出羽三山を巡る旅もいよいよ最終日でんな。
温海温泉(あつみおんせん)は知ってましたけど
久遠(くおん)さんは温泉街から少し離れてまっから
周りには何にもない、田舎の1軒宿ちゅう感じですわ。
(温海温泉 久遠)
(バイキング式の朝食)
(旅館 久遠の玄関前にて)
(昔の温海町時代の マンホールの蓋)
日本海東北自動車道は本来なら新潟JCTから
秋田市内までの高速道路のようでっけど。
新潟県と山形県の県境や、同じく山形県と
秋田県の県境の部分が未完成なんだって。
「あつみ温泉IC」からバスは鳥海山へ向かいまっせ。
鳥海山(ちょうかいさん)と読み、天気が良ければ
庄内平野から一望できるようでっけど
この日は雲が多くて、頂上は見れまへんでした。
3泊4日の旅程をクリアするために、わざわざ
鳥海山の中腹までドライブさせるような感じ。
鉄ちゃん爺やは酒田市の方へ回って欲しかったな~
庄内平野は後回しにして鳥海山へ直行しまっせ。
鳥海山は東北では2番目に高く標高2236mあり
独立峰としては、東北一の高い山なんだって。
(鳥海山のパンフレット)
(鳥海山 登山マップ)
登山マップの左端が標高1140mの鉾立(ほこだて)口で
ここから頂上までは、歩けば片道4時間半なんだとか。
山頂へ登山する人は、ここに車を止めて一日か二日を掛けて
鳥海山の頂上を踏破してから、戻ってくるようでんな。
100台の自家用車が駐車できる一番大きい場所だとか。
鉄ちゃん爺やは、北海道から大阪へ戻る飛行機から
常に眺めてる名峰なんでっけど、登るのは勿論初めて。
最高峰の標高2236mから、長い裾野を曳きながら
日本海へ落ち込むスケールの大きい山で、山形県側からは
出羽富士と呼ばれ、秋田県側からは秋田富士とも呼びまぁ。
ネットから拝借して鳥海山を貼り付けておきまひょ。
(庄内平野から眺める 鳥海山)
左側に西鳥海山が貼り付いているので、富士山とは
少しだけ趣が違うようにも感じまっけど。
庄内平野からは、庄内富士と呼ぶこともあるんだって。
実際の富士山と似ている姿は、秋田県の横手市からだとも。
(秋田側から見た 鳥海山)
こちらなら、秋田富士と呼ばれても納得でっしゃろ。
飛行機から眺めても「鳥海山」とすぐに分かるお山で
東北第一の名峰と呼ばれるのも納得でんな。
海から2200m以上まで聳える山と言えば、静岡県の
富士山と、この鳥海山ぐらいしか考えられまへん。
観光バスは鳥海ブルーラインで標高約1140mの
鉾立(ほこだて)展望台まで一気に登りまんねんで。
(鳥海山の中腹 鉾立展望台=ほこだててんぼうだい)
(奈曽渓谷=なそけいこく を見下ろす)
ここから日本海へ溶岩流が流れ下ったんでしょうな。
鳥海山は1974年(昭和49年)に小噴火をして
現在でも活火山として、監視がされているようでっせ。
鉄ちゃん爺やのカメラでは写りまへんので
ネットから、次の画像も拝借しまひょ。
望遠レンズで写せばこんな感じに見えるようでっせ。
(奈曽渓谷=なそけいこくから 鳥海山の山頂を撮影)
鳥海山の山頂は、やはり火山なのでこんな荒々しい姿でんな。
遠くから眺めたら、穏やかな鳥海山でっけど山頂は
富士山も同じでっけど、噴火の姿を残してますんや。
(鳥海山 最高峰 2236m)
この鉾立展望台は山形県じゃなくて、秋田県になりますんや。
鳥海山の最高峰は山形県遊佐町(ゆざまち)になりまっせ。
江戸時代に鳥海山で修験道の信者同士が、神社の在る山頂を
巡って争いが起こり、庄内藩と矢島藩が幕府に訴え出たとか。
最終的には譜代大名の庄内藩の領土と決まったんだって。
矢島藩は交代寄合8千石の生駒氏で、元は四国の大名家ながら
この時期はお家騒動後で、旗本格では勝ち目が無かったとか。
