは今回で2回目。こちらも人気のある落語家なのだが、私にとってはなんとなく間合いに違和感を覚える。たまたま自分の手許に五代目小さんのDVDで「粗忽長屋」があったので帰宅してから観た。私は芸事については何もわからないが、自分の持つリズムのようなものと落語家の語りの間とが、合う場合とそうでない場合とが、やはりあるようだ。うまく表現できないのだが、小さんの「粗忽長屋」を観ると気持ちよく笑いが湧き上がってくるのだが、たい平の噺だと多少の緊張感が残る、というような心持がするのである。

「子は鎹」は古典ではあるが、鶴瓶はマクラのなかで女性の力が強くなったというような話を振っておいて、本題に入ると本作の男女の設定を逆にしたものを口演していた。オリジナルでは飲んだくれで女郎屋通いばかりの亭主に愛想を尽かした女房が子供を連れて家を出てしまう。何年か経過して後、心を入れ替えて真面目になり、世間での信用を回復した父と偶然再会した子供が、父親から子供の小遣いにしては少し大きな金額の金をもらう。子供を通じて父親が改心したことを知り、亭主がお膳立てをした鰻屋で再会した元夫婦がよりを戻す、という話である。これが鶴瓶の話では、夫婦の設定は同じだが、亭主に愛想を尽かした女房がひとりで家を出てしまうのである。そして経験豊かな女中として大店の女中頭に出世した女房が、これまでに抱えた借金の返済に四苦八苦の父親の下で欲しいものを我慢しながら生活している息子と偶然出会い、彼に少し大きな金額の小遣いを与えることになっている。そして女房のほうがお膳立てをした鰻屋で亭主と再会してよりを戻す。

時代の変化に合わせて噺の設定や構成を変えるのは当然のことなのだが、変えたことによって筋の流れに引っ掛かりができてしまうというのはいただけない。別れた片親から小遣いをもらった子供が、一緒に暮らすほうの親にその金をみつかり、その出所を追及される場面がある。子供は「男の約束」だからといって、最初は口を割らないのである。父親と息子が男どうしの約束ということで「男の約束」というのがオリジナルなのだが、小遣いを渡すのが母親で、その小遣いのことを父親に言わないと約束するのを「男の約束」とするのは、やはりちょっと違和感を覚える。「男は約束を守るもの」という解釈で「男の約束」のまま噺を流してしまうこともできないことではないのだが、それなら「女は約束を守らない」ということを暗に言っているようなものになって具合がよくないのではなかろうか。この部分はもうひと工夫欲しいところだと思った。

今日の演目(開演18時、閉演21時)
1 鶴瓶 「ALWAYS お母ちゃんの笑顔」
2 たい平 「お見立て」
(仲入り)
3 たい平 「粗忽長屋」
4 鶴瓶 「子は鎹」

「おとうと」

2010年02月12日 | Weblog
吉永小百合を観ているだけで満足で、ほかのことはどうでもよい、という作品。冗談はともかく、いかにも山田洋次作品という感じの安心感があった。なにがどうというのではないのだけれど、「男はつらいよ」などはDVDボックスを買おうか買うまいか、かなり真剣に悩んだほどである。結局は買わなかったのだが、現実の生活が世知辛いからこそ、たまにはこういう映画でも観て心のマッサージをしてみたい。

家族や親戚縁者が多いと、そのなかに破天荒な人物が混じるのは自然であるような気がする。私の場合は、自分自身を含めて、世間的にはどうしょうもない人々ばかりのなかで暮らしてきた。だから、小春の一回目の結婚相手のなんとなく嫌味な雰囲気などは、そういう態度を示されてきた側として、かなり納得できるものだ。若い頃は、そういう自分の状況を恥ずかしいと感じることも多かった。しかし、年齢を重ねる毎に恥という感覚が薄れる所為なのか、それなりに人生経験を積んで世間体だの見栄だのという薄っぺらなものを信じなくなった所為か、あるいは単なる慣れなのか、身の回りの人たちのことが気にならなくなった。それゆえ、吟子が鉄郎を気にかける様子も自然なことだと思えるし、一方で庄平が鉄郎に関わりあいたがらない様子も当然のことと受け止めることができる。小春が、幼い頃に鉄郎に遊んでもらって楽しい思い出を持ちつつも彼の今の姿に辟易する、複雑な感情を抱えているであろう様子も了解できた。

