母に久しぶりに電話しました。十日以上間が開いたかもしれない。母はわりと平然とした受け答えで、何でもないような感じだった。昔だったら、「久しぶりやね」とか、「長い間電話もせんといて」とか、「子どもを産んだ甲斐がなかった」とか、いろいろとお小言から始めていたのに、何でもない受け答えの方が、逆に少し怖かった。いや、私が後ろめたかっただけなんだろうか。
長い間ホッタラカシにしていたこと、怒ってないのだろうか? 特に理由はないけど、たまたま電話しなかっただけなんだけど、サラッと流してしまうなんて、何だか不思議でした。……たまたまだったのか。わざと電話しなかった、というところはなかったか。少しイジワルするところもあったのかもしれないな。
それで、母はフリマが大好きだから、でも、一人でウロチョロするのはイヤで、誰か家族がいて欲しいみたいで、弟が母を連れてってあげればいいのだけれど、弟はそういうところに母を連れて行くのは、逆に面倒で、あれこれ言い出すから、絶対に連れて行かない、みたいです。
彼に用事があって、母にお金を出させるのであれば、もちろんどこでも連れて行くだろうけど、そんなに母も甘くはないから、まんまとせびられるままにされる、ということはないと思うけど、わりと弟の望むとおりになってたりするのかな。弟には母は甘いところもあります。お兄ちゃんには厳しいのか?
それで、結局、朝の散歩と、時々の買い物に行く程度で、母は外界とはあまり関係を持たない老人になりつつあります。
本人は、気持ちは若いつもりだろうけど、膝とか、足腰は割ってきているみたいで、気持ちも少しこもりがちです。つい二、三年前と比べても、気力は落ちてきたと思います。そりゃ、人と接する部分がすごく減ってきて、偏屈になっています。
もっといろんな人とつきあって、あちらこちらに顔をだして、交流があればいいんだけど、母と同年代の人はあまり友だちにいないみたいだし、年上の人たちは、みんなおうちにこもりきりになってしまい、外でおしゃべりすることもなくなりました。
息子の私は、時々しか母のところに行ってあげられない。
というわけで、母と待ち合わせで、今日フリマに行くんだろうな。自分は全く興味はないけど、母を外に連れ出す算段でもしてみましょう。
私は、これからどんな老後を送るのか、あまり考えてないけど、漠然とした不安があります。
石川県の友人は、ご両親の介護をずっと丁寧にやってきて、お二人ともおられなくなって、自由は手に入れたそうです。でも、ご両親の年金がなくなり、本人の仕事は途中で辞めてしまったし、クルマも売ってしまって、自転車でバイト先に通勤しているという話を最近聞きました。
普通にしてたら、それなりにお金もあったはずなのに、彼は芭蕉さんや俳文学関係の資料収集家で、生活のかなりの部分をそちらに傾けてしまって、自分の生活は大変なんだということでした。どうしてそれなりの、考えられた、計画的な生き方ができないのかなあ。学生時代から、彼は好きなことはトコトンの人でした。そのためにすべてを傾けても惜しくない生き方をしていた。私にはマネのできない部分を持っていた。
私は、何も考えてなくて、ただあるがままを受け入れてるだけです。何の計画性もないのは彼と同じです。でも、彼にはたくさんの手持ちの財産があります。それをどうにかすれば、それなりのお金はあるでしょう。
私は、もちろん何もない。
ああ、先が見えないなあ。それはみんなそうなんだけど……。でも、お金はなくてもいいから、誰かのためになる仕事、誰かに喜んでもらえる、私ができそうな仕事、ないかなあ。あったら、私なりに頑張りたいんですけど。
とりあえず、母とデートしてみましょう。少しは母を外に連れ出すのです!