万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

世界大戦は世界支配へのステップ?-地政学の逆さ読み

2022年06月09日 15時46分54秒 | 国際政治
 第二次世界大戦後の東京裁判では、日本国は、世界支配を企んだ廉で断罪されることとなりました。それにも拘わらず、戦後にあっては、その罪状である「世界支配」という言葉は、どこか陰謀論めいていてSF小説の世界のお話のような印象を受け、「世界支配」に対する認識の低さや嘲笑的な態度が見られます。

 このような世界支配の実存性に対する日本国内における冷淡さは、東京裁判に起因するのかもしれないのですが、それは、あくまでも’当時の日本の国力を考えれば’という前提付きです。否、近現代の国民国家体系にあっては地球上には細かに国境線によって区切られた国家群がひしめいていますので、たとえ軍事大国であっても、この状態が継続する限り、永遠に世界支配を実現できる実力を備えた国家は登場しそうもありません。それでは、世界支配を本気で実現しようとするならば、どのような方法があるのでしょうか。

 ここから先は地政学の逆さ読みによる憶測に過ぎないのですが、世界支配に到達するには、まずもって戦争、しかも、数度、正確にはおそらく最低三度の世界大戦を要すると考えられます。マッキンダーによれば、大航海時代以降の近代史はシー・パワーとランド・パワーとの間の不断の闘争の歴史なのですが(共産主義の階級闘争史観にも通じている…)、その思想背景にはヘーゲル哲学があるのかもしれません。ヘーゲルは、二つの対立するもの、あるいは、矛盾するもの同士の対立や闘争がやがて止揚(統合・統一…)されてより高次のレベルに達するとする理論を提唱しています。同理論に従えば、止揚を繰り返したその先に、人類は’世界精神’に到達することとなります。同理論にかかれば、対立や衝突は回避すべきものではなく、むしろ高みに昇るための必要なステップとなるのです。

 マルクスは、ヘーゲル哲学を批判的に受容することで、階級闘争の繰り返しの到達点、即ち、最終段階としてのプロレタリア独裁を’予言’しました。ヘーゲル哲学は、間接的ではあれ現実の歴史をも動かしたのですが、マッキンダーのシー・パワーとランド・パワーとの二項対立構図もまたヘーゲル流に解釈しますと、最初に低レベルでの止揚が繰り返され、最後の段階で両パワーの中心国同士の対立となり、最終的にどちらかの勝者による世界支配が実現する、という未来を’予言’することができます。

シー・パワーの立場から、マッキンダー自身は、ランド・パワーによるハートランドの掌握による’世界島(ユーラシア大陸+アフリカ大陸)’の支配をディストピアの出現として懸念していたようなのですが、同史観から世界大戦を眺めますと、英仏露の三国協商対独墺伊による三国同盟の対立構図となった第一次世界大戦は、主としてイギリスを中心とするシー・パワーが急速に台頭してきたランド・パワーであるドイツを、同じくランド・パワーであるロシアと手を結ぶ形で抑え込んだ戦争となります。もっとも、ヨーロッパが発火点となった同戦争の目的は、むしろ、アメリカとソ連邦、そして、極東の日本国や中国をも本格的な’世界大戦’に引き込むための布石であったとも考えられます(日本国の場合、特に日露戦争、並びに、日英同盟によるシー・パワー陣営参加が世界大戦への道筋を付けた点で決定的な意味を持ったのでは…)。

 それでは、第二次世界大戦はどうでしょうか。第二次世界大戦の構図では、ユーラシア大陸へとその勢力圏を拡大させた日本国が、シー・パワーからランド・パワーへと移され、日独伊の枢軸国陣営を形成したことに加え、シー・パワーにあっては、アメリカがイギリスに代わりその中心国の地位を獲得しています。と同時に、ランド・パワーにあっては、中心国の候補と目されてきたドイツとソ連邦は、ドイツの敗戦によりシー・パワーの支援で軍事大国となったソ連一国に絞られます。そして、ソ連邦のランド・パワーへの回帰によって(連合国の分裂…)、ついに、シー・パワー対ランド・パワーという二項対立が、東西冷戦構造という形で出現するのです。