ちょっと困った兄弟とか叔父がいたりするけれど、他にこれといって劇的な要素のない、市井の普通の人たちの暮らしが淡々と描かれる、こうした作品を観ていると、なんとはなしに心温まるものを感じる。映像のなかに自分の生活を重ね合わせる要素を無意識に見出し、それが穏やかな結末に向かうことに安心する所為なのかもしれない。

ところで、吉永小百合の美しさは、冗談抜きで特筆ものだと思う。作品のなかで彼女の後姿が何度も登場するのだが、それが素晴らしい。首筋から肩、腰に向かうラインに抱きしめたくなるような魅力がある。以前にも書いた記憶があるのだが、体型というのは勿論体質も関係するだろうが、生活習慣、さらには人生観までをも反映するものだと思っている。どのような意識を持って日々の生活を送っているのか、どれほど誠実に日々の物事に向き合っているのか、そうしたことが食事や身体の動きという生命活動の根幹に反映されると考えているからだ。後姿の美しい人を見ると、思わず自分の背筋も伸びるような心持になる。

確定申告

2010年02月11日 | Weblog
休日は人出が多いので、なるべく外に出ないようにしている。今日はとうとう一歩も外へ出なかった。

家庭を持っていた頃は、家に居るのが苦痛だったが、独り身となった今は、家に篭っていることが快適だ。このまま何日でも家の中で過ごしていたいほどである。基本的に暇なので、本を読んだり落語のDVDを観たり、このブログの原稿を書いたりして過ごしている。ただ、今日は生憎と確定申告の書類を作らなければならなかった。早く申告すれば、その分早く還付金を受け取ることができるので、懐具合が怪しい身としては、一刻も早く現金収入を得るべく、ここが奮起のしどころなのである。

社会人になって25年になるが、ほぼ一貫して給与生活者である。勤め人というのは気楽なもので、税金だの健康保険だのという面倒なことは全て勤務先の企業が計算をして納めてくれる。だから、おそらく給与生活者の多くは、生活費のなかで税金がいかに大きな割合を占めているかということに気づいていないと思う。勿論、生活費の構成には世帯差がある。しかし、おそらく絶対金額として最も大きいのは食費で、それに次ぐのが所得税と住民税と消費税を合わせた税金だろう。持ち家の人ならば固定資産税と都市計画税もこれに加わる。給与生活者にとってありあがたいことに、必要な書類を勤務先に提出すれば、年末に所得と納税額とを計算して余計に納めた税金を年末調整として戻してもらえる。

しかし、そうした煩雑な事務を丸々他人任せにせず、自分で少しでもかじってみれば、さらに戻すことができる。その機会が毎年2月15日から3月15日までの1ヶ月間限定で受け付けてもらえる確定申告だ。広く知られているのは年間10万円を超える医療費に対するものなのだが、他にもいろいろあるので、あらゆる可能性を探る価値はあると思う。

国税庁のほうも、以前に比べれば懇切丁寧に様々な手段を講じて確定申告をしやすい環境を整えている。少し使い勝手に難があったり、わかりにくいことがあったりする部分もあるが、ネットで所定の数字を入力していくだけで還付の有無がわかるシステムがある。ついでにそのままネットで確定申告書を送付することもできる。但し、これにはそれなりの用意がなければならない。

