万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

テレワークが問いかける‘職住の境界線’―‘仕事部屋’の出現?

2020年06月19日 11時19分55秒 | 日本経済

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、企業をはじめ自宅での勤務、即ち、テレワークという勤務形態が急速に広がることとなりました。満員電車における感染を防止するのみならず、毎日の通勤に疲れる果てることもなくなりますので、一先ずは、テレワーク導入に好意的な意見が多いようです。その一方で、テレワークは、職住の境に関する重要な問題を問いかけているように思えます。

 ‘職住の境界線’とは、‘公私’、あるいは、‘内と外’の区別と言い換えることができるかもしれません。日本国では、古来、公私の区別を重んじる傾向が強く、私事を公事に持ち込むことは固く戒められてきました。とりわけ近代以降にあって、雇用契約による勤務形態が広がり、国民の多くが自宅から職場へと通うようになりますと、‘内と外’の峻別する感覚は広く国民に共有されるところとなったのです。つまり、日本国では、職場と家庭は、‘別空間’であったのです。例えば、以前、子供を職場に連れて行く‘子連れ出勤’が話題となり、政府もその導入を後押ししてきたのですが、アンケート調査の結果では、凡そ8割が否定的な回答を寄せたそうです。

ところが、今般の新型コロナウイルス禍は、一瞬のうちにこの職住の境を消し去ってしましました。寛ぎの場であるはずの家庭が、突然、ビジネス用語も飛び交う職場になってしまったのです。テレワークの形態は、コロナ禍が収束した後も継続する方針の企業も少なくないそうですが、職住の境界が融解してしまうとなりますと、今後、どのような変化が起きてくるのでしょうか。

職場化した家庭内では、リビングや居間にあって家族全員がパソコンを前にして座り、大人たちは画面越しに仕事をこなし、子供たちは遠隔授業で学習する、といった光景が広がるのかもしれません。しかしながら、テレ会議などでは音声を発する必要もありますし、高い集中力を維持しなければこなせない仕事もありましょう。子供たちは、子供部屋があれば自らの空間を確保することができますが、問題は、大人たちです。今日の標準的な家屋の間取りでは、子供部屋ならぬ‘大人部屋’は想定されていないのですから。

そこで、テレワークにあっても家庭内で仕事に集中できるように、‘屋内テント’なる製品も販売されているとも報じられています。仮に、今後、テレワークが勤務形態として一般化するとすれば、予測されるのは、‘大人部屋’を備えた間取りの出現です。この点、思い起こされますのは、‘書斎’という存在です。現在では、書斎を有する家屋は少ないのですが、家庭にあっても仕事をする、あるいは、家庭に仕事を持ち込む場合を想定しての書斎という部屋があります。家庭にあっても公私を区別するために工夫でもあるのですが、コロナ禍による家庭の職場化は、書斎のような大人用の仕事部屋の需要を高めるのではないかと思うのです。

書斎が比較的珍しくなかった時代は、一軒当たりの敷地面積も比較的広く、家屋の間取りにも余裕のあった時代です。また、テレワークの普及が進む欧米諸国のように、人々が客間まで備えているような広い住宅に住んでいるわけでもありません。しかも、かつての書斎は‘一家の大黒柱’のために設けられていましたが、共働き世帯が一般化した今日では、仕事部屋も二人分用意する必要もありましょう。今日の日本国の住宅事情に鑑みますと、‘仕事部屋’を設けようとしますと、日本国の家屋は、家族の一人一人に小部屋を割り当てた、細分化された空間となるかもしれないのです(もっとも、仮に、家族全員に個室を設けるならば、人口減少は必ずしもマイナス要因とはならない…)。

個人によって性格は異なりますので、内向的な性格であれば、むしろ、狭い閉鎖空間で仕事に集中した方がオフィスといった開放空間よりも能力を発揮するかもしれませんし、あるいは、逆に外交的な性格であれば、閉塞感に苛まされて鬱状態となるかもしれません。日本人は比較的内向性が強いとされていますので、こうした細分化傾向は歓迎されるかもしれないのですが、ポスト・コロナにあってテレワークへの全面的な移行を既定路線とするよりも、個々人の性格や志向、あるいは、家屋事情に合わせた、より柔軟な‘職場’の選択が可能な勤務形態を目指すべきではないかと思うのです。

 


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