伊勢の関宿を終わって、ひと駅だけ先の亀山駅へ行ってみました。
今回は鉄道のお話なので興味の無い方はスルーしてくださいね。
(JR関西本線 亀山駅舎)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
国鉄の民営化によりこの駅はJR東海さんの管轄になりましたね。
昔は大阪の天王寺鉄道管理局の管轄でSL華やかな頃は大きな機関区が在りました。
当時は名古屋から伊勢や南紀へ向かう列車はここでスイッチバックしてましたね。
現在は第三セクターの伊勢鉄道ができて名古屋からショートカットする形で
伊勢や南紀へ行くことができますので此処はローカル線に転落してしまいました。
(伊勢や鳥羽へ向かう キハ11形気動車)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
紀勢本線の始発駅なんですがこんな気動車がのんびりと走っていますな。
ここ亀山駅から名古屋駅までは快速で約1時間少々で行くことができますよ。
(名古屋駅へ折り返す快速電車 313系近郊型電車)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
こちらはJR東海さんの最新型電車です、紀勢本線のディゼルカーとの対比が
同じ駅に出入りする列車なのにサービス提供の落差が大きいですな。
こちら関西本線は亀山駅から四日市駅や桑名駅などを経由する
JR東海さんのメインルートなんですよ。
近鉄電車さんと競合する線区なので電車も最新型を投入していますな。
JR西日本の次の列車まで1時間待ちなので駅前へ途中下車してみましょ。
(亀山市のマンホールの蓋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
亀山城には天守閣が残っていません櫓が一つと石垣だけですよ。
江戸時代にどなたか忘れましたが丹波の亀山城を取り壊せとの命令なのに
間違って伊勢の亀山城を潰してしまったとの逸話が残っていますね。
その後に再建された櫓と石垣がマンホールに描かれていますな。
ここ三重県亀山市は日本武尊(やまとたけるのみこと)の亡くなった処で
お墓は鉄ちゃん爺やの街に在りますので友好親善都市となっていますよ。
亀山市の特産品は昔から亀山ローソクで熱に強くて曲がったり
しないので全国的に有名な商品なんですよ。
(亀山ローソクの製品 カメヤマ・キャンドル)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
わが町で撮影したものですが節電キャンドルなんて洒落てますな。
JR亀山駅前にも亀山ローソクのショップがありましたよ。
昔は産業としては亀山ローソクだけでしたが、平成の10年代に
シャープさんが亀山市で大型液晶を作る工場を建設することになりました。
(JR亀山駅前の 路線バス)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
世界の亀山モデルと宣伝して大いに売れに売れたのは、ほんの数年前でしたよね。
亀山市も195億円もの補助金を出してシャープさんを企業誘致したそうな。
鉄ちゃ爺やも関東で最後のご奉公で、ここ亀山工場の建設に耐震部材等を
納入したりしたのも丁度10年前の話でしたかな。
それが最近は大きな赤字でシャープさんは青息吐息の状態ですな。
亀山市もシャープさんから税収が期待できず大変なようですけど。
それでは再びJR亀山駅に戻って大阪方面へ折り返すとしましょうかな。
(JR亀山駅の ホーム上屋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在は1両か2両連結の列車しか到着しませんが昔のホームのままですよ。
昔は寝台特急や伊勢神宮へ向かう10両連結ぐらいの客車も頻繁に出入りしました。
これじゃ長いホームが宝の持ち腐れの状態ですな。
(SL時代からの上屋 木造ですね)
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こういう昭和の時代を思い出す構造物もどんどん減っていますね。
(SL用の転車台) (旧 亀山機関区)
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亀山機関区って元はJR西日本の管轄の財産だからJR東海さんも使わないけど
処分することができないのかしら、懐かしいターンテーブルなんですよ。
転車台の後ろ側の建物も当時の機関区のまま残っていますな。
ここはSL全盛の頃はD51やC57やC58などの蒸気機関車が20台以上
常駐する関西本線では奈良機関区と並んで重要な基地だったんですよ。
(JR亀山駅) (JR東海)
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ここはJR東海さんの駅ですから加茂駅からやってくるJR西日本の列車は
すべて折り返し運転となります。
JR東海さんのカラーはオレンジ、JR西日本さんのカラーはブルー
キハ120形の気動車がやってきましたので乗ることにしますかな。
(JR西日本 加茂行き気動車)
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実はこの列車の一番前に陣取りたいので亀山駅まで足を延ばしたんですよ。
亀山駅から次の駅が関駅で二つ目に加太駅(かぶとえき)が在ります。
関駅を出た列車は「加太(かぶと)越え」と呼ぶ25パーミルの
長い連続勾配を登って三つ目の柘植(つげ)駅へ下ることになります。
(JR関駅から 加太越え方向を撮影)
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昔は中央の部分にも線路が有り貨物列車の退避線や補機のSLなどに利用しました。
貨物列車は廃止されたので線路も撤去されてしまったようですね。
画像では、たいした山越えに見えないですが連続上り勾配でSLの機関士には
難所であり貨物列車などは後押しのSLが補機といって必ず付いていました。
1978年(昭和48年)までSLが牽引していましたのでその画像を
2枚ほど貼り付けてみます。
(加太越えを通過する D51牽引の貨物列車)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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ここ加太(かぶと)越えは昔から鉄道写真家には有名な場所だったんですよ。
現在は1両か2両のディゼルカーしか通らないので撮影する人は減りましたね。
ほとんどの写真家がこの丘の上から三脚を立てて白黒のフイルムで
やってくるSLを狙う方が昭和48年のSL引退まで続きましたよ。
私もまだ30代の若い鉄ちゃん叔父さんでしたけど2~3回来た名所ですな。
それでは現在の加太越えをキハ120形の気動車の先頭から撮影しますかな。
(鈴鹿川の支流を列車は走っていきます)
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(加太越えを 気動車の先頭から撮影)
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(加太駅に停車)
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乗る人も降りる人も居ませんな~ 付近は民家もない山の中ですからね。
昔はこの駅でSLの上りと下りがスレ違いで賑わった場所でしたけど。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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ススキの乱れ咲く峠を気動車はサミットの加太トンネルへ向かっています。
この辺りはSL時代には蒸気機関車が喘ぎながらノロノロと走っていましたね。
(旧 中在家の信号所付近を通過)
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5年前に通過したときは信号所のスイッチバックの設備が残ってましたが
今回は探したけど撤去されてしまいましたね。
5年前の画像を貼り付けて置きます。
(旧 中在家の信号所 スイッチバックの跡)
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加太越えのサミットが昔の伊勢の国と伊賀の国の境界線になっていますよ。
加太トンネルまでが三重県亀山市で抜けると三重県伊賀市になりますからね。
(加太トンネル) (加太越えのサミットです)
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この長いトンネルはSLの機関士が窒息しそうになりながら通過したそうです。
特に補機と言われる後押しのSL機関士には地獄のような世界だったとか。
現在はキハ120形気動車は小さいけど楽々と加太越えをしてしまいますよ。
今でも加太トンネルには煙抜きの装置が残っているそうですが
いくら煙抜きの装置があってもSLには加太越えは能力ぎりぎりだったようです。
D51の蒸気機関車は力持ちだったんですがそれでも前と後ろから2台が
石炭を焚いて黒い煙を目一杯に吐き出す姿が写真家には凄く魅力だったんですかな。
昔の鉄道は登れる所まで登ってからできる限り小さいトンネルで通過させる
そんな技術しか持っていなかったのでこんなルートが日本全国に在りました。
今なら長大トンネルで山の麓から最短距離で走るコースが選ばれますからね。
(JR柘植駅舎)
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ここで列車のすれ違い待ちで3分間の停車があります。
その3分を利用して古い木造の柘植駅舎を写して再び列車に乗り込みます。
鉄ちゃん爺やの駅舎を収集する趣味にも、こんな早業が必要になるんですよ。
列車は昔の伊賀大和街道にほぼ並行して西へ西へと走っていますね。
伊賀上野駅の一つ手前に佐那具駅(さなぐえき)が在りますがこの付近に
昔の伊賀の国の国府が置かれていたそうです。
(JR関西本線 伊賀上野駅)
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(JR伊賀上野駅構内にて撮影)
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(JR伊賀上野駅から 遠くのお城を撮影)
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ここは以前は上野市と呼んでましたが平成の大合併で伊賀市と変わったようですな。
伊賀上野城はJRの駅からは南へ3kmぐらい離れていますかな。
伊勢の藤堂藩の支城で京都や奈良に睨みをきかせる役目があったようです。
現在は忍者の町として、又は俳人・松尾芭蕉の故郷として観光に力を入れてますね。
(JR伊賀上野駅舎を背景に 観光PR用の看板)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(反対側から眺めると こんな感じ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(旧 上野市時代のマンホールの蓋)
