天安門事件から23年 胡政権、「動乱」評価変えぬまま(朝日新聞) - goo ニュース
天安門事件から本日で、23年目を迎えます。中国国内では、近年、ネット上の監視が強化されており、この事件は、あたかも”なかった”かのように扱われているそうです。
しかしながら、1949年10月、中華人民共和国の建国が、毛沢東によって高らかに宣言されたのが、天安門広場であったことを思い起こしますと、全世界において天安門事件が民主化運動の象徴となっている現状は、中国共産党にとっては、皮肉な結果なのかもしれません。建国という記念すべき日の舞台となり、中華人民共和国の門出の場となった広場の名称は、今や、共産主義ではなく、民主主義と結びついてしまったのですから(もっとも、中国では、『六四事件』と表記するらしい…)。今日では、”天安門”と聞けば、誰もが、戦車の前に立ちはだかる一青年の衝撃的な姿とともに、天安門事件を想起するようになったのです。
1989年に起きた天安門事件は、政権側に押しつぶされ、中国の民主化にも、政治改革にも繋がりませんでしたが、従来の天安門のイメージを一新するほどの破壊力を残しました。果たして、中国には、天安門広場が、名実ともに民主主義の象徴となる日が訪れるのでしょうか。
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天安門事件から本日で、23年目を迎えます。中国国内では、近年、ネット上の監視が強化されており、この事件は、あたかも”なかった”かのように扱われているそうです。
しかしながら、1949年10月、中華人民共和国の建国が、毛沢東によって高らかに宣言されたのが、天安門広場であったことを思い起こしますと、全世界において天安門事件が民主化運動の象徴となっている現状は、中国共産党にとっては、皮肉な結果なのかもしれません。建国という記念すべき日の舞台となり、中華人民共和国の門出の場となった広場の名称は、今や、共産主義ではなく、民主主義と結びついてしまったのですから(もっとも、中国では、『六四事件』と表記するらしい…)。今日では、”天安門”と聞けば、誰もが、戦車の前に立ちはだかる一青年の衝撃的な姿とともに、天安門事件を想起するようになったのです。
1989年に起きた天安門事件は、政権側に押しつぶされ、中国の民主化にも、政治改革にも繋がりませんでしたが、従来の天安門のイメージを一新するほどの破壊力を残しました。果たして、中国には、天安門広場が、名実ともに民主主義の象徴となる日が訪れるのでしょうか。
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天安門事件で連想してしまうのは、チェコ動乱(プラハの春)です
共産主義に抵抗する人々にCIAは「米軍の介入」を約束したのです。米軍の介入を信じて最後まで抵抗を続けた人々をソ連軍は踏みつぶしてしまったのです。
最近の出来事ではシリアの政権による国民虐殺があります。
シリアの事件は国連安保理で制裁決議が採択されないのは、ロシアや中国が石油利権目当てに反対しているからなのです。
日本ではお花畑の連中が何かといえば「国連決議」「反原発」「人類の平和」などと奇声をあげていますが、国連は各国の利害を調整する場を提供するだけであって何の規制力も持ちません。
日本の片隅から国際的に強制力のある組織を作るべきだと念仏が聞こえてくるのですが、国際的な強制力を持たせようとすれば核兵器以上の絶対的な武力が必要になります。
一つの組織が絶対的力を持つことになり、悪しき思想で行使されれば人類全体を奴隷にすることも可能なのです。
危険極まりない諸刃の刃です。
少々脱線いたしましたが天安門を過去に自由と民権を求めて戦ったモニュメントにするためには、我が国が他国にエネルギーや資源を依存する事から脱却し、経済も中国や韓国に依存するのを止め東南アジアや太平洋上の国々と連携することが大切でしょう。サイパンやグアムも入りますので当然アメリカも関わりを持ってきますし、オーストラリアも交え中国・韓国・北朝鮮包囲網を敷き、チベット・ウイグル・南モンゴルの独立を支援しながら中国共産党政権を崩壊させ中国国民が自ら政治を取り戻すように協力する事が大切だと思います。
青臭い理想論ですが、理想は叶えるためにある、と云う事で
長い目で見ますと、日本国が、現在の中国共産党政権との政治・経済・社会の各面において関係を深め、間接的に一党独裁体制を支援することは、アジアのためにはならないと思うのです。無法国家である北朝鮮は当然として、国際法を順守しようとしない韓国もまた、友好国としては相応しくはありません。ねむ太さまのおっしゃるような、アメリカやオーストラリアなども含め、自由と民主主義を共通の絆とする広域的な秩序を形成するほうが、はるかに、アジアの未来に資することになります。国連にリスキーな理想を求めるよりも、より現実的で追求するに値する”理想”とも言えるのではないでしょうか。