自分にとって、踊っている時
3次元と4次元の間のような感覚の時がある。
身体があるのにどんどん希薄になっていく。
目覚めかけだが目が覚めきっていない、
起きる直前のあのゾーンの感じ。
泉鏡花は「草迷宮」の中で秋谷悪左衛門というもののけを、
曰く「目の瞬きの間」に存在するものとして描いた。
そういう「あわい」にしか存在し得ないものがある。
本来はそういう「あわい」こそが真実なのだと思う。
小さい頃から幻想譚が好きで、
こればかりは飽きずに今になるまで読んでいるが、
それは実は「あわい」のあの真実を求めていたのからなのだな。
起きる直前は、どこかからのメッセージも入ってくることが多い。
お酒を飲んだ時も時々そのような体験をした。
それは思考と理性のコントロールが働かない時間である。
「受け取れる」ことがとても多くなるということだ。
稀に、WSでもそのような時間が訪れる時がある。
その時の空気感は言葉では表現しがたいものだ。
「今ここ」すらもなくなり
ここはあそこでもあり、そこでもあるというような
時空を超えたような場になる。
時空間自体が幻想であり、サイケデリクスなものとなる。
「あわい」こそが真実、ということを
子供の頃から思っていたのであろうか。
今でももちろんそう思っていて
それは「変性意識」と呼ばれるがそうではなく、
それこそが真性意識という気がするのだ。
身体のことを追求していくとやはり魂の領域に辿り着く。
まだ、少しかすめているくらいなのだろうけれど。
この「あわい」の感覚を味わった人は
どのくらいいるのだろうか。
そして味わってみたい人はどのくらいいるのだろうか。
身体は時に魂を閉じ込める檻のようにも感じられる時があるが、
身体とイメージを通してあるゾーンに達した時
時空を超えた別の次元に行くことができるのだ。