万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

”NPTは刀狩論”の払拭を-”持たざる者”の恐怖

2015年05月22日 09時22分20秒 | 国際政治
 昨日、ニューヨークで開かれているNPT再検討会議において、最終文書の草案が公表されたそうです。各国首脳に被爆地訪問を提唱した日本政府の提案は、広島と長崎の地名は削られたものの、かろうじて”被爆経験の共有を促す”とする表現で残される見通しとのことです(採択の可否は未定ですが…)。

 ところで、日本提案に対する中国の強固な反対は、NPT体制に対する非核保有国の不安をこれまで以上に高めることになりました。中国は、公然と核の使用を正当化したからです。NPTについては、実のところ、非核保有国の間では、密かな疑いが広がっていました。表向きは、非人道的な兵器である核兵器の拡散を防止する、という目的を高らかに掲げているのですが、真の目的は、核保有国による”刀狩”ではないか?という…。豊臣秀吉が命じた刀狩令がよく知られておりますが、”刀狩”とは、鎌倉期からしばしば行われてきた僧や農民を武装解除させる方法です。国民各層が広く武器が保有している状態では、いつ何時反乱や内乱が起きるか分かりませんので、時の為政者が、武士以外の者に武器の保有を禁じ、軍事力を独占したのです。確かに、平和の維持には効果的ですが、一般の国民にとりましては、メリットばかりではありません。武力に訴えることはもはやできなくなりますので、いかに理不尽な扱いを受けても、軍事力を保有している側に従わざるを得なくなるからです(抵抗手段の没収…)。”刀狩”による平和とは、”持つ者”の支配的地位と”持たざる者”の従属的地位との組み合わであり、”持つ者”に対する何らの規制やチェックもなく、かつ、モラルが低下しますと、核の脅しによる抑圧体制に転じかねないのです。

 NPT体制についても、”持たざる者”である非核保有国は、常に”刀狩”の恐怖に苛まされています。今般の最終文書をめぐる日中間の議論の応酬では、中国がNPTに参加している目的が”刀狩”であることも判明しました。NPT体制が”刀狩”ではないことを核保有国が具体的な行動で示さない限り、非核保有国の疑いと恐怖心を払拭することは難しいのではないかと思うのです。

 よろしければ、クリックをお願い申し上げます。


にほんブログ村 政治ブログへにほんブログ村

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする