今日、ワクチン接種率が国民の過半数を越えるとする報道がある一方で、ワクチンリスクについても、ようやく多くの人々が気付くようになりました。身近にあって新型コロナウイルスに感染した人よりも、ワクチン接種後に死亡したり、体調不良となった人の方が遥かに多いからです。実際に、因果関係は認められていないものの、厚労省の発表によればワクチン接種後に関連が疑われる死亡数が1000件を越えております。この報告数も氷山の一角とされ、過去との比較による超過死亡者数の分析によればその10倍以上との指摘もあります。その一方で、接種者の感染を意味する「ブレイクスルー感染」の報告は後を絶ちません。
こうした実体験や数字に加えて、エビデンスを備えた医科学的な見地からのリスク指摘も相次いでおります。これまでデマとされてきたスパイク蛋白質の有害性、ADE、人工mRNAの逆転写、免疫システムの弱体化といった重大なリスクも実証されつつあります(ワクチン関連死の大半はこれらの機序によって説明される…)。最近でも、日本国政府を含めて各国政府がブースターショットに積極的な姿勢を見せる中、遺伝子ワクチンは接種回数が増えるにつれ死亡率も上昇するとする動物実験の結果が明らかにされましたが、この情報だけでも、3度目や4度目の接種を躊躇させるに十分な恐怖を与えています。定期接種を前提としたワクチンパスポートなど’もっての外’となるはずなのですが、国民の不安をよそに、日本国政府は、既にワクチン効果の疑問符が付けられているイスラエル、イギリス、アメリカの後追いを止めようとはしないのです。デルタ株でさえ、諸外国よりも遥かに感染率が低いにも拘わらず…(しかも、若年層は重症化率も死亡率もゼロに近い…)。
各国政府がおよそ同一の政策の実現に邁進している様子からしますと、何れの諸国の政府も、グローバリスト、かつ、ユダヤ系財閥・富豪集団である’超国家権力体’からの指令を受けているものと推測されます。このことは、日本国がもはや独立国家とは言い難い状況にあることを意味しています。自己決定権なき独立はあり得ないからです。菅政権の誕生以来、日本国の政治は、’外部からさせられている感’が強まるばかりでしたが(おそらく、菅政権で表面化しただけ…)、同政権は、図らずも陰謀の実在性を国民に確信させてしまったのかもしれません。
何れにいたしましても、同勢力が計画している今後の「工程表」が、ワクチン接種の推進⇒ワクチンパスポートの導入⇒ワクチン接種記録とデジタルとの一体化による国民監視体制の強化⇒デジタル全体主義⇒超国家権力体による人類支配…であるならば、日本国民の大多数が反対することでしょう。’現代の奴隷’、あるいは、’囲いの中の羊(いつでも、牧場主の意のままにされてしまう…)’になりたい人など、殆どいないのですから。
その一方で、超国家権力体の側としては、同「工程表」を人類の多くが知るに至りますと自らの長年温めてきた計画が頓挫しかねませんので、手を変え品を変えてカモフラージュしようとすることでしょう。メビウス作戦、偽旗作戦、並びに、偽善のポーズは得意技ですので、表向きの説明と裏の目的が全く正反対という事例も少なくありません。例えば、ワクチン接種の推進を見ても、’国民の命と健康を護るため’と説明されていますが、その実、リスクの指摘には頑なに耳を塞ぎ、マイナス情報をメディアを用いて隠蔽する一方で、政府の言葉を信じてワクチンの接種を選択した多くの国民の命が失われても知らんぷりなのですから。
そして、こうした同権力体の行動パターンからしますと、4名の候補者が、事実上、日本国の首相の座を競う自民党総裁選挙も、同権力体の掌の上で踊らされているようにも見えてきます。何れの候補が選ばれたとしても、各候補が並べた政策リストに同権力体が望む政策を一つ二つ忍び込ませておけば、誰が当選したとしても、その政策さえ実施させればよいからです。言い換えますと、道は違っていても、行き着く先が同じであればよいのです。
この観点からワクチン政策を見ますと、積極的にワクチン接種推進策の見直しを訴えている候補者は見当たらない点が気にかかるところです。日本国の感染状況からすれば、コロナ禍が吹き荒れた諸外国と同様のワクチン推進策を採ろうとする姿勢こそ、日本国の属国化が強く疑われる要因の一つです(政府は、国民に諮ることなく製薬会社と全人口分のワクチン購入の’不平等契約’を結び、ワクチンパスポート導入にも傾斜している・・)、何れの候補も、医療体制の拡充や治療薬の開発等には触れつつも、同方針を改めようとはしないのです。横並びの態度は、’誰が当選しても、ワクチン接種推進策は辞めさせない’とする超国家権力体の意思表示なのかもしれません。
日本国の政治家は、超国家権力体の存在を’デマ’としたいのでしょうが、仮に、そう主張するのであるならば、ぜひ、ワクチン接種推進政策の見直しを国民に訴え、言葉のみならず、現実にあって実行していただきたいと思うのです。日本国が、自らの国の政策は自らで決定し得る独立国家であることを国民に示すためにも。