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伊賀市は三重県ですが雰囲気はすでに関西圏といった感じがしますね。
なにせこの辺りの小川は木津川に流れ込んで末は大阪湾へ流れ込むんですから。
蕎麦やうどんもここまで来たら関西風の出汁になるそうですよ。
これだけを撮影して再び停車中のディゼルカーに飛び乗った次第。
(京都府 南山城付近の 木津川の流れ)
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列車は伊賀の國を後にしてやがて山城の国に入っていきます。
木津川と並行して走るので関西本線では景色が綺麗で楽しめる地点ですかな。
(京都府 木津川市付近から 木津川の流れ)
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木津川の流れも穏やかになり川幅も広くなってきましたよ。
まもなく終着駅のJR加茂駅に到着しますね。
JR加茂駅から先は大和路線と愛称が付けられて関西本線もJR難波駅まで
メインルートに変わります。
長らくのご乗車ありがとうございました~♪
またのご乗車をお待ち申し上げます~♪
JR西日本のテープの声を聞きながら私のブログも終了ですね。
次回は奈良国立博物館で開催中の正倉院展に行ってきましたので
その画像を貼り付けたいと思います。
今回は鉄道のお話なので興味の無い方はスルーしてくださいね。
(JR関西本線 亀山駅舎)
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国鉄の民営化によりこの駅はJR東海さんの管轄になりましたね。
昔は大阪の天王寺鉄道管理局の管轄でSL華やかな頃は大きな機関区が在りました。
当時は名古屋から伊勢や南紀へ向かう列車はここでスイッチバックしてましたね。
現在は第三セクターの伊勢鉄道ができて名古屋からショートカットする形で
伊勢や南紀へ行くことができますので此処はローカル線に転落してしまいました。
(伊勢や鳥羽へ向かう キハ11形気動車)
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紀勢本線の始発駅なんですがこんな気動車がのんびりと走っていますな。
ここ亀山駅から名古屋駅までは快速で約1時間少々で行くことができますよ。
(名古屋駅へ折り返す快速電車 313系近郊型電車)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
こちらはJR東海さんの最新型電車です、紀勢本線のディゼルカーとの対比が
同じ駅に出入りする列車なのにサービス提供の落差が大きいですな。
こちら関西本線は亀山駅から四日市駅や桑名駅などを経由する
JR東海さんのメインルートなんですよ。
近鉄電車さんと競合する線区なので電車も最新型を投入していますな。
JR西日本の次の列車まで1時間待ちなので駅前へ途中下車してみましょ。
(亀山市のマンホールの蓋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
亀山城には天守閣が残っていません櫓が一つと石垣だけですよ。
江戸時代にどなたか忘れましたが丹波の亀山城を取り壊せとの命令なのに
間違って伊勢の亀山城を潰してしまったとの逸話が残っていますね。
その後に再建された櫓と石垣がマンホールに描かれていますな。
ここ三重県亀山市は日本武尊(やまとたけるのみこと)の亡くなった処で
お墓は鉄ちゃん爺やの街に在りますので友好親善都市となっていますよ。
亀山市の特産品は昔から亀山ローソクで熱に強くて曲がったり
しないので全国的に有名な商品なんですよ。
(亀山ローソクの製品 カメヤマ・キャンドル)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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わが町で撮影したものですが節電キャンドルなんて洒落てますな。
JR亀山駅前にも亀山ローソクのショップがありましたよ。
昔は産業としては亀山ローソクだけでしたが、平成の10年代に
シャープさんが亀山市で大型液晶を作る工場を建設することになりました。
(JR亀山駅前の 路線バス)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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世界の亀山モデルと宣伝して大いに売れに売れたのは、ほんの数年前でしたよね。
亀山市も195億円もの補助金を出してシャープさんを企業誘致したそうな。
鉄ちゃ爺やも関東で最後のご奉公で、ここ亀山工場の建設に耐震部材等を
納入したりしたのも丁度10年前の話でしたかな。
それが最近は大きな赤字でシャープさんは青息吐息の状態ですな。
亀山市もシャープさんから税収が期待できず大変なようですけど。
それでは再びJR亀山駅に戻って大阪方面へ折り返すとしましょうかな。
(JR亀山駅の ホーム上屋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
現在は1両か2両連結の列車しか到着しませんが昔のホームのままですよ。
昔は寝台特急や伊勢神宮へ向かう10両連結ぐらいの客車も頻繁に出入りしました。
これじゃ長いホームが宝の持ち腐れの状態ですな。
