天候に恵まれた鉄ちゃん爺やの旅でしたが
この日は一転して荒れ模様のお天気でした。
JR赤羽駅へ出て宇都宮線に乗りますんや。
(E233系 郊外型電車) (JR赤羽駅にて撮影)
手前に見える「13」の標識はJR東京駅から
ここまで13kmの距離があるとの表示でっせ。
(4号車・5号車には グリーン車を連結)
関東では東海道本線・高崎線・宇都宮線・常磐線
総武線などに2両だけグリーン車が連結されてまぁ。
50kmまでと 51km以上で料金が変わりまぁ。
それから、事前に駅で購入した時と、乗車してから
購入した時では大きな差が有るので要注意でっせ。
鉄ちゃん爺やは100kmを超える距離の場合は
グリーン車を利用することにしてますんや。
例 熱海駅 ~ 東京駅 ・ 赤羽駅など
50km迄 ・ 51km以上
平日 事前購入 770円 980円
車内購入 1030円 1240円
土休日 事前納入 570円 780円
車内購入 830円 1040円
土休日に駅で購入すろのが一番安いんでっせ。
(E232-3017号車) (1号車)
E233系の車両ですが東京駅側1号車はE232で
宇都宮駅側の車両はE233と区別されてますんや。
専門的にはE233/232系 と称するようでんな。
(E233/232系 車内)
宇都宮線・高崎線には1号車・2号車(東京駅側)と
14号車・15号車にはクロスシートとロングシート
併用の車両が連結されてますがクロスシートをお勧め。
総武線は1号車・2号車だけだったように記憶しまぁ。
長旅の車窓はクロスシートでないと気分も出まへん。
(JR宇都宮線 車内で自撮り)
クロスシートの1号車でJR宇都宮駅へ向かいまっせ。
JR赤羽駅では曇り空のお天気でしたが
北上するにつれ、雨が降りだしましたで。
嫌なお天気でっけど、今更ながら戻れまへんがな。
(JR東日本さん 吊り革が三角形に)
JR西日本では昔ながらの丸い吊り革でっけど。
どちらが効率が良いのかは知りまへんけど。
(JR宇都宮線 車内から撮影)
利根川を越えて栃木県に入った頃から雨が
それも激しく降っているとの車内放送で。
とうとうJR宇都宮駅の手前で運転停止!
信号機に落雷したような気配ですわ。
(信号機を点検する JRの職員)
(JR宇都宮駅の手前 徐行運転中)
午前9時を回っているのに夕暮れのような風景。
雨は強く降ったり、弱まったりを繰り返してまぁ。
(JR宇都宮駅 駅名標)
結局25分遅れでJR宇都宮駅に到着でしたわ。
別に急ぐ旅でもないので気を取り直して改札口へ。
(JR日光線 乗り換え案内)
ここから日光へ行けるんですが便が少ないんですわ。
都内からの観光客は浅草駅から東武で行かれるはず。
もしくは最近JRと東武が相互乗り入れをしている
新宿駅発の特急「日光」「きぬがわ」を使いますよね。
(JR宇都宮駅 改札口)
(JR宇都宮駅 改札口で自撮り)
鉄ちゃん爺やが現役時代に新大阪からと単身赴任中には
埼玉県戸田市から月に1度は訪ねた想い出の駅なんですよ。
駅のホームは15年前と変わりなく改札口も同じでしたわ。
(JR宇都宮駅 東口への連絡高架橋)
右側の喫茶店で時間調整のコーヒータイムなどもやりました。
お店のテナントは変わってしまったけど、連絡高架橋は
当時のままで内装だけが改修されたのかもしれまへん。
(JR宇都宮駅 東出口への通路)
(JR宇都宮駅 東出口の 餃子村の風景)
(JR宇都宮駅 東出口)
階段を下りた所が当時はタクシー乗り場でしたんや。
ここから日立の子会社がある平出工業団地まで約2km。
現在は広場を利用して宇都宮餃子の屋台村ができてますわ。
昭和の時代は見劣りがした東出口でしたが、貨物駅を撤去
ビル街が立派に並んだ繁華街になったなの印象でおます。
それでは反対側の西出口へ向かうことにしまひょ。
(JR宇都宮駅 新幹線駅舎)
JR宇都宮駅は西出口がメインで官庁街もこちら側に。
昔からの旧市街地だという表現が正しいのかどうかは不明。
人口約52万人の北関東では最大の都市という事になりまぁ。
宇都宮と言えば「餃子」でしたが最近は静岡県の浜松市が
ライバルとして登場し、売り上げは浜松市が上回ったとか?
