
(予想通り、地球岬までは言及できてなくて、途中で終わっています。またチャレンジしようという魂胆というか、いつもの事情というか、無計画に立ち上げるから、そんなことになってしまう。でもまあ気持ちです。)
北海道をフラフラしていたのは、もう二週間前になります。確かにそれくらい前だという気もするし、いやいやついこの間のことだ、という気もする。
どっちにしろ、これだという何かをつかめたわけではありません。昨日も書いてますけど、確かに何かをするというのは何なのか、そんなの求めても何にもならない。ただそこにあって、あれこれ考えながら歩いていたのです。
歩くということは、しんどいことであって、リアルな感じです。すぐにへばってしまうし、できたら写真でも撮らせてもらうと、休憩にもなるし、自分なりに面白いのが切り取れたら、ささやかにうれしい。
ただつまらない写真を撮ることが私の観光ですか? 旅ですか?
そうなのかもしれないです。それと、変てこ俳句・ひとりよがり短歌を作って、自己満足してみるのです。芭蕉さんみたいな根気はありません。いいものをつくろう、ひとりで作品世界を作り上げようという気概はないですけど、とりあえずもがいてみるんです。それは私にも許されている気がする。

川のみち生きるピークをたどるみちふるさとの川みんなとたどる
千歳川インディアン水車と柵ありてそれでもサケたち乗り越えようとする
柵ありてサケはここらで待機せりただひたすらにふるさとを求めて
千歳市のインディアン水車の設置された公園・水族館・道の駅がセットされたところに行きました。晴れてくれました。前日までの雨も上がって奇跡的な朝でした。もう感動しましたね。ただ、サケたちがこんなに恋焦がれるふるさとの川なのに、人の仕打ちというのは何とも残酷なものだと悲しくはなりました。そんなだったら、サケを食べなくていい、と言われそうだけど、そうなると困ってしまうけど、それくらいサケたちの魂みたいなのは感じました。感動したんでした。

旅の三日目にやっと、あこがれの羊蹄山を見あげることができました。上の方はずっと見えなかったけれど、天気予報からすれば、十分姿を見せてもらえたと喜ぶべきだと思えました。
倶知安町の人たちをずっと見守っている、町の人々は何かにつけて見上げているお山なのだと思われます。ただ、津軽平野の岩木山、盛岡の町の岩手山、鹿児島の桜島山みたいな、決定的なものではなくて、反対側を見ればニセコの山々(すでに雪も載せていた)もあるから、二つの山に見守られていて、とても幸せな感じでしたね。
しっかりとそこにあるのにひそやかで人々は倶知安という町に生きる

そうでした。たまたま日曜のお昼前でしたけど、倶知安駅近くの広場みたいなところで、地元のマルシェが行われていました。何だか場違いでビックリしたんですけど、ちゃんと地元で生き、ここでの生活を楽しんでいる若い人たちがおられた。オッサンは入っていけない空気はありましたけど、みんなやってるやん! という空気は感じることができた。
駅前には大きな地域密着のスーパーがあって、新幹線の駅ができたら、首都圏から直接やってくる人たちもいるかもしれないけど、そんな人たちは素通りしていくだけだろうし、大きな道のさっぱりした真っすぐな町なんだけど、都会の人たちも取っ掛かりが見つけにくいかもしれないな、なんて思います。
何だか憧れるのに、どうコンタクトをとればいいのか、ちゃんと自前のアンテナを持ってないといけないですね。私はうろたえてただけだった。知ってる人なら、遠くからでもこのマルシェに参加できたりしたんでしょう。
日曜日駅前マルシェ倶知安町お店をのぞけないオッサンがいて
いやオッサンはお腹が空いてただけでした焼き魚定食たべたんだった