(SL時代からの上屋 木造ですね)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
こういう昭和の時代を思い出す構造物もどんどん減っていますね。
(SL用の転車台) (旧 亀山機関区)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
亀山機関区って元はJR西日本の管轄の財産だからJR東海さんも使わないけど
処分することができないのかしら、懐かしいターンテーブルなんですよ。
転車台の後ろ側の建物も当時の機関区のまま残っていますな。
ここはSL全盛の頃はD51やC57やC58などの蒸気機関車が20台以上
常駐する関西本線では奈良機関区と並んで重要な基地だったんですよ。
(JR亀山駅) (JR東海)
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ここはJR東海さんの駅ですから加茂駅からやってくるJR西日本の列車は
すべて折り返し運転となります。
JR東海さんのカラーはオレンジ、JR西日本さんのカラーはブルー
キハ120形の気動車がやってきましたので乗ることにしますかな。
(JR西日本 加茂行き気動車)
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実はこの列車の一番前に陣取りたいので亀山駅まで足を延ばしたんですよ。
亀山駅から次の駅が関駅で二つ目に加太駅(かぶとえき)が在ります。
関駅を出た列車は「加太(かぶと)越え」と呼ぶ25パーミルの
長い連続勾配を登って三つ目の柘植(つげ)駅へ下ることになります。
(JR関駅から 加太越え方向を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
昔は中央の部分にも線路が有り貨物列車の退避線や補機のSLなどに利用しました。
貨物列車は廃止されたので線路も撤去されてしまったようですね。
画像では、たいした山越えに見えないですが連続上り勾配でSLの機関士には
難所であり貨物列車などは後押しのSLが補機といって必ず付いていました。
1978年(昭和48年)までSLが牽引していましたのでその画像を
2枚ほど貼り付けてみます。
(加太越えを通過する D51牽引の貨物列車)
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ここ加太(かぶと)越えは昔から鉄道写真家には有名な場所だったんですよ。
現在は1両か2両のディゼルカーしか通らないので撮影する人は減りましたね。
ほとんどの写真家がこの丘の上から三脚を立てて白黒のフイルムで
やってくるSLを狙う方が昭和48年のSL引退まで続きましたよ。
私もまだ30代の若い鉄ちゃん叔父さんでしたけど2~3回来た名所ですな。
それでは現在の加太越えをキハ120形の気動車の先頭から撮影しますかな。
(鈴鹿川の支流を列車は走っていきます)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(加太越えを 気動車の先頭から撮影)
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(加太駅に停車)
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乗る人も降りる人も居ませんな~ 付近は民家もない山の中ですからね。
昔はこの駅でSLの上りと下りがスレ違いで賑わった場所でしたけど。
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
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ススキの乱れ咲く峠を気動車はサミットの加太トンネルへ向かっています。
この辺りはSL時代には蒸気機関車が喘ぎながらノロノロと走っていましたね。
(旧 中在家の信号所付近を通過)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
5年前に通過したときは信号所のスイッチバックの設備が残ってましたが
今回は探したけど撤去されてしまいましたね。
5年前の画像を貼り付けて置きます。
(旧 中在家の信号所 スイッチバックの跡)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
加太越えのサミットが昔の伊勢の国と伊賀の国の境界線になっていますよ。
加太トンネルまでが三重県亀山市で抜けると三重県伊賀市になりますからね。
(加太トンネル) (加太越えのサミットです)
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この長いトンネルはSLの機関士が窒息しそうになりながら通過したそうです。
特に補機と言われる後押しのSL機関士には地獄のような世界だったとか。
現在はキハ120形気動車は小さいけど楽々と加太越えをしてしまいますよ。
今でも加太トンネルには煙抜きの装置が残っているそうですが
いくら煙抜きの装置があってもSLには加太越えは能力ぎりぎりだったようです。
D51の蒸気機関車は力持ちだったんですがそれでも前と後ろから2台が
石炭を焚いて黒い煙を目一杯に吐き出す姿が写真家には凄く魅力だったんですかな。
昔の鉄道は登れる所まで登ってからできる限り小さいトンネルで通過させる
そんな技術しか持っていなかったのでこんなルートが日本全国に在りました。
今なら長大トンネルで山の麓から最短距離で走るコースが選ばれますからね。
