千葉県の佐原と書いて「さわら」と読みまぁ。
NHKさん「さはら」と呼んで間違いだよと
千葉県民に指摘されたことが有ったとか。
(JR佐原駅 駅名標)
「お江戸 見たけりゃ 佐原へござれ
佐原本町 江戸まさり」
江戸時代の後半から明治まで利根川の水運を
利用して大いに栄えたのが佐原(さわら)で
北総の小江戸(こえど)と呼ばれるんだって。
鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中は確か
佐原市(さわらし)と呼ばれてたはず。
現在は小見川町と合併し香取市になったとか。
香取市(かとりし)は昔の香取郡から採用して
人口が約7万7千人の地方都市でおます。
(香取市 マンホールの蓋)
水郷と市の花である「あやめ」が描かれてまぁ。
市の名前は香取市ですが昔からの中心地である
佐原(さわら)に市役所も置かれてますんや。
(佐原=さわら 小野川の佇まい)
佐原(さわら)の重要伝統的建造物群保存地区は
後回しにして、香取神宮を訪ねることにしまひょ。
何せJR佐原駅(さわらえき)から香取神宮まで
約3kmぐらいの距離が有るんだと知りました。
観光協会に立ち寄ってレンターサイクルを借りて
向かうことにしまひょ。
500円ですのでタクシー利用よりも安いよね。
(佐原観光協会の レンターサイクル)
(レンターサイクルと 自撮り)
歩くのならJR香取駅が近いんでっけど、計測で
こちらでも約2km足らず有るような感じですわ。
しかも何もない無人駅だとネットで確認済み。
やはりこんな時にはレンターサイクルが便利でんな。
(香取神宮への 進入路)
左へ曲がればJR香取駅から小見川町を経て
銚子市の方へ行く県道のようですわ。
香取神宮へは真っ直ぐ進めばいいようでんな。
(香取神宮の 鳥居)
(香取神宮の森 説明書き)
(香取神宮の森)
前回紹介しました、鹿島神宮と香取神宮を
合わせて、関東では国家鎮護の重要な神様で
古くから神宮の名称を誇っているんだって。
ご祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)で
鹿島神宮のご祭神とお二人で出雲の国に行き
国譲りの大役を実行されたと言われてまぁ。
だから鹿島神宮も香取神宮も「武」の神様。
蛇足ながら「神宮」を名乗る神社は皇室と縁が
深い神様で、神社では最高の格式でおます。
(香取神宮の 総門)
(香取神宮の 総門と自撮り)
総門を潜るともう一つの立派な門がおます。
ここからが本殿と拝殿の境内になるようでんな。
(香取神宮の 楼門)
(重要文化財指定の 標識)
元禄13年に本殿と共に建造された楼門で
均斉の取れた姿は社殿とよく調和しているとも。
それでは拝殿へ向かうことにしまひょ。
(香取神宮の 拝殿)(重要文化財に指定)
(拝殿の 内部)
(香取神宮 拝殿の装飾)
(香取神宮の 本殿を横から撮影)
(香取神宮の 拝殿を横から撮影)
(香取神宮の ご朱印)
(香取神宮 要石のイラスト)
鹿島神宮にも要石があったけど、ここにも有るんだ。
二つとも、見学しな訳にはいかないな。
ナマズの頭を押さえている要石が描かれてまぁ。
(香取神宮 要石への参道)
(香取神宮の 要石)
ナマズの頭を押さえているとの伝説でっけど。
東日本大震災はナマズが苦しんで暴れたのかしら。
それでは佐原(さわら)の街中へ戻りまひょ。
(参道から 大鳥居を撮影)
(香取神宮の 門前町)
(水郷佐原 観光案内図)
利根川を渡ったら茨城県だと勘違いしてまんな。
この辺りは、常陸利根川が千葉県と茨城県の
県境で、利根川の向こうが佐原の水郷なんだ!
