万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

監視者を監視する民主的システムが必要では?

2020年06月10日 13時08分03秒 | 国際政治

 ITの急速な発展もあり、デジタル化の勢いは増すばかりです。全てがネットで繋がる社会は、人類の未来図として既定路線化しているかのようです。情報通信の分野のみならず、製造業においても自動車の自動運転化や家電製品のIT化が国を挙げて推進されており、経済活動から日常生活に至るまで全てがIT化されたスマートシティの建設も目前に迫っています。

 その一方で、IT先進国中国では、同技術は政府による国民の徹底監視に最大限に利用されており、人類の行く先に暗い影を落としています。デジタル化により、個々人の行動や発言は全て情報として収集し、データとして保存し得るのですから(デジタル化されない場合は瞬時に消える…)、公私に拘わらず、生涯に亘って個々人の全人格的な把握が可能となるからです。国家が体制維持を最優先課題として位置づけるとすれば、反体制的な国民を敢えて収容所送りとしなくとも、体制への従順度を判定基準とし、就学や就職等の機会において排除し、さらには、デジタル人民元の下で購買時の決済に不可欠となる金融口座も与えなければ、その日の食事にさえ事欠く状態に追い込むことができます(目に見えない強制収容所…)。否、体内にマイクロチップを埋め込めば脳内さえもコントロールされ、もはや人々は、自らの理性を働かせることさえできないようになるかもしれないのです。

 香港市民が北京政府による国家安全法の適用に抵抗する理由も、こうしたディストピアの出現を予感しているからなのでしょう。その一方で、中国本土では、国家主導による全面的な監視体制に対して然したる反対運動は起きていないようです。ITを用いた各種サービスの高い利便性ゆえに、政府による言論弾圧やプライバシーの侵害等について、国民の多くは目を瞑っているというのです。経済分野では自由化したとはいえ、中国国民は半世紀を超えて共産主義体制に慣らされてきましたので、そもそも自由やプライバシーに対する権利意識が薄いのかもしれません。

 それでは、自由主義国ではどうでしょうか。自由主義国にあっても、国家ではないIT大手による情報独占のリスクが指摘されております。情報支配の問題は中国限定ではなく、自由主義国でも他人事ではありません。利便性の向上を根拠としたIT化はあらゆる分野に及び、利用者は、選択の自由を失うと共に、否が応でもその利用を半ば強制されてしまうのです。

 しかしながら、利便性の高さが必ずしも心地よさや安心感を意味するわけではありませんので、人々の言動の情報化はストレスともなります。誰とも知れない外部者に常に監視されている状態となるのですから、獄中の囚人の心理と大差はなくなります。目下、ある研究グループが、‘私生活が監視されている状態に、人間は、どこまで耐えうるのか’という実験を行っているそうですが、その結果が待たれるところです。生体測定を目的としたスマートウォッチもその装着自体がストレスを与えるかもしれませんし、高齢者や子供の安全を確認するための‘見守り’用の監視カメラも、24時間監視される本人たちにはストレスとなるかもしれないのです。況してやガラス張りのようなスマートシティともなりますと、そこが‘ユートピア’なのか‘ディストピア’なのか、もはや分からなくなってくるのです。

 現状を見ますと、テクノロジーが牽引する利便性の向上にも自ずと懐疑的になるのですが、今般の新型コロナウイルスの感染拡大は、‘利便性か監視か’のジレンマに加えて、‘生きるべきか監視されるべきか’の選択を迫っているようにも思えます。そして、後者の場合には、接触を介して感染するウイルスというものの性質上、全ての人々の命に関わるだけに、事態はより深刻なようにも思えます。いわば、命を人質に取られてしまっているに等しいからです。そしてここに、自らの命を護るために、情報を独占する上部の監視者の存在を認め、自らを‘囚人’とすることに合意してしまうという、パラドックスが見受けられるのです(最も狡猾な戦略は、相手に自らの力で自らを倒させること…)。

 この論理、個人の権利保護から始まって絶対主義体制の正当化を帰結してしまったホッブスの思想をどこか思い起こさせるのですが、果たして、人類は、このパラドックスから抜け出すことはできるのでしょうか。少なくとも、政府であれ、民間のIT大手であれ、‘監視者を監視される側が監視する民主的なシステム’が必要でありましょうし、監視者を隠れた存在にせず、監視者自身の情報こそ全面的に公開されるべきなのかもしれないと思うのです。

コメント (2)
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