雨の週末、1泊2日で
友人と連れ立って仏像巡りをした。
ある寺に、薬師堂があり
阿弥陀如来さん、薬師如来さん、十二神将さんたちがいるとのことで行ってみた。
お寺から山に沿って少し登ったところにお堂があったが、鍵がかかっている。
庫裡にいきお寺の奥さんとおぼしき方に話を聞くと
そこにいた仏像さんたちは3月いっぱいで新しくできた美術館に収蔵されたという。
でもせっかくいらしたのですから、
お堂の中を見ていって下さい、と鍵を開けてくれ、
中に招き入れてくれた。
薬師さんの入っていた御厨子の前にはお花が飾ってあった。
奥さんが問わず語りにいろいろと話してくれた。
お師匠さんから40年前に「ここはひとが集う場所になるよ」と言われていたが
本当にさまざまなところから人が訪ねて来るようになり、
お堂でお弁当を食べたり、辛い気持で来た方同士で話したり
歌い出したり踊ったり、子供が走り回って遊んだり、
そんな場所だったそうだ。
霊能者のようなひとたちも、多く集まって来ていたらしい。
そしてK子さん(お寺の奥さん)はお堂の隅にあったオルガンで
シベリウスの「フィンランディア」の一節を弾き、
このお堂にいたときに浮かんで来たメロディと言葉で作った歌、
そして亡くなった父上の葬儀の時に歌ったという賛美歌を聴かせてくれた。
わたしは声と話し方にはとても敏感で、
そこにさまざまなものを感じてしまうのだが、
彼女のそれはとても気持のいいもので
目を閉じてその語りを聴いていた。
彼女のお師匠さん(特攻隊の生き残りで、坐禅の指導をしている方だそう)が
「出会いはすべて奇跡であるのだから一期一会を大切にしなさい」と言われたことなど、
さまざまな話をしてくださった。
とても暖かく、それでいて強い波動が出ているのを肌で感じた。
(人からそんな波動を感じることはとても珍しいかもしれない…)
ちっとも押し付けがましくなく、偉そうでもなく、
本当に自然に話されている。
ああ、こういうのが本当の法話だよなあ、と思った。
仏さんのいないお堂はがらんとしていたが空っぽな感じはなく、
不思議なことに暖かい気が充満していて
いつまでもいたくなるような、とても気持のいい空間だった。
住職さんは「(仏像は移動してしまったけれど)魂をちゃんと残していってくれた」と言っているとのこと。
本当にそうだなあ、と思った。
仏像はそこにいなくとも
そのエネルギーはまだそこにあった。
それも、この「場」を大切に守っている方がいるからだ。
お堂の入り口にも、中にも、ちゃんと花を飾って、中をお掃除して。
裏山には三十三観音の石仏があるそうで
途中まで登って雨のため足許が悪く断念した。
穏やかなエネルギーの場であることは、途中まででも感じられた。
本当に徳のある人は、市井の中にいる。
そう思うことはたびたびあるけれど
そういう方に久しぶりにお会いできました。
そしてお寺本来の「開かれた場」としての機能をきちんと持っているところに巡り会えたことが嬉しかった。
また訪れることを約束して、辞した。
かつてそこにいた仏像さんたちを美術館に見に行き、駐車場に戻ったら
隣の公民館から女性が出て来て、その日ゆがいたらしい筍をくれた。
地元の奥さん達らしかった。
なんだかこういう偶然が、本当に面白く、旅らしい感じがした。
これも仏像さん達のおかげでしょうか。
感謝。