その後、シー・パワー陣営では、アメリカを中心にNATOや日米同盟などの軍事同盟が張り巡らされ、一方のランド・パワーにあっては、ソ連邦を盟主としてワルシャワ条約機構が形成されることとなります。さらに、中国共産党政権もランド・パワーに加わったとも言えるでしょう。第二次世界大戦の目的とは、実のところ、世界を二項対立の冷戦構造に収斂させるところにもあったのかもしれません(仮に、第三次世界大戦となって、ロシア+中国のランド・パワーによる世界支配が成立すれば、アフリカに影響力の強い中国の存在によって、マッキンダーが懸念していた”世界島(ユーラシア大陸+アフリカ大陸)’による世界支配が成立してしまう)。

 仮に、地政学をバックとした計画の最終目的が世界支配にあるならば、第二次世界大戦が人類最後の世界戦争とはならないはずです。最終勝者が世界を支配し得るならば、第三次世界大戦は必須の条件となりましょう(ロシアも中国もランド・パワーなので、第4次世界大戦が予定されているとは限らない…)。
 
 このように推測しますと、第三次世界大戦は既に計画されていた可能性は無下に否定はできなくなります。そして、最終勝者の背後には、世界史を裏から操ってきた真の黒幕がしっかりとその手綱を握っているのでしょう(おそらく、どちらのパワーが勝利しても、自らが真の勝者となるように予め仕組んでいる…)。第二次世界大戦と第三次世界大戦との間の戦間期にはグローバリズムが全世界に押し寄せ、ITをはじめ世界支配、否 人類支配に貢献する様々な先端技術も開発されています(世界支配に向けた環境整備?)。

しかしながら、必ずしも計画通りに物事が運ぶとは限りません。計画は、あくまでも計画に過ぎないのですから。そして、計画実現に妨げるものがあるとすれば、それは、被支配者の立場に落とされてしまう諸国民からの抵抗であり、自由や民主主主義を尊ぶ人々の常識と良心なのではないかと思うのです。

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地政学を逆さから読む

2022年06月08日 15時21分52秒 | 国際政治
地政学の理論は、今日に至るまで国際社会を徘徊しており、大国の行動を理解するに際して大変役に立ちます。地政学の研究は、地球儀、あるいは、世界地図との睨めっことなりますので、大国が自らの勢力圏を囲い込む、あるいは、拡大する上での指南書ともなり得るのです。しかしながら、大国の世界戦略を理論的に支える一方で、地政学は、国益のみに焦点を絞るものではありませんでした。むしろ、シー・パワーやランド・パワーといった用語が示すように、特定の国家を対象としたものでも、ナショナリストとしての自国の対外政策としての世界戦略を論じたものでもなく、国益とは離れた視点から地球上において展開されている大国間の勢力圏争い、即ち、パワー・ゲームを眺めています。このことは、大国さえも、地政学の視点からしますと’世界戦略’の実行者に過ぎない可能性を示唆しているとも言えましょう。

 仮に、地政学というものが、何れの国のも属さない超国家権力組織の’世界戦略’、あるいは”地球戦略”を背景として登場してきたとするならば、過去のみならず、現代、並びに、未来の国際情勢さえ予測することができるかもしれません。何故ならば、地政学とは、同組織にあって長年温められてきた計画に理論の衣を着せ、各国政府の政策指針としての採用を目的としていた可能性があるからです。既に作成されていたシナリオやスケジュールに従っているだけであるならば、そのスケジュール表を手にすることができれば、’予定された未来’を知ることができるのです(もっとも、現実が、シナリオ、あるいは、スケジュール通りに進むとは限らない…)。

