突然、ひらめいたので、たぶん、ダメだと思うけれど、見切り発車で書いてみます。途中でダウンしても、それは私の責任です。そりゃもう、もちろん、何も考えてないのに、書き始めたのだから。
1974年、日本公開の季節はいつだったんだろう。春? 秋? もう、よくわかりません。
鳴り物入りというのか、ものすごい話題だけが先行して、フランス映画の「エマニエル夫人」が公開されました。
もちろん、私はそういう映画には近づけないと思っていました。ちゃんと物心はついていたはずです。音楽はラジオで聞いていました。音楽だけでも、悩ましいし、けだるいし、少しエッチな感じがしていました。内容はよくわからないけれど、とにかくエッチな映画だというのは知っていた。
だったら、小学校の頃、女の子のスカートめくりに変な生きがいを感じてた私なんだから、もっと積極的に関わったらよかっただろうに、諦めていました。中学生でしたし……。
そうでした。私が初めて映画館に自分で行ったのは、1977年の「キングコング」だったと思うので、繁華街の映画館のロードショーに行くような立場でもなかったのでしょう。世の中の話題の映画なんて、自分には関係のないことでした。
それなのに、父と母がバスに乗って、話題の「エマニエル夫人」を見に行ったんでした! 帰ってきて「どうだった?」と訊いたと思うんですけど、母は何か、それらしい感想は述べてたと思うんだけど、どんな映画だったのか、母の感想からは何もわかりませんでした。子どもらに聞かせるべき感想はなかったのかもしれない。
1 バスに乗り父と母は話題の映画へ
2 エマニエル夫人を見たとのことで、絶句
3 母はまともな感想を言わずごまかす
どうして自由律俳句を書こうと思ったんです? しかも、ただの中途半端なことばを並べているだけで、とても自由律と呼べるものではないです。
ハイ、先日の古本市で、「山頭火」の本も買いたかったんです。でも、涙をのんで買わなかった。
4 ミミッチイ 出会いは手から抜け落ちて
5 山頭火も泣いている けがされたと思って
もう自由律はやめて、とにかく、続きを書きますと、うちの父と母は、それなりに仲良しだったのかなと思います。あともう少し昔、「忍ぶ川」だったかを見に行ってました。父と母の二人が一緒に映画を見に行ったのは、その二回だけでした。私が憶えているところでは。
そんなに興味はなかったと思うんだけど、うちのお父さんも、母に「見に行こう」とせがまれて、イヤイヤ行ったのかもしれません。もう少し父から映画に関してコメントをもらったらよかったけれど、そんなのを語ってくれる父ではありませんでした。それを訊ねる息子でもなかったんです。
父から、「エマニエル夫人」の感想を聞かせてもらったら、私はビックリしたと思うな。でも、新鮮だっただろうか。
「忍ぶ川」は1972年の熊井啓監督作品でした。これも見たことはないけど、熊井さんのことだから、男女のドラマなんて、まともに描いたんだろうか。そこが興味があるくらいで、まあ、見るチャンスはないですね。
それよりは、もっと社会の真相を見せてもらいたい感じです。
6 冬の長雨を長靴で行く
7 権力者は自らに甘く、自らの永遠を願う
8 雨の中を歩けば布靴は水びたし
9 給料の明細なんか知らない
10 ふるさとの話を友だちから聞いて
日記俳句にもならない、メチャクチャ自由律を書いてみました。たぶん、熊井啓さんの本に、フィルモグラフィが載っていて、そこから「エマニエル夫人」を思い出して、それと先日の「山頭火」をつなげたい欲求がどこかから湧いてきたんでしょう。
私みたいなへたくそは、基本のフォーマットを崩すと、もうメチャクチャになる気がするな。反省します。