首位争いの「餃子戦争」はまだ続いているんだって。
(餃子の像) (JR宇都宮駅 西出口歩道橋)
(餃子の像 説明書き)
餃子の像は元は東出口の階段を下りた処に置かてました。
JR宇都宮駅前の歩道橋が完成した際に移動したらしい。
当時は餃子の像の説明書きは無かったように記憶。
懐かしい餃子の像を背景に自撮りしてバス停に向かいまひょ。
(餃子の碑を 背景に自撮り)
下野の国・一之宮はここから歩いて約1kmチョイかな?
でも雨が降ってるので路線バスに乗ることにしましたんや。
JR宇都宮駅前から大通りを西に向かって走ってまっせ。
(東武の 路線バス車内から)
三つ目のバス停で指を差されて、向こう側ですよと
ドライバーさんの助言に感謝しての下車でした。
(バス停から 二荒山神社の鳥居を撮影)
宇都宮市の名称は二荒山神社の「宮」と、その社家から
出た豪族の宇都宮氏につながるんだそうですわ。
下野の国に「二荒山神社」が二つ有り共に一之宮だとか。
日光二荒山神社 (にっこうふたらさんじんじゃ)
宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)
呼び方が異なり、ご祭神も違うのが摩訶不思議ですわ。
(二荒山神社 鳥居と石碑)
(二荒山神社への 石段)
歴史はこちら宇都宮の二荒山神社の方が古いとの伝承がおます。
でも江戸時代に日光東照宮の側に置かれていた二荒山神社が
重視されたので、一之宮が二つ並ぶことに成ったのかも?
(二荒山神社 石段から振り返ると)
(二荒山神社の 由緒書き)
(二荒山神社の 拝殿)
(二荒山神社の 拝殿を背景に 自撮り)
ご祭神は 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
ご配神が 大物主命 (おおものぬしのみこと)
古代の毛野(けの)(けぬ)国が二つに別れて
上毛野 が 上野の国となり 現在の群馬県に
下毛野 が 下野の国となり 現在の栃木県に
おそらく古代の毛野氏を氏神さんとする神社だったはず。
大和朝廷に従属してから崇神天皇(第10代)を頂き
その皇子を、ご祭神にして伝承しているような感じ。
(二荒山神社 ご朱印)
(間紙に こんな お言葉が)
こんな、思いやりのある間紙が添えられてましたで。
一之宮を巡ってるのに気付いての添え書きでししょうか?
(二荒山神社の 社宝)
ご朱印を頂戴する時間を利用して二荒山神社の社宝を拝見
ご当地の豪族だった宇都宮氏が奉納された物のようですわ。
宇都宮氏は平安時代末から豊臣秀吉の時代まで約400年
二荒山神社の神職を兼ねる北関東一の名門武士団だったとか。
(与謝蕪村の 句碑)
(小林一茶の 句碑)
新しい句碑なので江戸時代に二荒山神社を訪れた、そんな
伝承から平成になって建立された句碑かもしれまへん。
最後に、ご神木を撮影して退散することにしまひょ。
(二荒山神社の ご神木)
(二荒山神社 神門を背景に 自撮り)
お天気が良ければ有名な「大谷石=おおやいし」の
石切場が博物館になっているので訪れたかったんですわ。
一度だけ訪れたけど、ゆっくりと見れなかった記憶が。
でも雨が強くなり山手に向かうのを諦めてしまいました。
JR宇都宮駅に帰りは、傘さして歩くことにしまひょ。
(宇都宮市の マンホールの蓋)
(東武・宇都宮駅方向を撮影)
(宇都宮市 案内図)
(宇都宮市内を流れる 田川)
久しぶりに「宇都宮の餃子」を食べたかっんだけどな~
平日の10時30分ではまだオープンしてまへんわ。
(宇都宮 餃子の店舗)
(JR宇都宮駅ビル)
(栃木の名産品 ゆばの刺身)
珍しいので宅配で、栃木のお漬物と合わせて8個ばかりを
大阪へ第1回目のお土産として送りましたんや。
もう少しゆっくり見物をしたかったんですが夕方から大雨
そんなテレビのニュースなので早めに埼玉へ帰らなくちゃ。
何せ栃木県は関東でも有名な夕立と落雷の名所なんですから。
電車が運転中止になる前に埼玉へ戻ることにしまひょ。
