4月16日に造幣局・桜の通り抜けの日に
お詣りした摂津の国・一之宮でおます。
坐摩神社(いかすりじんじゃ)(正式名称)
通称は、ざまじんじゃ、又は、ざまさん。
大阪の船場に鎮座する立派な神社でつせ。
(23系 大阪市営地下鉄 四つ橋線)
(大阪市営地下鉄 本町駅名標)
(坐摩神社 一の鳥居)
左右に潜り戸が設けられた三組みの鳥居でっせ。
見たことは有りまっけど、珍しい鳥居ではおます。
それではお詣りさせてもらいまひょ。
(座摩神社=いかすりじんじゃ 本殿)
坐摩神社(いかすりじんじゃ)とは読めまへんわな。
鉄ちゃん爺やも、正式名称を知ったのはこの日が初めて。
親しみを込めて、坐摩(ざま)さんと呼んでましたんや。
坐摩神社「ざまじんじゃ」が名称と思ってましたがな。
(坐摩神社 御由緒略記)
(坐摩神=いかすりのかみ 説明書き)
坐摩(いかすり)の語源は諸説ありますが、土地又は
居住地を、守り給う意味の、居所知(いかしり)が
転じた名称だといわれてるそうでっせ。
五柱の御祭神が記されてますが、あまり知らない神様。
(座摩神社=いかすりじんじゃ ご朱印)
摂津の国 一之宮 住吉神社 坐摩神社
河内の国 一之宮 枚岡神社
和泉の国 一之宮 大鳥大社
これで大阪府の四つの神社は全てお詣りを終えましたで。
(坐摩神社の 回廊)
(坐摩神社境内 末社・五つのお社)
鉄ちゃん爺やが20代から40代まで、船場に長く
勤務していた頃は、毎年7月22日が坐摩さんの夏祭り。
繊維会社は、この日がお休みになってましたんや。
坐摩さんは、繊維の神様だと先輩に教えられてましたな。
(座摩神社境内 末社になる 繊維神社)
本当は坐摩神社の末社の一つが「繊維の神様」だったとは。
恥ずかしながら約50年間も、誤った知識を信じていた訳。
会社の名代で2~3回「夏季大祭」に代参をしてたのにね。
(坐摩神社境内 末社になる 大江神社)
繊維神社・大江神社・天満宮・大国主神社・相殿神社 と
回廊の向こう側に小さなお社が五つ並んでますんや。
(座摩神社の 御神紋)
元々の坐摩神社は淀川南岸に当たる大江の岸に鎮座されていたが
豊臣秀吉の大坂城築城に際して、現在地に移設さされたとの話。
現在も天満橋の西側になる石町に行宮が置かれているそうですわ。
ここは渡辺の地とも呼ばれ、歴史にも登場する渡辺党の本拠地。
現在の座摩神社の住所も明治時代まで大阪市東区渡辺だったとか。
全国の渡辺さんにとっては、苗字のルーツでもおまっせ。
(鷺草の苗を 育成中)
「白鷺」が坐摩神社の御神紋でっさかいに、「鷺草の花」は
7月22日の「夏季大祭」には重要なお使いなんでしょうな。
本殿を囲むようにして、「鷺草の苗」が育成されてまっせ。
(鷺草を描いた 姫路市のマンホールの蓋)
7月22日の「夏季大祭」の頃にはこんな花が咲くのかな?
明治元年に明治天皇が行幸されたという事でっから
当時は大坂でも、有名な神社でしたんでしょうな。
(明治天皇 行幸の記念碑)
実はこの日に、もう一つの新しい発見がおましたや。
これは途中で見つけた案内板でっけど。
(陶器神社への 案内板)
(せともの町 の歴史 説明板)
鉄ちゃん爺やが幼少の頃に、両親に連れられて「せともの市」に
それから「陶器神社」にもお詣りした記憶が残ってますわ。
その「陶器神社」も坐摩神社の末社の一つだったとは驚き!
(陶器神社の拝殿)
当時はもっと、こじんまりしたお社だった記憶がしますんや。
坐摩神社の本殿は大阪大空襲で焼失して当時はまだ再建されず?
だから座摩神社の本殿が再建された1959年(昭和34年)より
昔の話だから、座摩神社など知る由もなかったという訳でっかな。
(陶器神社で 陶器の燈籠)
陶器の神様だけに、燈籠もせともので作られてますんや。
座摩神社側の狛犬までが、せとものとは恐れ入りました。
(狛犬も陶器でっせ~)
散策中に、境内でこんな記念碑も発見しましたで。
ここには江戸時代には上方落語の寄席が在ったんだそうな。
(上方落語寄席 発祥の地 顕彰碑)
上方落語では桂米朝さんが、伝統を引き継いではりましたが
数年前に、惜しまれながら亡くなられてしまいました。
江戸時代に三代目の桂文治が江戸へ出て「桂」を名乗り
江戸と、大坂に「桂」を名乗る落語家が出来たんですわ。
江戸で「桂」を名乗る落語家も元祖は上方でしたか。
それでは船場を歩いて地下鉄の本町駅へ向かいまひょ。
(ツインビルの 元祖?)