(JR柘植駅舎)
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ここで列車のすれ違い待ちで3分間の停車があります。
その3分を利用して古い木造の柘植駅舎を写して再び列車に乗り込みます。
鉄ちゃん爺やの駅舎を収集する趣味にも、こんな早業が必要になるんですよ。
列車は昔の伊賀大和街道にほぼ並行して西へ西へと走っていますね。
伊賀上野駅の一つ手前に佐那具駅(さなぐえき)が在りますがこの付近に
昔の伊賀の国の国府が置かれていたそうです。
(JR関西本線 伊賀上野駅)
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(JR伊賀上野駅構内にて撮影)
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(JR伊賀上野駅から 遠くのお城を撮影)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
ここは以前は上野市と呼んでましたが平成の大合併で伊賀市と変わったようですな。
伊賀上野城はJRの駅からは南へ3kmぐらい離れていますかな。
伊勢の藤堂藩の支城で京都や奈良に睨みをきかせる役目があったようです。
現在は忍者の町として、又は俳人・松尾芭蕉の故郷として観光に力を入れてますね。
(JR伊賀上野駅舎を背景に 観光PR用の看板)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(反対側から眺めると こんな感じ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
(旧 上野市時代のマンホールの蓋)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
伊賀市は三重県ですが雰囲気はすでに関西圏といった感じがしますね。
なにせこの辺りの小川は木津川に流れ込んで末は大阪湾へ流れ込むんですから。
蕎麦やうどんもここまで来たら関西風の出汁になるそうですよ。
これだけを撮影して再び停車中のディゼルカーに飛び乗った次第。
(京都府 南山城付近の 木津川の流れ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
列車は伊賀の國を後にしてやがて山城の国に入っていきます。
木津川と並行して走るので関西本線では景色が綺麗で楽しめる地点ですかな。
(京都府 木津川市付近から 木津川の流れ)
photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット
木津川の流れも穏やかになり川幅も広くなってきましたよ。
まもなく終着駅のJR加茂駅に到着しますね。
JR加茂駅から先は大和路線と愛称が付けられて関西本線もJR難波駅まで
メインルートに変わります。
長らくのご乗車ありがとうございました~♪
またのご乗車をお待ち申し上げます~♪
JR西日本のテープの声を聞きながら私のブログも終了ですね。
次回は奈良国立博物館で開催中の正倉院展に行ってきましたので
その画像を貼り付けたいと思います。
いつも東名阪を使っていたので、地名だけはよくわかりますけどね。
JRもこういう電車を維持していかないといけないので、大変ですよね。
間違いなく赤字路線ですから。
毎年行っていました。
最後は高校の頃になりますか・・・
関西線の板屋付近の登り、SLが登りきれずにバックして勢いを付けて再挑戦
親戚の悪餓鬼どもとレールに小石を置いた記憶
が有ります。
湊町からのSLですから加太の.トンネルは
確かに苦しい思いでしたが、子供心に親戚での
楽しみが優先です。
滞在中に亀山には行きましたが、伊賀の方には
行った記憶が有りません。
昭和30年前後の記憶です。
有難うございました。
でも景色は綺麗で私には楽しい時間ですけどね。
まあ~ 私のような暇人ぐらいでしょうな、始発駅から終着駅まで乗る人間は。
なにせ亀山駅から大阪駅へ出るのは柘植駅で乗り換えて
草津線経由で向かう方が20分近く早く着きますからね。
湊町駅から奈良駅まで旅客列車は早くから気動車に変わりましたが
貨物列車は昭和48年ごろまでSLが牽引していました
息子が小さい頃に柏原駅まで行って見せていましたね。
その湊町駅も今じゃ地下ホームでJR難波と名前が変わりましたけど。
我が家もシャープのテレビAQUOSです、かみさんとと二人でくろださんのブログを見ていて
かみさん、仏壇の引き出しから、これも亀山のロウソクなのよと、このロウソク途中で立ち切れがないと言ってます。
今日は一人での散歩、長く歩いてくたびれてしまいました。
鉄道マニアになりそうです。
いろいろ新しい事を教わり、楽しく有難うございました。
亀山駅はJR東海の領域ですか。
汽車の転車台は珍しいですね。
伊賀上野は30ネンン前に行ったので、懐かしく拝見、特に上野城・芭蕉の里など・・・・
くちこんちは、同時に亀山モデル、3台も買ったんです、昔・・・
くちこんちの二階と夫の実家の義母邸とくちこ世帯邸にね。
時は流れましたねえ・・・
スイッチバックは、箱根登山鉄道で経験しましたよ。
亀山モデルのテレビ~~ 出始めた頃に!
我が家でも、息子が量販店の電気部でバイトをしていた時に♪
店長のご配慮で5万円で購入出来たんです(^-^*)ニコ
沢山のお写真に見惚れながら、楽しませて頂きました('-'*)アリガト♪ございます。
仏壇の中に収まっている家庭も多いそうです。
本社は大阪市北区に変わっていますが亀山の名前は
変えられませんので
本社工場は今でも亀山市にあるそうです。