一か月ほど前に、’海上自治都市構想’なるものが提唱されていることを新聞紙上で知りました。日経新聞が連載した「民主主義の未来」というシリーズで発見したのですが、同欄の8月18日付の「優位性後退、崩壊の瀬戸際に」というタイトルの記事において’海上自治都市’の構想が紹介されていたのです。しかしながら、この構想、どう考えましても無理筋ではないかと思うのです。
同記事は、エール大学の成田悠輔助教授によって執筆されたものですが、アメリカでは、実際に「海上自治都市建設協会」という団体が結成されており、ピーター・ティール氏なども支持しているそうです。因みに、ピーター・ティール氏は、PayPalの創業者として知られていますが、世界の財閥、グローバル企業の幹部、金融機関の代表、王族などをメンバーとする秘密会議であるビルダーバーグ会議の運営委員の一人なそうです。
’海上自治都市’とは、その’支持層’からしますと、ビルダーバーグ会議、あるいは、ヴェネチアなどの商業都市国家をモデルとしているとも推測されるのですが、同構想を紹介するに際して、「既存の国家を諦め、思い思いに政治体制を一からデザインし直す独立国家・都市群が、個人や企業を誘致や選抜する世界を想像しよう。新国家群が企業のように競争する世界だ」とする一文を置いています。そして、公海上に新たな都市国家を建設し、そのそれぞれが’お気に入りの政治体制’を実験する構想が実在するとして、おもむろに同協会を登場させているのです。ところが、上述しましたように、同構想の実現性は相当に乏しいと言わざるを得ません。
その理由は、第一に、国際法上の国家の要件を満たしておりません。今日の国民国家体系にあっては、独立した国家として認められるには、国民、領域、主権の三要素を満たす必要があります(主権については、内外の統治権に分ける場合も…)。このことは、公海上に都市国家の樹立を一方的に宣言しても、既存の国家から国家承認を得られる可能性は殆どないことを意味しています。しかも、仮に、人工島を建設してその周辺海域に領海やEEZ等を設け、行政権を行使しようものなら国連海洋法条約上の違反行為となり(海賊行為と見なされる可能性も…)、同条約を根拠として何れかの国や国際機関によって強制撤去されるかもしれません。
第二に、同構想では、’お気に入りの政治体制’を実験するとありますが、この’お気に入り’という表現が’曲者’です。何故ならば、誰のお気に入りなのかと申しますと、おそらく、ビルダーバーグ会議のメンバーなどが想定されているのでしょう。即ち、個人的な’好み’ということになりますので、たとえ’セレブ達’によって様々な政治体制が試みられたとしても、その何れもが、独裁体制のバリエーションでしかなくなることでしょう。’国民’が存在しない以上、民主主義体制を採用する海上都市国家はあり得ないからです。あるいは、同人工島で統治者となった富豪が雇った従業員達がやがて’国民化’し、民主化運動を経て、国民が主権者となる民主主義体制が多様な政治体制の一つとして加わるのでしょうか。そもそも新都市国家群には、その統治制度の設計段階にあって、自由、民主主義、法の支配、基本権の尊重、公平・平等といった普遍的諸価値は全く考慮されていないように思われるのです。
そして、第三に問題となるのは、同構想の出現理由を、既存の国家における民主主義の失敗に求めている点です。すなわち、既存の民主主義国家は富裕層を満足させておらず、その結果として、富裕層が海上都市国家やフロンティアに逃走する事態に至ったとして…(火星移住計画もその一つかもしれない…)。その一方で、この説明を逆から見れば、富裕層という存在は、国家、並びに、その国民に対して積極的に責任を担おうとはつゆとも思っておらず、むしろ、あらゆる責任や負担から逃れたいと考えているということになりましょう。この文脈で海上都市国家構想の着想を推測すれば、富裕層は、自らが主となるタックスヘブンの個人所有を夢見ているのかもしれません。あらゆる国家の課税権も警察権も及ばぬパラダイスとして…。なお、民主主義体制の存続条件が、極めて少数の富裕層を満足させることにあるならば、それは、もはや民主主義とは言えないのではないでしょうか。
以上に海上都市国家構想が非現実的である主たる理由を述べてきましたが、この構想が夢物語であったとしても、同構想の存在は、今日、人類が抱えている問題を図らずも浮き彫りにしています。グローバル企業とは、凡そ全人類をユーザーとし、かつ、全世界の市場から巨額の収益を挙げながら、人類の現在に対しても未来に対して無責任であるという側面です。歴史を裏側で操る存在は、しばしば‘陰謀論’として一笑に付される傾向にありますが、ビルダーバーグ会議が隠然たる全世界に対する影響力を保持している現実を見ますと、日本国民をはじめ、各国の国民は、超国家権力体の存在を前提とした真の歴史理解、並びに、コロナ禍を含めた現実に対する対応が必要なように思えるのです。