水郷佐原と書かれている地点が茨城県潮来市。
(佐原=さわら への県道)
レンターサイクルはこんなコースには最適ですわ。
3kmぐらい有るけど、ゆつくり走っても30分。
途中に赤レンガの古い建物を発見しましたで。
(佐原町並み交流館)(旧 三菱銀行佐原支店)
大正時代に建設された三菱銀行佐原支店だそうです。
三菱銀行から当時の佐原市に寄贈されたんだって。
古い街並みに巧くマッチして素敵な風景でおます。
(佐原町 古い建物)
正文堂と呼ばれた書店の建物で明治13年建築。
現在は書店ではないようですけど。
関東には川越市・栃木市・中之条町などの
重要伝統的建造物群保存地区が存在しまっせ。
ここ佐原が1996年認可の関東では最初だとの事。
(佐原町 小野川の川岸)
(佐原町 小野川の畔で 自撮り)
この小野川は約2kmぐらい下流で利根川に合流
昔はそこから利根川を遡上して江戸川や中川から
江戸に至る、江戸時代の重要な水運だったんだって。
東北から来る産物や米などが佐原辺りで小さい船に
積み替えられて、江戸へ送られてたようですわ。
(伊能忠敬 旧居跡)
(伊能忠敬 旧居内部)
(伊能忠敬が使用した 測量機)
本物ではないでしょうが、こんな測量機を使い
日本全国を歩いて地図を作製した偉大な人ですね。
この町で造酒と名主を務めた有力者だったそうで
50歳を超えてから全国を測量して歩いたんだって。
(伊能忠敬 旧居内から 外を撮影)
(樋橋 通称=じゃぁじゃぁばし)
30分ごとに水を川に落とす仕掛けがされてまぁ。
小野川を浄化する運動の一環として造られた橋。
ちょっとだけ、船着き場に下りてみまひょかな。
(佐原町 小野川の 船着き場から撮影)
(佐原町 明治時代の商家)
(佐原の町並みで 自撮り)
(木の下旅館)
江戸時代の天保時代の建物と明治前半の建物が大半。
1892年に大火が有ったので、特別に古い建物は
残ってないようですが、巧く調和させた町ではおます。
(佐原の町並み 説明板)
現在では想像できませんが、明治の20年頃まで
佐原町は千葉市・銚子市に次ぐ千葉県内では
第三位の人口を誇る都市だったようでっせ。
「元旦に商いできるは 伊勢の山田に 下総の佐原だけ」
京都の大店がそんな噂をしたとの伝説も有るんだって。
町興しで観光化し過ぎの感じもしまっけど。
それじゃJR佐原駅の方へ戻ることとしまひょ。
(JR佐原駅舎)
(JR佐原駅に到着する 208系電車)
鉄ちゃん爺やが単身赴任を終えた千葉事業所に後輩を
訪ねて立ち寄る約束でしたので、佐原を退散しまひょ。
みつわ台の車庫の側に1年間だけ住んだことがおます。
下のバスは当時とは少しだけ塗装が変わった感じも。
(千葉内陸バス)
(みつわ台の給水塔)
この給水塔には1年間だけお世話になったんだ。
この給水塔は15年前と少しも変わってません。
千葉駅付近の高層ビルからでも見えるんですよ。
(鉄ちゃん爺やの 住居跡)
石の階段だけが当時のままで建物は建て替えられてまぁ。
東下り(あずまくだり)3日目はこれにて終了になりまぁ。
次回は上総の国一之宮から武蔵の国に入ることにしまひょ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
NHKさん「さはら」と呼んで間違いだよと
千葉県民に指摘されたことが有ったとか。
(JR佐原駅 駅名標)
「お江戸 見たけりゃ 佐原へござれ
佐原本町 江戸まさり」
江戸時代の後半から明治まで利根川の水運を
利用して大いに栄えたのが佐原(さわら)で
北総の小江戸(こえど)と呼ばれるんだって。
鉄ちゃん爺やが関東に単身赴任中は確か
佐原市(さわらし)と呼ばれてたはず。
現在は小見川町と合併し香取市になったとか。
香取市(かとりし)は昔の香取郡から採用して
人口が約7万7千人の地方都市でおます。
(香取市 マンホールの蓋)
水郷と市の花である「あやめ」が描かれてまぁ。
市の名前は香取市ですが昔からの中心地である
佐原(さわら)に市役所も置かれてますんや。
(佐原=さわら 小野川の佇まい)
佐原(さわら)の重要伝統的建造物群保存地区は
後回しにして、香取神宮を訪ねることにしまひょ。
何せJR佐原駅(さわらえき)から香取神宮まで
