Kuniのウィンディ・シティへの手紙

シカゴ駐在生活を振り返りながら、帰国子女動向、日本の教育、アート、音楽、芸能、社会問題、日常生活等の情報を発信。

ミツワの「味の素の冷凍餃子」は大丈夫!

2008-02-10 | アメリカ生活雑感
土曜日にミツワに行くと、かなり込んでいる。今日は時間帯がずれたせいか、すいていた。日本での餃子問題が心配になったので、先週、冷凍コーナーで、子供たちの好きな「味の素の冷凍餃子」がどうなっているか確認した。注意書きがたらしてあって、「ミツワの味の素の冷凍餃子は、オレゴン州ポートランドで作っているから、安全。」と書かれている。よかった!

冷凍餃子は、夕方習い事の日の忙しい時など、焼くだけで、簡単に一品できるから、重宝する。そして、勿論、うちの子供たちのお弁当の一品としても欠かせない。日本人学校全日校は、ご存知、木曜日を除いて、毎朝弁当を子供たちは持っていかなくてはいけない。私たち母親の一日は、この弁当作りがそこそこ大仕事である。最初の頃は、「ああ、弁当作りさえなければ・・・」とぼやいていた。しかし、毎日とにかく作らなければいけないので、適当に手抜きもしながら、(実は毎日手抜きしてるけど)冷蔵庫の物を組み合わせながら、なんとか一週間を終える。弁当を作り終わって、子供たちをバスストップに送ると、「ああ、一仕事完了!」という気持ちになる。

冷凍餃子以外でもさまざまな冷凍物が弁当には欠かせない。金平ごぼうの冷凍、コロッケ、魚の小分けされた冷凍パック、たこ焼き、から揚げなどなど。日本のスーパーに比べて、品数は少ないが、この一品で、弁当作りの時間がかなり短縮されるので、まさにミツワの冷凍さまさまなのである。

冷凍物を手にとって、どこで作られているかチェックして見ると、日本だったり、サンフランシスコだったり。はたまた、海老フライは、なんとタイ産であった。今までミツワの商品がどこで作られているかあまり気にしなかったけど、かなりの商品が、アメリカで作られ、日本と同じ味に仕上がっていることに気付いた。

日本の食品会社が、アメリカで、現地の人たちをトレーニングし、日本の味にしているのだろう。おかげで、私たちも日本食が新鮮で、安全に食べれる。ありがとう!

かつて、私たちが、80年代にニューヨークとニュージャージーにいた頃は、こんな食材は手に入らなかった。私は留学生で、主人は収入もさほど高くない駐在員に毛がはえたようなエンジニア職。車を持つなんて夢のまた夢。日本人はまったくいないような治安の悪い場所のぼろホテルの1ベッドルームに住み、日本食は1ヶ月に1回ぐらい古いものをマンハッタンの小さなお店で購入していたような記憶がある。日本の新聞もマンハッタンの紀伊国屋で(その頃の紀伊国屋は今の紀伊国屋の5分の1ぐらいの大きさだったかなあ)たまにしか購入しなかったなあ。マンハッタンの日本食レストランで深夜までウェイトレスのバイトもしたし。マンハッタンをてくてく歩き回り、電車で、いつもペンステーションから20分ぐらいかかる自分たちの住んでいるニュージャージー州のエリザベスという駅まで帰った。その当時でもおそらく日本人が多く住むフォートリーにヤオハンというスーパーは存在したのだろうけど、そこに行ったこともなく、日本人コミュ二ティと私たちは無縁であった。美容院もまったく行かず、コーヒー一杯も飲まず、節約していた貧乏留学生の1人だった。

その頃に比べると、私たちのアメリカ生活は、一変した。どっぷり日本人コミュニティの中心に住み、車2台、ミツワ行き放題、インターネットで日本情報には事欠かず。部屋だって、広々。快適、快適。

と考えると、弁当作りなんて、楽なもんよ!上の息子の食べる量がすごいので、1年以上前にミツワで大きな弁当を保温するランチジャーを購入した。お茶碗1杯以上の量のほかほかのご飯に、おかずを目いっぱい入れ、おまけに味噌汁まで入れちゃう。あげくのはて、ホールフーズの上等のリブアイステーキ(間違いなくオーガニック)まで焼いて、オーガニックのサラダと共に弁当に入れちゃう。息子は、さぞや、ランチタイムが楽しみであろう。もしかすると、今の私たちの贅沢な食生活は、貧乏なあの頃の反動ではないか。

冬は寒くてシカゴの生活は大変だけど、日本人学校やミツワ、そして日本クリニックが近くにあるので、幸せな駐在生活を送れていると思う。ミツワの従業員の方々いつもご苦労様です。


写真は、味の素の冷凍餃子と息子たち愛用のランチジャー