そんな経過を辿り、現在も鳥海山の山頂部分は山形県とされ
山形県の最高地点は、鳥海山の山頂と記されてますんや。
(鳥海山の山頂を 撮影)
山頂に掛かっていたガスが、一瞬だけ切れて肉眼では確認。
でも直ぐにガスが掛かって、隠れてしまいましたんや。
鉄ちゃん爺やのコンデジではこれが限界でっけど。
(鉾立 駐車場から 日本海側を撮影)
肉眼では、かすかに日本海が見えるんだけど
コンデジの画像では霞んで写ってまへんな。
晴れて居れば、秋田県の男鹿半島や新潟県の
佐渡島辺りまで見渡せる絶景だそうですわ。
この時期はこんな感じにしか見えないとのこと。
(鉾立展望台 標識と自撮り)
(鉾立山荘の全景)
ここから数Km下ると山形県に成りますんで
秋田県に一歩だけ踏み込んだ訳、そんな感じでんな。
ここから約200km近くをUターンして再び
新潟県の上越妙高駅に戻ることになりますんや。
(観光バス 越後交通の後ろ姿)
(鳥海ブルーラインの風景)
この鳥海ブルーラインは鉾立口より先を下って
秋田県の「にかほ市」まで続いているんだって。
我々は再び山形県側へ戻ることになりまっけど。
(国道7号線 鳥海ブルーラインへの入口)
国道7号線に降りてきたようで、バスは酒田市の方へ
向かって走り出したように思いまんねん。
国道7号線は新潟市から日本海側を北上して
青森市に至る、東北地方の幹線道路の一つでおます。
(風力発電の塔)
松林の向こう側には、日本海が広がってますんやけど
防風林が続いていて、海は一つも見えないようですわ。
この風力発電の塔は秋田県の方から山形県の酒田市まで
続いているので、飛行機からも良く分かりまっせ。
「酒田みなとIC」から日本海東北道に入るそうですわ。
酒田市の中心街は離れているので、ほとんど見えまへんな。
(最上川を通過中)
有名な最上川でっけど、ここはもう河口に近いんでっせ。
ここから直ぐに日本海で、山形県の酒田市の中心街になりまぁ。
江戸時代には「西の堺 東の酒田」と呼ばれるほど賑わったとか。
北前船の日本海回りで大坂まで物資が運ばれたんだって。
昔は内陸部の山形市よりも、新潟や関西方面との交易が
多かったと、今に伝えているようですわ。
(酒田市の 山居倉庫=さんきょそうこ)
明治時代に造られた倉庫で現在も使われているとのこと。
鉄ちゃん爺やが一人旅なら立ち寄るんだけど、今回はツアー
もう一度これるかな、そんな気持ちで通過しましたんや。
本間美術館とか山居倉庫など見学したかったな~
「本間さまには及びもせぬが せめて成りたや殿様に」
本間家は戦後の農地解放の時点で日本一の大地主だったとか。
江戸時代には庄内藩のお殿様に、お金を貸すほどの資産家。
戊辰戦争の際には薩長軍を相手にして領内には一歩も
入れさせないほどの活躍をしたと、記録されてますんや。
会津藩や仙台藩が敗れた為に、しかたなく降伏したとの話。
本間家からの軍資金が使われたそうで、戊辰戦争後も何故か
穏便な処置で庄内藩は明治維新を迎えたように聞いてまぁ。
薩摩藩が本間家からお金を借りていたのかもしれまへんな?
会津藩は凄く苛められたのに、庄内藩は安泰だった不思議!
(庄内平野を 一路南へ)
江戸時代から庄内平野は米どころで、現在は「つや姫」
そんな名前のお米が、全国的にも知られてまっしゃろ。
ネットで調べたらコシヒカリの改良された品種のようでんな。
白くて艶があり、コシヒカリより美味しいとの売り!
トイレ休憩と昼食を兼ねて道の駅に停まるようでっせ。
(鶴岡市の 庄内観光物産館)
鶴岡市と言えば庄内藩・酒井家の城下町だった関係で
人口約13万人とか、山形県では人口では第二の都市だっせ。
鶴岡市の名産品「だだちゃ豆」ってご存じかしら?