約3kmぐらいの距離が有るんだと知りました。
観光協会に立ち寄ってレンターサイクルを借りて
向かうことにしまひょ。
500円ですのでタクシー利用よりも安いよね。
(佐原観光協会の レンターサイクル)
(レンターサイクルと 自撮り)
歩くのならJR香取駅が近いんでっけど、計測で
こちらでも約2km足らず有るような感じですわ。
しかも何もない無人駅だとネットで確認済み。
やはりこんな時にはレンターサイクルが便利でんな。
(香取神宮への 進入路)
左へ曲がればJR香取駅から小見川町を経て
銚子市の方へ行く県道のようですわ。
香取神宮へは真っ直ぐ進めばいいようでんな。
(香取神宮の 鳥居)
(香取神宮の森 説明書き)
(香取神宮の森)
前回紹介しました、鹿島神宮と香取神宮を
合わせて、関東では国家鎮護の重要な神様で
古くから神宮の名称を誇っているんだって。
ご祭神は経津主大神(フツヌシノオオカミ)で
鹿島神宮のご祭神とお二人で出雲の国に行き
国譲りの大役を実行されたと言われてまぁ。
だから鹿島神宮も香取神宮も「武」の神様。
蛇足ながら「神宮」を名乗る神社は皇室と縁が
深い神様で、神社では最高の格式でおます。
(香取神宮の 総門)
(香取神宮の 総門と自撮り)
総門を潜るともう一つの立派な門がおます。
ここからが本殿と拝殿の境内になるようでんな。
(香取神宮の 楼門)
(重要文化財指定の 標識)
元禄13年に本殿と共に建造された楼門で
均斉の取れた姿は社殿とよく調和しているとも。
それでは拝殿へ向かうことにしまひょ。
(香取神宮の 拝殿)(重要文化財に指定)
(拝殿の 内部)
(香取神宮 拝殿の装飾)
(香取神宮の 本殿を横から撮影)
(香取神宮の 拝殿を横から撮影)
(香取神宮の ご朱印)
(香取神宮 要石のイラスト)
鹿島神宮にも要石があったけど、ここにも有るんだ。
二つとも、見学しな訳にはいかないな。
ナマズの頭を押さえている要石が描かれてまぁ。
(香取神宮 要石への参道)
(香取神宮の 要石)
ナマズの頭を押さえているとの伝説でっけど。
東日本大震災はナマズが苦しんで暴れたのかしら。
それでは佐原(さわら)の街中へ戻りまひょ。
(参道から 大鳥居を撮影)
(香取神宮の 門前町)
(水郷佐原 観光案内図)
利根川を渡ったら茨城県だと勘違いしてまんな。
この辺りは、常陸利根川が千葉県と茨城県の
県境で、利根川の向こうが佐原の水郷なんだ!
水郷佐原と書かれている地点が茨城県潮来市。
(佐原=さわら への県道)
レンターサイクルはこんなコースには最適ですわ。
3kmぐらい有るけど、ゆつくり走っても30分。
途中に赤レンガの古い建物を発見しましたで。
(佐原町並み交流館)(旧 三菱銀行佐原支店)
大正時代に建設された三菱銀行佐原支店だそうです。
三菱銀行から当時の佐原市に寄贈されたんだって。
古い街並みに巧くマッチして素敵な風景でおます。
(佐原町 古い建物)
正文堂と呼ばれた書店の建物で明治13年建築。
現在は書店ではないようですけど。
関東には川越市・栃木市・中之条町などの
重要伝統的建造物群保存地区が存在しまっせ。
ここ佐原が1996年認可の関東では最初だとの事。
(佐原町 小野川の川岸)
(佐原町 小野川の畔で 自撮り)
この小野川は約2kmぐらい下流で利根川に合流
昔はそこから利根川を遡上して江戸川や中川から
江戸に至る、江戸時代の重要な水運だったんだって。
東北から来る産物や米などが佐原辺りで小さい船に
積み替えられて、江戸へ送られてたようですわ。
(伊能忠敬 旧居跡)
(伊能忠敬 旧居内部)
(伊能忠敬が使用した 測量機)
本物ではないでしょうが、こんな測量機を使い
日本全国を歩いて地図を作製した偉大な人ですね。
この町で造酒と名主を務めた有力者だったそうで
50歳を超えてから全国を測量して歩いたんだって。
(伊能忠敬 旧居内から 外を撮影)
(樋橋 通称=じゃぁじゃぁばし)
30分ごとに水を川に落とす仕掛けがされてまぁ。
小野川を浄化する運動の一環として造られた橋。
ちょっとだけ、船着き場に下りてみまひょかな。
(佐原町 小野川の 船着き場から撮影)
(佐原町 明治時代の商家)
(佐原の町並みで 自撮り)
(木の下旅館)
江戸時代の天保時代の建物と明治前半の建物が大半。