 日本における地政学の研究者であった曾村保信氏は、その著書『地政学入門』(中公新書、1984年)においてハウスホーファーの『太平洋地政学』を「歴史的予言の書」とも評しています。同書の初版は1924年なのですが、自給自足的経済圏の観点から、日本国の満州への勢力拡大を読んでいたからなのでしょう。また、エール大学の国際問題研究所で戦略研究を行っていたニコラス・J・スパイクマンは、第二次世界大戦の最中にあって既に戦後の日米同盟の必要性を予測していたとも記されており、シー・パワーの担い手としてのアメリカの戦後の太平洋戦略は、既に存在していたのかもしれません。そして、二つの超大国が対峙した米ソ冷戦構造の出現も、まさにシー・パワー対ランド・パワーの対立構図を以ってきれいに説明されてしまうのです。

 もっとも、地政学者の主張には違いがあり、必ずしも見解が一致しているわけではありません。とりわけ、ハウスホーファーの説とマッキンダーといった英米系の学者の説とでは顕著な違いがあります。しかしながら、前者がどちらかと申しますとランド・パワー向けの説であり、後者がシー・パワーを対象に政策論を展開しているとしますと、両者が役割を分担しているようにも見えます。あるいは、各国政府がこれらの理論を採用しやすいように、ターゲットとした国の国益を巧妙に織り込んでいたとも考えられましょう。言い換えますと、各国の政府が地政学の理論の実行者であるとすれば、地政学者達は、世界規模で役割を分担しながら各地でその唱導役を担っていたかもしれないのです。

 このように考えますと、地政学の理論を逆さから読んでゆけば、世界支配の工程表とでも言うべき最初の’計画’に辿り着く可能性が見えてきます。地政学の舞台である地球儀や世界地図には国境線はなく、勢力間の対立が世界大戦を経た世界支配への道であるならば、この作業は、人類の未来を左右しかねない程に極めて重要な意味を持つこととなりましょう。ウクライナ危機を機に第三次世界大戦が懸念され、大国間の宇宙開発競争という姿で’宇宙戦略’も姿を見せる中、地政学の逆読みは、決して無駄ではないように思えるのです。

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地政学と日清・日露戦争の謎

2022年06月07日 16時32分56秒 | 国際政治
地政学とは、スウェーデンの地理学者であったルドルフ・チェレーン(1864-1922年)に始まるとされています。その後、20世紀初頭にあってマッキンダー、ハウスホーファー、ハマンといった地政学者が登場し、彼らの学説や考え方は、各国の対外政策、否、世界戦略に少なくない影響を与えるのみならず、実践される場合もあったのです。いわば、専属ではないにせよ、政策決定者に対して指南役を務めていたとも言えましょう。

地政学者たちは、国益に奉仕する国家主義者のイメージがありながら、これらの著名な地政学者のパーソナルな背景には、超国家権力体とでも表現すべき勢力の影が見え隠れすることは、昨日の記事にて指摘したところです。そして、地政学の観点から日本国の近代史を見直しますと、これまでの説明とは違った姿が歴史に浮かび上がってくるように思えます。それは、歴史の謎を解く鍵ともなるかもしれません。

例えば、日清戦争にしても、日本国が清国を相手に戦争に訴えるだけの必然性を見出すことは困難です。もちろん、自衛のための戦争ではありませんし、ポルトガルやオランダが早々と台湾統治を諦め、清国も下関条約であっさりと台湾を手放したように(当時の清国は、台湾を固有の領土とは見なしていない…)、当時にあって、台湾の経済的な価値はそれほど高く評価されているわけでもありませんでした。日本国は帝国主義的な領土拡大を果たしたとする説明がある一方で、台湾開発のために、その後、日本国は、多額の国費を投入することとなります。植民地化を誘引するような天然資源に恵まれていたり、特産物が存在しない限り、領土拡張は、必ずしも経済的な恩恵をもたらすわけではないのです(もっとも台湾の場合、朝鮮とは異なり、最終的には財政収支は日本国側のプラスに…)。

そして、朝鮮半島ともなりますと、さらにわけが分からなくなります。日清戦争によって李氏朝鮮は、清国の冊封から解放され、国際社会において独立国として承認されますが、何故、李氏朝鮮の独立のために日本国民の血が流されなければならなかったのか、納得できない部分があります。この点は日露戦争も同様であり、本来であれば、朝鮮半島をロシアの脅威から護るべき第一義的な責務は、大韓帝国にあったことは言うまでもありません。この疑問点については、清国から独立した大韓帝国は軍事的に弱小国であり、しかも、ロシア帝国の属国となるのを防ぐために日本国がロシアと闘ったと一般的には説明されているのですが、日露戦争では日清戦争以上に国民の尊い命が失われていますので、他に選択肢はなかったのか、疑問を抱かざるを得ないのです。

