今上陛下の生前退位とやらの報道から
世の中は議論が騒がしいようでんな。
鉄ちゃん爺やごときが、どうのこうのと
書き込むなど、恐れ多いんでっけど。
238年前に起こった話を紹介しまひょ。
それでは~ 京都御苑の方へ向かいまっせ。
(旧3000系 京阪特急 テレビカー)
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5年前に引退するとの報道でデジカメ撮影をした
今では見れない、懐かしい特急電車でおます。
2013年に引退し富山地方鉄道と大井川鐡道に
譲渡されて、現在も運行がされているとの話も。
以下の画像は全て2012年7月のものなので
古いですがご容赦のほど、お願いしますね。
(旧 閑院宮邸の正門)
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時は江戸時代で10代将軍・徳川家治公の晩年で
田沼意次さんが権力を握っていた頃のお話。
第118代・後桃園天皇が生まれたばかりの皇女
欣子(よしこ)内親王を残しただけで崩御されます。
男系の皇族が一人も存在しなくなったんでっせ。
(旧 閑院宮邸の 車寄せ)
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伏見宮家や桂宮家に有栖川宮家など室町時代から
江戸時代初期に、天皇の皇子から成立した三つの
世襲親王家は、やはり血統が遠かったようですわ。
新井白石の建白で東山天皇の第2皇子である
直仁(なおひと)親王を新しい世襲親王家として
閑院宮家(かんいんのみやけ)を創設したとか。
この時代には東山天皇の皇子から閑院宮家が生まれて
第2代閑院宮典仁(すけひと)親王が当主でおます。
長男の美仁(はるひと)親王は21歳の成人ながら
先帝の忘れ形見である、欣子(よしこ)内親王が
1歳になるかならぬかでは釣り合いがとれまへん。
変わって第6皇子の師仁(もろひと)親王は8歳
欣子(よしこ)内親王を中宮(皇后)に迎えて
第119代天皇に推挙するのが最適と考えました。
先帝の内親王に合わせて新しい天皇を選ぶとは
江戸幕府も朝廷も苦渋の判断をした訳ですわな。
(旧 閑院宮邸の内部)
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現在の閑院宮邸は明治初期に新築された建物だとの話。
旧閑院宮邸は現在も無料で一般公開がされてまっせ。
1779年(安永8年)旧暦11月15日ご即位。
光格天皇(こうかくてんのう)と称されますよ。
(第119代 光格天皇)
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この方のご生母は「大江磐代=おおえのいわしろ」で
父親は浪人で町医者である岩城宗賢の娘だったとか。
閑院宮典仁親王の正妻として中御門天皇の第5皇女である
成子(ふさこ)内親王が、お輿入れの際に入内したとの説。
成子(ふさこ)内親王の侍女だったようですね。
だから民間人で、お目見えすらできない女性なんですわ。
でも男子が誕生すれば、立派な親王さまなんですから。
ご本人も聖護院のお寺に門跡として入られる予定が
天皇陛下に祭り上げられるとは、驚きだったでしょうな。
師仁は(しにん)と読めるとかで縁起が悪いとのことで
兼仁(ともひと)親王と新しく改名までされたんだとか。
時代のいたずらで、わずか8歳の師仁親王が新天皇になり
宮中へ入られることになったんでんな。
第125代・光格天皇とお呼びするお方です
今上陛下には直系のご先祖様になりまぁ。
「光格天皇」は明治天皇の曽祖父になるお方ですよ。
(京都御所 土塀)
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即位の当時は幼帝だったので後桜町上皇などの庇護を得て
時代は、松平定信「寛政の改革」の頃を迎えますんや。
光格天皇は父親である閑院宮典仁親王が関白や大臣よりも
位が低いのはおかしい「太上天皇=だじょうてんのう」の
尊号を与えたいと幕府に要望するも、二度拒絶だったとか。
11代将軍・徳川家斉の父親である一橋治斉にも同じように
「大御所」の尊号を送ることに成るのを嫌ったとの説も。
当時の徳川幕府には天皇陛下の願いも拒絶できましたんや。
(京都御所 建礼門)
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後桜町上皇や光格天皇の叔父などが幕府との和解に務め
光格天皇は先例があるにも関わらず断念されたとの話。
これを「尊号一件」とか「尊号事件」と呼びますんや。
時は流れて明治維新を迎えてからの話になりまっけど。
明治天皇は閑院宮典仁親王が高祖父に当たるお方だとして
「慶光天皇=きょうこうてんのう」の尊号を授与されます。