1892年に大火が有ったので、特別に古い建物は
残ってないようですが、巧く調和させた町ではおます。
(佐原の町並み 説明板)
現在では想像できませんが、明治の20年頃まで
佐原町は千葉市・銚子市に次ぐ千葉県内では
第三位の人口を誇る都市だったようでっせ。
「元旦に商いできるは 伊勢の山田に 下総の佐原だけ」
京都の大店がそんな噂をしたとの伝説も有るんだって。
町興しで観光化し過ぎの感じもしまっけど。
それじゃJR佐原駅の方へ戻ることとしまひょ。
(JR佐原駅舎)
(JR佐原駅に到着する 208系電車)
鉄ちゃん爺やが単身赴任を終えた千葉事業所に後輩を
訪ねて立ち寄る約束でしたので、佐原を退散しまひょ。
みつわ台の車庫の側に1年間だけ住んだことがおます。
下のバスは当時とは少しだけ塗装が変わった感じも。
(千葉内陸バス)
(みつわ台の給水塔)
この給水塔には1年間だけお世話になったんだ。
この給水塔は15年前と少しも変わってません。
千葉駅付近の高層ビルからでも見えるんですよ。
(鉄ちゃん爺やの 住居跡)
石の階段だけが当時のままで建物は建て替えられてまぁ。
東下り(あずまくだり)3日目はこれにて終了になりまぁ。
次回は上総の国一之宮から武蔵の国に入ることにしまひょ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
おいしいとかでご馳走になった
ことも。伊能忠敬記念館よかった
ですよ。養子だったとか。家を
再興して江戸に出て勉強した
らしいです。
最近では東日本大震災の1ケ月前頃でした
佐原周辺もあの地震には大分痛めつけられたようですね~。
佐原の帰りのいちご狩りのイチゴが美味しかったのは
今でも残っています。
元気にしてます。明日でもプログ最新します
佐原は場所は千葉県ですか。千葉県は一度行きましたが
神社とかは行ってないですね。随分自転車移動も
この一ヶ月してないですから明日仕事終わって
走りに行く予定ですデジカメも持ってね。来年四月大阪であいましょう一日だけど西日本瀬戸内海を大阪から予定としては尾道か広島まで走り松山へ行って松山フェリーで
小倉へ戻るコースです 叔父さんの自転車野郎の本の書いてるので続きを作る予定です。
動画のソフト・・・
ネットで検索で探しました。
http://www.bannerkoubou.com/
お手隙のお時にでも 覗いて見て下さい_(._.)_
ところで、下総国について、東京の両国橋がありますが、
領国とは、武蔵と下総の両国にかけた橋と言う意味だそうですが、
橋を渡った所に、下総の名残の下総食堂があります。
そこで下総の国はどこからどこまで?
疑問が湧きました。
北は古河の近くまであります。墨田区(下総)に、
問い合わせた所、利根川と荒川に挟まれた地域と、
教わりました。多少違いはありそうですが、
簡単明快でした。
「一度行きたいなあ」と思いました。
ブログにコメントをありがとうございました。
当初、私も新橋駅に行くことを考え、途中まで行きましたが、時間があったので銀座に戻り1丁目まで歩いたというわけです。
思ったほど1丁目までは遠くはなかったというのが実感です。
高級店のショーウィンドウを眺めながら「私には一生縁が無い店ばっかりね」と思ったことでした。
夕立に遭われたとは残念なことでしたね。
って読んだかあやふやに・・・。
小野川の景色ゆったりして風情ありますね。
佐原って水の町とは知らなかったです。
私は佐原と言えばやはり伊能忠敬ですね。
何時もありがとうございます。
様ですが改めて読み直してコメします
古い街並みと小野川の風景も情緒が
あり素敵で一度訪ねてみたい地となりました
20歳も年下の高橋至時に弟子入りしたとか。
年寄りの道楽と考えていたた師匠がその熱意に驚き
幕府を動かして全国の地図を作成するよう
計った結果、伊能忠敬が自費で全国を踏破。
当時としては見事な日本地図を完成させたそうですな。
ウナギが名物でしたか、これは予備知識が
無かったもんで失敗しましたね。
被害が出たそうですね。
現在ではそんな傷跡も感じられないような
観光都市になってましたよ。
特に、あやめが咲く季節には水郷巡りと
佐原の古い町並みを巡る
日帰りバスツアーが人気だそうですね。