熊本熊的日常

日常生活についての雑記

1月に逝く

2007年02月28日 | Weblog
新聞に訃報欄がある。どのような人の訃報が新聞に載るのだろうかと思い、日本経済新聞の朝刊に掲載された訃報をスクラップしてまとめてみた。亡くなってすぐに掲載される人もいれば数日後に掲載される人もいるので、今日は既にデータが出揃ったとみられる1月の死亡分にについてまとめた。

訃報が掲載されたのは98名。享年の最大値は98、最小値は52、平均値は79.3である。最も多い年齢層は80歳代で39名、続いて70歳代が26名、90歳代が15名、60歳代が12名、50歳代が6名だった。性別の記載は無いが、氏名や喪主の続柄から推測すると男性96名、女性2名であり、享年の平均はそれぞれ79.1歳、89.0歳である。参考までに2006年7月25日に厚生労働省から発表された「平成17年簡易生命表」によれば男性の平均寿命は78.53歳、女性が85.49歳である。

98名中94名に死因の記載があるが、このなかに事故死はない。死因は、届け出に基づいており、本当の死因につてはわからない部分もある。ただ、年齢が高い程、心肺系の病気が多く、年齢が下がるにつれて肝臓、膵臓など心肺以外の臓器の病気が増える。また、癌も年齢が低いほど多い。90歳代で死因の記載がある13名のなかで癌が死因と書かれている人はひとりもいない。逆に50歳代では6名中4名、60歳代では死因の記載がある11名中7名、70歳代では26名中10名、80歳代では死因の記載がある38名中5名が癌である。

葬儀の喪主は、記載があった91名中60名が妻、24名が長男だった。

告別式あるいはお別れの会の場所は、記載があった71名のうち36名が東京都、9名が神奈川県、4名が福岡県、埼玉県と兵庫県が各3名、京都府、千葉県、広島県が各2名だった。首都圏が50名ということである。

皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

「世界最速のインディアン」

2007年02月22日 | Weblog
事を成すのに必要なのは知恵と合理性であって物量ではないのだと考えた。

話の舞台は1962年のニュージーランド。40年以上前に手に入れたバイクを、速く走りたいという情熱だけで、自分で改造しながら乗り続けている男が念願の世界最速を成し遂げる物語だ。

興味深いのは、バイクの改造は長年培った経験と知識に基づいた独自の方法で行われており、決して最新の技術によるものではないということだ。経済力にものをいわせて時々の最新の技術や素材を駆使すれば、その時点で実現しうる最良のものができるというわけではないのである。

自分が生活をする世界のことを我々はどれほど知っているのだろうか。「最新」とか「最先端」と呼ばれるものは、おそらく、ある特定の分野のなかの限られた考え方なかで最先端であるに過ぎないのだろう。世界は未だ解明されていないことに満ちている。それは知識あるいは技術という誰の目にも明らかな外部的なことだけではない。自分自身についても、どれほどのことがわかっているだろうか。平均寿命が50歳だろうが100歳だろうが、殆ど何もわからないままに生を終えてしまうものなのだろう。だからこそ、世界はいつの時代も愚行と蛮行に満ちているのである。

作品のなかで、主人公がヒッチハイカーを拾うシーンがある。彼は休暇中の軍人で、ベトナム戦争で枯葉作戦に従事しているという。ベトナム戦争も、この作戦も米国が誇る物量でベトナムを圧倒しようという発想によるものだ。軍人は戦争がほどなく終結するという話をする。それに対して主人公は自分が従事した第一次世界大戦の話をする。やはりすぐに終わると言われながら、そうはならなかったというのである。

主人公が世界最速に挑戦しようと考えてから、それが実現するまでに25年を要した。愛車の改造を重ね、資金を蓄え、周囲の人々からカンパを受け、漸く目的を成就させるのである。そこには最新技術もなければ専門知識もない。主人公の真摯な思いとそれを実現するための知恵、そんな彼を支える周囲の人々の善意が世界最速記録更新という進歩を可能にしたのである。まだまだ人間には希望があるのかもしれない。