「太上天皇」としての尊号で歴代の天皇には入りませんよ。
(蘆山寺=ろさんじ 慶光天皇蘆山寺陵)
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(慶光天皇 お墓)
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光格天皇の皇女や関連する皇族方が多くお祀りされてまぁ。
でも~ 光格天皇のご生母さまは離れた別の共同墓地に
お祀りされているとは、厳しい身分制度の時代ですかな。
鉄ちゃん爺やが共同墓地を探しましたが不明でしたわ。
HPでは蘆山寺に葬られているのは確かのようですけど。
(蘆山寺 山門)
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(蘆山寺 本堂)
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(蘆山寺 仏殿内部)
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現在の皇室は神道でお祀りされてますので、江戸時代の
天皇や皇族方の位牌はここ蘆山寺や泉涌寺などに置かれ
現在も「御寺=みでら」の格式が伝わってますかな。
光格天皇は1817年(文化14年)旧暦3月22日に
仁孝天皇(にんこうてんのう)に譲位をされますんや。
1840年(天保11年)旧暦11月18日に崩御まで
日本歴史上では最後の上皇さまであり太上天皇でおます。
(蘆山寺 紫式部の庭)
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(蘆山寺の 由来書き)
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現在の蘆山寺は豊臣秀吉により船岡山付近からこの地に
移転を命じられたそうで、平安時代には源氏物語で有名な
紫式部が育った邸宅が在ったとの説が有力でおます。
そんな訳で7月中旬から9月頃まで桔梗の花を咲かせて
観光客を迎え入れているようですわ。
(京都御苑 清和門)
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光格天皇が崩御された後は中宮(皇后)であった
欣子(よしこ)内親王さまは剃髪して新清和門院の称号を
得られましたが、この清和門は京都御所から東へ下り
寺町通りの蘆山寺の近くに位置してますんや。
残念ながら欣子内親王は二人の皇子さまを、お産みに
なりましたが夭折されて、血統は絶えておられますね。
(京都御所 建春門)
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処で、日本歴史で天皇陛下の名前を調べましたら不思議な
ことに気が付きましたんや、「光」の名前が送られた天皇。
光仁天皇 天武天皇系から 天智天皇系への復活
光孝天皇 陽成天皇を廃し 新しい天皇を即位へ
光明天皇 南朝に変わり 足利尊氏が北朝を成立
後光明天皇 徳川系の明正天皇が 弟皇子へ譲位
光格天皇 現在の今上陛下の 直系のご先祖様
偶然なのかも知れませんが、新しい時代を意味する
そんな意味から、「光」を贈位したのかもしれませんね。
それでは、今日はこれでお仕舞い、さいなら~🎵
世の中は議論が騒がしいようでんな。
鉄ちゃん爺やごときが、どうのこうのと
書き込むなど、恐れ多いんでっけど。
238年前に起こった話を紹介しまひょ。
それでは~ 京都御苑の方へ向かいまっせ。
(旧3000系 京阪特急 テレビカー)
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5年前に引退するとの報道でデジカメ撮影をした
今では見れない、懐かしい特急電車でおます。
2013年に引退し富山地方鉄道と大井川鐡道に
譲渡されて、現在も運行がされているとの話も。
以下の画像は全て2012年7月のものなので
古いですがご容赦のほど、お願いしますね。
(旧 閑院宮邸の正門)
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時は江戸時代で10代将軍・徳川家治公の晩年で
田沼意次さんが権力を握っていた頃のお話。
第118代・後桃園天皇が生まれたばかりの皇女
欣子(よしこ)内親王を残しただけで崩御されます。
男系の皇族が一人も存在しなくなったんでっせ。
(旧 閑院宮邸の 車寄せ)
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伏見宮家や桂宮家に有栖川宮家など室町時代から
江戸時代初期に、天皇の皇子から成立した三つの
世襲親王家は、やはり血統が遠かったようですわ。
