万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘選択と集中’への疑問―IT大手は逆を行く

2020年06月09日 11時50分36秒 | 国際政治

 日本国内では、大手企業の業績不振が報じられるたびに、回復策として‘選択と集中’が叫ばれます。採算性の低い部門を選択的に切り離し、利益の出る部門に経営資源を集中すべきであると…。あたかも万能薬のように提起されるこのスリム化方針、果たして適切な方向性なのでしょうか。

 ‘選択と集中’とは、グローバル時代の申し子でもあります。アメリカの大手IT企業や中国等の躍進を前にした日本企業の相対的停滞の主因は、しばしばグローバリズムの波への乗り遅れが指摘されてきました。これまで手広く事業分野を広げてきた日本企業は、時代遅れとなった不採算部門を整理し、グローバル時代に成長を見込める主力部門のみを残せば、サバイバルのチャンスがあるというのです。この方針に従い、これまで、多くの企業が組織改革を実行し、‘不要’とみなした部門を手放してきました。

 グローバリズムにあって生き残りの策として‘選択と集中’というスローガンが登場してきたのですが(GMのCEOであったジャック・ウェルチ氏の著書の誤訳とも…)、グローバリズムの‘勝者’であり、かつ、最先端を走るIT大手を見ますと、実のところ、同方針とは真逆の経営方針で臨んでいます。フェイスブックは、会員制の交流サイトから始まりましたが、実現が危ぶまれているとはいえ、デジタル通貨の発行を伴うリブラ構想を打ち出すことで、今や既存の国際通貨制度を脅かすまでの多角化を見せています。書籍通販サイトに始まるアマゾンも、今では、クラウド事業により政府の情報管理部門にまでビジネスを広げています。ネット検察サービス会社であったグーグル社も負けてはおらず、自動運転システムや量子コンピューターの開発により、次世代の産業をリードしようとしているのです。中国のアリババ・グループに至っては、これら全てを自らの事業に取り込む勢いなのです。

 IT大手は、プラットフォーマーである点において共通しております。いわば、経済並びに社会インフラを私的に保有しているに等しく、経営の多角化においては極めて有利な立場にあると言えましょう。プラットフォームを利用すれば、如何なる事業も飲み込むことができるのですから。このため、経済の全体的な支配が懸念される巨大な‘財閥(コングロマリット)’を形成しており、今日では、競争法の観点からその貪欲な企業買収に対して規制の強化が試みられているのです。

 それでは、非IT系の従来型の企業による‘選択と集中’とプラットフォーマーでもあるIT大手による経営の多角化という、正反対の流れが同時に進行した場合、一体、何が起きるのでしょうか。予測される結果とは、IT大手側のさらなる膨張と非IT系企業の先細りであり、そして、グローバルレベルにおける市場の寡占化なのではないでしょうか。‘選択’の結果として分離された事業は、同分離事業を本業とする他のグローバル企業に譲渡されるかもしれませんし、IT大手ではなくとも、海外ファンドや中国等の外国企業によって安値で買い取られるかもしれません。米中のようなIT大手を有さない日本国は、自国企業が‘選択と集中’を推進すればするほど、海外のIT財閥への譲渡と、それによる経済支配が拡大してくることとなりましょう。そして、日本国の大手企業が本業に‘集中’したとしても、14憶の巨大市場、並びに、海外企業の買収を介して巨大化した中国企業との競争に敗北する未来も予測されるのです。

 それでは、日本企業も‘財閥化’すればよいのか、と申しますと、それでも国内の市場規模を考慮すれば、規模の経済が強力に働くグローバル時代にあって米中巨大IT企業を前にしての生き残りは難しいと言わざるを得ません。むしろ、IT大手の‘グローバル財閥化’にこそ歯止めをかけるべきであり、国際レベルでの独占禁止の強化こそ必要とされているとも言えましょう。そして、経済全体の方向性としても、徒な不採算部門の切り捨てよりも、企業規模の大小に拘わらず、経営の自立性が保護されることで個々の企業の自由度が高まり、人々のアイディアや工夫が生かされるような柔軟で分散的なシステムを目指すべきなのではないでしょうか。


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