万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

敗戦国=犯罪国家観への疑問

2015年05月10日 14時29分58秒 | 国際政治
中露首脳、歴史観めぐり共同歩調 対独・対日の「共闘」確認(産経新聞) - goo ニュース
 第二次世界大戦におけるドイツ降伏から70年を迎え、世界各地では、先の大戦に関する行事や報道が目立つようになりました。ロシアで開催された対独ドイツ戦勝記念式典では、”ドイツのナチズムと日本の軍国主義に対する勝利”として盛大に祝っているようです。

 近代以降、国際社会が、国際法によって律せられるに至ったことは、人類にとりまして歓迎すべきことです。しかしながら、今なお、法の支配の確立が目指すべき将来像として強調されている背景には、現実には、国際法を順守しない国が存在していると共に、全ての問題を司法解決できない現状があります。況してや第二次世界大戦当時にあっては、現在以上に国際法がカバーする領域は狭く、かつ、国際制度も欠陥に満ちておりました。いわば、過渡期にあったわけですが、中途半端な状況にあったことは(国際軍事法廷と講和条約の二本立て…)、第二次世界大戦を評価する場合、問題を残すことにもなりました。それは、司法的な観点が持ち込まれたことで、敗戦国の戦争犯罪が糾弾され、有罪認定されてしまうことです。第一次世界大戦にあっても、戦争の直接的な原因がドイツあったわけではないにも拘わらず、「ヴェルサイユ条約」第231条の規定により”有罪”と見なされ、戦争責任を負わされました。つまり、世界大戦の戦後処理では、敗戦国の行動は刑法上の”犯罪”として扱われ、賠償責任も含めて敗戦国=犯罪国家に認定されてしまうのです。しかしながら、戦争に至る経緯を注意深く観察しますと、一般の犯罪とは違い、100%敗戦国に責任があるとは言えない場合が少なくありません。現実には、複雑な対立要素が絡み合って戦争に至っており、両陣営の責任の度合いには様々な比率があります。しかも、陣営対立となりますと、同盟条約が発動されますし、陣営間のそれぞれの二国間の関係を見ますと、さらに責任比率の濃淡はまだらとなります。

 国際裁判は確かに平和的な紛争の解決手段ですが、実のところ、その本領は、戦争に至る以前の段階での解決であり、戦争後にあって、戦勝国が敗戦国を一方的に犯罪国家として裁くのであれば、司法本来のメリットが生かされているとも思えません。敗戦国=犯罪国家観は、結局は、真の戦争原因の追究を困難とするとともに、倫理的な判断さえ狂わせてしまうと思うのです。

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コメント (2)
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