原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

【 ダンスシャーマニズムリトリート予告 】10/11~13 清里にて

2024-08-22 | シャーマンズゲート
明日、ここに告知を出しますが
23回目の合宿を開催します。24年目。
ダンスとシャーマニズムの合体した、
大変濃い体験をしていただける場です。

初心者の方でも、
身体から動きを引き出していく手法で
どなたでも自分のダンスを踊れます。
興味のある方はチェックしてね!

ダンスは「身体が見る夢」なので動きの技術がなくても
内なるイメージにアクセスし、そこを「生きる」ことで誰でも踊れる。
問題は本人が「踊れない」「恥ずかしい」と思いこんでいるだけ。
そしてダンスというと振り付けられた動きと思う人がほとんどなのだが、
みんな子供の頃は勝手に踊っていたでしょう?

瞑想の方が深いと思っている方もいるが、イメージにアクセスしそれに入っていくプロセスは瞑想に近いし、そこから想像だにしなかった方向に飛んでいくこともある。「動き」と「感覚」がある分、ダンスの方が深くなる。ただしこれはダンスをやり込んだ人のみ得られる。そういう人来たれといつも思うけど。
ダンスとシャーマニズム、これほど相性のいいものはない。
というかダンスの発祥はシャーマニズムだもんな。

合宿を毎年やり続けてきたが20年ほど前から毎回ぐっと深い時空になった。もちろん音楽も大きなファクターである。バラフォン、ジャンベ、ピアノ、様々なパーカッションなど。演奏してもらうし、皆にもやってもらう。歌も歌うよ。

去年は自分は即興で詩を詠んだ。
結構長めのが出てきてびっくりした。

通常のWSでは終わった後に街に出て帰らねばならないので言語化してまとめてからお帰りいただいている。しかし深く入るとそれも難しい場合があるが、合宿はその比ではない。体験者のみ分かるけど。言葉が出なくなってくる。言語化の場はあるが、絵を描くこともPGMしている。
踊りの最中で見えたこと、聞こえたこと、終わった後に感じたことを絵にしておくのはとても面白いし、「予知」みたいなもので後から「ああ、このときにはわかっていたんだな」ということがある。ダンスは身体の中から出てくる託宣なのよ。身体そのものが神秘なのだから。

欧米のダンスセラピストは閉眼しての技法を行なったり容認したりするけど、それも違う。目を閉じると言うことは何かを遮断することでもある。
昔、リンゼイ・ケンプのWSに出た時、彼に「目を閉じてはいけないよ」と言われた。上記の理由で。でもすごく納得できた。
目を開けていても実際に「見える」んだよ。
ミドルワールド(オルタナティブなゾーン)にいれば。感覚もある。
そして何よりグラウンディングしていながらそれができることが大事。
瞑想やりすぎて気が上がっているような人は(本人は気づいてないことも多いけど)身体を感じたり踊ってちゃんと着地しながらがいい。
なんでも意味に落とし込みたい人もそう。
この世から消えたい、と思っている人もグラウンディングが弱い。

でもそれは踊ることで変わってくる。持続した場合ね。
「踊る」というのは肉体や己の体力をを感じることでもあるが、
それと同時にあちら側に存在する、という感じがあるんだよな。
意識と身体が同時に別の場所に存在する。
それを行き来することはトレーニング次第でできる。
それを他者のために使うのがシャーマン。
芝居は身体の中にある特定の他者を住まわせるが、踊りはまず器の中にある汚れを排出し、空になり、そこに様々なものを降ろす、というのが自分の実感としてある。乗っ取られてはもちろんいかんのだ。
人間も頭脳だけになって最終的に電脳空間に住むようになるというMS計画のようになったら都合が良いのだろうけど、気持ち悪くないですか?超人的な身体機能というのもその裏を考えるととても恐ろしいものがあると感じている。
だからオリンピックは恐ろしい。色々大きな何かに使われるしね。

身体は年齢や体力のあり方でそれぞれ全く違うけれど
我々はいかほど自分の身体というものを知っているのか?といつも思う。
表層の意識を介在せずに身体が行なっていることがたくさんある。
絵にすると後からの答えあわせになるよ(事例多し)
それに近づくことは旅であり、探検でもある。楽しい。

身体とイメージについて思いつくまま書いてきたけれど、
WSや合宿が長く続いてきた理由として、コミュニタスとしての機能があることついてはまた書きます。ここは結構大事なところ。



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