この電子申告システムが、何年か前から稼動しているe-Taxと呼ばれるものだが、これを利用するにはカードリーダーを用意しなければならない。昔と違って本人確認というのがやたらと面倒な時代になってしまったが、カードリーダーを買い、本人確認のためのカードを申請してまでe-Taxを利用しようという人がどれほどいるものなのだろうか。なるべく利用者に負担をかけさせずに物事の普及を図る、というのは民間では当たり前の発想なのだが、役所はなんだかんだ言っても上から目線で国民に対する習慣があるので、利用してもらいたいのかもらいたくないのか、わけのわからないシステムを、おそらく何十億円もかけて作ってみたりするのだろう。その開発費は税金で賄われているという意識は、たぶん無い。あれば、もっと考えるはずだ。どうしたら、費用対効果の大きなことができるだろうか、と。

ちなみに、ロンドンで暮らしているときは、年末調整というものが無かったので、自分で年末に税金の調整をすることになっていた。この制度を”Tax Return”と言うのだが、誰にとっての”Return”かということを明示していないところがミソである。英国でも企業が従業員に代わって所得税を給与から天引きして納税するが、そもそも「年末調整」という発想がないので、毎月可能な限り過不足なく徴収するというのが基本である。住民税については各自が自分で納税する。日本でも「普通徴収」を選択すれば自分で納税するので、これも同じといえばいえなくもない。さて、年末の”Return”だが、カードリーダーなど無くともネットで申告が可能である。そして私の場合、わずかな金額ではあったが、追加で納税することになってしまった。納税の場合、その金額が5ポンド以下なら翌年に繰り越して、翌年分と合算して支払うこともできるが、帰国が決まっていたので、きちんと納めてきた。ちなみに、その金額は1.8ポンドだった。

私にとっては英文というハンディがあるにもかかわらず、日本の確定申告のサイトよりは英国のもののほうが使いやすかった。それでも、ネット上で確定申告に必要な各種書類を作成できるようになったのは有り難いことだ。もう少し使い勝手のよいインターフェースなら申し分ないのだが、日本の役所にそんなことまで期待できまい。

結局、今日は確定申告の書類を作成し、明日、それを税務署に郵送すれば、受付開始日の15日に受領されるだろう。還付はいつになるだろう?

馬子にも衣装

2010年02月10日 | Weblog
陶芸を習い始めて間もない頃に作った練り込みの板作りの器がある。板作りなので、ひとつの粘度塊からいくつもできる。そのときは10客作ったのだが、改めて見るとなかなか味があるので、これらを5客ずつ収める箱を作ることにした。桐で外箱を作り、シナベニヤで棚板を作り、出前の岡持のような蓋を付けた。箱は収納のためにあるもので、その有無は器自体には何の影響もないはずのものなのだが、箱があると何故か立派な器であるかのように見える。こういうのを「馬子にも衣装」というのだろうか。衣装である箱も収める器に負けず劣らず粗末なものなのだが、箱も中に入れるものがあることで、ちょっとばかり活き活きとするように感じられるのは、作り手の贔屓目に過ぎないのだろうか。

「抱擁のかけら」(原題:LOS ABRAZOS ROTOS)

2010年02月08日 | Weblog
タイトルは英語で表示すると”The broken hugs”。本作の場面のなかで破られた写真の断片をつなぎ合わせるところがあるので、それに掛けて邦題は「かけら」としたのだろう。

作品は、エンターテインメントとして気楽に楽しむにはよいが、それほど面白いとも思わなかった。恋に落ちるということがわからないではないが、物語がベタで脇役が活きていないように感じられた。盲目の主人公というと「Scent of a Woman」を思い出し、点字をまさぐる手に官能的な色彩を与えるというようなことも誰もが思いつきそうなことだし、シーツ越しの絡みは「The Last Emperor」で見覚えあるし、という具合になんとなく見覚えのある部分品をつなぎ合わせて、そこにペネロペ・クルスを冠しただけのように見えてしまうのである。そのペネロペにしても、そろそろ新境地の開拓が必要なフェーズに入っているように思われる。ふと、本作にも描かれている監督と女優との特別な関係のようなものがあるのではないかと勘繰りたくなるような思いが頭をもたげないでもない。

