今日は、おそらく1年以上ぶりに、日本クリニックを訪れ、親子3人でインフルエンザの予防接種を受けた。(今頃で、かなり遅いけど)ここのところ、子供たちはまったく病気をせず、うれしいことに、日本クリニックにお世話にならずにすんでいる。去年インフルエンザの予防接種を受けて以来だ。久し振りに子供たちのかかりつけの先生に会えるかと思いきや、出張でいらっしゃらなかった。残念!重要なことを聞いたのだが、看護婦さんの話では、最近インフルエンザがはやってきているという。手洗い、うがいをお忘れなく!
日本クリニックのかかりつけの先生には、息子たち2人が小さな頃からずいぶんお世話になった。上の息子が、日本にいた小さい頃から低学年にかけては、アレルギー性鼻炎からくる喘息の症状がときどきでていたので、ちょっとしたことでも、「もしかして、喘息?」と疑って、病院にはまめに足を運んで、ひどい時は、薬を吸入していた時期があった。今の図体のでかい息子からは、考えられないが。よく子供たちは、体力がつくと、自然に喘息も治るというが、まさにその通りであった。シカゴの土地も体に合っているのか、こちらにきてから、アレルギーの症状がぴたりと止まった。
それでも、小学校5年生ぐらいまで、2回ぐらい風邪をこじらせて喘息になり、それがひどくなり、肺炎になりかけたことがあった。一時帰国のとき、日本でアレルギー症状がでて、喘息になり、治らずにシカゴに帰ってきて、日本でもらった薬が切れたので、いつもの咳止めのラビタッシンを飲ませたのがいけなかった。ますますせきが止まらなくなり、肺炎になりかけていて、喘息の時にそのラビタッシンを飲むと、症状が悪化すると先生に言われて驚愕した。「とんでもないことをした。」と深く反省し、アメリカの薬局で買える薬は、使い方で危険なことになると肝に銘じた。タイラノールやモートリンなど、熱がすぐ引き、親にとって便利な薬が多いが、日本の薬より強いのだろう。歯槽膿漏用のうがいをする薬をあやまって飲んで、全身にジンマシンがでて、1週間全身がかゆかったことも息子は経験している。皆様、こちらの薬はよく調べてから慎重にお使いください。
上の息子が小学5、6年生になると、卒業式の練習などで立ちっぱなしだと貧血で倒れたりと、誠にお騒がせな奴であった。よく、私の携帯に担任の先生から呼び出しがあり、学校に行くと、事務所に息子が寝ていた。(当時の担任の先生、本当にお世話かけました)かかりつけの先生の話だと、この貧血症というのは、これぐらいの年齢の子供たちに多く、治しようがなく、水分をよくとるしかないとか。主人も高校生の頃、駅のホームで貧血で倒れ、線路に落ち、近くの人が引っ張りあげてくれて、(その直後に電車がきた)九死に一生を得たという経験があるので、父親譲りの体質であるといえる。中学部の先生、長時間立ちっぱなしのときは、どうか息子のことをよろしくお願いします。
また、忘れもしない事件が、上の息子は、小学3年生の交流学習の時、(たしか肺炎になった直後のことだ)バッファロー・グローブの現地校で突然倒れて、現地校の先生の計らいで救急車で運ばれた。息が苦しそうで、足腰がたたなかったのが、いけなかった。「どこかおかしい箇所があるのでは?」と疑われたのである。検査のため、アーリントン・ハイツにあるノースウェスト・コミュニティ・ホスピタルに入院し、一泊。脳のCTスキャンを含むあらゆる検査の結果、どこも悪くなく、どうやら単なる貧血だった。またまた、お騒がせな!しかし、ゲームし放題の、いい食事がでて、ホテルのような病院の待遇のよさに、「また入院したくなった。」と息子はのたまった。このときも、日本クリニックのかかりつけの先生は、次の日の朝早く、コミュニティ・ホスピタルに息子を見舞ってくださった。確か、このときの請求書の額は、4500ドル以上であったかと記憶している。大方保険でまかなったので、払ったのは数百ドルだったであろうか。やれやれ。しかし、どこも悪くなくてよかった。
日本クリニックや慶応ノースウェスタン・クリニックなどの日本人のお医者さんがいる病院があるので、私たちも安心して、シカゴに住める。やはり、何かあったときに、日本語で対応してもらえるのが、本当に有難い。
去年の3月花粉症の時期に日本に一時帰国したとき、上の息子は、かなりひどい花粉症の症状がでた。今年も3月に一時帰国するので、今日はそのための薬を処方してもらった。その薬で、症状がとまるといいのだが。