(御堂筋 久太郎3丁目 道路標識)
鉄ちゃん爺やが船場に勤務中の頃のお話でっけど。
ここには船場から発展した総合商社の「伊藤忠」の本社が在り
同じく船場出身の「丸紅」さんとが、激しく争ってましたで。
現在は両方共に東京都に本社が変更されて、関西の営業本部も
一昨年には船場を離れて、大阪駅の方へ移転されましたんや。
船場から総合商社が全て撤退したと、話題になりましたかな。
(大阪センタービル 案内表示板)
(大阪センタービル テナントの銘板)
このビルに現在は「ユニチカ」さんが本社で残ってますんや。
船場地区に残る数少ない上場企業としての本社になりまっかな。
(船場センタービル 手前は御堂筋)
(船場センタービル 9号館~8号館)
ここから地下へ潜り込むと地下鉄の本町駅になりまぁ。
本日はこれにてお仕舞とさせて貰いまっさ。
次回は京都の上賀茂神社を紹介しまひょかな。
ほんなら、これで、さいなら~🎵
お詣りした摂津の国・一之宮でおます。
坐摩神社(いかすりじんじゃ)(正式名称)
通称は、ざまじんじゃ、又は、ざまさん。
大阪の船場に鎮座する立派な神社でつせ。
(23系 大阪市営地下鉄 四つ橋線)
(大阪市営地下鉄 本町駅名標)
(坐摩神社 一の鳥居)
左右に潜り戸が設けられた三組みの鳥居でっせ。
見たことは有りまっけど、珍しい鳥居ではおます。
それではお詣りさせてもらいまひょ。
(座摩神社=いかすりじんじゃ 本殿)
坐摩神社(いかすりじんじゃ)とは読めまへんわな。
鉄ちゃん爺やも、正式名称を知ったのはこの日が初めて。
親しみを込めて、坐摩(ざま)さんと呼んでましたんや。
坐摩神社「ざまじんじゃ」が名称と思ってましたがな。
(坐摩神社 御由緒略記)
(坐摩神=いかすりのかみ 説明書き)
坐摩(いかすり)の語源は諸説ありますが、土地又は
居住地を、守り給う意味の、居所知(いかしり)が
転じた名称だといわれてるそうでっせ。
五柱の御祭神が記されてますが、あまり知らない神様。
(座摩神社=いかすりじんじゃ ご朱印)
摂津の国 一之宮 住吉神社 坐摩神社
河内の国 一之宮 枚岡神社
和泉の国 一之宮 大鳥大社
これで大阪府の四つの神社は全てお詣りを終えましたで。
(坐摩神社の 回廊)
(坐摩神社境内 末社・五つのお社)
鉄ちゃん爺やが20代から40代まで、船場に長く
勤務していた頃は、毎年7月22日が坐摩さんの夏祭り。
繊維会社は、この日がお休みになってましたんや。
坐摩さんは、繊維の神様だと先輩に教えられてましたな。
(座摩神社境内 末社になる 繊維神社)
本当は坐摩神社の末社の一つが「繊維の神様」だったとは。
恥ずかしながら約50年間も、誤った知識を信じていた訳。
会社の名代で2~3回「夏季大祭」に代参をしてたのにね。
(坐摩神社境内 末社になる 大江神社)
繊維神社・大江神社・天満宮・大国主神社・相殿神社 と
回廊の向こう側に小さなお社が五つ並んでますんや。
(座摩神社の 御神紋)
元々の坐摩神社は淀川南岸に当たる大江の岸に鎮座されていたが
豊臣秀吉の大坂城築城に際して、現在地に移設さされたとの話。
現在も天満橋の西側になる石町に行宮が置かれているそうですわ。
ここは渡辺の地とも呼ばれ、歴史にも登場する渡辺党の本拠地。
現在の座摩神社の住所も明治時代まで大阪市東区渡辺だったとか。
全国の渡辺さんにとっては、苗字のルーツでもおまっせ。
(鷺草の苗を 育成中)
「白鷺」が坐摩神社の御神紋でっさかいに、「鷺草の花」は
7月22日の「夏季大祭」には重要なお使いなんでしょうな。
本殿を囲むようにして、「鷺草の苗」が育成されてまっせ。
(鷺草を描いた 姫路市のマンホールの蓋)
7月22日の「夏季大祭」の頃にはこんな花が咲くのかな?
