原キョウコ ダンスセラピーラボ

ダンスセラピーという手法を通して心身の解放をサポートし、心と身体と魂をつなぐことを目標に、研究を重ねている場です。

「彼女は死をどう踊ったか ~ 死を想う その2」

2014-06-25 | 生と死を考える
引き続きまろんさんの「メメント・モリ」。

とても大切なことをこの何年かで
ぎゅっと凝縮して体験しているんだなあと改めて思う。

深い深いところからの変容の時期。
【死を想う 其の1】の記事の続きです。

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【死を想う 其の2】

人はどん底の時にこそ、
その状態から救ってくれる大切な人に出会える。
これは大切な友達、保山さんの言葉。

こうして2009年から現在までを振り返ると、
キョウコさんとの出会いはまさにそれに該当する。

キョウコさんには喪失感の緩和のみならず、
その体験を通じて、自分が成長していけるように導いてもらった。

一時、「大切な人=キョウコさん」ということで、
キョウコさんが死ぬ事を、ものすごく恐れていた時期があった。

本当にちょっとした事でも心配になって電話をしたり、
亡くなったことを想定して、準備を勝手にしてみたり。

「あんたは、私を殺したいんか(笑)」と、
変なイントネーションの関西弁で突っ込まれる事しばしば。

そんなやり取りをくり返し、
基礎トレの講座で、語ったり踊ったりしていくうちに
私は自分の恐怖や緊張に気づき、少しづづ、
ギュッとしがみついていた手を離すように、
自分の強迫観念から距離をとれるようになっていった。

そして今年に入って、
また色々と大きな意識の大きな変化が起こっている。
一つは保山さんとの出会いだ。

保山さんはプロのカメラマンとして日本屈指の腕と認められ、
次はまさに世界規模で活躍を始めようという絶頂期に癌ということが判明する。

死の淵に何度も置かれながらも、手術が成功し、
抗がん剤治療の副作用に七転八倒しながらも耐えぬき、
現在、仕事復帰を目指し治療を進めている。

そんな保山さんが言う事は、
私にはずしりと重い響きをもって聞こえてくる。

「Facebookで、闘病の様子を書くと、
応援しています、頑張って!と、まるでサッカーの試合に出るみたいに
励ましてくれる人がいるけど、負けると僕の場合、死ぬんだよね」

「死を覚悟して、自分の棺に飾る薔薇を育てようと思った。
けどその薔薇が散る頃まで自分が生きているなんてね」

怒っている風でもなく、儚んでいるわけでもなく
あっけらかんとそんなことを言う。

私には返す言葉があまりにもなさすぎた。
なぜってそれは、自分が死ぬということのリアリティを持ったことがないから。
死とはなんなのか、ということをほとんど考えてこなかったから。

保山さんと出会って、
死ぬってどんなことだろう、
私は、どんな風に死ぬのかな、
死んだらどうなるのかな、
どうせ死ぬのなら、なぜ生きるのかな
この生をちゃんと全うするには、どう生きたらいいのかな、

そんな事をよく考えるようになった。

5月に開催したキョウコさんの大阪WSでは、
それに対するヒント、いや答えそのものかもしれないことが
踊ることによって自分の中に降りてきた。

その「自分の中への旅」の模様はこの続き、其の3で書きますね。
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