(JR浦和駅ホーム にて自撮り)
(JR浦和駅 駅名標)
(JR浦和駅 駅ナカにて 自撮り)
JR浦和駅まで戻ったら、凄い夕立の真っ最中でんがな。
取り敢えず東口のビルにでも逃げ込むことにしまひょ。
昔は県庁所在地の駅にしては不釣り合いのダサイ駅でした
東口の再開発とJR浦和駅の改修が終わってようですわ。
なんとか面目を保つぐらいの東口駅前になったんかも。
この奥に労働基準監督署が在って毎年1~2度ばかり
単身赴任中に戸田市から車で訪れたことがおました。
ごちゃごちゃした建物の密集した古い町並みでしたよ。
(さいたま市 中央図書館 内部)
(JR浦和駅 東出口側の パルコ)
このビルの6階が全て「さいたま中央図書館」ですわ。
凄い夕立なので、ここに逃げ込んで雨宿りでおます。
埼玉県の郷土史など約2時間ばかり読ませて貰いました。
夕方にOBの後輩二人と飲み会を予定してましたので
図書館で時間調整をすることになったんですわ。
我が町の中央図書館の3倍ぐらいある立派な図書館でした。
(JR浦和駅 東口のビル街)
(JR浦和駅前 バスターミナルにて)
戸田市でも良く利用させてもらった国際興業の路線バス。
当時よりもラッピングの色が明るくなつた感じでんな。
(JR浦和駅を 発車する高崎線の電車)
(埼玉県 川口市の マンホールの蓋)
鉄ちゃん爺やの一之宮巡りも今回はこれにて終了です。
関八州の 相模・常陸・下総・上総・武蔵・下野
6カ国を終えて、残すは 安房の国・上野の国 のみ。
この二カ国はJRの駅から相当の距離がおますんで
今回は、最初から無理だなと諦めていたんですわ。
鉄ちゃん爺やの一之宮巡りは終わりましたが、まだまだ
東京都内や埼玉県などの旅は続きまっせ。
ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵
この日は一転して荒れ模様のお天気でした。
JR赤羽駅へ出て宇都宮線に乗りますんや。
(E233系 郊外型電車) (JR赤羽駅にて撮影)
手前に見える「13」の標識はJR東京駅から
ここまで13kmの距離があるとの表示でっせ。
(4号車・5号車には グリーン車を連結)
関東では東海道本線・高崎線・宇都宮線・常磐線
総武線などに2両だけグリーン車が連結されてまぁ。
50kmまでと 51km以上で料金が変わりまぁ。
それから、事前に駅で購入した時と、乗車してから
購入した時では大きな差が有るので要注意でっせ。
鉄ちゃん爺やは100kmを超える距離の場合は
グリーン車を利用することにしてますんや。
例 熱海駅 ~ 東京駅 ・ 赤羽駅など
50km迄 ・ 51km以上
平日 事前購入 770円 980円
車内購入 1030円 1240円
土休日 事前納入 570円 780円
車内購入 830円 1040円
土休日に駅で購入すろのが一番安いんでっせ。
(E232-3017号車) (1号車)
E233系の車両ですが東京駅側1号車はE232で
宇都宮駅側の車両はE233と区別されてますんや。
専門的にはE233/232系 と称するようでんな。
(E233/232系 車内)
宇都宮線・高崎線には1号車・2号車(東京駅側)と
14号車・15号車にはクロスシートとロングシート
併用の車両が連結されてますがクロスシートをお勧め。
総武線は1号車・2号車だけだったように記憶しまぁ。
長旅の車窓はクロスシートでないと気分も出まへん。
(JR宇都宮線 車内で自撮り)
クロスシートの1号車でJR宇都宮駅へ向かいまっせ。
JR赤羽駅では曇り空のお天気でしたが
北上するにつれ、雨が降りだしましたで。
嫌なお天気でっけど、今更ながら戻れまへんがな。
(JR東日本さん 吊り革が三角形に)
JR西日本では昔ながらの丸い吊り革でっけど。
どちらが効率が良いのかは知りまへんけど。
(JR宇都宮線 車内から撮影)
利根川を越えて栃木県に入った頃から雨が
それも激しく降っているとの車内放送で。
とうとうJR宇都宮駅の手前で運転停止!