(だだちゃ豆の 広告塔)
「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「おやじさん」の意味。
(だだちゃ豆 朝採りをPR)
これで1300円とは高いでんな、買ったツアー客は2~3人。
バスガイドさんの受け売りのお話で、こんな逸話があるんだとか。
江戸時代に庄内藩のお殿様に枝豆が大好きなお方が居られたそうで。
「この枝豆は、何処のだだちゃが作った豆だや?」
この逸話が明治に成ってから、庄内産の枝豆を「だだちゃ豆」と
呼ぶようになったとの話が伝わっているんだって。
できた枝豆を、真っ先に「だだちゃ=家長さん」に食べて貰う
そんな風習から、「だだちゃ豆」と呼んだとの説もあるとか。
(だだちゃ豆の リーフパイ)
味見だけさせて貰ったけど、鉄ちゃん爺やの舌では
普通の枝豆との違いなど、分かりまへんでしたわ。
名物に旨い物なしと言えば、叱られるかもしれまへんな。
(山形名物 玉こんにゃく)
これはホテルの夕食で食べたけど、お土産はパスしまひょ。
こんにゃくを串に刺して醤油で煮るんだそうで
からしを付けて食べるのが名物なんだって。
やはり山形とくれば「さんくらんぼ」でもシーズンは終了。
ゼリーで包んだお菓子になったのが、お土産に販売中。
これなら年中に食べられるけど、お土産にどうかしら?
(山形 さくらんぼ きらら)
お隣の県になるけど、「ずんだ豆」も有名かな。
甘党である内の奥さんにはこちらの方が良いかな?
(みちのく ずんだ大福)
(黒豆 & だだちゃだ豆の きんつば)
宅配便でお土産は送ったので、此処で買ったのは
この「大福ときんつば」だけにしましたんや。
昼食を済ました後は、新潟県へむけてスタート。
(庄内平野とも お別れ)
この山をトンネルで抜けると、日本海東北自動車道はお仕舞い。
朝にスタートした「あつみ温泉IC」から再び国道7号線へ。
バスの車中より真近にみる日本海の風景でしたんや。
急いでコンデジを出して写したのがこの画像でっせ。
(日本海の 温海海岸を走行中)
この辺りが山形県と新潟県の県境になるようでっせ。
中世には鼠ヶ関(ねずがせき)と呼ぶ関所が置かれたとも。
(鼠ヶ関付近を 通過中)
これから先には有名な「笹川流れ」と呼ばれる絶景がおます。
日本海に奇岩がそそり立つ、海岸美の見れる区間でっせ。
でも国道7号線は大きく山間部に迂回してしまいますんや。
バスガイドさんのお話では新潟県の許可書を所持しないと
観光バスは「笹川流れ」のルートには入れないんだって。
日本海は庄内平野では砂浜が広がる地形なんだけど
新潟県との県境付近だけ、岩場や奇岩が続くんだそうですわ。
(新潟県村上市に入った画像)
最後のトイレ休憩は国道7号線の道の駅でしたわ。
熟睡していたツアー客も起こされてトイレへ。
(道の駅 朝日) (新潟県村上市)
(国道7号線 道の駅 朝日附近)
山形県から続いてきた山間部が途切れて、新潟の
平野に出てくるのが、ここ村上市の朝日地区でんな。
皇太子妃雅子さまの実家である小和田家のルーツは
この辺りに成るそうですが、それは江戸時代のお話。
雅子妃殿下は東京のお生まれだから、村上市には
お越しに成ったことはないとの、ガイドさんのお話。
此処をスタートしたら国道7号線とはお別れでっせ。
日本海東北自動車道の「朝日まほろばIC]ですわ。
(村上市の 市街地を通過中)
(新潟平野を 走行中)
(阿賀野川を渡ってますよ)
日本海東北自動車道は起点の新潟市から先は
北陸自動車道に繋がってますんで
ここからはドライバーさんも馴れたコースでっかな。