しかし、上の息子に比べて、下の息子は小さい頃から丈夫だ。プリスクール時代から、病気で学校を休んだという記憶がまったくない。好き嫌いが上の息子よりあって、夜遅くまで起きているときもよくある。なぜ、こんなに丈夫なのか不思議である。上の子よりも下の子のほうが強いのだろうか。
しかし、こんなに息子たちが、シカゴの土地になじんでしまって、日本に本帰国したときが、なんだかこわい。
日本クリニックのかかりつけの先生には、息子たち2人が小さな頃からずいぶんお世話になった。上の息子が、日本にいた小さい頃から低学年にかけては、アレルギー性鼻炎からくる喘息の症状がときどきでていたので、ちょっとしたことでも、「もしかして、喘息?」と疑って、病院にはまめに足を運んで、ひどい時は、薬を吸入していた時期があった。今の図体のでかい息子からは、考えられないが。よく子供たちは、体力がつくと、自然に喘息も治るというが、まさにその通りであった。シカゴの土地も体に合っているのか、こちらにきてから、アレルギーの症状がぴたりと止まった。
それでも、小学校5年生ぐらいまで、2回ぐらい風邪をこじらせて喘息になり、それがひどくなり、肺炎になりかけたことがあった。一時帰国のとき、日本でアレルギー症状がでて、喘息になり、治らずにシカゴに帰ってきて、日本でもらった薬が切れたので、いつもの咳止めのラビタッシンを飲ませたのがいけなかった。ますますせきが止まらなくなり、肺炎になりかけていて、喘息の時にそのラビタッシンを飲むと、症状が悪化すると先生に言われて驚愕した。「とんでもないことをした。」と深く反省し、アメリカの薬局で買える薬は、使い方で危険なことになると肝に銘じた。タイラノールやモートリンなど、熱がすぐ引き、親にとって便利な薬が多いが、日本の薬より強いのだろう。歯槽膿漏用のうがいをする薬をあやまって飲んで、全身にジンマシンがでて、1週間全身がかゆかったことも息子は経験している。皆様、こちらの薬はよく調べてから慎重にお使いください。
上の息子が小学5、6年生になると、卒業式の練習などで立ちっぱなしだと貧血で倒れたりと、誠にお騒がせな奴であった。よく、私の携帯に担任の先生から呼び出しがあり、学校に行くと、事務所に息子が寝ていた。(当時の担任の先生、本当にお世話かけました)かかりつけの先生の話だと、この貧血症というのは、これぐらいの年齢の子供たちに多く、治しようがなく、水分をよくとるしかないとか。主人も高校生の頃、駅のホームで貧血で倒れ、線路に落ち、近くの人が引っ張りあげてくれて、(その直後に電車がきた)九死に一生を得たという経験があるので、父親譲りの体質であるといえる。中学部の先生、長時間立ちっぱなしのときは、どうか息子のことをよろしくお願いします。
また、忘れもしない事件が、上の息子は、小学3年生の交流学習の時、(たしか肺炎になった直後のことだ)バッファロー・グローブの現地校で突然倒れて、現地校の先生の計らいで救急車で運ばれた。息が苦しそうで、足腰がたたなかったのが、いけなかった。「どこかおかしい箇所があるのでは?」と疑われたのである。検査のため、アーリントン・ハイツにあるノースウェスト・コミュニティ・ホスピタルに入院し、一泊。脳のCTスキャンを含むあらゆる検査の結果、どこも悪くなく、どうやら単なる貧血だった。またまた、お騒がせな!しかし、ゲームし放題の、いい食事がでて、ホテルのような病院の待遇のよさに、「また入院したくなった。」と息子はのたまった。このときも、日本クリニックのかかりつけの先生は、次の日の朝早く、コミュニティ・ホスピタルに息子を見舞ってくださった。確か、このときの請求書の額は、4500ドル以上であったかと記憶している。大方保険でまかなったので、払ったのは数百ドルだったであろうか。やれやれ。しかし、どこも悪くなくてよかった。
日本クリニックや慶応ノースウェスタン・クリニックなどの日本人のお医者さんがいる病院があるので、私たちも安心して、シカゴに住める。やはり、何かあったときに、日本語で対応してもらえるのが、本当に有難い。
去年の3月花粉症の時期に日本に一時帰国したとき、上の息子は、かなりひどい花粉症の症状がでた。今年も3月に一時帰国するので、今日はそのための薬を処方してもらった。その薬で、症状がとまるといいのだが。
しかし、上の息子に比べて、下の息子は小さい頃から丈夫だ。プリスクール時代から、病気で学校を休んだという記憶がまったくない。好き嫌いが上の息子よりあって、夜遅くまで起きているときもよくある。なぜ、こんなに丈夫なのか不思議である。上の子よりも下の子のほうが強いのだろうか。
しかし、こんなに息子たちが、シカゴの土地になじんでしまって、日本に本帰国したときが、なんだかこわい。