信号機に落雷したような気配ですわ。
(信号機を点検する JRの職員)
(JR宇都宮駅の手前 徐行運転中)
午前9時を回っているのに夕暮れのような風景。
雨は強く降ったり、弱まったりを繰り返してまぁ。
(JR宇都宮駅 駅名標)
結局25分遅れでJR宇都宮駅に到着でしたわ。
別に急ぐ旅でもないので気を取り直して改札口へ。
(JR日光線 乗り換え案内)
ここから日光へ行けるんですが便が少ないんですわ。
都内からの観光客は浅草駅から東武で行かれるはず。
もしくは最近JRと東武が相互乗り入れをしている
新宿駅発の特急「日光」「きぬがわ」を使いますよね。
(JR宇都宮駅 改札口)
(JR宇都宮駅 改札口で自撮り)
鉄ちゃん爺やが現役時代に新大阪からと単身赴任中には
埼玉県戸田市から月に1度は訪ねた想い出の駅なんですよ。
駅のホームは15年前と変わりなく改札口も同じでしたわ。
(JR宇都宮駅 東口への連絡高架橋)
右側の喫茶店で時間調整のコーヒータイムなどもやりました。
お店のテナントは変わってしまったけど、連絡高架橋は
当時のままで内装だけが改修されたのかもしれまへん。
(JR宇都宮駅 東出口への通路)
(JR宇都宮駅 東出口の 餃子村の風景)
(JR宇都宮駅 東出口)
階段を下りた所が当時はタクシー乗り場でしたんや。
ここから日立の子会社がある平出工業団地まで約2km。
現在は広場を利用して宇都宮餃子の屋台村ができてますわ。
昭和の時代は見劣りがした東出口でしたが、貨物駅を撤去
ビル街が立派に並んだ繁華街になったなの印象でおます。
それでは反対側の西出口へ向かうことにしまひょ。
(JR宇都宮駅 新幹線駅舎)
JR宇都宮駅は西出口がメインで官庁街もこちら側に。
昔からの旧市街地だという表現が正しいのかどうかは不明。
人口約52万人の北関東では最大の都市という事になりまぁ。
宇都宮と言えば「餃子」でしたが最近は静岡県の浜松市が
ライバルとして登場し、売り上げは浜松市が上回ったとか?
首位争いの「餃子戦争」はまだ続いているんだって。
(餃子の像) (JR宇都宮駅 西出口歩道橋)
(餃子の像 説明書き)
餃子の像は元は東出口の階段を下りた処に置かてました。
JR宇都宮駅前の歩道橋が完成した際に移動したらしい。
当時は餃子の像の説明書きは無かったように記憶。
懐かしい餃子の像を背景に自撮りしてバス停に向かいまひょ。
(餃子の碑を 背景に自撮り)
下野の国・一之宮はここから歩いて約1kmチョイかな?
でも雨が降ってるので路線バスに乗ることにしましたんや。
JR宇都宮駅前から大通りを西に向かって走ってまっせ。
(東武の 路線バス車内から)
三つ目のバス停で指を差されて、向こう側ですよと
ドライバーさんの助言に感謝しての下車でした。
(バス停から 二荒山神社の鳥居を撮影)
宇都宮市の名称は二荒山神社の「宮」と、その社家から
出た豪族の宇都宮氏につながるんだそうですわ。
下野の国に「二荒山神社」が二つ有り共に一之宮だとか。
日光二荒山神社 (にっこうふたらさんじんじゃ)
宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)
呼び方が異なり、ご祭神も違うのが摩訶不思議ですわ。
(二荒山神社 鳥居と石碑)
(二荒山神社への 石段)
歴史はこちら宇都宮の二荒山神社の方が古いとの伝承がおます。
でも江戸時代に日光東照宮の側に置かれていた二荒山神社が
重視されたので、一之宮が二つ並ぶことに成ったのかも?
(二荒山神社 石段から振り返ると)
(二荒山神社の 由緒書き)
(二荒山神社の 拝殿)
(二荒山神社の 拝殿を背景に 自撮り)
ご祭神は 豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)
ご配神が 大物主命 (おおものぬしのみこと)
古代の毛野(けの)(けぬ)国が二つに別れて
上毛野 が 上野の国となり 現在の群馬県に
下毛野 が 下野の国となり 現在の栃木県に
おそらく古代の毛野氏を氏神さんとする神社だったはず。
大和朝廷に従属してから崇神天皇(第10代)を頂き
その皇子を、ご祭神にして伝承しているような感じ。
(二荒山神社 ご朱印)
(間紙に こんな お言葉が)
こんな、思いやりのある間紙が添えられてましたで。
一之宮を巡ってるのに気付いての添え書きでししょうか?