このように、近代国家として日本国が戦った日清・日露戦争は、領土拡張を含め、日本国の国益追及のみでは説明のつかない側面があります。しかしながら、地球儀を片手に世界を論じる地政学の理論においては、シー・パワー対ランド・パワーの対立が極めて重要な構図です。例えば、マッキンダーは、ハートランドを「回転軸の地域」と日本列島から台湾にかけてシー・パワーがランド・パワーを抑え込む形態が’外周の半月弧’として描いています。そして、’半島’という概念が、シー・パワーがランド・パワーを制するための橋頭保としての意味を有することを知れば、朝鮮半島をめぐる争奪戦も自ずと理解されるのです。

 ロシアもウクライナも、まさしく世界の中心とされた「回転軸の地域」に含まれており、今日、ウクライナ危機が起きるには何らかの’理由’があるのかもしれません。地政学は、過去と同時に現代の謎を解く鍵ともなり得るのです。そして、今日に至るまで影響力が保たれているとすれば、人類は、超国家権力体によって刷り込まれている地政学的な二項対立の構図からの脱却を急ぐべきなのかもしれないと思うのです。第三次世界大戦を回避するためにも。

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無視できない地政学的な視点-ウクライナ危機に潜むもの

2022年06月06日 15時24分10秒 | 国際政治
これまで、戦争とは、大半の教科書では国家間の武力衝突として平面的に描かれてきました。戦争名の多くは、当事国、あるいは、当事国双方の国名として表現されています。例えば、日清戦争は日本国と清国との間の戦争であり、日露戦争は日本国とロシア帝国との戦いでした。しかしながら、近代日本の輝かしい戦勝の歴史として記憶されつつも、両戦争の背景をつぶさに観察しますと、幾つかの疑問が湧いてきます。

日本国の二つの近代戦争に関する疑問は、何故、この時代、日清戦争や日露戦争が闘われ、さらには二度の世界大戦にまで至ったのか、即ち、全世界的なパワー・ポリティクスの時代となったのか、という問いかけにも行き着きます。そして、そこには、地政学の強い影響が見て取れるのです。地政学と申しますと、アルフレッド・セイヤー・ハマンの海軍戦略論やハルフォード・マッキンダーのハートランド論などが知られていますが、日本国との関係においてはドイツ駐日武官として日本国に滞在していた経歴を持つカール・ハウスホーファーの名を挙げることができます(大東亜共栄圏構想に影響を与えたとする指摘もある…)。
 
 それでは、これらの地政学の祖とされる人々は、どのような視座から世界規模で展開されるパワー・ポリティクスを眺めていたのでしょうか。アメリカ人であったハマンはアメリカの、そして、イギリス人であったマッキンダーはイギリスの世界戦略に多大な影響を与えたとされ、ハウスホーファーの理論も、ナチス・ドイツの生存圏構想の発想と通じるところがあります。このため、何れの地政学者も特定の国との結びつきで語られる場合が多いのですが、これらの人々の個人的なプロフィールを見ますと、出身国の枠には収まらない’超国家的’なネットワークとの繋がりを見出すことができます。

例えば、ハマンの父親であり、軍事理論家かつシビル・エンジニアでもあったデニス・ハート・ハマンは、アイルランド系カトリック移民の子孫としてニューヨークに生まれています。ナポレオン戦争等を研究するナポレオン・クラブなども主催したのですが、同氏の写真には、フリーメーソンのポーズとされる右手を懐に入れた姿で撮影されたものが残されています。なお、ハマンの子女の一人は’クーン’という姓名の家に嫁いでおり、日露戦争時の日本国債引き受けで巨額の利益を得たシフと親族関係にあるユダヤ系金融財閥のクーン・ローブ商会を思い起こさせます(全く関係ないかもしれませんが…)。

