万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

政党の存在は必然ではない?

2022年06月24日 09時45分10秒 | 統治制度論
政党政治とは、近現代におきましては、民主主義を具現化するためには不可欠のシステムであると信じられてきました。政党に対するいわば信仰とでも表現すべき信頼感は、おそらく、その誕生の歴史にあるのでしょう。イギリスにあって、政党は、近代議会制民主主義の発展過程にあってなくてはならない存在であったからです。

とりわけ、議会優位の国家体制を成立させた名誉革命は、政党政治の出発点に当たります。そもそも、政党とは、王位継承をめぐる対立でもあった同革命にあって、議会が国王派と議会はとの二分化したことに始まるからです。その後、イギリスでは、時代によって二大政党を構成する二つの政党は変遷するものの(トーリー党対ホイッグ党⇒保守党対自由党⇒保守党対労働党…)、議院内閣制の成立とともに二大政党制が定着し、今日に至るのです(もっとも、現在では、自由党などが党勢を拡大させるにつれて二大政党制は崩れつつある…)。この間、当初は議会内の会派であったものが、やがて議会の枠を越えて国民の間にも党員やサポーターが広がり、選挙に際して固定支持層、あるいは、組織票獲得の役割をも果たすようになります。

考えてもみますと、政党とは、政治を舞台とした一種の有権者の囲い込みという側面がありますし、国民をグルーピングし、恒常的に分断するリスクもあります(イギリスの’階級社会’は、選挙制度にも由来?)。とりわけ二大政党制では、議会選挙は同時に政権の選択ともなりますので、国民はどちらかの’陣営’に与せざるを得なくなります。また、対極にある二つの政党の間で短期的に政権交代が繰り返されることにでもなれば、政治は常に安定を得ることができません。

そして、政党自身も、自らの掲げるイデオロギーや政治信条に拘束され、政策の幅や手法を制約してしまいます。自由な発想からの政策提言や問題解決の手段の提示は、基本的には許されないからです(もっとも、各政党を上部から操る勢力による国民誘導作戦としては、’偽旗作戦’は頻繁に用いられていますが…)。たとえそれが、国益に叶う、あるいは、民意が切望するものであっても…。政党の存在は、しばしば国益を損ねたり、民主主義を歪めてしまうのです。

その一方で、国民にとりましても、政党の存在は政治的自由に対する障害として強く作用します。何故ならば、たとえ複数政党制を採用する国であっても、全ての政策や政治的問題の解決策は、政党が提示した中から選ぶしかなくなるからです。二大政党制であれば、必然的に二者択一となりますし、多党制にあっても、政策や解決策に関する国民の選択肢は政党の数に留まります(外部コントロールや政党間談合がある場合、何れの政党の政策も代り映えがしないケースも…)。国民は、政党の政策に不満であっても、他の政策や手段を選ぶことはできないのです。しかも、各政党とも、選挙公約はワンセットの一括選択リストとして国民に提示されますので、国民は、アラカルトに政策を選ぶことができないのです。

このように、政党とは、政府、政党、並びに、国民にとりまして、あらゆるレベルにおいて自由を制約し、発展を阻害する要因ともなります。加えて、政党は、国民と政治との間に介在する中間者的な立場にありますので、海外勢力の代理人(売国組織…)と化すリスクもあります。政党政治とは、イギリスを舞台として当時の政治状況の中から誕生したものですので、必ずしも人類の歴史において必然的に出現した普遍的形態ではなく、様々な問題点や欠陥を抱えているのです。つまり、思考を政党の枠組みから解き放せば、政党政治に代わるより善き統治システムもあり得るということになりましょう。

それでは、自由や民主主義といった諸価値を実現すると共に、国家や国民にも資する政治制度は、どのように設計すべきなのでしょうか。この問題は、統治の役割、あるいは、基本機能という原点に返って考える必要がありましょう。統治機能とは、決して一つではなく、幾つかに分類することができます。そして、統治機能の提供には、本来、イデオロギーや思想などは関係ないのです。

例えば、政策分野ごとに望ましい政策決定の手続きを変えれば、より民意を政治、あるいは、各分野の政策に反映させることができるかもしれません。国民に直接関係する問題については国民投票や国民が法案を提出し得るイニシャチブ等の制度を組み合わせる一方で、具体的には、政策分野ごとに中心となる政策決定機関を設け、民主的選挙方法も政策選択を重視する方向に変えるという方法もありましょう(選出単位も、単純な地理的な区割りである選挙区とは限らない…)。こうした方法ですと、政党による国民の囲い込みや政策リストの一括選択は起きず、国民は、個々の政策について個別に判断することができると共に、発案の権利をも行使し得るようになります。つまり、必ずしも政党を必要としなくなるのです(少なくとも全国規模で党員を有する組織としての政党は…)。詳しい説明は後日に譲りたいと思いますが、新たな発想こそ、人類を悪政から救うのではないかと思うのです。

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