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今さらこんなことを書いても、それはどうにもならないけれど、サケたちは、寒い北の海で三、四年を過ごして、大きくなって、再び子孫たちを自分たちと同じ旅をさせようと、石狩湾に戻ってきて、自分たちのふるさとの川の流れ・香りを求めてずっと遡り、石狩川、そしてその支流の千歳川と海からも70kmを旅してきたということでした。
私がサケたちを見たのは、10月の21日の朝で、水族館の人の話によると、今日は遡上のピークだということでした。
それまでにも、ずっと秋なので毎日、毎時間サケたちは川から取り上げられていました。
普通に行けば、源流の支笏湖まで行けるそうですが、サケたちはそこまで行きたかったのか、それとも適当なところで産卵・受精したかったのか、わかりませんけど、とにかくやむにやまれぬ情熱を抱いて、本能が教えるままに川をさかのぼってきたら、丁寧にせき止められ、ふつうの急流なら乗り越えられるのに、わざわざ網も設置されていて、一切の飛び越えるものを許してないようでした。
仕方なしに、かごがクルクルまわる流れのところに行ってみると、どういうわけかグルグルと回されたら、板敷きのところに上げられ、何だか変だよと訴えた瞬間にはいけすみたいなところに閉じ込められ、適当な数が入れば、みんな一切合切トラックに詰め込まれて、どこかへ連れて行かれるようでした。
サケのオスもメスも関係なく、すべて取り込まれているようでした。
策に引っかかって動けなくなっていたサケは、集まったカラスたちが持っていくのか、と見ていたら、カラスにも一切与えず、すべてはどこかに取り込まれていた。死んだようになったサケは、加工用にでもするのかもしれなかった。
あわれなカラスたちは、トラックが去った後の水たまりでサケの匂いのする水を争って飲んでいる状態でした。カラスにも与えられない。従業員も、引っかかったサケを川に流してやるとか、元気そうなサケはそのまま上流に放り込んでやるとか、そんな遊びはありませんでした。
何もかもがシステマチックに行われている。遊びはない。抜け道もない。自然の川ではあるのに、自然はさえぎられ、人間の経済のルールがサケと人間を縛っているようでした。
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川の流れがそのまま見えるという水族館は、確かにサケたちが行く手をさえぎられてもだえ苦しんでいる様子が見て取れました。
係の人は、これはオス、少しとんがった顔、これはメスと、解説をしてくれたけれど、私はそれどころではなかった。サケたちは右手の上流をめざしているのに、前に行けなくてみんなでパニックになっていて、下流を見たりしているものもいました。
残念ではあるけれど、サケたちが途方に暮れている姿をずっと見ることになりました。感動的ではあるのだけれど、人間のワガママも感じてしまうし、他に何かいい方法みたいなのはないのか、そう思ってしまうけれど、きっと漁業者の人たちも、獲らなくちゃ商売にならないし、一番効率的な方法で捕まえ、ちゃんと受精卵を作り、稚魚を生まれさせ、ある程度の大きさで川へ放流してやっているのだから、すべては自分たちの力・人間のおかげでこのサケの群れもできている、そう納得しながら捕まえていることでしょう。
それも一理はある。でも、すべてを捕まえるのはどうなのだろう。たまには人間の作った柵を乗り越えるサケたちも認めていいのではないか。そんなことは許されないのかと、私なんかは思ってしまいました。
サケの群れは感動的でした。でも、そうならざるを得なくした人間の作為には何とも言えない気持ちになりました。