マーキンダーもまた、頑固な愛国者、あるいは、ナショナリストとは言い難い人物です。同氏は、先進的?な社会主義者の集まりであったフェビアン協会の創始者、かのウェッブ夫妻が1902年に創設したクラブ(The Coefficients)のメンバーでもありました。同クラブのメンバーには、三国協商を推進した自由党のグレイ外相、哲学者のバートランド・ラッセルやSF小説家のH.G.ウェルズの名も見出すことができます。

一方、バイエルン生まれのハウスホーファーについては、その妻であるマーサ・メイヤー・ドスは、ユダヤ系タバコ業者の娘でしたので、ユダヤネットワークとの関係はより明らかです。ナチスの幹部であったルドルフ・ヘスがハウスホーファーの教え子であったため、ニュルンベルク法の下にあっても、妻と3人の子供たちは、全員特別に’ゲルマン血統証明書’を発行してもらえたそうです。

こうした経歴からしますと、地政学者の多くは、全世界を’わが庭’とする視点からパワー・ポリティクスを論じていたのでしょう。そして、その背景には、国益の追求とは異なる行動原理が働いていたとも考えられ、日本国の近代における二つの戦争も、必ずしも日本国の’勢力拡大’を目的としたものとしてみるのは浅薄のようにも思えてくるのです(パワー・ポリティクスを演出する超国家権力体の’駒’とされたのかもしれない…)。ウクライナ危機にあっても、ロシア、並びに、NATOを含むウクライナ側の行動に地政学的な思考が伺える時期だけに、表面的には国家間のパワー・ポリティクスと見える勢力争いにおいて、一体誰が最も利益を得るのか、より慎重な分析が必要なように思えるのです。

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岸田首相の’新しい資本主義’とは一億総株主なのか?

2022年06月03日 09時52分27秒 | 日本政治
 これまで首相交代のたびに氏名を英語化した’○○ミクス’と命名されてきたのですが、岸田首相の場合、珍しく’キシダノミクス’という言葉は聞かれません。その代わりなのか、’新しい資本主義’という言葉が打ち出されています。

 ところが、この’新しい資本主義’、一体、何を意味するのか解釈はまちまちです。’新資本主義’を言い換えた言葉に過ぎないとする見解がある一方で、’新しい社会主義’であるとする見方もあります。国民に対して岸田首相の口からその詳細が語られることはなかったのですが、「成長と分配の好循環」を掲げた所信表明演説などから、労働分配率を上げることによる所得の向上を期待した国民も少なくないかもしれません。高度成長期の再現、即ち、一億総中流政策こそ、’新しい資本主義’なのではないかと。

 何れにしましても、’新しい資本主義’の具体的な内容については曖昧模糊としていたのですが、先日、新しい資本主義を実現する政策として’一億総株主’という目標が公表されたことから、ネット上では、岸田内閣に対して落胆と批判の声が上がるようになりました。同政策は、自民党サイドによる提言なのですが、一億総株主政策は、あまりにも多くの問題を抱えているように思えます。

 第1に、岸田内閣が掲げてきた国民の所得向上という目標は、労働分配率の比重を上げるのではなく、株主分配率を厚くすることによって実現しようとしているとも解されます。近年、格差是正の観点から労働分配率を高めるべきとする声が高まっていましたが、新しい資本主義とは、勤労よりも投資を重んじる経済なのかもしれません。’一億総株主’の標語は、’貯蓄から投資へ’のキャッチフレーズと共に登場しつつも、その実態は、’労働から投資へ’なのかもしれません。

 第2に、政府の狙いとしては、NISAやIDeCoの利用者を増やそうというものなのでしょうが、国民全員を株主化しようとする政策は、株式に投資をしたくない国民、並びに、投資する余裕を持たない国民を政策の恩恵から実質的に排除することとなります。このため、同政策のメリット面での説明として、勤労所得の他にも株の配当等による収入を得ることができる、とするものもありますが、株式の非保有者である国民にとりましては、勤労所得の減少のみを意味するかもしれません。その一方で、投資促進を目的として株式投資に税制面でのさらなる優遇措置を実施するならば、同政策は、全国民を対象としたものではなく、少数の富裕層に対象を絞った優遇政策となりましょう。なお、’一億総億万長者’という目標が非現実的なように、’一億総○○’という表現には注意が必要です。


