万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

地政学と国民国家体系との不整合性-中小諸国の悲惨な境遇

2022年06月10日 10時42分18秒 | 国際政治
 地政学的思考には、国境という概念が希薄ですし、むしろ、越境性にこそその特徴があります。国際社会を大国間のパワー・ゲームが展開されるフィールド(戦場)と見立てているのですから、国境線など関係がないのです。そして、こうした大国による勢力圏闘争の思考・行動様式は、中小諸国にとりましては殆ど’悪いこと尽くし’なのです。

 第一に、中小諸国は、大国の勢力圏拡大政策の客体でしかありません。国民国家体系の下で、今日の国際社会は、民族自決(国民自治)、内政不干渉、並びに、主権平等を原則としています。ところが、全世界が大国のみがプレーヤーの資格を独占するゲーム・ボードもなりますと、中小諸国は、プレーヤーによって動かされる’コマ’でしかなくなります。当然に、これらの諸国の独立性や自立性は無視されるのであり、国際社会の原則も画餅に過ぎなくなるのです。

 この結果として、中小諸国は、自らの判断で対外政策を決定することはできなくなり、自らが属する勢力圏の中心国の指示に従うだけの存在となります。NATOをはじめ、今日の軍事同盟の多くは、純粋に防衛を目的としているというよりも、大国による勢力圏形成の手段としても理解されましょう。外政に関する政策権限の移譲は、国家としての独立性を失うことをも意味しますので、大国の勢力圏に組み込まれた中小諸国は、事実上、属国、あるいは、被保護国の立場に置かれることとなります。そしてそれは、外政のみならず、内政干渉への導火線ともなるのです。

 第一に関連して第二に問題となるのは、中小諸国における民主主義の形骸化です。たとえ国民の参政権が保障され、普通選挙制度が整えられていたとしても、政府が政策決定の自立性(主権)を失い、大国の出先機関と化している状態では、国民は政策決定から除外された状態となります。与野党を問わず、何れの政治家も大国の代理人、あるいは、代弁者であるならば、選挙にあって有権者がどの候補者に投票しようとも、民主的制度としての多党制も選挙制度も無意味となりましょう。パワー・ゲームを背景とする選挙は、代理人選びに過ぎないか、あるいは、形を変えた大国間の勢力圏争いの場となるのです。しかも、パワー・ゲームのさらに背後に超国家権力組織が隠れているとすれば、民主的選挙は、その実は自由主義向けの世界支配の手段に過ぎないのかもしれません。

 第三に指摘し得る点は、第一の問題も第二の問題も、大国間の勢力争いを当然のものと見なす思考的な刷り込みによって正当化されてしまうことです。中小諸国は、自国が属する勢力圏の中心国が’敵対勢力’のメンバーと見なす国からの軍事的な脅威を前にしては、勢力圏に留まるしかなくなります。この結果、大国から主権を侵害されようが、内政干渉されようが、自国の防衛や安全保障のためならば、これらを受け入れざるを得なくなるのです。

 第四として指摘し得るのは、大国間のパワー・ゲームは、大国とその勢力圏に属する中小諸国のみならず、中小諸国間の関係をも左右してしまう点です。ローマ帝国以来の’分割して統治せよ’の方針からすれば、中小国諸間の団結は常に大国によって意図的に妨げられ、分離政策が遂行されることとなります。その一方で、’敵対勢力’の脅威をアピールしたいときには、国民感情としては友好的ではない国同士であっても、’仲良しのふり’を強要されてしまうのです。このため、メディア等の誘導により、奇妙で不自然な○○ブームが起きることもあります(日本国内の韓流ブームなど…)。

 そして、第5の問題点は、中小諸国の能力もコントロールされてしまう点です。中小諸国は、テクノロジーや知識、あるいは、知力においても大国に優ることは許されなくなります。中小諸国は、軍事面のみならず、経済面を含むあらゆる側面において大国の脅威であってはならないのです。唯一、能力を伸ばすことが許されるとすれば、それは、大国、あるいは、超国家権力体に貢献する場合に限られます。優秀な人材は中小諸国から流出する一方で、国民一般の能力は低レベルに留まることが求められるのです。

 地政学の理論からしますと、パワー・ゲームの行く先には、世界支配に到達するための第3次世界大戦が待っていることは、昨日の記事で述べたところです。その一方で、第3次世界大戦というステップの有無に拘わらず、勢力間の分割統治を演出するというシナリオも考えられましょう。これは、オーウェルの描いた『1984年』のモデルともなるのですが、何れにしましても、大国間のパワー・ゲーム、並びに、それを背景とした世界支配は、中小諸国にとりましては、被支配的な地位の固定化を意味してしまうのです(大国には盟主の地位が保障されているので、相応のメリットはある…)。

 以上に述べたことから、地政学が描くパワー・ゲームとその背景にある世界支配の思想と、国民国家体系、即ち、民族自決(民主主義)、主権平等、内政不干渉等の原則を基礎とする国際体系との間に深刻な不整合性、否、二律背反性があることが分かります。そして、この二律背反性は、’どちらかを選ぶべきか’という未来の方向性に関する選択を人類に迫ることとなりましょう。同選択については、法というものがその本質において各自の権利や自由を保護する役割を果たす以上、国際法秩序の観点からしても、後者しかありえないのではないかと思うのです。

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