万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

アクセルとブレーキを同時に踏み続ける中国の行方

2013年09月20日 11時09分05秒 | アジア
活動家ら200人を拘束=習主席就任後、引き締め強化―「新公民運動」弾圧・中国(時事通信) - goo ニュース
 韓国の反日狂気も然ることながら、中国の支離滅裂振りもまた、一般の人々の理解の範囲を超えています。正反対の政策を、同時に遂行するのですから。

 急激な経済成長の副作用として、中国は、一党独裁体制下における組織的腐敗と、利権を握る党幹部への富の集中という問題を抱えています。国民間の貧富の格差は広がる一方であり、富を独占する支配層に対する国民の不満も、当然に高まります。不満を和らげるために、習政権は、腐敗の一掃を政治目的の一つに定め、実際に、見せしめのためか、何人かの腐敗幹部が処分を受けています。内外から注目を集めている簿煕来裁判でも、石油利権をめぐる汚職が徹底的に追及されました。習近平主席は、”貧しくても平等”という意味で、共産主義に忠実であった毛沢東のイメージに自らを重ねているとも指摘されています。しかしながら、その一方で、幹部の資産公開や教育チャンスの不公平是正を訴える「新公民運動」に対しては、支援するどころか、弾圧を強めています。本心から腐敗の撲滅を目指しているとするならば、幹部の資産公開に反対する理由はなく、機会の均等化も国民の不満を改称する重要な政策のはずです。習政権は、一方で腐敗撲滅のアクセルを踏みながら、その一方で、必死になってブレーキをかけているのです。

 通常、支離滅裂で矛盾に満ちた行動には、何か、良からぬ理由があるものです。中国政府の対応は、資産公開によって幹部の利権漁りや蓄財が知れ渡れば、共産党一党独裁体制は持たない、と、当局側が確信していることを暗示しています。あるいは、習主席は、毛沢東の如く、唯一、主席が崇拝される体制を目指しており、”汚職追放”のスローガンは、ライバル達の”公職追放”の手段に過ぎないのかもしれません。国民に対して正直になれない故に、ブレーキとアクセルを同時に踏み続ける中国は、一体、どこに向かおうとしているのでしょうか。それとも、身動きがとれなくなり、自壊へと向かうのでしょうか。

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コメント (2)
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