万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

東京オリンピック―”スポーツマンシップの祭典”に

2013年09月08日 15時34分21秒 | 国際政治
最終プレゼンが勝因=IOC委員の評価―2020年五輪招致(時事通信) - goo ニュース
 本日明朝、アルゼンチンのブエノスアイレスで開催されていたIOCの総会において、2020年のオリンピック・パラリンピックの開催地が東京に決まったとするニュースが飛び込んできました。前回に立候補した際には落選しておりますので、先の東京オリンピックから56年ぶりに、日本国は開催国の大役を務めることになります。

 オリンピックは”参加することに意義がある”とも称され、全世界の国々のスポーツ選手たちが集うスポーツの祭典です。古代ギリシャ世界で開催されていた古代オリンピックでも、この時だけは武器を置いて、全ギリシャのポリス代表がオリンピアに参集しました。オリンピックは、闘いの場であると同時に、ポリス間の交流の場でもあったのでしょう。近代オリンピックでも、この意義は失われておらず、テレビ放送が普及するにつれ、全世界の人々は、身近にオリンピックの競技を視聴することができるようになりました。そしてそれは、オリンピックが、スポーツマンシップを学ぶ、貴重な機会となったことをも意味しています。ロンドン・オリンピックをはじめ、近年のオリンピックでは、審判買収疑惑や選手のドーピング、さらには、政治的なアピールなどの問題が頻発し、必ずしもスポーツマンシップが行き届いているわけではありませんでした。スポーツとは、ルールに則って正々堂々と闘われないことには、その勝敗さえ、不正なものと見なされます。不正が横行した大会は、思い出したくもない忌まわしい記憶としてしか、人々の心に残らないのです。東京オリンピックは、日韓共催ワールドカップと同じ轍を踏まぬよう、最もフェアなオリンピックを目指すべきではないかと思うのです。”勝つためには手段を選ばず”では、スポーツマンシップを踏みにじるようなものです。

 東京オリンピックが、模範的な”スポーツマンシップの祭典”ともなれば、世界中の子供達も観戦しているのですから、教育的な効果も全世界に広がることでしょう。最後に、スポーツマンシップに則り、共に誘致を競ったスペインのマドリッド、そして、最後の決戦投票に共に臨んだトルコのイスタンブールに対し、お互いの健闘を心から讃え合いたいと思うのです。

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コメント (2)
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