新井白石の建白で東山天皇の第2皇子である
直仁(なおひと)親王を新しい世襲親王家として
閑院宮家(かんいんのみやけ)を創設したとか。
この時代には東山天皇の皇子から閑院宮家が生まれて
第2代閑院宮典仁(すけひと)親王が当主でおます。
長男の美仁(はるひと)親王は21歳の成人ながら
先帝の忘れ形見である、欣子(よしこ)内親王が
1歳になるかならぬかでは釣り合いがとれまへん。
変わって第6皇子の師仁(もろひと)親王は8歳
欣子(よしこ)内親王を中宮(皇后)に迎えて
第119代天皇に推挙するのが最適と考えました。
先帝の内親王に合わせて新しい天皇を選ぶとは
江戸幕府も朝廷も苦渋の判断をした訳ですわな。
(旧 閑院宮邸の内部)
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現在の閑院宮邸は明治初期に新築された建物だとの話。
旧閑院宮邸は現在も無料で一般公開がされてまっせ。
1779年(安永8年)旧暦11月15日ご即位。
光格天皇(こうかくてんのう)と称されますよ。
(第119代 光格天皇)
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この方のご生母は「大江磐代=おおえのいわしろ」で
父親は浪人で町医者である岩城宗賢の娘だったとか。
閑院宮典仁親王の正妻として中御門天皇の第5皇女である
成子(ふさこ)内親王が、お輿入れの際に入内したとの説。
成子(ふさこ)内親王の侍女だったようですね。
だから民間人で、お目見えすらできない女性なんですわ。
でも男子が誕生すれば、立派な親王さまなんですから。
ご本人も聖護院のお寺に門跡として入られる予定が
天皇陛下に祭り上げられるとは、驚きだったでしょうな。
師仁は(しにん)と読めるとかで縁起が悪いとのことで
兼仁(ともひと)親王と新しく改名までされたんだとか。
時代のいたずらで、わずか8歳の師仁親王が新天皇になり
宮中へ入られることになったんでんな。
第125代・光格天皇とお呼びするお方です
今上陛下には直系のご先祖様になりまぁ。
「光格天皇」は明治天皇の曽祖父になるお方ですよ。
(京都御所 土塀)
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即位の当時は幼帝だったので後桜町上皇などの庇護を得て
時代は、松平定信「寛政の改革」の頃を迎えますんや。
光格天皇は父親である閑院宮典仁親王が関白や大臣よりも
位が低いのはおかしい「太上天皇=だじょうてんのう」の
尊号を与えたいと幕府に要望するも、二度拒絶だったとか。
11代将軍・徳川家斉の父親である一橋治斉にも同じように
「大御所」の尊号を送ることに成るのを嫌ったとの説も。
当時の徳川幕府には天皇陛下の願いも拒絶できましたんや。
(京都御所 建礼門)
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後桜町上皇や光格天皇の叔父などが幕府との和解に務め
光格天皇は先例があるにも関わらず断念されたとの話。
これを「尊号一件」とか「尊号事件」と呼びますんや。
時は流れて明治維新を迎えてからの話になりまっけど。
明治天皇は閑院宮典仁親王が高祖父に当たるお方だとして
「慶光天皇=きょうこうてんのう」の尊号を授与されます。
「太上天皇」としての尊号で歴代の天皇には入りませんよ。
(蘆山寺=ろさんじ 慶光天皇蘆山寺陵)
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(慶光天皇 お墓)
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光格天皇の皇女や関連する皇族方が多くお祀りされてまぁ。
でも~ 光格天皇のご生母さまは離れた別の共同墓地に
お祀りされているとは、厳しい身分制度の時代ですかな。
鉄ちゃん爺やが共同墓地を探しましたが不明でしたわ。
HPでは蘆山寺に葬られているのは確かのようですけど。
(蘆山寺 山門)
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(蘆山寺 本堂)
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(蘆山寺 仏殿内部)
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現在の皇室は神道でお祀りされてますので、江戸時代の
天皇や皇族方の位牌はここ蘆山寺や泉涌寺などに置かれ
現在も「御寺=みでら」の格式が伝わってますかな。
光格天皇は1817年(文化14年)旧暦3月22日に
仁孝天皇(にんこうてんのう)に譲位をされますんや。