 第3に、’貯蓄から投資へ’という方向性にも疑問があります。何故ならば、必ずしも貯蓄よりも投資の方が経済成長にとりましてプラスであるのかどうか、不明であるからです。仮に投資への移行にプラス効果があるとすれば、その前提として、直接金融を担う銀行融資の失敗や非効率性を想定しなければなりません。低金利時代のため、預金者からしますと銀行預金は所得を増やす手段とはなりませんが、企業からしますと、低利で安定的な融資を受けることができます。一方、株式発行による資金調達となりますと、株主配当の義務、公開時の額面割れ、市場での自社株の下落、株主の経営介入、敵対的買収(海外企業もあり得る…)…といったリスクも伴います。箪笥預金とは違い、貯蓄であれ、投資であれ、両者とも経済において生かされているのですから、優劣はつけ難いのです(社債発行という資金調達手段も無視されている…)。また、起業であれ、設備投資であれ、投資家となった多くの国民が、これらの事業失敗時のリスクを負うことは言うまでもありません。

 国民が従順であれば、多くの国民は、政府の政策に従って積極的に株式に投資しようとすることでしょう。仮に、株式市場に国民の保有資金が殺到するとなりますと、マネーゲームが加熱したり、投資が投機に転じ、バブルが発生する可能性もあります。第4の問題点は、証券市場におけるバブル発生リスクです。バブルはやがて潰れるのが常ですので、大多数の国民が損失を被ることとなりましょう。しかも、バブル崩壊を機に恐慌が発生でもすれば、目も当てられない大惨事となります。

 さらに第5番目に挙げられるのは、日本国民の株式投資が必ずしも日本経済にプラスに働くとは限らない点です。経済成長率からしますと、途上国企業の方が投資先としては有力ですし、起業数も圧倒的に米欧が優ります。グローバル化、並びに、ネット化が進んだ今日、日本の証券会社も海外企業の株式を扱っていますし(中国株も取引き…)、海外金融機関も日本の金融市場に参入しています。日本国民の主たる投資先は海外企業となり、これらの海外企業の国際競争力を高めてしまう事態もあり得るのです(日本国の金融収支はプラスになっても、日本経済は衰退…)。もっとも、2014年には、中国の証券会社である海通国際証券集団が、東京証券取引所に上場する日本株の調査会社であるジャパンインベスト・グループを買収していますので、日本株に日本国民が投資し得る仕組みであれば、海外資本に対する日本経済の防御策とはなりましょう。

 以上に‘一億総株主’の主要な問題点についてみてきましたが、経済成長を促す好循環のモデルを未来図として描くばかりで、現実に起こり得るマイナス作用については殆ど考慮されてはいません。新しい資本主義が‘一億総株主’であるとしますと、それは、国民感情も現実をも無視したあまりにも短絡的な発想のように思えるのです。

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ロシア国債デフォルトは朗報なのか?

2022年06月02日 15時06分27秒 | 国際政治
本日、6月2日の報道によりますと、全世界の大手金融機関で構成されているクレジット・デリバティブ決定委員会(CDDC)は、1日、ロシア国債のデフォルトを認定したそうです。速報として報じられており、ウクライナ危機の最中にあって同国国債への関心の高さが伺えます。日本国内のメディアやネットの論調は、対ロシア経済制裁の成果という評価なのですが、このニュース、果たして朗報なのでしょうか。

 ロシア国債がデフォルトの認定を受けますと、以後、ロシアは、国際市場から資金を調達することができなくなります。このことは、ロシアが、近々、ウクライナにおける軍事行動を継続するための戦費が不足する可能性を意味しており、自由主義国による’兵糧攻め’の効果が表れてきた兆しとして評価されています。

