万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

‘約束の地’を人類史的に解釈する

2024年01月19日 11時15分50秒 | 国際政治
 『旧約聖書』の『創世記』には、神とアブラハムとの契約が記されています。その一つは、「わたしはわたしの契約を君と君の後の代々の子孫との間に、永遠の契約として立てる。それは君と君の後の子孫に対して神たらんためである。わたしは君とその後の子孫に、君が今やどっているカナンの全地を、永遠の所有として与える。わたしは彼らの神たらんとするのである。(『創世記』第17章)」という下りです。それでは、この記述は、人類史に照らしますと、どのように解釈できるのでしょうか。

上記の内容を要約しますと、‘アブラハム系諸民族が’神‘を唯一神として崇拝するのと引き換えに、‘神’は、アブラハム系の諸民族を増やすと共にカナンの地を与える、というものです。永遠の契約ともされますが、この契約も、アブラハムが生きた時代の人類の願望が投影されているとする解釈もあり得るように思えます。この願望とは、定住地の取得です。同契約に先立って、‘神’はアブラハムに対して、将来においてその子孫達が諸国家を建国し、王国が誕生することを約しています。この文脈からしますと、アブラハムを単なる部族的分岐による複数の民族の共通の祖先として位置づけるのではなく、‘国父’、すなわち、国家というものの祖と見なしていることになります。つまり、‘神’が、強く‘国家’というものを強く意識する記述となっているのです。

今日の国際法では、法人格を有する独立国家として承認される要件として、国民、領域、主権の凡そ三者が挙げられています。これらの法的要件としての成立は、ヨーロッパにあって近代以降に形成された国民国家体系の成立と軌を一にしているとされるものの、文明の時代を迎えた人類の多くにとりましても、求められた国家成立の要件であったはずです。とりわけ、古代文明は農業と共に出現しますので、民族集団が、自らの社会を維持し、安定した生活を営もうとすれば、農地並びに定住地を要します。古代文明が誕生したユーフラテス川流域からナイル川流域にかけての地域では、各民族が、縄張り的に土地を囲い込み、自らの領域とした領域国家が数多く出現していたものと推測されるのです。おそらく、アブラハムの出身地であり、シュメールの一都市であったウルをはじめとした古代の都市国家の多くも、周囲を農地に囲まれた、農民達が安全に集住地できる場所であると共に、農産物の集積地でもあったのでしょう(そこから商業や様々な手工業が生まれ、都市がさらに発展してゆく・・・)。

アブラハムの時代にあって、国家の建設と土地の取得とが不可分に結びつくようになっていた点を理解しますと、アブラハムに対して一定の土地の取得を約束したとする記述も、ユダヤ人国家の建国という意味を持ってきます。そして、もう一つ、注目すべきは、上述した『創世記』第17章に先だつ第15章でも、‘神(ヤハウェ)’は、アブラハムに対して土地取得を約束している点です。ところが、‘約束の土地’は、第17章ではカナンの地としているのですが、第15章では、「エジプトの河から大河すなわちユーフラテス河まで」としているのです。

約束の地を‘ナイル川からユーフラテス川まで’とするこの地理的範囲の記述が、シオニストをして大イスラエル主義を唱える根拠ともなるのですが、‘神’すなわちヤハウェは、出現の度にいささか供述、すなわち“約束”の内容を変えていることとなります。ナイル川からユーフラテス川までの地域一帯であれば、アブラハムの出身地であるウルを含む中東地域一帯となりますし、カナンであれば、今日の凡そパレスチナの地に狭く限定されるからです。ここに、‘神’とは誰なのか、という問題も提起されるのですが、第15章の記述が、メソポタミアの王にしてエジプトまでをも支配されたとする伝説を有するメネス王の支配領域と凡そ一致するのも気にかかるところです。おそらく、今日では忘れ去れている古代人の記憶が関連しているのでしょうが、何れにしましても、必ずしも‘約束の土地’が明確な国境線をもって指定されているわけではないのです。

‘神’が、絶対神にして全知全能であるならば、‘約束の地’が曖昧なはずもありませんので、『創世記』の記述を文字通りに解釈することはできないはずです。そこで、人類史において同文章の意味を読み解くとしますと、それは、今日の国民国家の存在意義と然して変わりはないのかもしれません。すなわち、民族が領域国家を持つことで得るメリットであり、具体的には、安全な社会空間並びに住空間の確保や土地に付随する各種資源(水利や鉱物資源など)の利用などを挙げることが出来ます。領域を持たない場合には、四方八方から攻撃を受け、民族滅亡や奴隷化を余儀なくされるかも知れないからです。領域が定まることで、他の隣接する民族を牽制することもできますので、防御や安全保障の強化にも貢献したのでしょう。

このように考えますと、『創世記』の記述をもって‘約束の地’を特定しようとする行為は、紛争を招きこそすれ、今日にあって意味のあることではないように思えます。人類史的な解釈は、ユダヤ人にあっては解釈をめぐる対立を解消させると共に、他の人類をも、聖書の利己的解釈がもたらすリスクから解放するのではないかと思うのです。

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