今般の衆議院銀選挙の結果は、与党側が少数派に転落するという結果に終わりました。しかしながら11月11日に予定されている臨時国会での首相指名では、野党側が統一候補を擁立できず、決選投票にあって石破茂首相が選ばれるとする予測がもっぱらです。その理由は、同選挙で議席数を大幅に伸ばした国民民主党が、自らが公約として掲げた政策の実現と引き換えに、首相指名に際して玉木雄一郎代表の名を書き、自民党に有利な投票を行なうとされるからです。この手法は、「部分連合」とも呼ばれています。内閣の閣僚ポストを抜きにして、共に賛同し得る政策については協力して法案を成立させる、つまり全法案ではなく、一部の法案に限って複数の政党が連合するスタイルとなるため、「部分連合」と称されているのでしょう。
さて、同手法は、少数与党が自らの政権を維持するための‘取引手段’として用いられているため、どこか打算的なイメージがあります。特定の法案を政党間の取引材料にしますと、民意から離れてしまい、後々禍根を残すケースも少なくないからです。例えば、民主党政権時代に成立した再生エネ法は、国民からの不人気によって退陣要求の強いプレッシャーを受けた菅直人首相が、自らの辞任と引き換えに成立させたものです。首相指名と首相辞任という点において両者は逆パターンともなるのですが、法案を人質に取るような手法は、同法案の審議を杜撰にしますし、純粋に法律の内容に基づいてその成立の是非を判断した結果ではなくなります。‘○○法案は国民に益するから賛成する’というのではなく、‘○○法案は政権の維持に必要だから賛成する’というのでは、雲泥の差があるのです(後者は、本来、あってはならないことでは・・・)。
「部分連合」は、特定の法案が政党間の‘取引材料’となっている現状からしますと積極的には支持できないのですが、その一方で、‘取引材料’という問題部分を取り除きますと、同手法には、政策本位の政治への移行という意味において、一つの可能性を秘めているように思えます。それは、法案毎に、政党あるいは議員達が多数派を形成して同法案を成立させるという、新たな政治のスタイルです。
議院内閣制を採用している日本国の国会では、政府提出法案(内閣提出案)が大多数を占めており、議席数において優る与党側議員の賛成多数により、これらの法案は難なく成立します。その一方で、議員提出法案、とりわけ野党議員が提出する法案は、過半数を越える賛成票を得るは難しく、その大半が廃案となります。‘数の力’によって初めから廃案になることが予測されるため、議員提出法案の数も自ずと減少してしまうのです。しかも、法案の採決にあたっては政党レベルで党議拘束がかけられる場合も多く、立法府が単なる政府提出法案の承認や形式的な賛同機関に堕してしまう一因でもあります。多数決、すなわちに‘数’が決定するのですから、法案に対して活発な審議が行なわれるわけでもなく、政治家の質の著しい低下をも招いていると言えましょう(国会議員は、数合わせのための存在に過ぎない・・・)。
かくして日本国の国会では、政府提出法案⇒与党側による賛成票⇒法案成立を常態としてきたのですが、与野党を問わずに何れの政党も議席が過半数に達していない今日の政治状況は、モデル・チェンジを試みる千載一遇のチャンスでもあります。国会法の第56条には議案の発議に対する要件が定められており、衆議院では議員の20人以上、参議院では10人以上の賛同者を集めることができれば、法案を提出することができるとしています(ただし、予算を要する法案については、衆参それぞれ50人以上、20人以上・・・)。そして、今日、各政党あるいは議員達が横関係で連携すれば、法案を提出し得ると共に、同法案を可決することもできる状況にあるのです。また、このことは、同連携によって政府提出案を廃案に持ち込めることをも意味します。民意に添った法案であれば、国民世論も後押しすることでしょう。
議院内閣制にあっては政府と議会の与党との繋がりが、立法府としての議会を機能不全、あるいは、形骸化している側面があります。しかしながら、固定概念を離れ、先入観なく立法のシステムを見つめますと、与野党という二分法の括りを外し、法律の制定、改正、廃止等に際して、法案毎に政党や議員がより柔軟に協力関係を組み替えつつ連携し得るスタイルの方が、国民のニーズにより的確に応えることがでるように思えます。そして、この問題は、‘政党とは何か’、並びに、‘政府とは何か’という基本的な問いにも繋がってくるのです(つづく)。