 このようにロシア敗北の兆候としてロシア国債のデフォルトをプラスに評価する見方がある一方で、手放しで喜べない側面もあります。その理由は、ロシア国債のデフォルトで損失を被るのは、発行国であるロシアのみではないからです。今後の国債発行、即ち、戦費調達の道が閉ざされたとしても、現下にあっては、ロシアは、むしろ国際の元本の償還や利払い義務から解放されます(借金を踏み倒している…)。結局、発行済みのロシア国債のデフォルトに起因する損失は、その保有者が負うこととなるのです。

正確なところはわからないのですが、欧米の金融機関によるこれまでの対ロ投資は相当額に上るとされています。リーマンショック時のサブプライムローンほどではないにせよ、ロシア国債が’紙屑’となることで、自由主義国の金融機関のバランスシートが傷む事態も予測されます。また、ウクライナ危機を機にロシア国債の金利は上昇傾向にありましたので、ハイリスク・ハイリターン商品として購入した新興国の金融機関も少なくなかったかもしれません。

 さらに、ロシア国債のデフォルトは、危機以前から’デフォルト危惧国’であったウクライナの財政リスクをも再燃させるかもしれません。ウクライナもまた、戦費調達のために高利率の国債を発行しています。ウクライナには、アメリカをはじめとして自由主義国が財政支援を行っていますが、各国とも厳しい財政事情がありますので、無制限というわけにはいきません。ウクライナは、戦後にあってロシアに対して巨額の賠償請求を行い、これを以って支払いに充てようと考えているのかもしれませんが、ロシアが素直に支払いに応じるとは思えませんし、天文学的な賠償金額がロシアを核使用に追いつめるリスクもありましょう。言い換えますと、今後は、ウクライナ国債のデフォルトリスクも考慮する必要があり、両国間の戦闘が長引くほど、国際金融、並びに、各国財政も不安定化し、ロシアの核使用のリスクも高まることが予測されるのです。

 そして、もう一つ、考慮すべき点があるとすれば、それは、近代以降の戦争の裏側には、両陣営を陰から操ってきた特定の金融財閥を中心とした超国家権力体が潜んでいる可能性です。ナポレオン戦争では、イギリスの戦時国債を大量に購入していたロスチャイルド家が情報操作により巨額の利益を上げたことで知られていますが、戦争は、金融財閥にとりましては絶好の収益拡大のチャンスとなります。仮に、今般のウクライナ危機にあってもこうした勢力が潜んでいるとしますと、最後に笑うのは誰であるのかは分からないのです。

 ロシアは、自国産のエネルギー資源の輸入国に対しては、通貨であるルーブル建ての決済を求めており、米ドル決済網に頼らない体制の構築を急いでいます。また、対ロ制裁についても抜け道があり、石油等のロシア産資源が高値で闇取引されているとする指摘もあります。石油産出国であるロシアは、少なくとも戦略物資には困らない立場にあるのですから、ロシア国債のデフォルトについては、より慎重な分析と評価を要するのではないかと思うのです。

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真の理性の尊重とは?-銃規制と核規制の問題

2022年06月01日 19時47分37秒 | 国際政治
 銃規制も核規制も、突き詰めて考えてみますと、人であれ国であれ、生存に係わる問題です。危険に対する認識や対応を誤りますと、命を奪われたり、国が滅亡する運命が待ち受けていますので、本来であれば真剣に考え抜かねばならない問題なはずです。人の生命や国家の独立性は、それらが一度奪われますと、不可逆的に消滅しかねないからです。ところが、これらの問題については、現実や経験知を重んじる保守主義の人々よりも、より理性を尊重しているはずのリベラルな人々の方が、真剣みが足りないように思えます。’殺人や戦争をこの世からなくすには、その手段をなくせばよい’と単純に考えているのですから。

 リベラル派の人々からしますと、’保守派’は、人類の進歩に逆行している時代遅れの人々ということになりましょう。しかしながら、’保守派’として一括りにはされていますが、これらの人々は、凡そ二つのグループに分ける必要があるように思えます。

