戦争の最中にあった1942年に制定され、戦後にあっても長らく食糧管理制度を支えてきた食糧管理法は1995年に廃止され、今日では、食糧法に衣替えしています。2018年には減反政策も廃止されたのですが、この自由化によって最も利益を得たのは、お米を生産する農家でもそれを消費者である国民でもないのかもしれません。
現行の食糧法(「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」)によれば、政府は、お米の供給量について調整し得る権限が認められています。政府の主たる政策手段は、主要食糧(米穀と麦など)の(1)買い入れ、(2)輸入、(3)売り渡しの三者です。需要の増減については民間任せとなりますので、政府の政策手段は、主として供給面での調整となります。つまり、供給過剰の場合には買い入れを実施して価格下落を防ぎ、供給が不足する場合には、逆に売り渡すことで価格を上げて調整するのです。
因みに、同食糧法に基づけば、小売価格が上昇しているのですから、政府は、備蓄米の放出先を小売り部門とすべきであったと言えましょう。生産段階では十分な供給量がありながら、「買い占め」や「囲い込み」によって供給不足が起きているとすれば、それは、集荷や卸といった小売り以前の段階に問題があるからです。問題箇所に備蓄米を売り渡しても、小売りでの販売量が増えなければ価格は下がらないことでしょう。なお、備蓄米放出に際して、‘備蓄米は災害時や有事等のための備えであり、目的外である’とする主張があります。この主張がどこから出てきているのか不明なのですが、同説は、今般の米価高騰が安全保障にも関連してくる可能性を示唆しているとも言えましょう。
さて、米価格については、同食糧法は、米穀価格形成センターでの形成を予定しています。同センターは農水省の許可を受けて開設されるものとされ、一先ずは、生産者団体や事業者による自発的な組織と位置づけられているようです。売買取引に参加し得るのも‘資力信用’のある者に限定されていますので、同センターを中心に取引が行なわれていれば、おそらく、今般のような異業種事業者や転売目的の外国人バイヤー等が暗躍する余地はなかったことでしょう。しかしながら、同センターについては、生産団体や卸売業者の参加数が減少したため、解散となった事例も報じられています(農協は参加していないのでは・・・)。現実には、お米の価格形成の主要な場とはならず、同センターは、食糧法が定める機能を果たしてはいないようなのです。毎月農林水産省が公表する相対取引価格も、同センターでの取引価格のみを集計して平均値を算出したものではないようです。
なお、同法では、政府の供給調整に従った農家に対して無利子の貸し付けを行なう「米穀安定供給確保支援機構」なる機関も設立されており、ここでも金融との繋がりが見受けられます(同業務は、農水省の許可を受ければ、金融機関に委託することもできる・・・)。農家からしますと、政府が実施する供給調整に応じて在庫を増やせば、無利子とはいえ、借金を抱え込むことになりますし、一定の収益となる政府よる買取の方が望ましいことは言うまでもありません。同機構は、政府の備蓄キャパシティーを超える供給調整、つまり、個別に農家が保管しなければならない状況を想定しているとも考えられますが、この貸付制度は、どこか、不自然な感は否めないのです(必要性が疑わしい・・・)。
以上に述べてきましたように、今日の食糧法とは、半ば空文化しているようにも見えます。そして、米作における政府の存在の希薄化による空白地帯の出現が、“魑魅魍魎”のような業者が‘自由’の名の下で跋扈する今般の米価高騰を招いているとも言えましょう。価格調整の主導権が政府の手を離れ、民間の投機家達が、調整ならぬ‘価格操作’を行なうようになったのですから。
それでは、現行の食糧法を厳格に適用すれば、全ての問題は解決するのでしょうか。上記の仕組みを見ますと、現行の食糧法が定める仕組みが最適でも、完璧であるとも言えないようです。米価高騰の一連の動きを見る限り、この問題を解決するには、先ずもって生産者と消費者を直接的に繋ぐような産直の仕組み、少なくとも、流通段階において中間者をなくしてゆく方向に新たなシステムを構築すべきなのではないでしょうか。‘危機はチャンス’とも申します。そして、可能であれば、この作業は、今年の作付けが始まる前までに行なうべきなのではないかと思うのです(続く)。