明治天皇から5代目を数える今日、皇室は、秋篠宮家をめぐり新たな展開を見せております。しかしながら、皇室の揺らぎは今に始まったわけではなく、江戸時代末期に凡そ開国と共に’近代皇室’というものが誕生した瞬間から、既に危機というものを内包していたように思えます。
近年に至り、ようやく明治維新の闇につきましては、その一部が真の姿を現すようになりました。従来の国定とも言える歴史観とは、明治維新とは、アジア諸国が西欧列強によってドミノ倒しの如くに植民地化される中、日本国が自らの手で国家の改革を成し遂げ、近代国家を建設した偉業というものです。しかしながら、150年にも亘って日本国民から固く信じられてきたこの維新神話は、皮肉なことに、グローバル時代にあって見直しを迫られることとなりました。日本一国の視点からではなくグローバルな視点から19世紀末の世界全体の動きを俯瞰しますと、明治維新もまた、イギリスをも手中にしていた’グローバリスト’による世界戦略の一環であったと見なさざるを得ないからです。
そして、明治維新に対する理解の変化は、同時に、近代皇室というものの存在をも不可避的に見直す機会となるように思えます。何故ならば、維新勢力によって擁立された’近代国家日本’の統治者こそ、明治天皇であったからです。後に明治憲法にも定められたように、この時から天皇は、宮中にあって御簾の中におわします神聖なる存在から、統治権を総攬するとともに、軍馬に跨って大号令をも発する君主へと一変します(もっとも、超越性、並びに、権威の維持のために、前者のイメージをも与えられていた…)。明治天皇と維新以前の歴代天皇との間には国家における役割において本質的な違いがあり、明治以降の天皇は、王政復古という衣を纏って登場しつつも、’近代天皇’、あるいは、近代皇室として区別されるのです。
このため、日本の保守層は、明治以前の伝統的な天皇に理想を求める人々と、明治以降の大日本帝国における’皇帝(エンペラー)’の復活を望む人々との二つに凡そ分かれるのですが、戦後に至り、真偽のほどは定かではないにせよ、明治天皇すり替え説が唱えられるようになったのも、維新を境とした天皇の劇的な変質が、万世一系ともされた皇統の連続性にも疑問を投げかけたからなのでしょう(因みに、最も広く知られている大室天皇説を考慮すれば、今般、秋篠宮家の姻戚となる小室姓には何らかの意味があるのかもしれない…)。
その後、日本国では天皇を中心とした権威主義体制が構築され、昭和天皇のカリスマ性もあって、天皇は不動の求心力を誇ることとなります。第二次世界大戦での敗戦を機に統治権とは切り離されはしたものの、国民の多くは、なおも天皇、並びに、皇族を日本の象徴、すなわち、ナショナルな存在と見なしてきたのです。
しかしながら、今日における皇族の婚姻をめぐって混乱は、これまで水面下にあって蠢いてきた’近代皇室’と海外勢力との関係を浮き上がらせているように思えます。そして、明治天皇を担ぎ出したグローバルな海外勢力は、今日にあっても、日本支配の道具として’近代皇室’をコントロールしているように見えるのです。何故、日本国民の多くを失望させ、かつ、皇室に寄せられてきた信頼を失わせるような事態が起きてしまうのか、国民は、その背後勢力の意図こそ読まなければならないかもしれないのです(インターナショナル・スクールの出身者である小室氏はニューヨークへの留学を果たし、婚姻後の新居も同地に構えるとさており、海外勢力の人脈や財政面でのサポートも疑われる…)。
皇室の存在意義が日増しに意味不明となる中、国民の多くも、固定概念に縛られた思考停止状態から脱し、今一度、’近代皇室’というものについて客観的に見つめ直す必要があるのではないでしょうか。この問題は、日本国の独立性とも密接に関わりますし、’近代皇室’のみならず、’近代日本’の問題でもあるかもしれません。何れにしましても、未来永劫に亘って現行の形で’近代皇室’なるものが続いてゆくとは思えず、’近代皇室’、そして、’近代日本’の見直し作業は、日本国にとりましては、明治、あるいは、戦国期から続く見えざる呪縛からの自由を意味するのかもしれないと思うのです。