国民が注視する中、自民党の総裁選挙は、本日9月12日に告示されることとなりました。投票日は、15日間の選挙戦を経た9月27日となるそうですが、過去最多の9人が立候補を表明しており、簡単には予測のつかない混戦となる模様です。政党内部の選挙ですので、国民に投票権があるわけではないものの、議院内閣制を採用している以上、事実上、首相の座をめぐる選挙となりますので、国民は、否が応でも目が離せません。
しかも、今日の政治家に対する日本国民の不信感は、これまでのものとは質的な違いがあります。かつて、‘日本国は、経済は一流、政治は三流’とも揶揄されており、政治のレベルがそれ程高くはなくとも、一先ずは厚い中間層が形成され、国民が豊かさを実感できる時代がありました。言い換えますと、国民が政治に無関心であっても済まされた時代であったのですが、こうした幸運な時代は、プラザ合意並びにバブル崩壊と共に終焉を迎えます。その後は、日本国の低迷の原因はグローバル化の遅れと見なされるようになると、保守党であるはずの自民党も、新自由主義へと舵を大きく切り替え、民営化や規制緩和を含め、グローバルリズムの旗振り役へと変貌してゆくのです。
今日の自民党は、まさにこのグローバル路線の延長線上にあります。しかしながら、懸命にグローバル化を進めながら、日本国の経済はかつての栄光を取り戻すことはありませんでした。それもそのはず、規模の経済が大きく働くグローバリズムはそもそも日本国には不利であり、羊牧場をオオカミに開放するに近い結果をもたらしてしまうからです(逆効果・・・)。このため、雇用の不安定化、販売や輸出の伸び悩み、賃金の頭打ち、物価高、並びに、強引なDXやGXの押しつけ等を直に感じる国民の多くは、政治家よりも早く、かつ、敏感にブローバリズムのマイナス効果に気がつき、グローバリズム懐疑論が広がっているのです。
つまり、時代の空気がグローバリズムから反グローバリズムへと変わったのですが、それにも拘わらず、政治サイドは、この変化を無視し、未だにグローバル化の方針を堅持しようとしています。もちろん、その背景は、グローバリズムの総元締めである世界権力によるマネー・パワーを武器とする戦略があり、各国の政治家が同ネットワークに絡め取られている現状があります。そして、政治家と国民との間の方向性の違い、あるいは、基本的な認識の乖離は、前者にあって後者を狡猾に騙そうとする動機となっているのです。つまり、政治家が、国民に隠れてグローバリズム、即ち、新自由主義政策を推進しようとする・・・。
‘隠れグローバリズム’を推進するには、世論誘導のためのマスメディアの協力も必要となるのですが、今般の総裁選挙における各候補が掲げる政策の取り上げ方を見ましても、その兆候が伺えます。何れの候補者にも、必ずと言ってもよいほどに、グローバリストのアジェンダが混ぜ込まれています。しかも、できる限り目立たないように。そして、国民の関心がこうした世界権力から要請されている‘ミッション’に向かわないように、‘おとり’とも言える‘争点’が準備されているようにも見えるのです。例えば、小泉進次郎候補が掲げる選択的夫婦別姓や河野太郎候補が突然に提起した共通テスト改革などです。こうした政策は、国民の間で賛否が分かれ、若者層を中心に誰もが議論もしやすいテーマですので、国民の関心が自ずと同テーマに向いてしまうのです。
選択的夫婦別姓については、保守系の人々からも家系維持の立場からの賛成論もありますので、必ずしもリベラルな政策とも言い切れないのですが、立法化を目指す側の狙いが家族制度の破壊であったり、富裕男性に有利となる実質的な一夫多妻制へ導火線である可能性もありますし、共通テストの複数回実施案についても、真の目的は、入試試験のデジタル化による国民の能力に関するデータ収集・管理にあるのかもしれません。何れにしましても、グローバリストの思惑が隠れている気配はありますが、これらは優先度の低い政策なのでしょう。国民の関心を‘おとり’に惹きつけておく一方で、候補者各自に対しては、最優先で実行すべき政策が伝達さているとも推測されるのです。
‘おとり作戦’の可能性を考慮しますと、小泉候補に対しては、知的レベルを問題にするよりも、東京メトロ株の売却や上下水道の民営化問題など、民営化に対する具体的な政策について問うほうが、余程、国民にとりましては判断材料となりましょう。また、国民からのワクチン被害の声に頑なに耳を塞いでいる河野候補に対しても、先ずもって10月に予定されているレプリコン型ワクチンの接種事業について問い質すべきです。こうした触れて欲しくない事案については、本人から言い出すとは思えませんので、‘おとり作戦’にかからないためにも、立候補者に対しては、メディアであれ、一般の国民であれ、チャンスがあれば、国民が真に懸念し、政治家の正体を暴くような質問をすべきではないかと思うのです。