それにしても、濡れ場の表現というのは難しくなったと思う。動画サイトでは素人から玄人、その中間のような人たちによるありとあらゆる性行為場面を観ることができる。「草食系」という、そうした粘着性の行為には関心がないかのような人たちも増えているというようなことも耳にするが、情報としてはいつでもどこでもどのようなものにでも触れることができるといえる。そういう状況の中で、中途半端な濡れ場を映像作品のなかに盛り込むと、それによって全体の興が醒めてしまうということに製作者側は気づくべきだろう。

手の官能性というのはよく取り上げられることである。点字をまさぐる主人公の手を真上から捉える映像は興味深い。しかし、それが活きていない。ペネロペの足がアップになるところも、やや苦しい感じが無きにしもあらずだが、面白い映像だ。赤いハイヒールを履いた血管の浮き出た生足が、カツカツと歩く様子をアップで捉えた映像である。この直後に、ペネロペはパトロンの男性に階段から突き落とされる。足を骨折して膝のあたりに痣ができ腫れ上がるのだが、傷つくのは膝の前後で足ではない。足をアップにしておいて、直後の事件を挟んで、膝に焦点を当てるというのはちぐはくな感じを受ける。赤いハイヒールの足のシーンが全く発展しない。これではただのスケベ爺の与太話になってしまう。

以前、「阿修羅のごとく」という映画のなかで、壮年の姉妹が女の踵について語るシーンがあった。男性との関係の有無は踵を見ればわかる、というようなことを言うのである。母親の踵は鏡開きの頃の餅のようだと。あれでは父親は…。それはともかくとして、手とか足とか髪とか、身体の末端というのはその人の心のありようを端的に活写しているように思う。若い頃は、異性の身体を観るときに、顔とか胸とか腰とか身体の中央に意識が向くものだが、年齢を重ねると意識が末端に向かうようになる。それなのに、多くの人はそういうところに大きな注意を払っていないように見える。ネイルアートに凝る人も少なくないようだが、それは上っ面の装飾でしかないことが殆どで、何故、金をかけてまであのような間抜けな化粧をするのか理解に苦しむ。本当の美しさというのは、適切に使用されていることが感じられる姿だと思う。きちんと自分自身で自分の身の回りのことをして、自分がするべき仕事をして、五感を駆使して人として適切に生活をした結果として、そうした生き様が身体のなかで最も活動量の多い部位に反映されるものだと思う。いわば、用の美、というようなものがきちんと生きているひとの身体に現れるものだと思うのである。

ところで、作品のラストシーンで主人公が、映画は完成させてこそ価値がある、というような台詞を吐く。私はスペイン語を解さないので字幕が正しいのかどうかわからないが、物語の流れとか、この作品自体から想像するに、「映画は、どんなに駄作でも、完成させることに価値がある」と言っているように思える。

連覇ならず

2010年02月07日 | Weblog
AERAのアンケートに関連した記事に、また自分のコメントが載るかと期待していたが、今回は外れた。小沢事件について、小沢氏と特捜に対するものだったが、そもそも記事が2頁しかなく、コメントは元特捜検事に限られていた。この雑誌の政治記事によく登場する元特捜検事は、私がかつて裁判を闘った時の敵方の代理人だ。正義の味方面してもっともらしい発言をしているが、金のためならどんな客の代理でも引き受ける人である。

知り合いで金融機関のリスク管理部門に勤めていた人がいるのだが、その人の勤め先では顧客開拓として未だ取引のない中小の上場企業に片っ端から営業をかけたのだそうだ。そうしたら「あの会社は反社会的組織の嫌疑あり、っていうことで却下しましたよ」とのことだった。「あの会社」とは、その裁判の敵方のことである。