(二荒山神社の 社宝)
ご朱印を頂戴する時間を利用して二荒山神社の社宝を拝見
ご当地の豪族だった宇都宮氏が奉納された物のようですわ。
宇都宮氏は平安時代末から豊臣秀吉の時代まで約400年
二荒山神社の神職を兼ねる北関東一の名門武士団だったとか。
(与謝蕪村の 句碑)
(小林一茶の 句碑)
新しい句碑なので江戸時代に二荒山神社を訪れた、そんな
伝承から平成になって建立された句碑かもしれまへん。
最後に、ご神木を撮影して退散することにしまひょ。
(二荒山神社の ご神木)
(二荒山神社 神門を背景に 自撮り)
お天気が良ければ有名な「大谷石=おおやいし」の
石切場が博物館になっているので訪れたかったんですわ。
一度だけ訪れたけど、ゆっくりと見れなかった記憶が。
でも雨が強くなり山手に向かうのを諦めてしまいました。
JR宇都宮駅に帰りは、傘さして歩くことにしまひょ。
(宇都宮市の マンホールの蓋)
(東武・宇都宮駅方向を撮影)
(宇都宮市 案内図)
(宇都宮市内を流れる 田川)
久しぶりに「宇都宮の餃子」を食べたかっんだけどな~
平日の10時30分ではまだオープンしてまへんわ。
(宇都宮 餃子の店舗)
(JR宇都宮駅ビル)
(栃木の名産品 ゆばの刺身)
珍しいので宅配で、栃木のお漬物と合わせて8個ばかりを
大阪へ第1回目のお土産として送りましたんや。
もう少しゆっくり見物をしたかったんですが夕方から大雨
そんなテレビのニュースなので早めに埼玉へ帰らなくちゃ。
何せ栃木県は関東でも有名な夕立と落雷の名所なんですから。
電車が運転中止になる前に埼玉へ戻ることにしまひょ。
(JR浦和駅ホーム にて自撮り)
(JR浦和駅 駅名標)
(JR浦和駅 駅ナカにて 自撮り)
JR浦和駅まで戻ったら、凄い夕立の真っ最中でんがな。
取り敢えず東口のビルにでも逃げ込むことにしまひょ。
昔は県庁所在地の駅にしては不釣り合いのダサイ駅でした
東口の再開発とJR浦和駅の改修が終わってようですわ。
なんとか面目を保つぐらいの東口駅前になったんかも。
この奥に労働基準監督署が在って毎年1~2度ばかり
単身赴任中に戸田市から車で訪れたことがおました。
ごちゃごちゃした建物の密集した古い町並みでしたよ。
(さいたま市 中央図書館 内部)
(JR浦和駅 東出口側の パルコ)
このビルの6階が全て「さいたま中央図書館」ですわ。
凄い夕立なので、ここに逃げ込んで雨宿りでおます。
埼玉県の郷土史など約2時間ばかり読ませて貰いました。
夕方にOBの後輩二人と飲み会を予定してましたので
図書館で時間調整をすることになったんですわ。
我が町の中央図書館の3倍ぐらいある立派な図書館でした。
(JR浦和駅 東口のビル街)
(JR浦和駅前 バスターミナルにて)
戸田市でも良く利用させてもらった国際興業の路線バス。
当時よりもラッピングの色が明るくなつた感じでんな。
(JR浦和駅を 発車する高崎線の電車)
(埼玉県 川口市の マンホールの蓋)
鉄ちゃん爺やの一之宮巡りも今回はこれにて終了です。
関八州の 相模・常陸・下総・上総・武蔵・下野
6カ国を終えて、残すは 安房の国・上野の国 のみ。
この二カ国はJRの駅から相当の距離がおますんで
今回は、最初から無理だなと諦めていたんですわ。
鉄ちゃん爺やの一之宮巡りは終わりましたが、まだまだ
東京都内や埼玉県などの旅は続きまっせ。
ほんなら、今日はこれで、さいなら~🎵
一宮もいろいろなものが
ありますね。単身赴任
大変でしたね。
何かと言うと地元栃木県へ連れていかれました
あれから40年いや50年は経っているかもしれません
餃子は食べた覚えがなかったような気がします。
国際興業バスは懐かしいです。。
お疲れ様でした。
今となれば懐かしい想い出でかもしれません。
約8年間の単身赴任でしたが良い経験にもなりましたね
家庭料理で広まったのが溶餃子だったとか。
私が大阪から出張していた昭和の後半には
宇都宮の餃子はなかったような記憶。
平成になってから町興しで何処かの
会社が始めたら爆発的に広まったそうです。
国際興業バスは私が住んでいた戸田市では
唯一の路線バスでしたね。
JRの埼京線や京浜東北線に乗るには
このバスで行くしかありませんでした。
夜は元の会社の後輩や学生時代の同級生と
楽しく飲み会をやってましたよ。
和食の居酒屋「はなの舞い」「おさかな道場」など
都内や埼玉を中心に良く流行ってましたね。
昔はオリエンタル系の居酒屋でしたが
私が大阪へ戻ってからは和食の居酒屋に
転換してから大いに賑わっているそうです。
関西にはまだ数軒しか出来てませんけど。