1840年(天保11年)旧暦11月18日に崩御まで
日本歴史上では最後の上皇さまであり太上天皇でおます。
(蘆山寺 紫式部の庭)
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(蘆山寺の 由来書き)
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現在の蘆山寺は豊臣秀吉により船岡山付近からこの地に
移転を命じられたそうで、平安時代には源氏物語で有名な
紫式部が育った邸宅が在ったとの説が有力でおます。
そんな訳で7月中旬から9月頃まで桔梗の花を咲かせて
観光客を迎え入れているようですわ。
(京都御苑 清和門)
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光格天皇が崩御された後は中宮(皇后)であった
欣子(よしこ)内親王さまは剃髪して新清和門院の称号を
得られましたが、この清和門は京都御所から東へ下り
寺町通りの蘆山寺の近くに位置してますんや。
残念ながら欣子内親王は二人の皇子さまを、お産みに
なりましたが夭折されて、血統は絶えておられますね。
(京都御所 建春門)
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処で、日本歴史で天皇陛下の名前を調べましたら不思議な
ことに気が付きましたんや、「光」の名前が送られた天皇。
光仁天皇 天武天皇系から 天智天皇系への復活
光孝天皇 陽成天皇を廃し 新しい天皇を即位へ
光明天皇 南朝に変わり 足利尊氏が北朝を成立
後光明天皇 徳川系の明正天皇が 弟皇子へ譲位
光格天皇 現在の今上陛下の 直系のご先祖様
偶然なのかも知れませんが、新しい時代を意味する
そんな意味から、「光」を贈位したのかもしれませんね。
それでは、今日はこれでお仕舞い、さいなら~🎵
「光」を贈位したのかもしれませんね
天皇名の「光」が入るのはそんな意味が入っているのかもしれませんね。
面白い考察です。
光仁天皇から始まって光格天皇 現在の今上陛下に至ってるんですね。歴史は奥深いです。昔の人がいて
現在時代が反映されてますからね。
京都御所一回行ったような気もします。テレビの着いた
電車ですか。もう一度京都御所行って見たいです
奈良と同じくね雨が終わったら気温も又
下がるでしょう。カラオケは2月1日に知り合いと
二人で行きます。久しぶりです1月初めに
いったきりです。 肩こりがなくなりましたコメント有難う御座いました
「男系の皇族が一人も存在しなくなったんでっせ」を初めて知り、本当にびっくりしました。
さて、私のブログにいただいたコメントの返事です。
<確かに医者は7000~8000歩ぐらいを毎日歩くのが良いですよと教えますね。
教授によって若干数値の差がありますが、枝 助教授は1日8000歩、別の教授からは男性は8000歩、女性は7000歩との話がありました。
10000歩歩くのは免疫力が落ちるのが、スクリーンに映された表からはっきりわかりました。
歩きすぎるのはよくないようです。
講義から、筋力をつける大事さ、何歳になっても筋力は運動することでつくこと、長時間座り続けないこと(30分に一度は立ち上がること)、強度の運動を長時間やることはマイナスであることなどを学びました。
「動けるうちに好きなことを」といつも思っています。
先ほどから北風が吹いてきました
今日まで暖かかった空気も気持ち冷たくなってきました。
ご趣味ですか?
くちこには、そんな意欲は皆無です。
今回の御退位。
どうぞ、いつでも、お好きな時にと思うくちこですが。
誰が継ぐかは悩ましいところなのかな、と。
てて面白い題材だと思うけど語れる事少ない。
生前退位で皇室の在り方クローズアップの昨今に
タイムリーな記事ですね。
全身全霊で公務に打ち込む陛下はやく退位していた
だいてゆっくり余生送っていただきたいです。
2月もよろしくお願いします。
写真は中央線の南側の山ですので、八ヶ岳ではありません。
八ヶ岳は独身時代に登りましたので、山の形はわかります。
特急のスピードが速すぎて、駅名を読み取ることが出来ませんでした。
黒田さんと同じように中央線に乗るのは好きです。
「光」はそんな期待を込めているのかもしれませんね。
明治以降は元号がそのまま天皇名になりますので
変わってくるかもしれませんけど。
以前からデビーしましたので
私の学生時代には大相撲などを見るために
京都三条駅から乗ったもんですけど。
当時の京阪電鉄の終点は京都の三条駅で
大阪の起点は天満橋駅だったんですけど。
世間にはあまり知られていないかもしれませんね。
美智子皇后が民間人で初めて皇室へ入ったと
話題になりましたが昔はそんな話はごく普通だったかも。
不思議と皇后(正妻)に皇子が生まれないことが多かったですね。