(新潟スタジアムを 遠くに眺めて通過中)
(新潟県立 野球場)
サッカーJ1のアルビレックス新潟の本拠地でんな。
長い名前が付けられてまっけど、忘れましたけど。
新潟市内には20年近く訪れてないので
随分と変わってしまったと思いまんねん。
下の画像は今年の6月に話題を呼びましたよ。
(新潟市を 遠くに眺めながら 走行中)
AKB48の選抜総選挙が6月18日に開催され
大いに賑わったそうで、プロ野球も実施できる
新潟県では唯一の野球場なんだそうでつせ。
(上越新幹線の 高架橋を通過)
遠くに新潟県の一宮である弥彦山神社が鎮座する
弥彦山(634m)が見えてきましたで。
気がついたけど、東京スカイツリーと同じ高さでんな。
鉄ちゃん爺やは2回ぐらい訪れたことおますで。
ここからは1時間ぐらいで上越妙高駅だとのこと。
(新潟の 弥彦山)
(北陸自動車道に入りました)
この辺りの風景は往きのブログを参考にして頂けばと。
詳しい説明は省かせてもらいましたので悪しからず。
(関川を 通過中)
川の向こう側が直江津の街になり日本海に注いでまぁ。
この川は信越国境の妙高の方から流れてきてますんや。
長かったバスの旅もここで高速道を下りることに。
(上信越道 上越ICのゲート)
(北陸新幹線 上越妙高駅舎)
右折中の撮影で画像がボケてますな~
西口はまだ更地で畑の真ん中に在る駅ちゅう感じがしまぁ。
ここで4日間のお世話に成った越後交通さんの
観光バスともお別れになりましたんや。
最後に東口に在る上杉謙信公の銅像を撮影しておきました。
(上越妙高駅 東口 上杉謙信公の銅像)
(上越市の マンホールの蓋)
夕方に成り、薄暗くて写りが悪いようでっけど。
上越市のマンホールの蓋には白鳥が二羽描かれてまぁ。
(北陸新幹線 上越妙高駅)
上越妙高駅の「またきてね!」のご挨拶は、ご愛敬でしたな。
長いブログになりましたが、出羽三山の旅3泊4日
これでお仕舞いにさせてもらいまぁ。
ほんなら、これでさいなら~🎵
温海温泉(あつみおんせん)は知ってましたけど
久遠(くおん)さんは温泉街から少し離れてまっから
周りには何にもない、田舎の1軒宿ちゅう感じですわ。
(温海温泉 久遠)
(バイキング式の朝食)
(旅館 久遠の玄関前にて)
(昔の温海町時代の マンホールの蓋)
日本海東北自動車道は本来なら新潟JCTから
秋田市内までの高速道路のようでっけど。
新潟県と山形県の県境や、同じく山形県と
秋田県の県境の部分が未完成なんだって。
「あつみ温泉IC」からバスは鳥海山へ向かいまっせ。
鳥海山(ちょうかいさん)と読み、天気が良ければ
庄内平野から一望できるようでっけど
この日は雲が多くて、頂上は見れまへんでした。
3泊4日の旅程をクリアするために、わざわざ
鳥海山の中腹までドライブさせるような感じ。
鉄ちゃん爺やは酒田市の方へ回って欲しかったな~
庄内平野は後回しにして鳥海山へ直行しまっせ。
鳥海山は東北では2番目に高く標高2236mあり
独立峰としては、東北一の高い山なんだって。
(鳥海山のパンフレット)
(鳥海山 登山マップ)
登山マップの左端が標高1140mの鉾立(ほこだて)口で
ここから頂上までは、歩けば片道4時間半なんだとか。
山頂へ登山する人は、ここに車を止めて一日か二日を掛けて
鳥海山の頂上を踏破してから、戻ってくるようでんな。
100台の自家用車が駐車できる一番大きい場所だとか。
鉄ちゃん爺やは、北海道から大阪へ戻る飛行機から
常に眺めてる名峰なんでっけど、登るのは勿論初めて。
最高峰の標高2236mから、長い裾野を曳きながら
