万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

左右の思想対立が永遠に続く理由-統治と統合から読み解く

2020年06月24日 12時56分29秒 | 国際政治

 政治と申しますと、フランス革命以来、思想やイデオロギーにおける左右対立が基本的な構図として定着してきました。二項対立は、選択者がどちらを選んでお不利益をこうむるように誘導する‘二頭作戦’に容易に利用されますので、注意を要すべき構図なのですが、左右の思想対立は、それが意図的であれ、無意識的であれ、もとより永遠に続くように設定されているように思えます。

 永続性と言う限りは、二つの思想の間には、決して噛み合うことない次元の違いが存在しなければならないこととなります。立脚しているレベルが異なれば、双方は平行線を辿るしかないからです。それでは、左右対立に永続性を与えている次元の違いとは、一体、どのようなものなのでしょうか。この問いかけに対して答えるには、統治と統合との区別が役立つように思えます。

 左派の思想の特徴とは、普遍性を求める姿勢にあります。歴史や伝統といった過去から継承されてきたものは遺物に過ぎず、何らの価値をも認めようとはしません。全ての人間に備わっている理性に照らして首肯し得るもの、すなわち、合理的なものだけに価値を置くのであり、この観点からすれば、国家もその固有の歴史や伝統、あるいは、国民性も消え去るべき存在とならざるを得ないのです。左派による国家に対する攻撃性は、まさにその普遍的理性崇拝にその根源を見出すことができましょう。

 その一方で、比較的普遍性の高い統治システムにつきましては、その合理的な思考は、必ずしも破壊的な方向性のみを示すわけではありません。国民の益となり、民主主義を深化させるような制度改革は、しばしば左派から主張されます。既存のシステムが時代の変化や人々の精神的なレベルと合わなくなった際に、左派の合理的な精神が創造的な方向に発揮されるケースも稀ではないのです。普通選挙制度などもその典型と言えるでしょう。

もっとも、統治の分野にあっても、国家を否定する左派の立場からしますと、防衛、安全保障、外交といった国家の枠組みを前提とした政策分野については、その存在自体に対して否定的です。このため、時にして、左派の政治家の口からは、売国的、あるいは、亡国的な政策が平然と語られるのです。一方、経済の分野では、国境を越えた市場の拡大を意味するグローバリズムとは親和性が高く、自国の産業や雇用を護るよりも市場開放を優先します。左派とは、歴史的には労働運動として始まりましたが、グローバリズムにあって生産拠点や雇用の取り合いが生じている現状からしますと、思想としては、むしろ‘資本主義’と歩調が合っているのです(国家統合ではない普遍的な‘世界統合’は支持…)。

 それでは、右派はどうでしょうか。右派は、その思想的な軸足を統合に置いています。国家や国民の枠組みとは、如何なる国であれ、各々の固有の歴史を経て形成されてきたものですので普遍性はありません。そして、歴史や伝統、固有の言語等の尊重も、過去から未来へと受け継がれてゆくべき時間軸における統合とも言えましょう。左派が普遍性を以って政治にアプローチしているとしますと、右派は、固有性を以って政治を捉えており、時空における国家の枠組みの維持は国家存立と同義ともなり、その保持は至上命題となるのです。このため、統治の分野にあっては、国家の枠組みを維持するための防衛はとりわけ重要な政策領域となります。

もっとも、経済分野にあっても、本来であれば、右派は、国民保護の立場から自国の産業や雇用を護るべき立場にあるはずです。しかしながら、今日の右派は、左派とは異なる文脈からグローバリズムに同調的です。互恵性を説く素朴な自由貿易理論を信じている点も挙げられますが、自国企業のグローバル展開を期待する場合には、積極的な拡大政策として支持するケースも少なくありません(何れにしても、左右両社とも、グローバリズム推進派となってしまう…)。

その一方で、統治制度の改革につきましては、過去からの継承を重視しますので、消極的とならざるを得ません。合理的に考えれば変わるべきにも拘らず、統合を揺るがすリスクと捉えるのですから、基本的には制度改革を嫌う傾向にあるのです。このため、右派の保守性が国家の発展を阻害する要因ともなりかねません。栄えある国家を希求しながら国民が不条理や不合理な制度に耐えねばならず、かつ、時代にも取り残されるという本末転倒も生じてしまうのです。

以上に述べてきた左派と右派との統治と統合に対する基本的な態度を比較しますと、両者が全くかみ合っていないことに気が付かされます。そして、両者の狭間にあって、国民は、双方のデメリットのみで合成される‘キメラ政治’に翻弄される、あるいは、二頭作戦の下で左右からの挟撃にあう可能性も高くなるのです。左右の二項対立の構図から脱却するためにはまずは統治と統合を区別し、両者の立脚点の違いを明確にすることで(双方の欠落部分を認識する…)、政治を不毛の思想・イデオロギー対立の場から政策論争の場へと転換すべきではないかと思うのです。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする