この何年かは特に、
わたしのWSでは「死と喪失」をテーマにすることが多い。
小さな頃からわたしは何故か「ここではない他の世界」があるということを信じていて
それについてとても興味を持っていた。
実家は小さな町医者で、
わたしの小さい頃は瀕死の床にある患者さんのうちに父が往診に行き
看取ってくることも多かった。
そういう環境に育ったということ。
そして父ががんで他界した翌年に
自分もがんの告知を受けたということも大きいと思う。
先月の大阪WSのこと。
いつもプロデュースをしてくださっている
大正まろんさんが、ご自身のBlogにこんな体験記を書かれました。
まろんさんの許可を取ってここに転載致します。
ぜひ、読んでみて下さい。
*************
【死を想う 其の1】
自分の内的な思考を整理するために書きました。長文です。
ここのところ表層的なことで忙しく、
深く自分の内面へ潜って、
文章を書くことをやっていなかった。
でもずっと書きたかったことがある。
この数ヶ月、いろんなことが重なり、
自分にとっては大きな変化が起こっている。
いまも起こり続けている。
それは何かと言うと「死」の捉え方、
というと雑な感じなのだが、まあ、そういう方面のこと。
2009年に立て続けに2人の友人が病死と事故で急逝し、
それから私は「自分が気を抜くと、大切な人が死神に連れ去られる」
という強迫観念につきまとわれていた。
いつ死ぬかわからないから、
無理をしてでもこの人と遊びに行こう、
いつ死ぬかわからないから、
この人の言ったことをちゃんと記録しておこう、
いつ死ぬかわからないから、
この人たちのたくさん写真を撮っておこう・・・
そんな風に、私の行動の裏には失う事への恐怖があった。
喪失を体験した2009年の年の瀬のこと、
辛くて辛くてしょうがなかった私は、
原キョウコさんの「生と死を踊る」というダンスセラピーのWSを受けに行った。
そこで死の捉え方にまず最初の変化が起こった。
WSで踊っていると、
事故死した友人が最後に見たかもしれない風景が見えたのだ。
(それは私の中の風景であって、心霊現象みたいなものではないよ)
助けられなかったことをずっと悔やみ、
彼がどんなに苦しかっただろう、辛かったろうとしか思っていなかった私だったけれど、
あれが最後に見た景色ならば、案外と楽しかったかもしれないと思えた。
それから3年後、1年かけてダンスセラピーを学ぶ、
原キョウコさんの「基礎トレーニング講座」に参加。
ここで私はダンスセラピーを学ぶつもりが、
どんどんと自分の中の問題と向き合うことになる。
それは当然と言えば当然で、人を癒すには自分を癒してから。
自分というものに向き合わずして、どうして人と向き合えるのか?
ということだ。
こうして私は基礎トレでキョウコさんと参加メンバーに手伝ってもらいながら
人生40数年分の心のお片付けをすることになった。
最初に書いた「大切な人を失うのではないか」という脅迫概念は、
もっと遡ると幼い頃に目の前で起こった事故に起因しているのではないか、
ということもわかってきた。
私の無意識下にずっと存在した緊張、恐怖。
それに気がついたとき、ようやく私は私を許せたような気がした。
怖かったんだね、と小さな私を抱きしめてよしよししてあげられた。
基礎トレ講座も終盤に近くなった頃、
私は「助けられる」というシチュエーションでグループでダンスドラマを踊った。
事故死した友人を自分が演じてみたのだった。
気を失い、波間に漂っている時、
ああ死ぬ事というのはそう悪いものではないんだな、
そんな風に思えた。
私の肉体が発見され、砂浜に引っ張り上げられたとき、
私は生きるのも、死ぬのも等価で、どっちもアリなのだと思った。
それまで、自分は死はいけないことで、
生きる事が正解だと決めつけていたんだなと気がついた。
同時にそれまで、
事故で死んだ友人のことをずっと許さずに居たことに気づかされた。
悲しくて、辛くて、悔しくて、寂しくて、
本当に残念だけれども、彼の死を認めなくては。
そんな風に思えた。
さて、それが2013年、去年までの経緯。
長くなるので、続きは別便で。
わたしのWSでは「死と喪失」をテーマにすることが多い。
小さな頃からわたしは何故か「ここではない他の世界」があるということを信じていて
それについてとても興味を持っていた。
実家は小さな町医者で、
わたしの小さい頃は瀕死の床にある患者さんのうちに父が往診に行き
看取ってくることも多かった。
そういう環境に育ったということ。
そして父ががんで他界した翌年に
自分もがんの告知を受けたということも大きいと思う。
先月の大阪WSのこと。
いつもプロデュースをしてくださっている
大正まろんさんが、ご自身のBlogにこんな体験記を書かれました。
まろんさんの許可を取ってここに転載致します。
ぜひ、読んでみて下さい。
*************
【死を想う 其の1】
自分の内的な思考を整理するために書きました。長文です。
ここのところ表層的なことで忙しく、
深く自分の内面へ潜って、
文章を書くことをやっていなかった。
でもずっと書きたかったことがある。
この数ヶ月、いろんなことが重なり、
自分にとっては大きな変化が起こっている。
いまも起こり続けている。
それは何かと言うと「死」の捉え方、
というと雑な感じなのだが、まあ、そういう方面のこと。
2009年に立て続けに2人の友人が病死と事故で急逝し、
それから私は「自分が気を抜くと、大切な人が死神に連れ去られる」
という強迫観念につきまとわれていた。
いつ死ぬかわからないから、
無理をしてでもこの人と遊びに行こう、
いつ死ぬかわからないから、
この人の言ったことをちゃんと記録しておこう、
いつ死ぬかわからないから、
この人たちのたくさん写真を撮っておこう・・・
そんな風に、私の行動の裏には失う事への恐怖があった。
喪失を体験した2009年の年の瀬のこと、
辛くて辛くてしょうがなかった私は、
原キョウコさんの「生と死を踊る」というダンスセラピーのWSを受けに行った。
そこで死の捉え方にまず最初の変化が起こった。
WSで踊っていると、
事故死した友人が最後に見たかもしれない風景が見えたのだ。
(それは私の中の風景であって、心霊現象みたいなものではないよ)
助けられなかったことをずっと悔やみ、
彼がどんなに苦しかっただろう、辛かったろうとしか思っていなかった私だったけれど、
あれが最後に見た景色ならば、案外と楽しかったかもしれないと思えた。
それから3年後、1年かけてダンスセラピーを学ぶ、
原キョウコさんの「基礎トレーニング講座」に参加。
ここで私はダンスセラピーを学ぶつもりが、
どんどんと自分の中の問題と向き合うことになる。
それは当然と言えば当然で、人を癒すには自分を癒してから。
自分というものに向き合わずして、どうして人と向き合えるのか?
ということだ。
こうして私は基礎トレでキョウコさんと参加メンバーに手伝ってもらいながら
人生40数年分の心のお片付けをすることになった。
最初に書いた「大切な人を失うのではないか」という脅迫概念は、
もっと遡ると幼い頃に目の前で起こった事故に起因しているのではないか、
ということもわかってきた。
私の無意識下にずっと存在した緊張、恐怖。
それに気がついたとき、ようやく私は私を許せたような気がした。
怖かったんだね、と小さな私を抱きしめてよしよししてあげられた。
基礎トレ講座も終盤に近くなった頃、
私は「助けられる」というシチュエーションでグループでダンスドラマを踊った。
事故死した友人を自分が演じてみたのだった。
気を失い、波間に漂っている時、
ああ死ぬ事というのはそう悪いものではないんだな、
そんな風に思えた。
私の肉体が発見され、砂浜に引っ張り上げられたとき、
私は生きるのも、死ぬのも等価で、どっちもアリなのだと思った。
それまで、自分は死はいけないことで、
生きる事が正解だと決めつけていたんだなと気がついた。
同時にそれまで、
事故で死んだ友人のことをずっと許さずに居たことに気づかされた。
悲しくて、辛くて、悔しくて、寂しくて、
本当に残念だけれども、彼の死を認めなくては。
そんな風に思えた。
さて、それが2013年、去年までの経緯。
長くなるので、続きは別便で。
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