万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

「ジョブ型」は企業の生命力を奪うのでは?

2020年06月18日 12時40分36秒 | 日本経済

 本日6月18日の日経新聞朝刊の一面に、新型コロナウイルスの感染対策として導入が広がったテレワークと関係づけながら、「ジョブ型」と呼ばれる社員評価制度に関する記事が掲載されておりました。「ジョブ型」とは、職務内容、並びに、それに必要となる能力を管理職の社員に事前に提示し、その達成度を基準として報酬を決定するというものです。近年、推奨されてきた年功序列主義から成果主義への転換の一環として理解されるのですが、この方式、どこか社会・共産主義を思い起こさせるのです。そしてこの問題は、‘人にとって働くこととは何か’という根本的な問題をも問いかけているように思えます。

「ジョブ型」とは、社員の能力や成果が報酬にストレートに反映されるのですから、勤労意欲を引き出しこそすれ、社会・共産主義批判は的外れのように聞こえることでしょう。労働と報酬との間の比例性のみに注目すれば、フェアな関係が成立しているようにも見受けられます。しかしながら、それ以前の問題、即ち、職務内容と要求能力の側面に視点を移しますと、社員は、経営戦略を立案し、それに沿って人員を配置する権限を有する企業中枢側の計画に従うだけの存在ということになります。社員は組織の歯車の一つに過ぎず、企業中枢の関心は、‘如何にして組織全体が円滑に動かし、自らの目的を社員を以って達成させるのか’ということにしかないのです。成果主義の導入も、歯車を円滑に動かすための誘導装置なのでしょうが、この仕組み、政府が排他的に経営計画を決定し、その命令の下で国民が労働を強いられる社会・共産主義の統制経済と似通っているのです。

唯物論よろしく、人を機械の一部と見なすのですから、そこには、かつての日本企業に見られた村落共同体的な温かみは見当たりません。職場とは、個々人がノルマをこなすだけの場となり、横の繋がりも断ち切られてゆくことでしょう。そして、AIやテレワークの普及は、この傾向にさらに拍車をかけるかもしれません。何故ならば、社員各自の評価はAIに任せれば一瞬のうちに済みますし、テレワークがグローバルレベルで導入されれば、空間の制約を受けることなく、全世界から自らの計画に最も適した人材を採用できるからです。かつて、ローマ帝国は、‘分割して統治せよ’という手法を編み出し、支配地が結託してローマに抵抗することを阻止しようとしましたが、今日の‘企業統治’は、社員を全世界に分散雇用することで、ますます企業の経営権を専有する中枢部による‘独裁体制’を強めるかもしれないのです。因みに、社会・共産主義国にあっても、‘労働者が団結する’ことは、あってはならないことでした(イデオロギーにおいて矛盾する…)。

近年、グローバリズムにも逆風が吹くようになり、17世紀以来の資本主義も修正を迫られております。多様なステークホルダーの利益を考慮する方向へと向かってはおりますが、日本企業における「ジョブ型」の導入拡大は、この方向性にも逆行しているように思えます。そして何よりも、「ジョブ型」という経営者と個々の社員が経て方向にのみ結びつくような雇用形態は、企業としての生命力を失わせてしまうことでしょう。行き着く先は、かつての社会・共産主義諸国のような冷淡な官僚主義の蔓延であり、組織自体が硬直化してしまうかもしれないのです。デジタル化社会は、多様な人々の意見がぶつかり合い、そこから新たなアイディア、さらには、イノヴェーションが次から次へと生まれ出るような自由、かつ、活気にあふれた社会としてその未来像が描かれています。しかしながら、「ジョブ型」の仕組みにあっては、個々の社員の豊かな発想が事業に生かされる余地は見当たらず(発想のユニークさを求めるならば、職務内容や能力の事前設定は、むしろ枠を嵌めてしまうこととなる…)、企業中枢部を中心に個々の社員が同心円状に直接的に繋がるか、あるいは、中間管理が‘官僚化’する企業形態となりかねないのです。

年功序列型への完全なる回帰が100%正しいとは言わないまでも、「ジョブ型」への移行は、人々の根源的な働く意欲や生き甲斐を喪失させるかもしれず、この意味においても、社会・共産主義体制と共通しています(もっとも、ソ連邦にあって軍事部門のみが突出したように、上意下達の徹底による目的達成には長けているかもしれない…)。そして、ソ連邦が崩壊したように、やがては救い難い停滞に沈み、同モデルは歴史から消え去ってゆくかもしれないのです。

見方によっては「ジョブ型」の‘ジョブ’とは、予め決められた仕事を上からの指令通りに実行すること、即ち、人のロボット化ともなりかねないのですから、ITやAIの普及が予測される今日であればこそ、企業は、人に相応しい組織造りに努めるべきではないかと思うのです。新たな企業モデルを世に問う起業が待たれるところですし、既存企業組織にあっても、社員の参加意識を高めるための‘自由化’や‘民主化’が必要なのかもしれません。

コメント (2)
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