第1のグループは、現代という時代にあっても、如何なる目的であれ、力の行使をその実現手段として認める人々です。このため、自らの利益や欲望のためであっても、他者の権利や自由を侵害しても構わず、そこには、利己的他害行為に対する道徳・倫理的な心の痛みはありません。過去の時代と同様に、領域の拡大や他民族の支配はむしろ称賛されるべき偉業と見なされるのです。ここで言う保守には、過去の野蛮な時代の全面的な承認という意味合いがあります。

もう一つの第2のグループは、利己的他害行為の実行手段としての暴力を否定しつつも、暴力を制御する正当な手段としての力の行使を認める立場の人々です。後者は、いわば正当防衛肯定論者であり、力の行使については防衛面のみを認めると同時に、力の保持についても、その抑止力としての効果をも認めています。暴力自体は否定する一方で、その暴力を抑え込む手段としての物理的な力についてはこれを否定しないのです。もっとも、力の行使の容認という意味においては、第1のグループと同様に’保守派’に分類されることとなります。

リベラル派の人々は、’保守派’の第1グループとは相いれませんが、第2グループの人々とでは、利己的他害行為としての暴力は、人類の一般的な知性や良心に照らして否定されるべきものとする認識においては共通しています。ところが、リベラル派の人々は、第2のグループの思考も’忌々しき保守的考え方’と見なしがちです。暴力には暴力で対抗せざるを得ないという主張は、自らも同じ穴の狢に落ちているかのように見えるからです。世間一般でも、しばしば、大人げない行動をとる相手に対しては、大人の対応で応じるように勧める意見が散見されますが、リベラル派の人々もまた、上からの目線で’保守派の第2グループ’の人々を侮蔑を込めて眺めていることでしょう。あるいは、良心的なリベラルな人であれば、他の人々が相手のレベルに落ちないよう、必死になって止めているのかもしれません。人類が堕落しないようにと。かくして、リベラル派の人々は、ひたすらに暴力手段の全面的な放棄、即ち、’暴力の撲滅’を唱えるようになるのです。

それでは、銃や核兵器の全面的な廃絶によって、人々も国家も安全は保障されるのでしょうか。ここで真の理性や合理性とは何か、という問題も提起されます。たとえ暴力が否定されるべきものであったとしても、現実に暴力が存在する場合、それに対抗する手段の放棄が理性的な判断であるのかどうか、疑問があるからです。例えば、ライオンやトラといった野獣がうろうろ歩いている危険な状況下にあって、リベラルな人々が銃を捨てるようにいくら熱心に訴えたとしても、誰も耳を貸そうとはしないことでしょう。銃の放棄が、如何に人として’理性的な行為’であるのかを力説したとしても、人々がそれを理性的な行為として認めるとは思えないのです。現実世界は多様性に満ちており、それ故に犯罪が後を絶たないように、暴力を是認している人も国も存在しているのです。

仮に、リベラルな人々が、将来の目標として’暴力の撲滅’を訴えるならば、その具体的な道筋を示さなければ、決して理性を尊重しているとは言えないように思えます。目標の設定自体には、何の効果もないからです。そして、真剣に’暴力の撲滅’を実現する方法を考えならば、先ずもって、力を以って犯罪者や犯罪組織と真剣に闘わなければならないという現実に直面することでしょう。そのためには、’刀狩’を徹底し得る力を独占的に行使する巨大な警察機構を構築する必要があるかもしれませんし、それが不可能であるならば、善良な人々の自衛を認める必要もありましょう。

しかも、これで終わりではありません。出現した強大な警察機構には、権力の濫用、腐敗、私物化といったリスクもあり、これらを防止する安全装置としての仕組みも考案しなければならなくなります。また、そもそも、強大な警察機構の存在の是非についても根本的に議論する必要もありましょう。’暴力の撲滅’という口実の下で、人々の権利が必要以上に制限され、自由も抑圧されてしまうかもしれないのですから。政治的なスタンスの違いに拘わらず、真の理性の尊重とは、現実を直視すると共に、具体的、かつ、効果的な方法を考え抜くことにあるのではないかと思うのです。

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