日本海へ落ち込むスケールの大きい山で、山形県側からは
出羽富士と呼ばれ、秋田県側からは秋田富士とも呼びまぁ。
ネットから拝借して鳥海山を貼り付けておきまひょ。
(庄内平野から眺める 鳥海山)
左側に西鳥海山が貼り付いているので、富士山とは
少しだけ趣が違うようにも感じまっけど。
庄内平野からは、庄内富士と呼ぶこともあるんだって。
実際の富士山と似ている姿は、秋田県の横手市からだとも。
(秋田側から見た 鳥海山)
こちらなら、秋田富士と呼ばれても納得でっしゃろ。
飛行機から眺めても「鳥海山」とすぐに分かるお山で
東北第一の名峰と呼ばれるのも納得でんな。
海から2200m以上まで聳える山と言えば、静岡県の
富士山と、この鳥海山ぐらいしか考えられまへん。
観光バスは鳥海ブルーラインで標高約1140mの
鉾立(ほこだて)展望台まで一気に登りまんねんで。
(鳥海山の中腹 鉾立展望台=ほこだててんぼうだい)
(奈曽渓谷=なそけいこく を見下ろす)
ここから日本海へ溶岩流が流れ下ったんでしょうな。
鳥海山は1974年(昭和49年)に小噴火をして
現在でも活火山として、監視がされているようでっせ。
鉄ちゃん爺やのカメラでは写りまへんので
ネットから、次の画像も拝借しまひょ。
望遠レンズで写せばこんな感じに見えるようでっせ。
(奈曽渓谷=なそけいこくから 鳥海山の山頂を撮影)
鳥海山の山頂は、やはり火山なのでこんな荒々しい姿でんな。
遠くから眺めたら、穏やかな鳥海山でっけど山頂は
富士山も同じでっけど、噴火の姿を残してますんや。
(鳥海山 最高峰 2236m)
この鉾立展望台は山形県じゃなくて、秋田県になりますんや。
鳥海山の最高峰は山形県遊佐町(ゆざまち)になりまっせ。
江戸時代に鳥海山で修験道の信者同士が、神社の在る山頂を
巡って争いが起こり、庄内藩と矢島藩が幕府に訴え出たとか。
最終的には譜代大名の庄内藩の領土と決まったんだって。
矢島藩は交代寄合8千石の生駒氏で、元は四国の大名家ながら
この時期はお家騒動後で、旗本格では勝ち目が無かったとか。
そんな経過を辿り、現在も鳥海山の山頂部分は山形県とされ
山形県の最高地点は、鳥海山の山頂と記されてますんや。
(鳥海山の山頂を 撮影)
山頂に掛かっていたガスが、一瞬だけ切れて肉眼では確認。
でも直ぐにガスが掛かって、隠れてしまいましたんや。
鉄ちゃん爺やのコンデジではこれが限界でっけど。
(鉾立 駐車場から 日本海側を撮影)
肉眼では、かすかに日本海が見えるんだけど
コンデジの画像では霞んで写ってまへんな。
晴れて居れば、秋田県の男鹿半島や新潟県の
佐渡島辺りまで見渡せる絶景だそうですわ。
この時期はこんな感じにしか見えないとのこと。
(鉾立展望台 標識と自撮り)
(鉾立山荘の全景)
ここから数Km下ると山形県に成りますんで
秋田県に一歩だけ踏み込んだ訳、そんな感じでんな。
ここから約200km近くをUターンして再び
新潟県の上越妙高駅に戻ることになりますんや。
(観光バス 越後交通の後ろ姿)
(鳥海ブルーラインの風景)
この鳥海ブルーラインは鉾立口より先を下って
秋田県の「にかほ市」まで続いているんだって。
我々は再び山形県側へ戻ることになりまっけど。
(国道7号線 鳥海ブルーラインへの入口)
国道7号線に降りてきたようで、バスは酒田市の方へ
向かって走り出したように思いまんねん。
国道7号線は新潟市から日本海側を北上して
青森市に至る、東北地方の幹線道路の一つでおます。
(風力発電の塔)
松林の向こう側には、日本海が広がってますんやけど
防風林が続いていて、海は一つも見えないようですわ。
