甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

先の見えない不安とワタシ

2020年01月25日 04時41分17秒 | 父母のこと、あれこれ

 母に久しぶりに電話しました。十日以上間が開いたかもしれない。母はわりと平然とした受け答えで、何でもないような感じだった。昔だったら、「久しぶりやね」とか、「長い間電話もせんといて」とか、「子どもを産んだ甲斐がなかった」とか、いろいろとお小言から始めていたのに、何でもない受け答えの方が、逆に少し怖かった。いや、私が後ろめたかっただけなんだろうか。

 長い間ホッタラカシにしていたこと、怒ってないのだろうか? 特に理由はないけど、たまたま電話しなかっただけなんだけど、サラッと流してしまうなんて、何だか不思議でした。……たまたまだったのか。わざと電話しなかった、というところはなかったか。少しイジワルするところもあったのかもしれないな。



 それで、母はフリマが大好きだから、でも、一人でウロチョロするのはイヤで、誰か家族がいて欲しいみたいで、弟が母を連れてってあげればいいのだけれど、弟はそういうところに母を連れて行くのは、逆に面倒で、あれこれ言い出すから、絶対に連れて行かない、みたいです。

 彼に用事があって、母にお金を出させるのであれば、もちろんどこでも連れて行くだろうけど、そんなに母も甘くはないから、まんまとせびられるままにされる、ということはないと思うけど、わりと弟の望むとおりになってたりするのかな。弟には母は甘いところもあります。お兄ちゃんには厳しいのか?

 それで、結局、朝の散歩と、時々の買い物に行く程度で、母は外界とはあまり関係を持たない老人になりつつあります。

 本人は、気持ちは若いつもりだろうけど、膝とか、足腰は割ってきているみたいで、気持ちも少しこもりがちです。つい二、三年前と比べても、気力は落ちてきたと思います。そりゃ、人と接する部分がすごく減ってきて、偏屈になっています。

 もっといろんな人とつきあって、あちらこちらに顔をだして、交流があればいいんだけど、母と同年代の人はあまり友だちにいないみたいだし、年上の人たちは、みんなおうちにこもりきりになってしまい、外でおしゃべりすることもなくなりました。

 息子の私は、時々しか母のところに行ってあげられない。

 というわけで、母と待ち合わせで、今日フリマに行くんだろうな。自分は全く興味はないけど、母を外に連れ出す算段でもしてみましょう。



 私は、これからどんな老後を送るのか、あまり考えてないけど、漠然とした不安があります。

 石川県の友人は、ご両親の介護をずっと丁寧にやってきて、お二人ともおられなくなって、自由は手に入れたそうです。でも、ご両親の年金がなくなり、本人の仕事は途中で辞めてしまったし、クルマも売ってしまって、自転車でバイト先に通勤しているという話を最近聞きました。

 普通にしてたら、それなりにお金もあったはずなのに、彼は芭蕉さんや俳文学関係の資料収集家で、生活のかなりの部分をそちらに傾けてしまって、自分の生活は大変なんだということでした。どうしてそれなりの、考えられた、計画的な生き方ができないのかなあ。学生時代から、彼は好きなことはトコトンの人でした。そのためにすべてを傾けても惜しくない生き方をしていた。私にはマネのできない部分を持っていた。

 私は、何も考えてなくて、ただあるがままを受け入れてるだけです。何の計画性もないのは彼と同じです。でも、彼にはたくさんの手持ちの財産があります。それをどうにかすれば、それなりのお金はあるでしょう。

 私は、もちろん何もない。

 ああ、先が見えないなあ。それはみんなそうなんだけど……。でも、お金はなくてもいいから、誰かのためになる仕事、誰かに喜んでもらえる、私ができそうな仕事、ないかなあ。あったら、私なりに頑張りたいんですけど。

 とりあえず、母とデートしてみましょう。少しは母を外に連れ出すのです!



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