明治元年に明治天皇が行幸されたという事でっから
当時は大坂でも、有名な神社でしたんでしょうな。
(明治天皇 行幸の記念碑)
実はこの日に、もう一つの新しい発見がおましたや。
これは途中で見つけた案内板でっけど。
(陶器神社への 案内板)
(せともの町 の歴史 説明板)
鉄ちゃん爺やが幼少の頃に、両親に連れられて「せともの市」に
それから「陶器神社」にもお詣りした記憶が残ってますわ。
その「陶器神社」も坐摩神社の末社の一つだったとは驚き!
(陶器神社の拝殿)
当時はもっと、こじんまりしたお社だった記憶がしますんや。
坐摩神社の本殿は大阪大空襲で焼失して当時はまだ再建されず?
だから座摩神社の本殿が再建された1959年(昭和34年)より
昔の話だから、座摩神社など知る由もなかったという訳でっかな。
(陶器神社で 陶器の燈籠)
陶器の神様だけに、燈籠もせともので作られてますんや。
座摩神社側の狛犬までが、せとものとは恐れ入りました。
(狛犬も陶器でっせ~)
散策中に、境内でこんな記念碑も発見しましたで。
ここには江戸時代には上方落語の寄席が在ったんだそうな。
(上方落語寄席 発祥の地 顕彰碑)
上方落語では桂米朝さんが、伝統を引き継いではりましたが
数年前に、惜しまれながら亡くなられてしまいました。
江戸時代に三代目の桂文治が江戸へ出て「桂」を名乗り
江戸と、大坂に「桂」を名乗る落語家が出来たんですわ。
江戸で「桂」を名乗る落語家も元祖は上方でしたか。
それでは船場を歩いて地下鉄の本町駅へ向かいまひょ。
(ツインビルの 元祖?)
(御堂筋 久太郎3丁目 道路標識)
鉄ちゃん爺やが船場に勤務中の頃のお話でっけど。
ここには船場から発展した総合商社の「伊藤忠」の本社が在り
同じく船場出身の「丸紅」さんとが、激しく争ってましたで。
現在は両方共に東京都に本社が変更されて、関西の営業本部も
一昨年には船場を離れて、大阪駅の方へ移転されましたんや。
船場から総合商社が全て撤退したと、話題になりましたかな。
(大阪センタービル 案内表示板)
(大阪センタービル テナントの銘板)
このビルに現在は「ユニチカ」さんが本社で残ってますんや。
船場地区に残る数少ない上場企業としての本社になりまっかな。
(船場センタービル 手前は御堂筋)
(船場センタービル 9号館~8号館)
ここから地下へ潜り込むと地下鉄の本町駅になりまぁ。
本日はこれにてお仕舞とさせて貰いまっさ。
次回は京都の上賀茂神社を紹介しまひょかな。
ほんなら、これで、さいなら~🎵
詳しい解説をありがとうございました。
大阪、地盤沈下してますね。船場、
何か懐かしい響きがします。
鳥居も立派です小倉は、大気汚染黄砂で一日
家でした大気汚染は凄いです。室内26度
暑いです。冷風機入れました。エアコンは
電気代高いからのんびりとゴールデンウイークは
しましたよ8日まで休み頂いてます
GWはじっとしていました。
静養しております。
坐摩神社、ざまとは読めてもいかすりとは
読めないですね。
まず大阪一之宮制覇おめでとうございます。
記念すべき第一歩と言った所ですね。
ユニチカ、バレーは強かったですね。
もう6日ですが・・・
今月もよろしくお願いします。
スーボーと書いてしまいました。
「サギソウ」のお花は何故か世田谷区の花・シンボルに。
サギソウは世田谷区内の水辺にも自生していたといわれ
サギソウ伝説も残っていますが、現在、世田谷区に自生地はありません。
世田谷区では昭和43年に区民の公募によってサギソウを「区の花」に制定されました。
余分な事書いて仕舞いました<<(*_ _)>>
昭和43年に 東京100年を記念して
区の花に設定されました。
クイズに出しても読めないでしょうね~。
息子が住んでいる西荻窪を散策してきました
骨董店が多い街でした。
問題なんですが、大阪に首都機能の一部を
移行する考えはあまり聞きませんね。
大阪が輝いたのは1970年の万博までしたね。
きついでしょうね、大阪はそれほどでもありません。
まだ~ クーラーは使用してませんよ。
GW中の大阪の最高気温も24度~27度ぐらいでしたね。