この風力発電の塔は秋田県の方から山形県の酒田市まで
続いているので、飛行機からも良く分かりまっせ。
「酒田みなとIC」から日本海東北道に入るそうですわ。
酒田市の中心街は離れているので、ほとんど見えまへんな。
(最上川を通過中)
有名な最上川でっけど、ここはもう河口に近いんでっせ。
ここから直ぐに日本海で、山形県の酒田市の中心街になりまぁ。
江戸時代には「西の堺 東の酒田」と呼ばれるほど賑わったとか。
北前船の日本海回りで大坂まで物資が運ばれたんだって。
昔は内陸部の山形市よりも、新潟や関西方面との交易が
多かったと、今に伝えているようですわ。
(酒田市の 山居倉庫=さんきょそうこ)
明治時代に造られた倉庫で現在も使われているとのこと。
鉄ちゃん爺やが一人旅なら立ち寄るんだけど、今回はツアー
もう一度これるかな、そんな気持ちで通過しましたんや。
本間美術館とか山居倉庫など見学したかったな~
「本間さまには及びもせぬが せめて成りたや殿様に」
本間家は戦後の農地解放の時点で日本一の大地主だったとか。
江戸時代には庄内藩のお殿様に、お金を貸すほどの資産家。
戊辰戦争の際には薩長軍を相手にして領内には一歩も
入れさせないほどの活躍をしたと、記録されてますんや。
会津藩や仙台藩が敗れた為に、しかたなく降伏したとの話。
本間家からの軍資金が使われたそうで、戊辰戦争後も何故か
穏便な処置で庄内藩は明治維新を迎えたように聞いてまぁ。
薩摩藩が本間家からお金を借りていたのかもしれまへんな?
会津藩は凄く苛められたのに、庄内藩は安泰だった不思議!
(庄内平野を 一路南へ)
江戸時代から庄内平野は米どころで、現在は「つや姫」
そんな名前のお米が、全国的にも知られてまっしゃろ。
ネットで調べたらコシヒカリの改良された品種のようでんな。
白くて艶があり、コシヒカリより美味しいとの売り!
トイレ休憩と昼食を兼ねて道の駅に停まるようでっせ。
(鶴岡市の 庄内観光物産館)
鶴岡市と言えば庄内藩・酒井家の城下町だった関係で
人口約13万人とか、山形県では人口では第二の都市だっせ。
鶴岡市の名産品「だだちゃ豆」ってご存じかしら?
(だだちゃ豆の 広告塔)
「だだちゃ」とは庄内地方の方言で「おやじさん」の意味。
(だだちゃ豆 朝採りをPR)
これで1300円とは高いでんな、買ったツアー客は2~3人。
バスガイドさんの受け売りのお話で、こんな逸話があるんだとか。
江戸時代に庄内藩のお殿様に枝豆が大好きなお方が居られたそうで。
「この枝豆は、何処のだだちゃが作った豆だや?」
この逸話が明治に成ってから、庄内産の枝豆を「だだちゃ豆」と
呼ぶようになったとの話が伝わっているんだって。
できた枝豆を、真っ先に「だだちゃ=家長さん」に食べて貰う
そんな風習から、「だだちゃ豆」と呼んだとの説もあるとか。
(だだちゃ豆の リーフパイ)
味見だけさせて貰ったけど、鉄ちゃん爺やの舌では
普通の枝豆との違いなど、分かりまへんでしたわ。
名物に旨い物なしと言えば、叱られるかもしれまへんな。
(山形名物 玉こんにゃく)
これはホテルの夕食で食べたけど、お土産はパスしまひょ。
こんにゃくを串に刺して醤油で煮るんだそうで
からしを付けて食べるのが名物なんだって。
やはり山形とくれば「さんくらんぼ」でもシーズンは終了。
ゼリーで包んだお菓子になったのが、お土産に販売中。
これなら年中に食べられるけど、お土産にどうかしら?
(山形 さくらんぼ きらら)
お隣の県になるけど、「ずんだ豆」も有名かな。
甘党である内の奥さんにはこちらの方が良いかな?
