万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

河野氏の’若者、よそ者、馬鹿者’発言を読み解く

2021年09月15日 12時40分01秒 | 国際政治

自民党総裁選挙を目前にして、各候補ともメディアやネットの活用に余念がありません。河野太郎候補も、若年層にターゲットを定め、オンラインで大学生との座談会を開くなど、同層を中心に自らへの支持を広げようとしているようです。このため、若者受けの良さそうな発言が並ぶことになるのですが、今般の座談会で注目されるのは、「いろいろ変えられるのは若者、よそ者、馬鹿者と言われている。」というものです。

 

 この発言、その後に「若い皆さんが『今までこういうものだ』ととらわれず、新しい扉をどんどん押し開けてほしい」という言葉が続きますので、参加した学生さん達に送るエールのように聞こえます。しかしながら、同発言を深く読み込みますと、‘若者、よそ者、馬鹿者’の三者こそ、近現代史を読み解く上で極めて重要なキーワードなのではないかと思うのです。

 

 近現代の歴史とは、フランス革命に始まる暴力革命、ナポレオン戦争をも含む凄惨を極めた世界大戦、狂気に覆われた全体主義国家の出現など、人類の忌まわしき記憶に満ちています。近代という時代は、理性の時代と称されながら、現実の歴史はその逆であり、健全さが失われ、人類が深刻な病に苦しめられてきた時代とも言えましょう。今日でもその病が癒えているわけではなく、少しでも油断をすれば、瞬く間に全身に広がる潜在的な病巣を抱えているかのようです。今日にあって、全世界を恐怖に陥れた新型コロナウイルスのパンデミック化やそれに続くワクチン狂騒曲のように…。

 

 そして、こうした忌まわしい出来事の多くは、誰の手によってもたらされてきたのか、という点に注目しますと、そこには、’若者、よそ者、馬鹿者’の三者の姿が浮かんできます。革命然り、戦争然り、そして、全体主義体制然りです。何れも、これらの歴史の大舞台で主役を演じてきたのは、’若者、よそ者、馬鹿者’の何れか、あるいは、これらの混合体であったのですから。

 

革命には人々を扇動する若きヒーローが必要不可欠のアイテムであり、共に闘う革命の志士達も若者でなくては様になりません。戦争もまた、戦地で銃を手にして実際に闘うのは若き兵士達です。全体主義体制を見ましても、ヒトラーもムッソリーニも狂人、あるいは、ナルシスティックな夢想家という意味において’馬鹿者’であったとも言えましょう。そして、ナポレオンは、’若者’、かつ、コルシカ島の出身、つまり、’よそ者’であったからこそ、大胆にもフランスを帝国に改造できたのでしょうし、アーリア民族優越主義を唱えたヒトラー自身もその姓からすれば、祖先は東欧系ともされています(ユダヤ系という説もある…)。ナチスの幹部の半数以上がユダヤ系であったという奇妙な事実もまた、国家改造者としての’よそ者’の存在をクローズアップさせます。さらに、毛沢東、レーニン(モンゴル系の血を引く)スターリン(グルジア出身)といった社会・共産主義諸国の独裁者も、国際組織から送り込まれたという意味においても、’よそ者’とも言えましょう。そして、これらの独裁体制を支えていたのが、ヒトラー・ユーゲントや紅衛兵など、洗脳されて独裁者に陶酔してしまった’若者、よそ者、馬鹿者’であったのです。

 

それでは、歴史の大舞台にあって主役を演じている人々は、真に歴史を動かした人々なのでしょうか。本当のところは、’若者、よそ者、馬鹿者’ほど、’実行部隊’、すなわち駒として使われ易い人々はいません。複雑な世の中についての知識や経験が浅く、知力や構想力も十分ではない場合が多いからです。いわば、’正義感は強いけれども物事をよく知らない’、’柵がない代わりに無責任で無慈悲(同朋としての仲間意識の欠如…)’、’従順ではあるけれども自らの行動の行き着く先を理解していない’人々であり、命令通りに行動する、あるいは、煽られるままに直情的に行動しがちなのです。

 

こうした人々は、既存の制度や仕組みを破壊する突破力には優れているのですが、将来における国家や社会の在り方について、自由、民主主義、法の支配といった諸価値や倫理や人道的な観点を含めて自ら緻密に思考し、かつ、国民と共に議論しながら精緻に国家や社会の制度設計を試みたとは思えません。つまり、歴史の表舞台の裏に控える勢力によって(必ずしも人類全体の幸せを望んでいない…)、リーダーであれ、そのフォロワーであれ、これらの人々は操られており、そのプロットに添って、誘導、あるいは、自発的にその役を演じさせられている役者に過ぎないのかもしれないのです。

 

こうした観点から河野氏の発言を読み解きますと、どこか、空恐ろしさを感じさせます。現代という時代にあって、近現代史を動かしてきた勢力のコントロール下にあると推測される同氏は、日本国の若者、並びに、若手議員達を自らの改革を実現させるために’紅衛兵化’、すなわち、サポーターとして動員しようとしているようにも見えてくるからです。そして、自身も’改革者’を名乗っているのですから、’若者’かどうかはいささか疑問ではありますが、自らを’よそ者’であり’馬鹿者’であると認めているようなものなのではないかと思うのです。


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