地球を舞台とした勢力間抗争の是認を前提とする地政学上の諸理論には、第三次世界大戦、並びに、世界政府樹立への布石ともなりかねないリスクがあります。このため、同思考回路から離れ、国民国家体系を基盤とした国際法秩序の下において全諸国の安全が保たれる体制への転換が求められるのですが、ロシア、中国、並びに、アメリカの3大国に勢力圏拡大、あるいは、囲い込み政策を放棄させることは至難の業です。たとえ三国のうちの一国が放棄したとしても、それは戦争や世界支配のリスクをさらに高めるのみであり、3つの大国全てが同時に方針を転換しなければ意味がないのです。
それでは、大国に染みついている勢力圏志向、あるいは、支配欲というものを放棄させる方法は存在しているのでしょうか。夢物語のようにも思えるのですが、完全ではないにせよ、効果が期待できる方法はないわけではありません。それは、NPT体制の廃止、即ち、全ての諸国に対する核の抑止力の解禁です。
核の保有を大国、並びに、’抜け駆け国家’にのみ許しているNPT体制は、一般の中小諸国を、事実上、属国の地位に固定化してしまう作用があります(’抜け駆け国家’が地政学的思考において‘大国’のポジションを得る可能性も…)。軍事同盟を締結した大国から核の傘の提供を受けなければ、自国の安全が危うくなるからです。そして、核兵器に関する技術を大国が独占する現状では、大国と一般の中小国との間の軍事力や軍事技術の格差は開く一方であり、中小諸国は、’敵の大国’のみならず、’味方大国’からの脅威に晒される一方となるのです。
例えば、日本国は、核保有国である中国からの軍事的脅威に晒される一方で、同盟国であるはずのアメリカからの圧力や内政干渉にも苦しめられています。米民主党政権下にあっては特にこの傾向は顕著であり、コロナワクチンの押し売りのみならず、バイデン政権によるCDCの日本版設置要求を受ける形で創設が予定されている健康危機管理庁などは、日本国民に対するデジタル管理の手段なのでしょう(近年、あまりにも露骨…)。あるいは、米中両国をさらに上部から操る超国家勢力によるお得意の’二頭作戦’なのかもしれません。
このように、NPT体制こそ国際社会における主権平等の原則が損なわれる元凶であり、民族自決(国民自治、主権在民、民主主義…)や内政不干渉の原則をも踏みにじっているとしますと、先ずもってこの封建的な体制を変えないことには一般の中小国は、’従属国’、あるいは、’臣下国’の地位に甘んじるしかなくなります。全ての諸国が核並びに反撃力を保持することができれば、核を背景とした大国による一方的な脅迫や支配を防ぐことができますので、核の解禁、あるいは、核の抑止力の開放は、中小諸国にとりましては自らの自立性(独立性)の回復を意味することとなりましょう。
もちろん、主権平等の原則を実現するには、NPT体制を廃止しなくとも、三大国、並びに、イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮などの核保有国が同時に自国の核を放棄するという方法もありましょう。しかしながら、核保有はいわば’特権’ですので、自発的に特権を手放す、しかも、同時に放棄するとは考えられません(結局、核廃絶運動は不平等な体制を固定化している…)。その一方で、軍事的に圧倒的に劣位する中小諸国には、核放棄を大国に強制する物理的な手段もないのです。こうした点を考慮しますと、数において圧倒的に優る中小諸国が大国による核の脅威を根拠としてNPTからの脱退を表明するほうが、遥かに容易に目的に到達することができましょう。
このように考えますと、日本国政府は、一般の中小諸国の一員として、国際社会に対して核保有の解禁を訴えるべきなのではないでしょうか。今年8月にアメリカにて開催が予定されるNPTの再検討会議については、岸田文雄首相は、核保有国と非核保有国との間の橋渡し役を務める旨の発言をしております。次回のG7の会場が広島ということもあり、同首相は、再検討会議でも核廃絶の理想を述べるに留まるかもしれません。しかしながら、NPT体制の問題点が明らかとなった以上、日本国政府の役割は、主権平等の原則を名実ともに実現するよう、核解禁により、国家間の軍事バランスの対等性を確保する方向へと導くことなのではないかと思うのです。諸国家の独立性の確保、並びに、諸国家間の対等性の保障は、国際法秩序の基盤でもあるのですから。