(みちのく ずんだ大福)
(黒豆 & だだちゃだ豆の きんつば)
宅配便でお土産は送ったので、此処で買ったのは
この「大福ときんつば」だけにしましたんや。
昼食を済ました後は、新潟県へむけてスタート。
(庄内平野とも お別れ)
この山をトンネルで抜けると、日本海東北自動車道はお仕舞い。
朝にスタートした「あつみ温泉IC」から再び国道7号線へ。
バスの車中より真近にみる日本海の風景でしたんや。
急いでコンデジを出して写したのがこの画像でっせ。
(日本海の 温海海岸を走行中)
この辺りが山形県と新潟県の県境になるようでっせ。
中世には鼠ヶ関(ねずがせき)と呼ぶ関所が置かれたとも。
(鼠ヶ関付近を 通過中)
これから先には有名な「笹川流れ」と呼ばれる絶景がおます。
日本海に奇岩がそそり立つ、海岸美の見れる区間でっせ。
でも国道7号線は大きく山間部に迂回してしまいますんや。
バスガイドさんのお話では新潟県の許可書を所持しないと
観光バスは「笹川流れ」のルートには入れないんだって。
日本海は庄内平野では砂浜が広がる地形なんだけど
新潟県との県境付近だけ、岩場や奇岩が続くんだそうですわ。
(新潟県村上市に入った画像)
最後のトイレ休憩は国道7号線の道の駅でしたわ。
熟睡していたツアー客も起こされてトイレへ。
(道の駅 朝日) (新潟県村上市)
(国道7号線 道の駅 朝日附近)
山形県から続いてきた山間部が途切れて、新潟の
平野に出てくるのが、ここ村上市の朝日地区でんな。
皇太子妃雅子さまの実家である小和田家のルーツは
この辺りに成るそうですが、それは江戸時代のお話。
雅子妃殿下は東京のお生まれだから、村上市には
お越しに成ったことはないとの、ガイドさんのお話。
此処をスタートしたら国道7号線とはお別れでっせ。
日本海東北自動車道の「朝日まほろばIC]ですわ。
(村上市の 市街地を通過中)
(新潟平野を 走行中)
(阿賀野川を渡ってますよ)
日本海東北自動車道は起点の新潟市から先は
北陸自動車道に繋がってますんで
ここからはドライバーさんも馴れたコースでっかな。
(新潟スタジアムを 遠くに眺めて通過中)
(新潟県立 野球場)
サッカーJ1のアルビレックス新潟の本拠地でんな。
長い名前が付けられてまっけど、忘れましたけど。
新潟市内には20年近く訪れてないので
随分と変わってしまったと思いまんねん。
下の画像は今年の6月に話題を呼びましたよ。
(新潟市を 遠くに眺めながら 走行中)
AKB48の選抜総選挙が6月18日に開催され
大いに賑わったそうで、プロ野球も実施できる
新潟県では唯一の野球場なんだそうでつせ。
(上越新幹線の 高架橋を通過)
遠くに新潟県の一宮である弥彦山神社が鎮座する
弥彦山(634m)が見えてきましたで。
気がついたけど、東京スカイツリーと同じ高さでんな。
鉄ちゃん爺やは2回ぐらい訪れたことおますで。
ここからは1時間ぐらいで上越妙高駅だとのこと。
(新潟の 弥彦山)
(北陸自動車道に入りました)
この辺りの風景は往きのブログを参考にして頂けばと。
詳しい説明は省かせてもらいましたので悪しからず。
(関川を 通過中)
川の向こう側が直江津の街になり日本海に注いでまぁ。
この川は信越国境の妙高の方から流れてきてますんや。
長かったバスの旅もここで高速道を下りることに。
(上信越道 上越ICのゲート)
(北陸新幹線 上越妙高駅舎)
右折中の撮影で画像がボケてますな~
西口はまだ更地で畑の真ん中に在る駅ちゅう感じがしまぁ。
ここで4日間のお世話に成った越後交通さんの
観光バスともお別れになりましたんや。
最後に東口に在る上杉謙信公の銅像を撮影しておきました。
(上越妙高駅 東口 上杉謙信公の銅像)
(上越市の マンホールの蓋)
夕方に成り、薄暗くて写りが悪いようでっけど。
上越市のマンホールの蓋には白鳥が二羽描かれてまぁ。
(北陸新幹線 上越妙高駅)
上越妙高駅の「またきてね!」のご挨拶は、ご愛敬でしたな。
長いブログになりましたが、出羽三山の旅3泊4日
これでお仕舞いにさせてもらいまぁ。
ほんなら、これでさいなら~🎵